◆6-2

「何人やられた?」

「三人、かな。うん」

 ヤズローは地上にいた。目的は平民街での聞き込みだった。平民街でも大通りから中に入れば、貧しい人々が暮らす古い町並みが多い。神殿付属の孤児院に住む子供達に、昨今の略取事件を問うていたのだ。

「最初は、地下の子が……しょうがないんだよ、あいつらみんな腹減ってるんだ。神官様だって見逃してるよ、配給を貰いに来ても気付かないふりしてる」

「ああ、解ってる」

 貧しく、上の視線が届かない場所が密かに交わっていることに、気づいている者は素知らぬふりをする。地上よりも更に厳しい地下の世界で、親のいない子供達が生きることは非常に難しいことを、ヤズローも良く知っているからだ。自分が男爵に拾われるまで地下で生き長らえたのも、運が良かっただけのこと。

「でも、どんどんいなくなっちゃって、みんなおっかながって来なくなったんだ。アリっていう、怖い奴等が地下にはいるんだろ?」

「ああ。だが、奴らは地上で血は流さない」

「そうなの? じゃあ、肉屋のトーイを連れてったのは地下のやつじゃないの?」

「ああ、犯人は別にいる。だが、地上の奴が殺された証拠も無いんだな?」

「うん。でもお貴族様は、俺達が酷い殺され方したって、誰も気にしないんだ。……あ、兄ちゃんのご主人様は別だよ」

 慌てたように続けた子供の言葉に、ほんの少し面映ゆそうに口元を緩めたヤズローは、すぐに元の無表情に戻って尋ねる。

「トーイがいなくなった場所は解るか? 大体の場所で良いから教えてくれ」

「案内しようか?」

「危険かもしれない、お前達も日が暮れる前に家に帰れ」

「うん……ばいばいお兄ちゃん。男爵様によろしくね」

 小銭を握らせて子供達を帰させると、ヤズローは日暮れの路地を抜けていく。やがて、人気のない行き止まりへ辿り着いた。

 一見、ゴミ溜まりになっている不衛生な、普通の路地裏だ。変わった様子はない。しかし、一番奥の行き止まりは平民街の建物とは違う、白い漆喰で塗られている。壁の向こうは、貴族街だ。

 ヤズローは胸ポケットから、主に借りた、彼の普段使いとは別の片眼鏡を取り出し、レンズを覗き込む。

「ッ……」

 思わず眉を顰める。端の歪んだ視界の中は、読めない文言で埋まっていた。

 壁や地面、生えている草、蠢く虫、空気にすら解読不能な文言が書きこまれている。ヤズローの読み書きの腕もそんなに大したものではないが、本当に見たことも聞いたことも無い、虫が思うままに這いずった痕のような、奇妙な文字だらけなのだ。

 この片眼鏡は魔操師ミロワール謹製の視界補助器具――魔操師が世界をもっと細かく見る為に造り出したもの。魔操師はこの数多の文字を書き換えることで、世界を改変することが出来る者達なのだ。

 そしてヤズローは知っている。世界の書き換えとは、余程腕の良いものでなければ、跡が必ず残るのだという事を、ミロワール本人から聞いている。紙にペンで字を書いた時、裏写りしたり、下の紙に痕が残ってしまうように。

 吐き気を堪えて目を凝らす。路地裏の袋小路に聳える白壁に、少しだけ大きな文字が枠を作っている。その中には、まるで水飴のように密度の高い文字がぎっしりと書きこまれていた。効能は解らないが、これが魔操師の改変に違いあるまい。

 一瞬迷うが、自分の銀腕を見下ろし、覚悟を決める。洞窟街一の魔操師が作った作品だ、腕の悪い相手の文字列に影響は受けまいと信じた。

 文字の濃い部分にずいと腕を突っ込む。抵抗は無く、壁にぺたりと触れる。義手であろうと指先の感覚は確りとヤズローに届く。慎重に壁を撫でていくと、こつりと、見えない硬い物に触れた。

