第11話.あらゆる災難の中で最初かつ最悪のもの

 結局、ロロパエ・トロピカル・センターでの晩餐は、あのあと、「ランさん、お赤飯おめでとう!」の乾杯とともにお開きとなり、俺達は余韻もそこそこにセンターをあとにした。


 キダフはわざわざ家にまで来て、ランにいろいろ言い含めてくれた。

 ヒルダ達も本来は我が家に泊まるはずが、気を使ったのか村の酒場の2階にある宿に部屋をとったみたいだ。


 部屋着に着替えて居間に戻り、ひと心地ついたところで、ふとランの顔を見つめる。


 「──ああ、申し訳ありませぬ。気が利きませんでしたな。いまお茶を淹れます故」

 「あ~、違う違う。いいからそのまま楽にしてろって」

 「されど……」

 「いいから! 嫁の体調が悪いときくらい、旦那に気を使わせてくれよ」

 強引に肩に手をかけて引き戻したところで、俺はランの体が小刻みに震えていることに気がついた。


 「! どうした、ラン? もしかして寒いのか? 悪寒がするとか、痛くてたまらないとかか!?」

 「いいえ、違います、我が君。妾は……」

 ランはいったん口ごもると、躊躇いがちに言葉を続けた。


 「妾は──恐いのです」

 「何がだ? その…生理が来たことがか? いや、しかし、男の俺が言うのもナンだが、大人の女性なら誰でも毎月経験しているって……」

 「違います」

 気がつけばランの体の震えは止まっていた。


 「生理そのものが恐いのではありませぬ。我が君の子を受胎可能になったと言う事実が恐ろしいのです。妾は──このまま我が君に抱かれていてもよいのでしょうか?」

 「は? 何を馬鹿なことを。そんなのいいに決まって……」

 「妾は人間ではありませぬ!!」

 あえて笑い飛ばそうとした俺の言葉を、思いがけぬほど強い口調で遮る。


 「少なくとも、たかだか1年ほど前までは、密林に舞う一匹の羽虫でしかありませぬ。20と5年余りも生き、そのままならほどなく天寿を全うしていたであろう歳経た大鬼蜂──それが妾でした」

 今まで見たこともないような昏い目をして、自らの下腹部を見つめる。


 「羽虫時代に出産経験もあります──「卵を産むこと」をそう呼べるのならば、ですが。

 妾は恐ろしい。もし、我が君との間に子を成したとして、それがかつてのような卵でないと断言できるでしょうか?」

 真剣なランの表情に、俺は即答できなかった。


 「い、いや、その……お向かいのララミーさんとこ。あそこはふつうに可愛い娘さんが生まれてるじゃねぇか」

 それでも何とか、怪獣デーモンから人の姿になった女性とハントマンの男性の夫婦を例に反論する。


 「ええ、確かに、人の子が生まれるかもしれませぬ。いえ、むしろその可能性の方が高いのでしょうな。しかし──仮に「人」の範疇には入るとしても、体の何処かに異相を帯びていたら、如何致すおつもりですかえ?」


 ──また、ランの奴も痛いところを突いてくる。


 あれから俺も色々調べてみたのだが、人以外の生き物が人化するケースは、調べた限りでも年に数件はあるみたいなのだ。

 その場合、多くはウチのランと同様、人と何ら変わらぬ姿形、体生理機能や精神性を持つようになるが、ごく一部には元の生物としての形を留めて「異相」を持つ者もいるらしい。


 たとえばヒレのような耳、たとえば額の角、あるいは猿のような尾などなど。

 獣人種ゾアン龍人種ドラッケンなどとも共存している関係上、大概の場合、多少の異相もこの地の人々は受け入れるが、全ての人がまったく偏見を持たないか、と言えばそうではないだろう。


 (では、俺はどうなんだ?)

 心の中で自問する。


 ──蜂の複眼を持った子、あるいは4枚の羽を、毒針を持った子が生まれたとして、我が子として愛せるのか……。

 ──その子が周囲の好奇や偏見の目にさらされたとして、全力で守ってやれるのか?

 ──そのような苦労を強いる子や、その母親であるランに、変わらぬ愛情を注げるのか?


 答えは……YESだ!


 精気に欠けるランの体をきつく抱きしめる。

 「! 我が君…離してたもれ……」

 「バカなことを言うな! お前が俺のことを“我が君”──夫だと認識しているように、俺にとってもランが唯一無二の妻なんだ。その俺達のあいだに生まれる子供を祝福できないなんてことがあるもんか!!」 


 拙い言葉だったが、そこに込められた俺の本気さ加減は伝わったのか、ランの体からこわばりが抜け──やがて、おずおずと俺に身を任せてきた。

 「我が君──いえ、旦那様……妾は、妾は……」

 「いいんだ。何も言わなくても。わかってくれたのなら、それで」

 「う……うわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっ!!!」


 抱きしめる俺の腕の中で、童女のように泣き叫ぶラン。その姿は、いつもの優雅で上品な「理想の奥様」像とはかけ離れていたかもしれないが──それでも、その心の奥底を全部さらけだしてくれたようで、俺は嬉しかった。

