挿話5.クイーン奥様劇場「君は天使じゃない」(後編)

 元より厄介な仕事であることはわかっていた。だが……。


「どういうことなんだ、これは!?」


 吹雪によってほんの数歩先も見えない白銀の世界の中で、オレは、冷たくなっていく少女の身体を前に絶叫することしかできなかった。


 *  *  *


 所長に言われたとおり、確かにキダフと名乗った少女は常人離れした運動能力を持っていた。


 重槍ランス両手剣グレートソードといった最重量級の武器を日ごろから振り回しているオレが、試しに仕掛けた腕相撲で10戦して10回とも勝てず(しかもほぼ瞬殺だった)、素手での簡単な模擬戦──互いの頭に巻いた鉢巻を奪う──も、3勝5敗といったていたらく。

 最初に会った時、大きな石扉を開けたのも、別に仕掛けがあったわけじゃない。彼女が力任せに押し動かしただけなのだ。


 両手に持った片刃剣を操る技術自体は教科書どおりでやや拙い面もあるが、それでも意外にこなれている。第一、これだけの速さと腕力があれば、それだけで大概の人や巨獣には通用するだろう。


 その一方、残念ながらハヌマンが発する雷光息ライトニングブレスは使えないらしい。威嚇咆哮バインドボイスの方は、やや範囲が狭いながら使えないこともないらしいが、今回の相手には通用しないだろうとのこと。


 半日ほどの訓練で、ひととおり相手の技量その他が飲み込めたので、回復薬類や携帯食料、罠や捕獲用の麻酔薬といったアイテムを整えたうえで、いよいよそのエセルとやらの“討伐”に出かけることにする。


 「ん? 何だ、そりゃ、キダフ?」

 これから出発する旨を、キダフの部屋(といっても簡素なベッドと、同じくらいの広さの床しかない、お粗末極まりないものだが)に知らせに行くと、彼女はベッドの上に女の子座りして、1体の人形らしきものをいじっていた。


 「──人形」

 ……訂正する。「らしき」ではなく、人形そのものだったらしい。


 「いや、それは大体わかるんだが……」

 「──とても、大切なもの」

 そう告げた彼女の顔は、一瞬だけいつもの無表情ではなく、やさしい翳りを浮かべていたように感じられた。


 丁寧な手つきでベッド下に付属したチェストボックスに、掌にややあまるほどの大きさの人形を納めるキダフ。よくはわからなかったが、銀に近い白い髪であることを除くと、どことなくキダフ自身を彷彿とさせる形状のように見えた。


 「──出発か?」

 「あ、ああ。吹雪が小康状態になったからな。打って出るなら今だ」

 本来なら完全に止んでからほうが望ましいが、生憎この仕事は期限が短い。それに、相手が相応に知恵が回る存在である以上、晴れてからだと向こうも警戒を強めている公算が高い。


 「──そう」

 頷くと、いきなり簡素なワンピース(と言うより貫頭衣)を脱ぎ出した。健康的な褐色のほのかな膨らみが目に入ったため、慌ててオレは背中を向けた。


 「ば、バカ。着替えるならそう言えって」

 「? なぜ? 仕事に出かける以上、着替えは当然だ」

 「いや、そりゃそーだが……一応、オレも健全な男なんでな」

 「?? 健全な男は、こんな未成熟な肢体に発情しない」

 アウチッ! 一本取られました、キダフさん。先程から胸を高鳴らせつつ、その未成熟な少女の着替えをチラ見してるオレは、健全じゃないってことですね。


 ──フッ、そーさ。どーせオレはロリコン気味さ!

