◆6-3

『リュクレール・シアン・ドゥ・シャッス様

 先日は当方の魔操師が大変失礼を致しました。

 お詫びと申し上げるも心苦しいですが、一度是非、我が屋敷を訪ねては頂けないでしょうか。

 実は、先日私の娘に貴女のことをお話した際、フランボワーズを無二の友とする娘は、あの子を人間と認めてくれた相手に是非会いたいと言うのです。

 大変申し訳ないのですが、我が娘は生まれつき病を患い、徒に屋敷の外に出ることも叶いません。フランボワーズ以外に、親しいものがいないのです。

 リュクレール殿、どうか私の娘の友人として、訪ねてはくれませんでしょうか。

 勝手な事を申し上げているのは重々承知の上ですが、どうかご一考頂ければ幸いです。

 トロン・アルブル』



「罠、と思われます」

 リュクレールが読み上げた手紙の内容に、真っ先に答えを返したのはドリスだった。

「旦那様達がお調べになった通り、略取事件で一番に怪しいのはアルブル子爵お抱えの魔操師です。それが奥方様にこのような露骨な誘いなど、裏があるとしか考えられません」

「ふむむむん。確かに怪しいが、決め手としては少々鈍いね」

 シャッス家の応接室には、ビザールとヤズロー、リュクレール、ドリスに瑞香と小目も揃っていた。いつも通り愛用の一人がけソファにみっちりと収まりながら、ビザールは隣で寛ぐ親友に問いかけた。

「瑞香、アルブル子爵についてどんな些細な事でもよい、噂を聞いてはいないかね」

「そうねぇ、一番良く聞いたのは、経済状況かしらやっぱり」

 昨日の夜会で色々な情報を仕入れたらしい瑞香は、これぐらいは無料で答えてくれるらしく、月光草の茶を一口飲み、渋い顔をしながら答えた。独特の清涼感が逆に苦手らしい。

「知ってるだろうけど、魔操師をお抱えにするって滅茶苦茶お金かかるのよ。やれ研究だ材料費だ何だって、金食い虫らしいわ。王族ならまだしも一貴族、しかも子爵がっていうのは難しい、てのが大方の見立てね」

「娘御殿についてはどうかね」

「いる、のは間違いないけど、何歳だとかははっきりしないのよね。奥方が身罷ったのは十年前ぐらいらしいから、十歳以上ではあると思うけど。体が弱いっていう名目で、社交界に連れて来たことは一度も無いみたい。……地下との関わりを露骨に示唆する奴もいたけど、可能性ある?」

 きらりと濃い青の瞳を光らせて探ってくる親友に、これくらいは駄賃代わりとビザールは笑んで応えた。

「否、だね。既にミロワール殿から言質を頂いている、少なくとも“蜉蝣”は関わりを否定しているよ」

「あ、あの、男爵様」

「おや、どうしましたリュリュー殿?」

 納得の頷きを二人の間で交わした時、おずおずとリュクレールが挙手した。普段はヤズローが座るビザールの隣のソファは、今は彼女に譲られている。うきうきと身を乗り出す夫に、眉を下げながら問うた。

「その……申し訳ありません、わたくし、洞窟街のことをあまり知らなくて。それほどまでに、地下と繋がるというのは重要な事なのでしょうか?」

「おお、これは失礼致しましたリュリュー殿! 僭越ながら吾輩、ご説明させていただきましょう!」

 目を輝かせた男爵がぽいん、とソファから飛び出し、瑞香がやれやれと溜息を吐く。

「あーあー、話したがりの背中押したわね。長いわよぉ」

「えっ、えっ?」

「お茶のお代りをご準備をさせて頂きます。ヤズロー、手伝いなさい」

「畏まりました」

 解っている従者達もさっと立ち上がって避難してしまった為、リュクレールは男爵の独り舞台を一人で味わう羽目になった。



 ×××



 この王都にあるもう一つの国、洞窟街には、互助会と呼ばれる五つの勢力が犇めいている。

 色を司る“蜘蛛”。

 魔を司る“蜉蝣”。

 力を司る“蟻”。

 金を司る“蛞蝓”。

 そして、何も司らぬ“蛆”。

 “蜘蛛”は王都どころか国全土における最大の歓楽街であり、身を立てられぬ女性達の最後の逃げ場でもある娼婦街。長は絡新婦のレイユァ。

 “蜉蝣”は魔操師達の街。徹底的な個人主義を貫き、只管に己の望む世界の研鑽と改変を行い続ける神への反逆者達の街。長は魔操師のミロワール。

 “蟻”は洞窟街を守り、また地上との交わりを禁ずる境界となる者達。街は持たず、他の互助会に雇われることによって力を振う。長は「隊長」と呼ばれており、名は無いらしい。

 “蛞蝓”は商店街であり、多数の店と独自の通貨による売買を行っている。生活必需品から、貴重品、地上ではご禁制の品まで、手に入らないものは無いとされている。長は全ての店の元締め、大商人のリマス。

