挿話5.クイーン奥様劇場「君は天使じゃない」(前編)

 双角竜デュアルホルン多頭狩りの依頼で、ちょっとしたミスから片目を失った中堅狩猟士のカシムは、多少思うところがあって、ハントマン稼業を引退することを決めた。


 もっとも、20代半ばの若い身空で無為徒食の身となる気はない。まがりなりにも上級マスターランクに手が届くところまできていたハントマンのはしくれとして、節約すれば10年程度は夫婦ふたりで食べていけるだけの貯えはあったが……無為徒食ニートになるには、彼はあまりに活動的過ぎた。


 幸い、彼の妻キダフも腕利きのハントマンであったため、金銭的に困ることはそうそうなかろう。今後の展望としては半ばボランティアに近い新米ハントマン専門の実地ガイドでもやってみるか……と気楽に考えていたのだが。

 そのキダフまでが引退を宣言したため、蜂蜜菓子よりも甘いカシムの見通しはいきなり狂うことになった。予定していた“ガイド”を、より金のとれそうな“情報屋”に転向することにしたのだ。


 その情報屋稼業がどうなったかについては……ここでは言及すまい。興味がある方は、「第7話.転機は知らずにやってくる」あたりを読み返して頂きたい。

 収入、世間的評価、その他諸々の理由から、肩身が狭くなった(実は、これは彼の誤解。キダフは別段、夫のことを厄介者だとか穀潰しだとかは思ってはいない……はず)カシムは、せめてもと思って家事──主に力作業関連を積極的に手伝うようになった。


 「うぉーい、もういいのか、キダフ?」

 「いい」

 そんなワケで今日も、市場での食料品その他の買い出しに付き合って荷物持ちを勤めているのだ。


 初めてこの夫婦を見た者は、ほぼ例外なく、好奇心を刺激されてまじまじと見比べてしまうことだろう。

 片や、2メートル近い長身と、ボサボサの赤毛、さらに海賊まがいの眼帯が目立つ強面の男。彼が夜盗の親分だと名乗っても、10人に7人くらいはアッサリ信じるだろう。

 そして、片や20歳前……見ようによっては10代半ばくらいにも見える小柄な美少女。褐色の肌はこの辺りではやや珍しいが、彼女に白い肌とはまた違った健康的な野生美を与えている。反面、彼女の印象自体は「物静かで内気な文学少女」といった風体でもある。

 実際、彼女は無口であり、かつ濫読に近いほどの本好きでもあったから、あながち誤った見解でもなかったが。


 もっとも、ふたりの夫婦仲は極めて良好だ。彼らの友人である夫妻が、夫が行動指針を決めて妻が全力でサポートする、夫唱婦随の古風なスタイルのカップルであるのに比べると、このふたりの場合はむしろ夫婦漫才の相方同士という方がピッタリかもしれない。

 友人どうしである夫達ふたりがバカをやっても、ランは全力でフォローし、キダフは全力でツッコみ、場合によっては折檻する……と言えばわかりやすいだろうか?


 と、そんな物思いにフケっていたカシムは、傍らから消えた妻がとある店先──行商人の露店らしきところで立ち止まっていることに気づいた。


 「どーした、キダフ。何か欲しいモノでも……」

 「……」

 大急ぎで歩み寄った夫の言葉にも気づかない風でキダフが見つめているものは、古ぼけた小さな人形だった。


 「これは……」

 妻の視線の先を辿り、彼女の興味の対象を認識した時、カシムの口からも言葉が途切れる。

 そう、彼もまた、その人形について見知っていたからだ。


 *  *  *


 大空に龍や竜が舞い、大地を大小さまざまなモンスターたちが我が物顔に闊歩するこの世界において、まず人々が思い浮かべる花形職業と言えば“ハントマン(狩猟士)”だ。

 小はボアズやセルボから、大は毒山龍あるいは城塞蟹まで、様々な巨獣モンスターたちの体から取れる多彩な素材は、人々の生活を支える重要な基盤であったし、人里近くに棲む飛竜などは、人々の身を危険に晒すことも多かったからだ。