 ただ、言わせてもらえば、ロリコン“気味”であって真性ではない……と思う。

 目の前の少女に“女”を感じているのだって、12、3歳にしか見えないこの娘が実は18歳だと知ってるからだし……。


 そんな悶々としたオレの心情をよそに、手早くキダフは準備を終える。

 防具は紫毒井守素材の軽装で、得物はトトカットラス改か。電撃への耐性が高いうえに、走力アップの技能が発動するから、双剣使いとしては悪くない判断だな。武器が水属性なのも、雷使いと戦うなら妥当だろう。

 オレの方は、武器は愛用のクリムゾンランスをそのまま使い、防具の方は用意してもらった無眼竜素材の重装を借りることにする。こちらも電撃攻撃に耐性があるタイプだ。反面、火に弱いが、相手が炎熱攻撃をしてこないならデメリットにはならない。


 「エセルは、この地図で言うところの7番か8番の領域あたりに潜伏していると思われる。何とか捕まえてやってくれ」

 所長自らの見送りと激励を受けて、オレ達は七十二番研究所をあとにした。

 どことなく物言いたげな所長の表情が、なぜかオレの記憶に残る。その直感を信じておくべきだったと気づいたのは、手遅れになってからのことだった。


 *  *  *


 研究所の裏手に広がる荒野の所長が指示したエリアで、拍子抜けするほど呆気なく、エセルの姿は見つかった。

 白を基調としたモノセロン装備を身にまとい、紫電をまとった片手剣を手に断崖に立ち尽くす、年端もいかない有角の少女。


 「あ、あれがエセル……か?」

 髪がモノセロンを彷彿とさせる白銀色で、肌もその髪に負けぬほど白いと言う点を除けば、その容貌は、オレの傍らにいるキダフとそっくりだった。


 「そうよ。わたしはエセル。キダフのひとつ上の“姉”」

 この距離からでも、オレの呟きが聞こえたと言うのか、キダフと似た白銀の少女は艶やかな微笑みを見せた。


 「やっぱり、あなたが来たのね、キダフ」

 少女の瞳には、歓喜と興奮と──そしてよくわからない感情が浮かんでいる。強いて言うとしたら、“憐れみ”か?


 「エセル。研究所に戻って。お願い!」

 驚いたことに、キダフの言葉にもまぎれもなく確かな感情が感じられた。恐れ、哀しみ、怒り──そして懇願。


 「イヤよ。わたしは、この時をもうずっと前から待ちわびていたんですもの」

 だが、キダフの必死の言葉はエセルには届かない。


 「待っていたとは……何をやらかすつもりなのかな、お嬢さん?」

 意図的に軽口を叩くような口ぶりで、オレは彼女に聞いてみた。


 「あなたは?」

 「カシム・ボグウェル。軍人崩れのしがないハントマンさ。今回、お嬢さんを連れ戻す依頼を受けている。フェミニストなオレとしては、レディに手を上げるのは本意じゃないんで、大人しくしてもらえると助かるんだが」


 「そう……あなたが…………」

 何やら隔意ありげに微笑んだのち、エセルはサッと右手を上げた。

 「生憎だけど、わたしにはやらなければいけないことがあるの。連れ戻したければ──殺す気で来なさい!」

 言葉が終わるとともに、数条の稲妻が雷鳴とともにオレたちの“いた”辺りを襲う。


 もっとも、どことなくイヤな予感がしていたオレは、キダフを抱えてからくもその場所を逃げ出していたので、実害はなかったのだが。

 そのまま、数分間駆け続け、少し離れたエリアまでいったん撤退する。

 どういうわけか、エセルは追ってこなかった。


 「しかしマズったな。ヘタに声かけるんじゃなかった」

 物言わぬ獣を狩ることは──技術面はともかく──心理的にはたやすい。

 あるいは、相手が人であっても、無言のまま、あるいは意味のない怒声や罵声しか投げて来ないのなら割り切って戦うことも、兵士だったオレにはできる。

 しかし、ある程度親しげに会話を交わし、一端とは言えその“心”に触れてしまった相手と殺すつもりで戦うと言うのは、なかなか心理的にキツい。

 実の姉妹とやり合うことになったキダフも同じだろう──と傍らを見れば、彼女は黙々と片手剣を抜き放ち、腰のポーチから強健剤とおぼしき薬を取り出して口にしている。


 「お、オイ、いいのかよ? 姉さんと戦うことになっても……」

 「──それが命令。第一指令である“言葉による説得”が無意味だった以上、ほかに手はない」

 キダフは、初めて正面からオレの目を覗き込んできた。

 「貴殿は軍人としてもハントマンとしても優秀だと聞き及んでいる。どうか、エセル捕獲に全力を尽くして欲しい」


 そうか。見た目ほど、こいつだって平気なわけじゃないんだ。たとえ重傷を負わせてでも、捕獲できれば、次善の結果とは言えるだろう。そう悟ったオレも、腹をくくることにした。