 “蛆”は洞窟街の底の底、地上は勿論地下の民も殆どが近づけない謎に満ちた場所に住まう。他者の干渉を良しとせず、また自分からも干渉しない。地の底で何代も血を繋げながら、忘れられた神に祈りを捧げているという。互助会同士の定例会に出てくる者は皆、アスティコと名乗る。役柄なのか本名なのか、他の長も知らない。

 彼らは決して、一枚岩ではない。

 蜘蛛は自分の巣とそれに住まうものの守護を。

 蜉蝣は自分達の研究を。

 蟻は力の誇示と、それによって齎す秩序を。

 蛞蝓は只管に富を。

 蛆は、何を望むともしれぬ祈りを。

 望むものは皆異なる。事実、“蟻”をそれぞれ雇っての小競り合いも珍しくは無い。

 しかし、彼らに唯一共通することは、「洞窟街の維持」だ。地上の法の縛りを拒み、金陽に侵されぬ世界を守ること。それが前提であるが故に、危うい均衡が取れているのだ。

「互いに反目し合う部分は有れど、地上の人間に対しての警戒と拒否は全ての街が持っております。吾輩がそこそこ仲良くしていただけているのは、まあ我が家の仁徳とヤズローの魅力といったところですな、ンッハッハ!」

「旦那様、最後の一言は出鱈目です、訂正してください」

 立て板に水の如く滔々と、奥方に向けて洞窟街の何たるかを話していたビザールへ、ドリス特製の干し葡萄入りパウンドケーキを手掴みで齧りながらヤズローは告げた。作り主は無作法に厳しい目を向けているが、長い話にうんざりしているのは彼女も同じだったのか、咎められることはない。

「あら、本当のことじゃない? 蜘蛛のお姐さんと魔操師の女、全然タイプ違うらしいけどどっちが好みなの? ねぇねぇ教えなさいな」

「瑞香様、戯れは止めてください」

 すっかり寛いで適当な本を捲りながら、話を流していた瑞香も面白そうな匂いを嗅ぎつけたのか、首を突っ込んでくる。お茶どころか持参の果実酒を開けて優雅に飲んでいるし、今日は泊まるつもりなのかもしれない。

「むむ、何とも馨しいものを飲んでいるではないか。吾輩にも一杯くれたまえよ親友」

「やぁよ、馬鹿舌のザルに良い酒飲ますの。奥様も疲れたでしょ? もう休んでもいいわよねぇ」

「あ、いいえ。とても興味深いお話でしたし、勉強になりました。男爵様、ありがとうございます。瑞香様もお心遣い感謝致しますが、わたくしもお仕事のお話に参加させて下さいませ」

「やだこの子本当いい子ね!? ちょっとビザール、泣かせたら本当承知しないからね!?」

「当然だとも! リュリュー殿は吾輩の大船に乗せたつもりでいたまえ!!」

「全ッ然信用できないわー胡散臭い泥船の癖に!」

 やいやいと悪友がやり合った後、ドリスが用意したグラスに瑞香が一杯だけ果実酒を注ぐことで手打ちとした。ビザールは遠慮なく杯を干しながら、改めてその場の全員を見渡して口を開く。

「さて、話を戻そうか。ミロワール殿曰く、ゴーレムの作成を得手とし、人間の魂をその中に仕込むという所業を為せる魔操師について。数年前に彼女の逆鱗に触れて地下から放逐された男がいるのだそうだ。名は、セーエルム。アルブル子爵お抱えの魔操師の名と同じだ」

「では、やはり」

 勢い込んで身を乗り出すヤズローに、たぷんと顎を揺らしてビザールは頷く。

「そして現在、平民街で起こる子供の拐し。レイユァ殿より依頼された、地下で同じような犯行を起こした者と同一犯である可能性がある。犯行現場と思われる場所から繋がる貴族街の屋敷は、アルブル子爵の持ち家であることが判明した」

「あらまぁ、状況証拠だけなら盛り沢山ねぇ」

「ミロワール殿は、暫定容疑者のセーエルム殿のようなやり方は非常に憤懣やる方ないらしくてね、あまり詳しく説明して貰えなんだが――彼の腕前では、人間の魂を手に入れる為に、肉体と霊体を裂かねばならぬのだそうだよ」

「何てことを……!」

 あまりにも残虐なやり方に、リュクレールが口を覆って絶句する。申し訳なさそうに宥める視線を送りつつ、ビザールの口は止まらない。

「最初は、足の付かない地下の子供を狙っていたようだが、“蟻”に見咎められ手勢を失ったようだ。それ故に、狩場を地上に移したのだろうね。ある程度ならば、当局の目を誤魔化せるだろうと」

「国の警備兵は殆どが貴族街に配置されています。平民が事件に巻き込まれても、中々動かない」

「そんな……」

 悔しそうに舌を鳴らしたヤズローに、リュクレールは今にも泣き出しそうだ。彼女にとって辛い世界の様を見せてしまっているが、これが現実であり、貴族の妻である彼女が受け止めねばならない世界だ。弱いものは常に虐げられ、上に昇ることが叶わないということを。せめてもと、ドリスが宥めるようにそっと彼女の背を撫でている。

