エピローグ.そして時は流れ……

──ガタ、ゴト、ガタ……ゴトン!


 王都と辺境のロッテ村を繋ぐ定期便馬車は、その途中の宿場町のひとつで車輪を止めた。


 「……ふぇっ!? もう着いたの?」

 寝惚けたような声とともに、馬車からひとりの女性が降り立つ。


 背中くらいにまで伸びた星空のような鮮やかなネイビーブルーの髪が目を引く、15、6歳くらいの少女だ。それも、きめ細かく色白な肌と、派手ではないが小作りで整った顔だちを持った、とびきりの美少女と言ってもよいだろう。


 かなり上質な(たぶん紅無眼竜の柔皮でできた)真っ赤なコートを羽織っており、立ち居振る舞いにも、こんな田舎町(正確には村だが)には不似合いな品の良さを見てとれる。反面、そのわりにどこか頼りない呑気な表情のおかげで、あまり近寄り難さは感じさせない。


 いまも、どうやら馬車の中で居眠りでもしていたのか、トロンと眠そうな目つきをしている。

 もっとも、長距離馬車というヤツは速度と頑丈さがウリなので、良家の子女が簡単に中でくつろげるような、ヤワな乗り心地をしてないはずなのだが……。

 この少女、見かけに反してズブとい神経の持ち主なのか、よほど馬車に乗り慣れているのか──あるいは、ただの天然か。

 「あぅ~、失敗失敗。久しぶりなので、ウトウトしてしまいましたぁ」

 ──どうやら、3番目の理由という線が濃厚だろう。


 2、3回、目をしばたかせていたかと思うと、赤いコートの少女は小さなトランクを抱え直し、存外キビキビした足取りで歩き出した。

 目的の場所はわかっているのか、その足取りには迷いは見受けられない。

 すれ違う人からの好奇の視線をのほほほんと受け流し、あるいは知己らしき人には挨拶しつつ、目的地のとある家へと向かう。


 やがて彼女の足は、やや大きめの東方風の作りをした一軒家の前で止まった。

 とくに呼び鈴などはないようなので、さてどうするか……と考えるまでもなく、中からひとりの女性が姿を現わした。


 「なんじゃ、訪ね人の気配がすると思ぅたら、お主かえ。よぅ来たの」

 「あ……お久しぶりです、姉君様!」

 ペコリと頭を下げる少女、カンティの仕草を好ましげに見やりながら、20代後半とおぼしき女性、ランは、彼女を自宅へと招き入れた。

 そのまま、真新しいタタミの匂いのする居間へと、カンティは通された。この家が再改築されてから訪れるのは初めてなので、少し興味深げに辺りを見回す。


 「ほんに久しぶりじゃのぅ。この前、お主が来たのは、確か夏の終わりの祭りのころであったか」

 カンティが脱いだコートを受け取りハンガーにかけながら、ランが呟く。


 「そうですねぇ。今年も蛍光虫の乱舞がいっぱい見れて綺麗でした~」

 淡いスミレ色のワンピース姿となったカンティは、コタツの前に品良く正座している。

 初めてこの家の座敷に入ったときオタオタしていたのが嘘のような、見事な立ち居振る舞いだった。


 「義父上ちちうえ義母上ははうえ方はご健勝かえ?」

 「ええ、それはもぅ……」

 何か思い出したのか、カンティはクスクス笑い始める。


 「んん?」

 「いえ、父君様も母君様も、事あるごとに、兄君様や姉君様にお会いしたいと申されておりますよ」


 そう聞いて、ランは始めて夫の実家に挨拶に行ったときのことを思い出す。

 義妹のヒルダからおおよその話は聞いていたのか、義母の伯爵夫人は思いのほか好意的だった。実娘のヒルダ、長男の嫁に続き、次男の嫁と言う形で“娘”が増えたことをむしろ大いに喜んでいるようで、ランとしても気のおけない嫁姑関係を築くことが出来た。