 実のところ、オレが得意とするランスは、モノセロンのような素早い相手にあまり向いているとは言い難い。エセルの動きがモノセロンに準じるものだとすれば、正直不利なのは否めないだろう。


 (大槌ハンマーか片手剣、あるいは軽弩クロスボウあたりが適任なんだがな~)


 ともあれ、無いものねだりをしても仕方がない。幸いこちらには同様に驚異的な身体能力を持つキダフもいることだし、適度に痛めつけてから罠にかけて麻酔で眠らせればいいだろう。


 しかしながら、その直後、オレは自分の見通しの甘さを教えられることになった。


 “二大怪獣大決戦”

 キダフとエセルの戦いは、そう形容したくなるようなレベルの違う代物だった。

 天地に雷鳴が轟き、咆哮と怒号が飛び交い、目にも止まらぬ速度で剣と剣が交差する。


 こう見えて、オレもランス一本(いや、複数持ってるけど)で、数多の強敵──古強者の騎士や巨獣相手に打ち勝ってきた自信はあったのだが……。この“命懸けの姉妹ゲンカ”を前にしては、暴風竜ルドラスの鼻息に吹き飛ばされるケトシーより無力だった。


 しかしながら、やはり歳の功故か、人外の能力を操ることに一日の長があったのか、エセルのほうが優勢になっていく。何とか援護をしたいところだが、あのスピードにオレの武器では到底ついていけないのだ。


 (ん? 待てよ……)

 オレは腰のポーチを探り、“それ”を持って来ていることを確かめる。


 (……よし。焦るな。勝機を待つんだ……)

 一瞬たりとも隙を見逃すまいと、オレは武器をしまったままふたりの戦いを見守った。


 *  *  *


 「よくぞ、ここまで食い下がったわね、キダフ。でも、もうおしまい」

 「──まだ、イケる」


 誰から見ても、キダフのその言葉は虚勢としか見えなかったであろう。

 雷に強いハヌマンの特性を受け継ぎ、さらにウィオラマンデル装備を着込んだキダフだったが、落雷ではなくエセル自らが振るう紫電の剣に切り裂かれては、それも無意味だ。

 10数ヵ所以上負わされた切り傷は、いずれも致命傷でこそなかったが、出血と痛みから彼女の動きを鈍らせ、さらなる傷を増やすだけだ。


 それでも、彼女はまだあきらめていなかった。

 

 「グ……ghaaaaaaaaa!』

 裂帛の気合い、いや咆吼とともにキダフの体が黄金色の光に包まれる。

 ハヌマンが追い詰められた時に特有のパワーアップ現象だった。この状態では、筋力も速度も大幅にアップするのだ。その脅威には、歴戦のハントマンでさえ裸足で逃げ出す。


 しかし──


 「あなたがそうするのを待っていたわ」

 冷静に呟いたエセルの左手の剣が一閃し、キダフの尻尾を切り落とす。


 『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA………………………………』

 先刻以上の絶叫とともに、キダフが意識を失い、雪原の上に崩れ落ちる。


 「これでよし。あとは……」

 ホッとひと息ついて、戦いのさなかほとんど無視していたオレの方へ向き直ろうとするエセル。


 そのほんの一瞬の気の緩みを、オレは的確に突いた。


 トス、トス、トスッ!「油断大敵っ、てね!」


 注意深く彼女の死角の方から、強力な麻酔薬をたっぷり塗った投げナイフを続けざまに投じたのだ。


 「くっ……そんな……」

 急速に睡魔に襲われているのだろう。エセルがグラリとふらつく。


 「妹さんを囮にした形になっちまったが、オレたちの勝ちだな。アンタも随分と消耗してるみたいだし、あとはこの特製の鋼緊ワイヤーと電痺銃スタンガンの駄目押しでキッチリ捕獲してやるよ」