「いくら魔操師の力を使おうと、いつかは破綻するであろうがね。しかしそれまで手をこまねいて見ているのも寝覚めが悪いし、下手を打つと吾輩がレイユァ殿に燻製肉にされてしまう。故に、リュリュー殿」

「はい」

「貴女の手を煩わせてしまうのは承知の上で、申し上げます。アルブル子爵の招待に、是非乗って頂きたい」

 普段の人を食ったような笑みを潜めて、はっきりと告げられた男爵の言葉に、沈黙が落ちる。リュクレールはぱちりと青と金の二つに分かれた瞳を瞬き――その顔に喜色と決意を浮かべて誰よりも早く答えた。

「――はい!」

「旦那様!?」

 驚くドリスが抗議の声を上げ、ヤズローや瑞香も非難の目を向けるが、ビザールは再び笑みを浮かべて両手を広げ、朗々と宣言した。

「この状態で、曲がりなりにも祓魔の家系である吾輩がしゃしゃり出てきたら、向こうは警戒するでしょう。あくまで招待されたが故、という体で乗り込んで頂きたいのです。まことに失礼ですが、リュリュー殿。貴女の嫋やかさと美しさを見れば、大抵のものが油断をします。我等弱者にとって、相手の油断は大いなる武器です」

「お恥ずかしいですが……、警戒されぬままに、調べることが出来るということですね」

「然り然り。更に、リュリュー殿の瞳ならば、フランボワーズ殿の謎もはっきりと解るやもしれません。どうでしょう、やっていただけますかな?」

 そこで初めて、ビザールはほんの少し、困ったように眉尻を下げた。それにより、彼にとってこれが苦渋の決断であり、且つ一番有用だと思われる方法なのだろう、とリュクレールにも理解できた。

 心臓に熱がこもり、脈動が早まった気がする。良人の役に立てるという事実が、リュクレールを否が応にも高揚させていた。胸元に手を置き、しっかりと頷く。

「どれだけお役に立てるか解りませんが、全力を尽くします。お任せ下さい」

「ありがとう、リュリュー殿。勿論貴女様に危険が及ばぬよう、こちらも全力を尽くしましょうとも。ヤズロー、お前は当日リュリュー殿の傍付として行きたまえ。何があろうとリュリュー殿をお守りするように」

「仰せの通りに」

「ドリス、吾輩は当日屋敷の近くで張るつもりだ。使い魔を一匹、リュリュー殿に付けた上で吾輩に同行してくれたまえ」

「……畏まりました。ですがご一考頂きたいのですが、私が奥方様に傍づいてはならないでしょうか」

 珍しく、ドリスが主の言葉に二つ返事で答えなかったことにヤズローは驚く。老骨のメイド長は、いつも通りの無表情で、しかしほんの僅か肩に力を入れて、ビザールを見詰めている。彼女にとっても、若奥様は守るに値する方であるという決意がそこから伺えた。

 ビザールは勿論彼女のそんな思いも理解しているのか、鷹揚に頷いて答える。

「勿論、ドリスの魔女術と聡明さと真摯さを吾輩はよくよく知っているとも。だが、もし荒事になってしまった時、婦女子ふたりではどうにも分が悪い。飲んでくれるかね、ドリス」

「差し出がましく申し上げました。お許しください」

「何、お前がリュリュー殿の事を一番に考えてくれているからだと、解っているとも。ありがとう、ドリス」

「勿体なきお言葉。全て、旦那様の仰せの通りに」

 静かに丁寧なお辞儀をする従者を労うように頷いてから、ビザールはすっかり蚊帳の外で悠々と寛いでいる親友に水を向けた。

「瑞香、また一枚噛まないかね? アルブル子爵の屋敷の近くに、売家があった筈なのだが」

「小目、地図」

 答える前にグラスの中に残っていた果実酒を綺麗に呷り、瑞香は指先を軽く曲げて従者を呼んだ。すぐに差し出された貴族街の地図をざっと確認し、濃い色の唇をついと指で撫でる。

「……ふうん、場所だけなら悪くないわね。新店舗の下見っていう名目で一日貸し切るから、その代わりあたし達も同席させて。正直、あの人形の正体が何なのかはっきりさせないといけないし」

「おや、売り物として目をつけたのかね?」

「地元がね」

 不満そうに瑞香がぽつりと告げると、成程、と言いたげにビザールは頷くだけで済ませた。どうやら二人の間にしか解らない理由があるらしい。

「では、全員の同意は取れた故、準備を始めようか。皆頑張ってくれたまえ!」

「あんたも少しは働きなさいな」

「ンッハッハ! 吾輩は司令塔であり、現場では役立たずであるからね!」

「堂々と宣言すんじゃないわよこの肉団子!」

 いつも通りのやり取りに戻った悪友に、何となくリュクレールとヤズローは安堵の息を同時に吐いた。

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