◆2-2

 洞窟街と呼ばれる街は広く深いが、一番浅い場所にあるのが地下の共同墓地だ。

 此処には洞窟街の者達だけでなく、平民や外様の貴族も葬られる。無論、墓石の場所や豪華さに差はあるが。

 地中に死者を葬るのは、死女神ラヴィラの治める国が地下にあるから、とされているが、風通しの悪い、逃げ場のない場所には、どうしても淀みが溜まりやすくなる。この地下墓地のように、沢山の死が集められていれば、尚更。

 例えば、恨み。

『あいつが密告したから儂はこんな目に……』

 例えば、怒り。

『何故私が死ななければならないのだ!?』

 例えば、悲しみ。

『やっとあの人と一緒になれたのに……!』

 死者の何処へも行けぬ心の澱が、逃げられず、溜まって、魔に変じていく。死者が偽りの生を持ち、死肉を食らった虫や鼠が化け物に変じることも珍しくない。そんな魔の者に真っ先に犠牲にされるのが、神殿の加護を得られない洞窟街の住人達だった。

 だが――今は違う。

「頂きます」

 ビザールが一言、そう言葉を発した瞬間。洞窟街に蠢く幽霊達はあっという間に引き摺られ、絡め取られ、飲み込まれる。ビザールの、腹の中へと。

 何人たりとも、逃がさず、隅々と。皿の最後の一滴までこそげ落とすかのように、ビザールは念入りに食事を続ける。本来ならば無害な者達も、この場所では他の悪霊に当てられて、魔に変ずる可能性も十二分にある。

「すまないね、各々方。一時の苦しみを我慢すれば、いずれまた生まれることも出来るだろう」

 銀のフォークで崩れた霊を麺料理のように絡め取り、口に放り込みながら悠々と歩く。断末魔のように響く言葉たちを耳に聞きながら。

『この恨み、必ず晴らしてくれる!』

『何故貴様は生きているんだ!』

『許して! 生き返らせて!』

 様々な悪罵が、自分達を終焉へと導くものに向けられる。対するビザールは眉ひとつ動かさず、いつもの恍けた笑みのまま食事を続けて――

『あの子を、助けて』

 囁くような言葉に、ふと足を止めた。

 墓すら持てぬ洞窟街の者達が死ぬと放り込まれる、洞と呼ばれる大きな穴。その畔に、今にも吹き散らされそうな女の霊がひとり在った。

 体は半分ほど、形を留められていない。更にその体すら、まるで暴行を受けたように痣や傷だらけだった。死んだ時の恐怖や痛みが、彼女の心にこびりついて、取り繕うことすら思いつかないのだろう。もしかしたら、ビザールの存在どころか、自分が死んだことにすら気づいていないのかもしれない。 

 それでも彼女は、まるで虫の声のような囁きを、ずっと呟き続けていた。

『やめてって言ったのに。連れていかれたの。助けられなかったの』

 死んでまで自我を保てるものは、珍しい。彼女も、死に際の感情を持て余し、未練となって残っているだけだろう。最早魂は何処にも無く、只の残滓に過ぎない。

 ビザールの舌に僅かな痺れが走る。体に刻み込まれた呪いが発動し続けている。それを受けて、女の体は見る見るうちに崩れていって――

『お願い、お願い……あの子を助けて。助けて。助けて』

「すまないね、ご婦人」

 ビザールははっきりと詫び、既に何者でも無くなった彼女を、ごくりと飲み込んだ。

 ふう、と息を吐き、ハンカチーフで口元を拭う。あれほど淀んでいた地下墓地の空気は、幾許か清涼を取り戻していた。

 不意に男爵の傍に気配が湧いて出る。薄暗い洞窟内で見えない程、全身を黒い布で覆い尽くした男がひとり、慇懃に礼をした。

「お勤め、ご苦労。ビザール・シアン・ドゥ・シャッス男爵」

「うむうむ、此度も中々に量が多かったよ。これは吾輩の腹を育てる為ますます精進しなければならないね! ンッハッハッハッハ!」

 ぽんぽんと風船のように膨れた丸い腹を叩きながらビザールは笑うが、男はほんの僅か顎を引く礼をしただけだった。貴族に対してあるまじき振る舞いだが、洞窟街で貴族の称号など何の役にも立たない。彼――否、彼等ならば尚更。

 さわさわと墓地に広がる、僅かな気配。目の前の彼と同じ姿の者達が、ビザールを囲むように何処からか現れ出でる。感情の籠らない数多の瞳が、ただ一人を観察していた。

「今年の冬は、多かった。上も、下も。後は、いつも通り。死ぬものが死に、生きるものが生きる」

「確かに君達、強き“蟻”にとっては、その通りなのだろうけどもね」

 布の下で口を動かす男が、所属する洞窟街の勢力の一つ“蟻”は、この街を総べる五つの互助会の中で唯一、基盤となる街を持たない。彼らの仕事は地下における治安の維持と外敵の排除であり、他の街に雇われる傭兵の一団だ。