 「ムダよ……」

 麻酔薬の成分で朦朧としながら、薄く笑うエセル。


 「わたしは……モノセロンの特性を受け継いでいるの、よ。スタンガンなんて、利くと思う? それに“聖獣”を捕獲できるものですか!」

 「! よせっ!!」

 「フンッ!!」

 緩慢な動作ながら、エセルは片手剣を持ち上げ、自らの太ももに突きたてた。その瞳から急速に眠気が去っていくのがわかる。


 「さぁ、第二ラウンドといきましょうか」

 先程までの神速には及ばぬまでも、それでも十分す速い動きで突進してくるエセル。咄嗟にオレはランスを構えて迎え撃った。ガードを固める間もない、ほとんどハントマンに染みついた本能のようなものだ。

 一瞬の交錯。そして……。


 「「……………………」」


 次の瞬間、雪上に倒れているのは、エセルの方だった。

 その左胸を正確にオレのクリムゾンランスが貫いたのだ。


 「バカな! なぜ避けなかった?」

 エセルを抱き起こしながら、不条理な言い草だとは思うが、オレはそう叫ばずにはいられなかった。


 「あの子のためよ……」

 口の端から血を溢れさせながら、エセルが語ったところによると、最初からこれは所長と彼女が計画した茶番だったらしい。

 エセルが脱走騒ぎを起こし、その討伐にかこつけてキダフを研究所から逃がす。

 それなら、姉妹ふたりで脱走すればよさそうなものだが、研究員や警備兵などの目があるし、仮に逃げられてもそのままだといつまでも国に追われることとなる。そのために自分が捨て石となり、相打ちすなわち“死んだ”という形を偽装することにしたらしい。

 また、その際、人とは異なる異相の部分を切り落として目立たなくする。そのうえで信頼できる外部の協力者に、彼女を預けたかったのだと言う。


 「オレが、その“信頼に値する人物”だと?」

 「ええ、半分は直感だけど、残りの半分は、最初に会ったときの会話から得た確信」

 ──参った。どーも、オレはまた貧乏くじを引かされちまったようだ。


 「お父様は、本当の娘同然にわたしたちを可愛がってくれたけど……それでも、国からの要請には逆らえなかった」

 なんでも、彼女たちは所長の古い友人の娘で、身寄りがなくなったところを彼に引き取られた養女らしい。その後、脅迫同然の形で、彼女たちの身柄を実験に供出させられたようだ。


 (そうか……だから)

 研究所での所長のキダフを見る目が気になっていたのだ。エセルのことを“実験体”と呼ぶわりに、同じ身分であるはずのキダフに対しては、言葉の端々から労りが感じ取れた。


 「そして……悪いことに、この子はとても優秀だった。異相の力を持つ者として……何より暗殺者として」

 ! そういうことか。

 手合わせしたとき、妙にこなれた動きに思えたのも道理。キダフはすでに何度か“実戦”を経験していたのだ。それも、モンスターではなく、人を相手に。


 「“任務”から帰ってくるたび、この子の心が悲鳴をあげていることがわたしにはわかったわ。だから……」

 ケフッ、と喉につまった血を吐き出しつつ、エセルが体を起こし、オレの手を掴む。

 「お願い。あの子をここから連れ出して!」


 ──あなたの元上司さんも、今回の件に一枚噛んでるわ。だから、簡単な偽装で真相はバレないはずよ……。


 そう言い残すと、最期の力を使い果たしたのかエセルはオレの腕の中で動かなくなった。むしろ心臓に孔が開いたまま、ここまで生きてしゃべっていた方が驚異だろう。


 ふと見れば、懐から黒い髪の毛をした人形がこぼれ落ちている。おそらく、キダフの姿を象ったものなのだろう。今にして思えば、キダフの部屋にあったのは、エセルの姿を模したものに違いない。


 「畜生! 死人の頼みは断われねーじゃねーか!」


 オレは、人形をエセルの懐に戻して、遺体をそっと雪上に横たえた。

 そして、まだ意識を失っているキダフの体を抱き上げる。いくら所長たちがグルだとはいえ、証拠湮滅は早いにこしたことはない。キダフの双剣を谷底に放り込み、尻尾はその場に残したまま、オレは彼女抱えて急いでこの場所を離れた。