 また、ハントマンが協会ギルドに所属してはいるものの、あくまで民間有志による狩人であるのに対し、国が組織した“軍隊”、そしてその中で上位に位置する“騎士”や“将軍”と言うのも、相応のステータスを有している。

 身軽に動けないため、軍隊は巨獣怪獣相手には遅れを取ることも多かったが、それとは別に他国との国境を守ると言う役目も担う。この世界で大きな戦乱が絶えて久しいが、人間(龍人種や獣人種も含めて)が築く社会である以上、完全に争いが無いわけでもない。

 国境際でのちょっとした小競り合い、あるいは山賊の討伐など、対人集団戦闘のスペシャリストとしての意味合いも、軍隊は有しているのだ。


 ……そして、これら言わば“表”の組織や団体とは別に、隠然とした勢力を有している集団も存在していた。スカして言うならば情報部あるいは諜報部と呼ばれる機関を、規模の差こそあれ各国とも秘密裏に有している。

 軽薄な呼び方を用いるならば“スパイと暗殺者の巣窟”とも言えるこれらは、その職務内容上、しばしば人道や倫理を無視した活動を行っている。

 また、その職務上、必然的に軍の上層部とは太いパイプを持ち、厄介なことに狩猟士協会や錬金術研究機関などとも、ある程度のつながりを持っているのだ。


 ──のっけから重苦しい話になって申し訳ない。

 オレことカシム・ボグウェルが、いま、こんな場所で苦労を強いられている理由をつらつら思い返していたところで、どうやら脱線してしまったらしい。


 昔の上司の限りなく脅迫に近い呼び出しに応じて、現在居住している村から、砂漠ひとつ挟んだ隣国(じつはオレの故郷)にまでえっちらおっちら来てみれば、ロクに説明もなしにこんな吹雪の山の中に行けと命じられたのだから、愚痴のひとつも出て来ようと言うものだ。

 その上司(昔部下だったときよりさらに2階級ほど出世していた)によれば、今回オレが押しつけられた“仕事”の依頼主と相棒が、この先にいるらしいが……待ち合わせ場所くらいは、もう少し考えて欲しいところだ。


 などと愚痴を言ってる間に、何やら建物が見えて来たぞ。

 外観は、上級狩猟士にとっても最難関の狩り場のひとつとして知られる“古えの塔”をふた回りほど小さくしたような作りだが、壁面の風化具合から見て、それほど古いものでもない。

 と言って新しくもないが……せいぜいここ100年くらいのあいだに建てられた代物だろうか。

 入り口の石扉は閉まっていたが、その前にサンドベージュのフード付き外套をまとった小柄な人影が待機していた。


 「よぅ、ここがピクニックの集合場所でいいのかい?」

 「──ボグウェル准尉か?」

 オレが、ふと返答に詰まったのは、自分でもほとんど忘れていた軍での階級で呼ばれたからじゃない。フードの陰からオレを見上げる顔と誰何する声が、思いがけないほど若い(と言うよりほとんど幼い)少女のものだったからだ。


 「准尉ではないのか? ならば、ここは私有地だ。立ち去れ」

 「……“元”准尉だ。それにオレはとっくに軍籍を離れている」

 「貴殿がカシム・ボグウェル本人なら問題はない。こちらへ」

 何か仕掛けでもあったのか、女の細腕で大きな石壁でできた扉はスルスルと開き、女自身はさっさと中へ入って行った。


 (やれやれ、可愛い顔して愛想のないこった……)

 溜め息をつきながら、オレは彼女のあとに続いた。


 やはり古えの塔の中を思わせる建物内部の構造に気を取られながら進んだ先には、痩身の龍人種ドラッケン男性が待ちうけていた。くすんだ灰色の髪と顔の皺から見て、歳の頃は初老(といっても龍人の年齢は判別しにくいのだが)くらいだろうか。おそらくは彼が依頼者なのだろう。


 男は、この「第七十二研究所」の所長だと名乗り、予想通りの無理難題をオレにフッかけてきやがった。学者らしく、やたらと説明や蘊蓄がクドかったが、話を要約するとこうだ。