 洞窟街で生まれ、腕っ節に覚えがあり、かつ凄まじい訓練と言う名の間引きを乗り越えた者だけが“蟻”を名乗れるのだという。そんな彼らにとって、死者とは弱者に相違ないかもしれないが。

「それでも、誰かが死ぬということは、とてもとても悲しいことなのだよ」

 ふと、いつもの笑みにほんの僅か、苦いものを混じらせてビザールは呟いた。目の前の顔も解らぬ黒い男は、全く弛んだ風も無い。

「……男爵は、弱い。悲しむ者は、死を退けられない」

「ンッハッハ、耳が痛いな!」

「だが――我等に出来ぬことを、男爵は、出来る。故に、地上の者だろうと、排除はしない」

 敬語も使わない“蟻”が出来る唯一の敬意であろう会釈をもう一度して、男はまた黙る。ビザールはふむん、と丸い頬を揺らし、さり気なく問うてみた。

「ああ、そうそう、あくまで噂であり話半分で聞いて欲しいのだがね。――昨今、地上で子供の拐かしが横行しているようだが、何か心当たりはあるかね?」

 風が、僅かに動いた。次の瞬間、否、ビザールの言葉が終わらないうち、既に。まるで茨のような棘が大量に生えた黒い鎌が、首を刈り取らんばかりに突きつけられていた。なまじ顎の肉付きが良すぎるせいで、幾本かの棘は既に刺さっている。脂肪が大量にあるせいか、血は流れていないが。

 鎌を突きつけたのは無論、“蟻”である。その顔に表情は無く、その瞳に怒りはない。ただ、ざわざわと墓地の空気が動いているのが感じ取れる。恐らく“蟻”の仲間達が集結しているのだろう。ヤズローという頼りになる護衛が居ない時にこの状況、絶体絶命であろうに、ビザールは不敵な笑みを崩さない。

「君たちの誇りを傷つけた言動であったことを、お詫びしよう。何分吾輩、非常に疑り深くてね、如何なる不躾な問いでも言わずにはいられないのだよ。悲しいかな、人は嘘を吐ける生き物であるが故にね」

「……貴様の働きが無ければ、声を聴かずに殺すつもりだった。有難く思え」

「貴殿の慈悲に感謝を」

 おどけて頭を下げる前に、“蟻”は武器を引いた。鎌を折り畳んで服の下に隠し、彼らにしては珍しく、声に僅かに感情を込めた。

「先に約定を破ったのは、上だ」

「ほほう?」

「子供が奪われたのは下が先だ。故に報復を行い、秩序を保った。それ以上でもそれ以下でも無い」

「ほう、ほう、ほほう。なんともはや、それは興味深い」

 先刻、子を探して消えかけていた女性の意識を思い出しつつ、納得したようにビザールはもいんもいんと頬を上下に揺らして頷いた。

「根こそぎ排除をしたのかね?」

「下手人は地上の者だ。降りてきたものは全て殺した。降りてこないのならば殺さない」

「ならば、こちらで利益を得られなかった者達が、今度は地上に狩場を移した可能性もあるということだね。まぁこちらの者を拐かしたと言うならば、吾輩が先駆者になってしまうからね! ンッハッハッハッハ!」

 周りに蟠っていた気配が引いていく。呆れられたのかもしれない。目の前に残っている男だけは、ほんの少しだけ目を眇めた。

「蜘蛛が取り零した命をお前が拾った。蜘蛛が了承している限り、お前は約定を破っていない」

「寛大なご処置に感謝しているとも。あれほど優秀な執事は、国どころか世界全てでもそうそういないだろうからね!」

「……約定を破り、上に出た者を連れ帰る法は我等に無い。故に、あれがどうなろうと我等は手を出さない。だが――」

 黒い闇に包まれた目が煌めく。

「下の秩序を守る為ならば、如何なる上の救い手も排除する。忘れるな、悪食男爵」

「無論だとも。肝に銘じよう――何せ肝の容量も食用鴨並だからね!」

 男爵のふざけた返事に返ってくる言葉は無く、目の前には闇しか広がっていない。気配は残っているので、ヤズローと合流するまでは護衛兼見張りをしてくれているのだろう。ビザール自身、打てば響いて答えを返してくれる優秀な執事がそろそろ恋しくなったので、ゆっさゆっさと膨れた腹を揺らして歩き出す。

「では、吾輩はこれから“蜉蝣”へ出向き、ヤズローを拾ってくるので、そこまでお付き合い願いたい。互助会の長達には、本日も墓場は問題無しとお伝えしてくれたまえ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る