◆2-3

 共同墓地から一番近く、浅い位置の“蜘蛛”よりも、更に一階層深い奥。地の底に必要な光、空気、水を提供し管理する、魔操師達の街がある。

 地下とは思えぬ明るさの、網の目のように広がる洞窟。その一つ一つが重い扉に塞がれており、数少ない住人は皆自分の塒に籠って滅多に出てこない。

 此処が、“蜉蝣”。嘗て神に逆らう者として弾圧された魔操師達が逃げ込み、作り上げた街だ。

 自然と共に生きる魔女や、神に祈りを捧げ奇跡を起こす神官とも異なり、世界の理を己の意志で書き換える術式を使う者が魔操師と呼ばれる。その出自故、神に逆らう者達として長年弾圧の対象となったが、能力の利便性から神官との立ち位置はやがて逆転し、現在は地上でも沢山の魔操師が貴族のお抱えとなって働いている。

 しかしこの洞窟街に住まう魔操師達は、過去を忘れ権力とそれに尾を振った者達を拒み、この地下へ潜って自分達の研鑽を続けてきた。そして人が生きられるように洞窟の環境を整えた結果、自然と流れ者達が地下へと集まっていき、現在の洞窟街が出来上がったとされている。

 そんな“蜉蝣”の代表者――個人主義の集まりなので本人はこれを罰則だと称している――ミロワールという名の魔操師が、ヤズローの手足の生みの親だった。

「骸骨の化け物と戦って片腕吹っ飛ばされただとォ? 糞、縁が歪んでるじゃねェか何でもっと早く来ない!! オイ何してやがる、とっとと全部外して寄越せや!!」

 細い銀縁の眼鏡をかけて、随分と痩せて色白の、見た目だけなら儚いと言える女の口から、かなり荒い罵声が連続して飛び出る。ごてごてと護符の宝石を巻き付けたローブを翻しながら、一応客人用らしい一人がけのソファに座ったままのヤズローへ、無造作に銀の腕を持った方とは逆の手を差し出した。

「他は必要ない。壊れてもない」

「口答えすんなこの餓鬼、見るだけで解ンぞまた筋肉量が増えただろお前! その分調整してやるっつってんだ駄々捏ねんな!」

 不機嫌さを隠さない顔でぼそりと呟くと、三倍ぐらいの量で返って来てヤズローは辟易とする。

 彼女は世界を改変する為、生殖に依らない命を生み出すことを目的とした魔操師だ。その一環として様々な形のゴーレム――人の命に従う自立式の生命を作り上げている。その腕を見込んで、四肢を無くしたヤズローの為、ビザールが彼女に発注をかけたのだ。意のままに動かせる新しい手足を作って欲しい、と。

 彼女は遠慮なくすべての力をもってそれに挑み、銀製でありながら、ありとあらゆる動きが出来る新しい手足を作り出した。

 そのこと自体には勿論、ヤズローも感謝している。だが、彼女自身を信頼するのは非常に難しいのだ。渋々残りの片腕と両足も外して渡すと、フンと鼻を鳴らして奪われた。

「ったく、餓鬼が我儘抜かしやがって……」

 ぶつぶつとぼやきながら、ミロワールは作業台に乗っている多量の用途不明物を腕で薙ぎ払って場所を開け、片手で持てる小さなペンを取り出す。筆先は僅かに光を湛えていて、それを銀腕の継ぎ目に当てて小さく、何かを書き換えるように動かすと、歪んだ部分が少しずつ直っていっている、らしい。ヤズローの目では判別がつかないが。

 僅かにずれた自分の眼鏡を手の甲でぐいと押し上げ、細かい作業を続けながら、ミロワールは尚も言い募る。

「大体こんな、人の手足と同じような動きしか出来ねェから駄目なんだよ。何か別なものを仕込んだ方が断然いいぜ。毒薬と爆薬どっちがいい?」

「どっちもやめろ」

 恐ろしい提案を間髪入れず却下した。彼女の目的は、神が作り出した人間という存在を超えるものを生み出すことにあり、ヤズローもその実験体のひとつにすぎない事を良く知っているからだ。

「遠慮すんなよ、ああ、腕自体をもう二、三本増やした方が便利か」

「やめろっつってんだろ」

 動けないまま本気の声音で告げると、チッと舌打ちが聞こえた。ヤズローの了承が無ければミロワールはやらないだろうが、それも彼の心情を慮ったからではなく、ヤズロー自身が納得して取り付けなければ手足も上手く機能しないから、らしい。