 いつしか、俺の両目からも熱いものがこぼれ落ち始め……俺達は、涙でグシャグシャになった顔のまま口づけを交わし、互いの体をしっかり抱きしめ合ったまま、眠りについた。


 *  *  *


 そして翌日。

 日が沈みきるまでまだもう少しだけ間がある宵の口とも呼ばれる時刻。

 寝室で、俺達は向き合っていた。


 「本当にいいのか、ラン? まだ痛むんじゃあ……」

 「構いませぬ。今は、我が君に抱き締めていただきたいのです。それに……」

 ランは、そっと下腹部を撫でた。昨日の夕方会話する前とはうって変わって優しげな表情だった。


 「いま抱いていただければ、きっと嬰児(ややこ)を授かる……そんな気がしまする」

 「! そうか……」

 根拠はない、むしろ生理中は妊娠しないというのが一般的な解釈だろう。

 それでも、ランの意志が堅いと知った俺は、腹をくくって最愛の女性を寝具の上にそっと押し倒した。


 結婚して半年ちょっと。新婚さんらしくほぼ毎晩のように繰り返して着た夫婦の営みだが、昨晩、ちょっとしたアクシデントを経たためか、意外なほど自分が慎重になっていることを自覚する。

 そのことは目の前の妻にも伝わったのだろう。クスリと笑うと、彼女の方から両腕を伸ばし、俺の身体に抱きついてきた。


 「もう大丈夫です、我が君。いつもどおりに遠慮なく妾を貪ってたもれ」

 慈愛に満ちたその瞳に見つめられて、俺の方もようやく平素のノリを取り戻すことができた。


 「おいおい、その言い方じゃあ、俺がいつもは途轍もなく鬼畜な性欲魔人に聞こえるんだが?」

 「──さぁ、のーこめんと、と言うことにしてくだされ……んんっ!」

 普段と変わらぬ言葉のじゃれあい。

 それが、愛しくて、嬉しくて。

 思わず目頭が熱くなってくるのを、俺は妻の唇を奪うことで誤魔化した。


  *  *  *


 「ふぃーーーーーー……」

 俺は力の抜けた様な……いや、実際に抜けているのだが──声で、溜め息をつくと、ランの体から離れてゴロンと寝具の上に横たわった。


 「ふふ……旦那様、お疲れ様でした」

 一方対照的に、ランの方は、満足げな吐息を漏らしつつ、仰向けになった俺の胸に頬を擦りつけている。

 普段は気丈で貞淑な振る舞いを崩さないコイツの、寝室でしか見せない甘えた仕草に、俺も思わず頬が緩む。


 「おいおい、さすがにもう出ねぇぞ、いますぐには」

 照れ隠しに悪態とも言えないような悪態をついてみせるが、ランの表情は変わらない。


 「ホホホ、わかっておりまする。よくぞあれだけ頑張ってくださりました……」

 「『べ、べつにアンタのために頑張ったんじゃないんだからね! 勘違いしないでよね!!』とか、言うべき場面かね、ここは」

 「なれば、妾は『な、何よ! 人がせっかくシテあげたのに!!』と、答えるべきですかのぅ」

 微笑ってそう返したのち、ランは裸のまま身を起こして、寝具の上に正座する。


 「旦那様、この度は、妾のわがままを聞いていただき、誠に有り難うございまする」

 そのまま深々と頭を下げる妻の様子に、俺も慌てて跳び起きる。

 「ば、馬鹿、何言ってやがる。夫が妻を抱いたからって礼を言われる夫婦がどこにあるってんだ」

 「されど、お薬もないのに、随分とご無理をさせてしまったようで……」


 (あちゃ~、ランの奴、強健剤のこと、気づいてたのか)

 考えてみれば、彼女がハントマンとなって以来、収納箱は共用で使っているのだ。中身の増減にしっかり者のランが気づかないわけはなかった。とは言え、枯れるには早い若い男としては、少々恥ずかしいのも事実だ。


 「み、み、みくびるなよ、ラン。強走薬のひとつやふたつなくても、相手がお前なら、何十回だって勃たせてみせる!」

 バツの悪さを誤魔化すために口から何とも頭の悪い言葉がこぼれ落ちたが、ランは真剣に受け止めたみたいだ。


 「左様ですか。それでは、ひと息入れましたら、改めて……」

 「ごめん。やっぱ無理です」

 即座に土下座する。俺、弱っ!


 「フフフ、冗談です」

 優しく微笑みながら、下腹部にそっと手を当てるラン。俺の視線も自然にそちらに引きつけられる。


 「子供、できたかなぁ?」

 「ええ、きっと……」


 常識的に考えれば、生理、しかも初潮が来たばかりの女性が懐妊することは、およそあり得ない。けれど、なぜか俺は、ランの抱いている確信が正しいような気がしていた。


 どちらからともなく抱き締め合い、そのまま横になって、夜があけるまでの僅かな時間、しばしの間眠りに就く。

 腕の中の人が、自分にとってかけがえのない存在なのだと、改めて再認識しながら。


 およそ1ヵ月後、この夜の彼女の勘の正しさが明らかになり、妹や友人、隣人連中から盛大な祝福を受けることになるのだが……それは、また別のお話。

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