 さすがに王国の重鎮の一角たるフィーン伯爵その人は、気軽に打ち解けてはくれなかったが、それでも王都滞在の1週間で自分を義娘として認めてくれるようにはなった。

 もっとも──それには、持参した“手土産”の功績も大きかったのだろうが。

 「義母上はともかく、義父上は孫に会いたいだけではないのかえ?」

 腕の中で眠る満1歳になる娘を抱え直し、苦笑しながら問い返すと、カンティも愉快げな表情で答える。

 「まぁ、父君様はホーネットくんとヴェスパちゃんがことのほかお気に入りですし……」


 あの厳格な将軍が孫達の前では、単なる好々爺と化してしまうと言うのは、フィーン伯爵家に関わる者にとっては公然の秘密である。

 マックの兄である長男ケインの方にも孫(5歳の男の子)はいるのだが、マックたちの子には普段会えないうえ孫娘は初めてなので、なおさら可愛く感じるのだろう。


 「ところで、今日はヒルダは一緒ではないのかえ? もっとも……」

 言葉を溜めて、ほんの少し悪戯っぽい光を瞳に浮かべる。

 「流石に許婚いいなずけが出来たとあっては、あのじゃじゃ馬娘も遊びほうけているわけにはいくまいが」


 「あ、それなんですけれど……」

 軽い微笑を浮かべていたカンティも、ほんの少しだけ居住まいを正す。

 「ヒルデガルドお嬢様から、マクドゥガル夫妻への招待状です。お納め下さい」

 カバンから取り出した金箔押しの招待状を恭しく差し出す。

 一体何の招待状かは告げなかったものの、元より二人には周知の内容だ。


 「ほほぅ、どうやらあの娘も年貢の納め時ということか」

 一応礼儀として目を通すと、案の定、それはおよそひと月後に迫った、ヒルデガルドと許婚の結婚式への招待状であった。  

 「我が君は、いまお仕事に出かけておられるが、この事についてなら相談するまでもないわ。喜んで出席させていただくと、伝えてたもれ」

 「ありがとうございます。お嬢様もきっと喜ばれると思います」


 ちなみに、ヒルダの結婚相手は、長兄ケインとも次兄のマクドゥガルとも異なる線の細い文人タイプの青年である。

 敢えて言うなら頭脳派のケインの方が近いだろうが、やり手の若手参謀として軍で頭角を現わしているケインとは異なり、虫も殺せそうにない優しげなその青年を、並み居る婚約者候補の中からヒルダが選んだとき、大半の人々が驚いたものだ。

 もっとも、彼女の母と義姉のひとり、つまり伯爵夫人とランだけは、ヒルダの“本性”から「さもありなん」と深く頷いたのだが。

 ──ちなみに、ヒルダは人前では猫を被るのが巧く、貴族たちの間では「フィーンの白薔薇」などというご大層な綽名で呼ばれていることは、身内の間では笑い話の種である。


 「ふむ。ところで……お主は未だにヒルダのことを“お嬢様”と呼んでおるのかえ? それを言うなら、お主自身も“伯爵家のお嬢様”であろうに」

 ヒルダの側仕え兼被保護者として伯爵家で過ごしていたカンティは、伯爵夫人達に気に入られて、1年ほどまえに改めてフィーン家に“養女”(より正確には猶子であり爵位などの継承権はない)として迎えられていた。

 これは唯一の実娘が嫁に行くことが決まったため、家の中の華やかさが減ることを夫人が嫌った……という裏事情もあるのだが。


 とは言え、元々カンティは、ただのメイドとは少し異なり、平時の日中にヒルダの側で働く傍ら、彼女の肝煎りで淑女としての教育も受けていたので、それが公認のものになっただけ、とも言える。

 そして、かつてカンティが“ママ”と呼び、人前で“お嬢様”と呼んでいたヒルデガルドは、今度は“お姉ちゃん”となったわけだ。ふたりの年齢差を考慮すれば、むしろその方が自然だろう。


 「いえ、そのぉ……どうもまだ慣れなくて」

 エヘヘと頭をかきながら、チロッと舌を出す。


 ここで物覚えの良い方なら、「あれ、でもカンティって確か本当は男のコじゃあ……?」と疑問に思われるかもしれないが、驚くなかれ。

 成長するにつれて“彼女”の身体は徐々に変貌していき、フィーン家のかかりつけ医による診断でも、ほぼ完全に“女の子”になっているらしい。つい先日、“月のお客さん”も来た──と、ランも前回会った時に聞いている。