「第一繋げるのまで僕にやらせりゃいいのに、あのデブが変に蜘蛛女にまで気を回すから面倒臭ェことになるんだよ」

「旦那様の呼び方を訂正しろ。それ以外は同感だ」

 自由に動く四肢を人の体に繋げる。その程度の事は、ミロワールひとりで簡単にやってのけられる行為だ。だが、己の縄張りで生まれ、そして死にかけたヤズローの命に報いたいと、“蜘蛛”のレイユァの方から申し立てがあった。ならばとビザールが折衷案を出し、作成はミロワールに、接続はレイユァに任せるという結論を出した。基本的には彼の決定に逆らうことのないヤズローだが、これだけは何故こんな面倒臭いことをした、と嘆きたくて堪らない。訴えても、女性には優しくしなければ駄目だぞヤズロー! といつもの調子で笑われるだろうから言わないが。

「本当あいつに関してだけは細けェなお前。……今のうちに全部繋げちまえばもげねェしバレね――ッてェ!!」

 不穏な事を呟いた瞬間、ミロワールが悲鳴を上げる。そこで自分の耳から銀の蜘蛛がいなくなっていることに気付いて、ヤズローは溜息を吐いた。あれがいる限りこっちの話もあの蜘蛛には筒抜けなのだ、解っているのにミロワールも懲りない。いつの間にか指先にしがみついて噛みついた銀の蜘蛛を振り落とし、高い踵の靴で床を踏み鳴らす。

「クッソあの陰険蜘蛛がァ!! 毎度顔合わせりゃ偉そうにこいつの保護者気取りやがって、腹の中身は食欲と性欲しかねェだろうがァ!!」

 お前の腹には支配欲と所有欲しか無いだろうがな、とヤズローは思ったが、今口に出したら四肢を返してもらえないまま一晩放っておかれそうなので唇を噛んで耐える。どこか誇らしげに見える動きで銀色の蜘蛛が戻ってきて、耳にカフスの如く停まり直したのを僅かに身震いしながら。

 早く主が迎えに来てくれることを心待ちにしながら、短い手足を伸ばしてソファに体を埋め直すと、重い扉を叩くノッカーの音がした。間髪入れずヤズローは体を起こし、扉の方へ無理やり首を動かす。

「ンッハッハ、失礼ながら上がらせて貰うよミロワール殿! 調子はどうかね?」

「チッ、もう来やがったか。もうちょっとで終わるから黙って待ってろや」

 もいんもいんと朝より大きくなったような腹を揺すりながら、所狭しと詰まれた本の間を器用に縫って部屋の中にビザールが入ってきた。知らず知らずのうちに緊張していた体をほんの少しだけ弛緩させ、ヤズローは体を畳んで頭を下げた。

「旦那様、申し訳ありません。お見苦しいところをお見せしています」

「何処も見苦しくないよヤズロー、どんな格好でもお前は自慢の従者だとも。修理費のことなら心配は無い、先刻“蟻”の使いから今回の仕事の報酬は頂いたからね!」

「煩ェぞこのデブ! オラ、出来たからとっとと繋げろや蜘蛛ォ!」

 作業台からずかずかと戻ってきたミロワールが、抱えた四本の銀腕銀脚を無造作にヤズローの腿の上に放り投げた。待ってましたと言いたげに銀蜘蛛が滑り降り、するすると糸を吐き出す。時間が無いときはぐるぐる巻きでも動くようになるのに、殊更丁寧に紡いでいるのは、恐らくミロワールに対する嫌がらせだろう。

 苛立つ家主に気付いた素振りは全く見せず、悠々と手もみをしながらビザールはミロワールに向かい直した。

「さて、こちらとは別件で頼んだものは出来ているかね、ミロワール殿?」

「当たり前だろうが、僕を誰だと思っていやがる」

 そう言って彼女は大股で奥へ入り、すぐに戻ってきた。手に持っているのは、一見美しい宝石があしらわれたネックレスだが、彼女にその手の洒落っ気が全く無いのはヤズローも知っている。一番大粒の宝石は、手製の護符――魔操師が作り出した魔除けだろう。青色の中に、金色の輝きが散りばめられている石は、奥方様の瞳に少し似ている、とヤズローは思った。

「ンッハッハ、ありがとうミロワール殿! 代金はきっちりお支払しようじゃないか、吾輩只今懐が温かくて気も大きいぞ!」

「旦那様、偉そうに仰らないで下さい」

「まァ僕はこいつに新しい機能付けさせてくれるんならロハでも文句ねェけどな」

「やめろ」

「言葉遣いが宜しくないよ、ヤズロー。流石にそれはご勘弁頂こう」

 従者を宥めつつ、締める所はきっちり締めてくれる男爵に、ミロワールが露骨に舌を打つ音を聞きながらヤズローは安堵の息を吐いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る