 *  *  *


 結局、キダフが意識を取り戻したのは、逃げるように国境を越え、オレのいまの家があるロロパエ村まで、あと数日という位置にある里まで来た時だった。


 安宿で借りた狭い部屋のベッドで目を覚ましたキダフに、オレは事の次第を説明した。

 意外なほど静かに(いや、元々落ち着いた子だとは知っていたが)オレの説明を聞き、俯いたまま考え込んでいたキダフは、ついと顔を上げると、物問いたげにオレの顔を見つめた。


 「ん? 何だ?」

 「──貴殿がこの企みに乗って得られたものは? 察するに軍からの報酬も受け取っていないはず。そればかりか逆に目をつけられるハメになったのでは?」

 「さてなぁ。ただ、オレは昔から美人と死人との約束だけは裏切らないと決めてるんだ」

 「しかも、このまま共にいれば、私は貴殿に生活面での負担もかける」

 「お子様はそんなこと気にしなくていーの。ま、もしその気があるなら、大きくなった時に恩返しでもしてくれりゃあいい」


 嗚呼、この時のオレは何たる迂闊な発言をしたものか。言い訳させてもらうと、オレはこの時、まだ初潮も迎えてない年頃に見えるチビッコの実年齢が18歳だと言うことを完全に忘れていたのだ。


 *  *  *


 まだ体調の優れないキダフを無理矢理ベッドに寝かせ、オレ自身は宿から借りた毛布にくるまって、傍らの床でゴロ寝をしていたはずだった。

 ……なのに、何で夜中に目を覚ますと、ベッドの上にいるのだろう?

 さらに、上半身裸で、体の上に全裸のおにゃのこが乗っているのに、今の今まで気づかないとは……。


 「それだけ貴殿も疲弊していたと言うこと」

 キダフか? キダフなのか? 何でこんなことを。


 「支払い」

 ……は?


 「ハントマンもしくは傭兵としての貴方の働きに報いるための正当な報酬。されど、私はいまこの身しか持ち合わせがない」

 えーと……意訳すると、「金がないから体で払います」ってこと?


 「そう」


 ──ヤバい。これは、どうにもヤバい。

 単に目が覚めきってないからだと言うばかりじゃなく、キダフの体温とほのかな匂いに当てられて、体の自由が利かなくなってきた。


 「ば、バカ! 子供がマセたこと言うんじゃない」

 それでも理性を振り絞って叱りつけたオレの言葉は、あっさりカウンターをくらう。


 「私は18歳。すでに法定結婚可能年齢に達している」

 「そ、それはそうかもしれんが、こういうことは本当に好きな人とだな」

 「現在、私の心理的距離においてもっとも中心に近いのは義父。しかし、義理とはいえ父に対して恋愛感情を抱くのはインモモラル。その点、貴方はそれに次ぐ場所に位置する。それに……」

 と、そこまで一気に言いおえたキダフがなぜか口ごもる。


 「──責任を取ってほしい」

 「責任って何──んむっ!?」


 最後まで言わせず、キダフはオレの唇をふさいでいた。

 唇を重ね合わせるだけの幼いキス。

 だが、ささくれだったオレの神経を蕩かすには十分なだけの熱と魅力は籠っていた。


 「……後悔しても、しんねーぞ?」

 「しない。」

 そう断言したキダフの体から力が抜け、ふわり、とオレの胸によりかかってくる。


 「ふつつかものですが、よろしくおねがいします」

 台詞は棒読みだが、ほのかに赤らんだ少女の頬を見た瞬間、プッツーーンとオレの中で何かがキレた。

 体を入れ換え、華奢なその体を組み敷くと、今度はこちらから口付ける。舌をからめあい、互いの唾液を交換するような濃厚なキス。


 「んん、ふぁ、あああ……」

 いつもの無表情とはうって変わった恍惚とした表情で身をよじるキダフの胸に手を伸ばす。いまだ未成熟な身体だが、その乳房は形が変わるほどまでに十分柔らかく、オレの興奮を否が応にも煽った。


 「オッパイ、柔らかいな、キダフ……」

 「! あ、あぅ……やぁ……言わないで……」


 無意識に逃げようとするその身体をしっかりと抱き寄せ、抗議する口を再び舌を挿し入れる。ようやく観念したのかキダフの小さな両手もオレの背中に回され、そのまま強く抱きしめてきた。


……

…………

………………


 「キダフ。……とても綺麗だぞ」


 びくっ、と彼女の身体に快感とは異なる震えが走ったのがわかる。


 「──嘘。私は……バケモノ。綺麗なんかじゃない」


 !