「……? ……!」

 出来る限り音を立てないように何度も触れて、正体に思い至る。――ドアノブだ。ここに、隠された扉がある。

 恐らく、何らかの方法で子供をここまで連れ込み――食うに困った子供達は、多少怪しい呼びかけでも食いついてしまう――ここから、どこかへ運ぶ。いくら平民街の路地裏でも、子供を抱えて歩いていけば目立つ。……ここに扉があれば簡単に、貴族街へと連れ込める。平民は特定の職業以外貴族街に入ることが出来ない、探されることもない。

 ぎ、と悔しさで歯を噛み締め、ヤズローは駆け出す。平民街を駆け抜け、門番に通行証を叩きつけ、貴族街へ。

 あの塀の向こう側に見えた赤色の屋根、それを持つ貴族の屋敷へ、走り走り走り――。

「――ここか」

 やがて、ヤズローは見つけた。あの路地に繋がる白壁を背にした敷地と、そこに立つ赤い屋根の屋敷を。

 随分と古びた屋敷で、門の金属も錆びついている。庭の草木も半分ほどが枯れており、とても裕福な貴族の家には見えない。

 人目を気にしつつ、あからさまにならないよう、慎重に屋敷の様子を探る。不気味な程に人の気配が感じられず、もう放棄された屋敷かとも思ったのだが――

「!」

 そこで、ヤズローは見た。屋敷の二階、その窓の向こうに。

 廊下をゆっくりと歩んでいく、薄紅髪の女を。

 正しくそれは――オルゴール・ゴーレム、フランボワーズの姿だった。



 ×××



 夕暮れの狭い庭で、ちょろちょろと流れていく如雨露の水を眺めながら、リュクレールは溜息を吐いた。

 自分の失敗で、夫と男爵家に泥を塗ってしまった。ビザールもドリスも、気にすることは無いと言ってくれるのが却って申し訳ない。これでは本当に、貴族の妻として役立たずのままだ。

 それに――あの晩餐会で出会った、人間の魂を持った人形。自分が見たままのことを話すと、ビザールは難しい顔をしてリュクレールに告げた。

『それは――難しいですな。人間というものの根本が魂にあるのかどうかすら、我々には計り知れません。形なのか、中身なのか。物質なのか、霊質なのか、魂なのか。はたまた、それら全てであるのか、どこにもないのか。その答えを吾輩はすぐに捧げることは叶いませんが――調べることが出来ましたので、どうぞ暫しお待ちください』

 そう言った次の日から、ヤズローと共にあちこちを飛び回っており、家に帰ってくるのも遅い。またあの方に余分な荷物を背負わせてしまったのではないかと、リュクレールの心がまた沈んでしまう。

「――いけない、いけない」

 如雨露を置いて、ぱちんと自分の両頬を叩く。落ち込むのは誰にでも出来る、それを覆す為の努力を怠ってはいけない。ドリスにもそう訴えて、渋るのを抑えて如何にか庭の手入れの役目を譲ってもらったのだ、手抜きは出来ない。不安や怯えを飲み込もうと大きく息を吸ったその時。

「ごめんくださーい、郵便でーす」

「! はい、ただ今参ります!」

 と、門の前で郵便配達員が声をあげており、すぐに駆け寄った。相手は普段とは違う若い女が出て来て驚いたようで、目を瞬かせている。

「えっ、いつもの婆さんは……あ、いやいや失敬!」

「はい、わたくしが代理でお受け取りさせていただきます。宜しいでしょうか?」

「へ、はい! どうぞ! こちらです!」

 平民の配達員はどぎまぎしたまま、手紙の束をリュクレールに手渡した。エプロンドレスを身に着けた成人して間もないだろう女性が、まさか貴族の奥様だとは思わなかったのだろう。僅かに顔を赤らめて去っていく男に丁寧に礼をして見送り、まずはドリスに確認しましょうと思いながら、何気なく封書の宛名を見る。

「……あら?」

 勿論見覚えの無い名前達の中で、一つだけ引っ掛かったものがあった。

 アルブル子爵――オルゴール・ゴーレムの持ち主から、ビザールでは無くリュクレールに宛てられた手紙だったからだ。

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