魔操師の街

◆2-1

「では、吾輩達は仕事に出向くため、暫しのお別れと相成ります。どうぞご自由にお過ごしください、何か必要なものがあればすぐドリスへ」

「仰せの通りに、旦那様。奥方様、何なりと」

「はい、お気づかいありがとうございます。男爵様、どうぞお気をつけて」

 玄関口で新妻の綺麗な礼で見送られ、上機嫌な足取りで丸い男爵は屋敷から出た。勿論その後ろに、忠実な従者を引き連れて。

「ンッハッハ、これこそ後ろ髪を引かれるという奴だね! こんなにも仕事に行きたくないと思ったのは一日ぶりのことであるよ!」

「つまり毎日のことですね、旦那様」

「仕方あるまい、リュリュー殿が目を覚ますのを一日千秋の想いで待ちわびていたからね!」

「旦那様、数えて丁度七日になりますが」

「吾輩にとっては千年もの時と同じだったということだよ! ンッハッハッハッハ!」

 ああ言えばこう言う、いつにも増して足を進めたがらない主の背中をぐいぐい押しながら、ヤズローは石畳の道を進む。

 ネージ国の王都は、魔操師達の技術によって舗装された道が敷かれ、王城と共に塀に囲まれた貴族街と、その周りを囲む平民街、そして地下に広がる洞窟街によって構成されている。貴族達はもっぱら、貴族街の中を馬車で移動するのが普通で、徒歩でのんびりと歩く凸凹主従のことを見かけては、わざわざ速度を緩めて嘲りの目で見てくる者もいる。その度にヤズローはつい睨み返してしまうが、主の方は気にした風もない。

「已むを得まい、まずはリュリュー殿に美しいドレスと宝石を捧げる為、仕事を頑張ろうではないか! さあゆくぞヤズロー、力の限り!」

「張り切り過ぎにご注意ください、旦那様。途中でばてたら見捨てて行きます」

 いつも通りの会話を交わしながら、二人は徒歩で貴族街の門を抜ける。外には平民達が所狭しと出店を広げる大通りが広がっていた。道の掃除は行き届いておらず、活気と言う名の煩さと騒がしさはあるが、お高く止まった貴族街よりは、ヤズローにとって息をし易い場所だ。ビザールも全く気にした風もなく、大きな腹で道行く人を器用に躱しながら進んでいく。

「おや、男爵様! お仕事ですかい?」

「うむうむ、月一のいつものをね。子息殿はその後、変わりはないかね?」

 串焼きの屋台を出していた男が、人ごみでも見間違うわけが無いビザールへ声をかけてきた。本来ならば、平民が貴族に気易く声をかけるなど、この国では有り得ない事なのだが、ビザールの人となりを知っている者達は気にした風もない。

「へぇ、男爵様のおかげで疳の虫も消えて、すっかり元気になりましたさぁ。どうぞ、食ってってくだせえ!」

「ンッハッハ、吾輩では無くドリスの作った薬とまじないのお陰だが、遠慮なく頂いておこう! ヤズロー、お前も食べると良い」

「……有難うございます」

 何故ならビザールは、祓魔に関しては身分の差を問わない。子供に取り憑いた魔蟲をドリスが取り除いたり、畑を襲う獣人をヤズローが退治したりと、被害を受けた平民達を何度も助けた実績がある。しかも報酬は彼らの生活を脅かさない程度しか取らない。詐欺師紛いの金儲けしかしない、胡散臭い祓魔師とは対照的、且つ親しみやすいシャッス家の仕事ぶりは、貴族達はともかく平民達の間では、中々信頼されているのだ。

 ちゃんと仕事内容に見合った報酬を取らないから貴族にあるまじき貧乏なのだ、とヤズローは思うが、それによって得られる信頼と共に、熱々の串焼きに罪は無いことも知っている。自前の、刺激がかなり強いビネガーを懐から出してかけようとしてくる男爵の手を躱して自分の分を確保し、遠慮なくかぶりついた。