 なんてこった。 たぶん、研究所なり、“任務”で外に出たときなりに、今は無きその尻尾を見られたのか、あるいはその常識離れした力に恐れられたのか。

 歳に似合わぬ超然とした空気をまとった彼女に似つかわしくなく、その声は昏く沈んでいた。


 (ああ……)

 そうじゃない。そうじゃないんだ。彼女は、歳より大人びていたわけではない。周囲の心ない中傷から身を心を守るために、そう振る舞わざるを得なかったんだ。

 ならば──オレが言うべきことはひとつだ。


 「嘘じゃない。オマエは、オレが知ってるどんな女より可愛いし美しい」

 オレの言葉の響きにウソがないことを感じ取ったのか、キダフはまだちょっと震えながらも、ぎこちない笑顔を見せた。


 「──惚れた?」

 「ああ、間違いなくメロメロだ」


 この言葉にもウソはなかった。初めて間近で見る、この少女のはかない月影のような微笑みに、オレはオーバーでなく心を鷲づかみにされるような感覚を感じていたのだから。


 *  *  *


 「なぁ、キダフ、あの人形って……」

 追憶からさめてカシムは傍らの妻の方を見やるが、すでにそこに彼女の姿はなかった。


 「!? お、おい、キダフ!」

 慌てて辺りを見渡せば、すでに妻は自宅へと続く道へと歩きだしていた。


 「──カシム、早く帰らないと、魚が傷む」

 「ちょ、ちょっと待った~!」

 カシムも腕の中の荷物をひと揺すりしてバランスを整え、急ぎ足に彼女のあとを追う。


 「……いいのか? あれ、買わなくても」

 「──別に、いい。アレはただの人形。それに、アレが売られているということは、父はもう……」

 研究所に残されたはずのあの人形が、こんな僻地に来る行商人の手に渡ったと言うことは、彼女たちの養父である所長が亡くなったか、消されたか、少なくとも失脚くらいはしたと言うことなのだろうから。


 「! そうか。スマン、考えなしだった」

 だが、それでも幸せ──ではなかったかもしれないが、数少ない少女時代の思い出の品として、手元に置いておくべきではないかとも思うのだが……。


 「構わない。私は過去を捨てた女」

 フッとハードボイルドな目をしてそんなことを呟くキダフだが、両手に下げた買い物袋が死ぬほどミスマッチだ。

 あるいは、暗い雰囲気を嫌って、あえて道化ているのかもしれない。カシムはそれに乗ることにした。


 「プッ……バーカ。お前、何、いっちょまえにカッコつけてンだよ!」

 「──心外。私はりっぱな一人前の大人。「いっちょまえ」とは半人前な相手に使うべき形容」

 「いちにんまえ、ねぇ……」

 わざとらしく、その限りなく平野に近い胸のあたりを眺める。


 あのあと、移植された尾によって成長が阻害されていたのか、カシムの身体は順調に成長を続けた。

 異能の源たるハヌマンの尾を切られたせいか、いまのカシムにはあんな人間離れした力はない。せいぜいが見かけによらず頑丈で、ちょっと力持ちといった程度だ。

 とは言え、そのため、ハントマンを始めた当初は武器を扱う感覚に慣れず、失敗続きだった。もっとも、カシムのアイデアで力の差がそれほど関与しない後衛の射手に転向することで、その問題はクリアーされたので、結果オーライだ。

 反面、成長期が遅かったせいか、満21歳になる現在でも、16、7歳にしか見えないのが悩みの種ではあるが……。


 「その視線は失礼。昨晩だって、カシムは私の自分のピーをピーさせて、さらにピーな……」

 「わーわーわー、そんな事、天下の往来で大声で口にするなぁ~!」


 大騒ぎしながら仲良く家路をたどるふたつの人影を、目深に笠をかぶり口元をマフラーで隠した“初老の龍人”の露天商は、微笑ましげに見送っていた。


 「──カシム」

 「ん? 何だ、キダフ」

 「──ずっと、いっしょ?」

 「! ああ、ずっと一緒だ」

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