 この研究所は、軍と協会の共通出資で建設された施設であり、怪獣デーモンたちの力の利用について、いろいろな角度から研究を進めていたらしい。

 「これは極秘事項なのだが」と前置きした上で所長が語ったところによると、そのひとつとして、怪獣の体組織の一部を人が取り込むことで、爆発的な力を得るという手法が考え出されたようだ。


 無論、一朝一夕で実現するほど簡単な研究でもないが、この研究所が設立されて100年近く経ち、ようやくその目処が立ちつつあるのだそうな。

 ところが、その実験体(イヤな言葉だ)のうちの1体が逃げ出したため、それを捕獲を試み、どうしても捕獲が無理なら殺害して欲しい……と言うのが、依頼の内容らしい。


 国家と言うものの暗部のキタナさについては軍を辞めた時に痛感しているので、いまさら幻滅する気はない。こまで事情を明かしたのも「断われば消すぞ」と言う脅しの意味もあるのだろう。

 ケッタクソの悪い仕事だが、その逃げた実験体とやらは人間を恨んでいるらしく、人里に降りれば被害が出る可能性もある、と言われては断わりづらい。


 (なるほど。それで、元軍人で、ハントマンとしても一定の腕前を持つオレが呼ばれたわけか)

 対人・対獣両方のエキスパートで、口が固く、少なからずお人好し。その割に、秘密に目をつぶる程度の融通は利く……といった条件で、適材を絞り込んだのだろう。


 「いいだろう。それで、その実験体とやらは、どんな力を持ってるんだ?」

 オレはとりあえず人としての良心は一時棚上げし、“周辺に害をもたらすケモノ”の退治だと割り切ることにした。


 所長の話によれば、逃げた実験体の名称は「エセル」。怪獣の中でもいささか特殊な存在である聖鹿獣モノセロンの角を移植された女性らしい。モノセロンの能力である放電落雷現象を操れるほか、敏捷性や跳躍力、耐久力といった面でも驚異的な身体能力を有するとか。


 「人型をしたモノセロンと思ってもらって間違いない」と告げる所長は、どこか誇らしげだった。

 大方、自分の生み出した“作品”の優秀さに酔っているのだろう。正直、吐き気がしたが、何とか無言で堪えた。


 「で、知性や知識に関しては?」

 念のため口にした質問への答えはサイアクだった。

 いわく、知能や知識は普通の人間と同等程度にある。言葉も話せる。さらに、研究所から脱走する際、モノセロン素材の防具と片手剣を持ち出しているらしい。

 帯電した人間が、雷属性のある武器を手にした時、相乗効果でどれだけの威力を発揮するのだろうか。


 正直、このまま尻尾を巻いて国外逃亡したい気分でいっぱいだったが、ここで逃げても行き先を知られている以上、何らかの制裁があるだろう。

 できる限りの準備を整えてから、そいつを追おうとしたところで、所長から奇妙な提案をされた。


 「道案内には、この子を連れて行くといい。こう見えてこの子も数少ない実験体の成功例だから、足手まといにはならないはずだ」

 無論、“この子”とは、研究所の前で出会った少女のことだ。


 そう言われ、改めて見直してみて初めて、オレは少女の下半身に人にはありうべからざるモノが備わっていることに気づいた。

 黒褐色に近い毛皮に覆われた細い尻尾が、臀部から垂れ下がっていたのだ。


 「この子にはハヌマンの尾を移植してある。見かけに反して、屈強な成人男性を遥かに上回るパワーとスタミナを持っているぞ。いくつかの武器の扱い方も教えてあるから、戦いになっても役立つだろう」


 ハヌマン……って、確か「金華猴」とも呼ばれる大猿種のいわば王様だぞ!? ハントマンランク40のオレも、いまだお目にかかったことのない強敵中の強敵だ。

 その力が、こんな小さなコに宿っているって言うのか……?


 「──何?」

 オレの探るような視線があまりにあからさまだったのだろう。少女は無機質な目でオレを見返してきた。


 「あ、いや、スマン。名前を聞いてもいいか?」

 「──“キダフ”と呼ばれている」

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