 もっとも、一部の魚類や植物の性別が成長に伴って変化する例もあることだし、カンティの素性を考えれば(そして虫が人の姿になることと比べれば)、

それほど驚くべきことではないのかもしれないが。


 「──ははうぇ~、どこォ?」

 と、その時、隣室から眠たげに目をこすりながら3歳くらいの少年が姿を現す。

 マックとヒルダの息子のホーネットだ。どうやらお昼寝から目覚めて、傍らに母がいないことに不安になったのだろう。


 「おお、ここにいますぞえ、ホーネット」

 「あ、ははうえだぁ」

 ニパァと顔がほころぶ様は、とても愛らしい。目にした女性の99パーセントが母性本能をくすぐられまくるだろう。

 無論、カンティもその99パーセントに含まれていた。


 「か、可愛い! ねぇねぇ、ホーネットくん、お姉ちゃんのこと、覚えてるかな?」

 「んーと……あ、おまつりのとき、あめだまくれたおねーちゃん!」

 残念、まだ名前を覚えるには至ってなかった様子。

 それでも、多少なりとも覚えられていたのがうれしいのか、カンティはホーネットの頭を撫で撫でしている。


 「これ、カンティ。あまりその子を甘やかすでないぞ。どうも我が君に似て、女子にはやたらイイ顔する傾向があるようじゃしのぅ」

 確かに、金と黒のストライプになった髪の色を除くと、ホーネットの顔だちは幼い頃のマックにそっくり(いや、想像だが)だった。 


 「そんなことないよねぇ、ホーネットくん?」

 「ねー」

 訂正。こんな幼いころから周囲の女性を虜にするなんて、ホーネット……恐ろしい子!


 「うぃーす、ただいま~……って、ありゃ、誰かお客さんか?」

 玄関の方から、マックの声が聞こえて来る。おそらく土間に揃えられたカンティの女物のブーツを見つけたのだろう。


 「ちわ~、奥さんいるー? お呼ばれに来たゼー」ペシン!「アテッ!」

 「──カシム。厚かましい」

 どうやらカシム達も、引き連れて来たようだ。

 元より彼らにも招待状を渡すつもりだったので、カンティとしてはちょうどよい。

 「ふむ、先客がおるようだが、儂らがお邪魔してよかったのか?」

 この錆びた声は、彼らの師匠、狩魂王クルガだろうか?


 「おやおや、一気に賑やかになりましたの……さぁさ、皆様方、上がってくつろいでたもれ」

 「あ、姉君様。私もお台所のお手伝いします」

 「うむ、助かりまする。では妾はヴェスパを寝かしつけてくるとするかの。シズカ、子守りを頼みましたぞえ」

 「あい、わかりました。お任せください、奥様」


  *  *  *


 子供部屋で乳母代わりのケトシーが見守る中、まだ幼いがどことなく母の美貌の片鱗を感じさせるその赤子は、居間の喧騒をBGMに軽やかに寝息を立てていた。

 軽く握られたその手の指先にある小さな爪は、べっこう飴の如き黄褐色の色合と質感を有している。それこそが、彼女の母が元は人外の存在──女王大鬼蜂メガヴェスパーナであったことの証。


 でもそれがどうしたと言うのだろう?

 彼女の父と母は、互いを心から愛し合い、支え合い、慈しみ合っている。

 その愛情は、彼女にも彼女の兄にも惜しげなく注がれている。

 彼らには信頼すべき友がいて、尊敬すべき師がいる。

 離れた土地とはいえ、彼らのことを心から案じてくれる係累もいる。

 誇るべき仕事を持ち、毎日を精一杯に生きている。

 それで十分。いや、このうえない幸福だと言ってよかろう。


「──願わくば、この子達の未来に幸多からんことを」


 -東シュライン、紫ボアズの森の出身のケトシー、シズカの日記より- 


 <完>

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