 男爵も遠慮なくたっぷりと酢を塗した串焼きをぺろりと平らげ、頬を満足げにもちもちと動かしながら問う。

「最近、平民街の方は如何かね?」

「そうっすねぇ。男爵様のお仕事とは関わりねぇかもしれねぇですけども」

「おお、どんな些細な事でも構わんよ。我が家の飯の種になるやもしれないのでね!」

「……最近、子供の拐かしが増えてんですよ。平民の中でも身寄りのない奴ばかり、不意にいなくなっちまうそうで」

「ほほう、それは一大事ではないかね」

「噂じゃあ、地下の連中が仲間を増やす為にこっそり連れて行ってるとかで。おっかねぇのなんの、うちも日が暮れたら子を外に出しやせん」

 屋台の親父はぶるりと身を震わすが、ヤズローはほんの僅か眉を顰めた。地上の人間、特に平民達にとって、洞窟街とは得体のしれない化け物の巣窟だと思っている者が殆どだ。……勿論、中には本物の化け物がいることも知ってはいるが、殆どは貧しく、地上で行き場を無くして潜らざるを得なかった普通の人間ばかりだ。地下生まれである彼にとって、そう言われるとあまりいい気分はしない。主も当然それを解っているので、あくまで口調は変えず朗らかに続けた。

「ほうほう、実際に洞窟街へと連れられていくのを、見た者がいるのかね? こう見えても吾輩、地下に僅かながらの伝手もあるのだ。話を聞きに行くのも吝かではないよ?」

「い、いえ、あくまで噂でさぁ。ただ、路地に入った子供がいきなり消えたとか、胡散臭い話もあるもんで」

「ふむ、ふむ、ふむん。店主殿、君の心配は察するに余りあるが、安心したまえ。地下の掟は地上よりも厳しい、迂闊に交わろうとするものはそうそう居ないとも。何より、いきなり消えたというのならば吾輩の仕事に関わるかも知れないしね、気に留めておこうではないか、ンッハッハ!」

「へ、へぇ……」

「では、ごちそうさまでした店主殿! お代りはまたの機会に!」

「……旦那様、図々しいにも程があります」

 あくまで明るく軽く、釘を刺した男爵の言葉に店主は戸惑いながらも頷く。踵を返して歩き出そうとする時、むちむちとした手がヤズローの背をぽふんと叩く。僅かに溜飲を下げて、ヤズローもいつも通りの答えを返した。

 別れを告げて主従は尚も歩く。平民街も外れまで来ると、人通りは少なくなる。ひっそりと奥まった路地の裏に、忘れられたような古びた穴倉があった。

 ここが、洞窟街への入り口だ。貴族が見て見ぬふりをして、平民が怯えて避ける、この国の暗部にしてもう一つの国がその下にある。

 地上の民が入ることを許されるのは、共同地下墓地まで。それより底に降りたら命の保証はされない別世界だ。そんな危険な街へ、何の気負いもなく主従は降りていく。

 昔に作られてすっかり角が取れた危なっかしい石階段を下りていきながら、ビザールはのんびりとした声で従者に命じる。

「ヤズロー、お前は“蜉蝣”に行くように」

「……ですが」

 珍しく、露骨な反論がヤズローの口から漏れてしまった。従者としてはあるまじきこと、とドリスに叩き込まれている為、続く言葉は唇をへの字に曲げて耐えたが。彼の葛藤の理由をビザールはちゃんと解っているらしく、よしよしと言いながらヤズローの背をもう一度柔らかい掌で叩いて来た。

「ンッハッハ、護衛は“蟻”に任せているから心配はいらないよ。この前無茶をさせてしまったし、一度ちゃんとミロワール殿に見て貰うと良い」

「……仰せの通りに」

 もうすっかり蜘蛛糸で紡ぎ直されている、左腕の肘の部分をぎゅうと掴みながら、絞り出すような声と共にヤズローは渋々頷いた。

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