服を返して

 何もない部屋を目の当たりにし、僕は事の重大さを実感した。


 僕はカバンのなかから吹奏楽部の定期演奏会のお知らせを取り出した。帰りのホームルームでもらったものなんだが、その内容はどうでもいい。裏返してシャーペンを取り出し、床の上で文章をしたためた。


「緊急事態につき、開けないでください。

すぐに戻るから。

逃げたわけじゃないから

                清太」


 僕は外に出て扉の鍵を閉めなおすと、紙を扉に立てかけ、風紀委員会の元へ走った。


 正直、単純に美里愛ちゃんを助けたいというより、一種の危機感に追われていた。あの部屋を彼女に見せてしまったときのリアクションが怖かったからだ。全てのアイデンティティを全否定される結果となり、美里愛ちゃんは泣き崩れてしまうかもしれない。激怒して僕に激しく八つ当たりするかもしれない。


 それとも、あんな緊急事態の部屋の中で彼女をのんきに待っていたら、アシスタントとしての自覚のなさを問われ、今までより露出度の激しい女装を強いられ、校庭をエンドレスに走らされるかもしれない。正直、こっちの理由が強いかな。


 いや、何より、服を無断で盗むことが許せなかった。それも大量に。だってそれって、単純にカツアゲ並に罪なことだから。いや、ターゲットになった服の総量を考えればそれ以上か。


 そんなことを考えるうちに、僕は風紀委員会の部屋にたどり着いていた。無我夢中で走ったせいだろう、ちょっと荒い息遣いを強いられている。僕は平静を装いながら扉をノックした。


「すみません」

 風紀委員会の扉が開かれる。応対したのは恵里香さん。しかしすぐに無言で扉を閉めようとした。僕は反射的に両手で扉を食い止めた。恵里香さんが容赦なく扉を引こうとしていることは、やはり室内で何やらやましいことが行われているんだ。


 恵里香さんは美里愛ちゃんみたいに腕力が強いわけじゃない。だから力任せに扉を引っ張ったら、彼女ごとこっちに引き寄せられた。恵里香ちゃんが急な引力に負けて軽く外に投げ出された隙に、僕は風紀委員会の部屋に入り込んだ。


「やっぱりこれも没収でいいわ。あっ、そのセーラー服はリボンだけいただこうかしら。でもトップスの本体はへそが出るくらい短いからねえ」

 杏ちゃんの指示で、風紀委員会が美里愛ちゃんのコスプレ衣装を仕分けていた。コスプレ衣装は三つのプラスチックケースにわけられ、「使える」「使えない」の段ボールに仕分けられていた。


 僕が唖然としながらその様子を見ていると、杏ちゃんがこっちを振り向いた。僕に気づいて、彼女の動きが止まる。

「アンタ、ここで何してるの?」

「風紀委員会の風紀が乱れるのを止めに来たんだよ」


「風紀委員会の……風紀が乱れるですって?」

 杏ちゃんが怪訝な顔で言葉を返した。

「何とぼけてんだ。美里愛ちゃんから勝手に服を取ったら、ドロボーなんだぞ!」

 僕はちょっとためらいながらも、精一杯に厳しさをしぼり出して杏ちゃんに吠えた。


「いきなり何のつもりかしら?」

 恵里香さんがシリアスな表情で部屋に戻ってきた。

「恵里香さん。あなた風紀委員長ですよね?こんなこと許していていいんですか?」

「許すも何も、風紀委員会として、やっぱり美里愛ちゃんの下衆なコスプレの推進を認めるわけにはいかないわ」


「でも、美里愛ちゃんがあの聖戦で杏ちゃんに勝ったの、知ってますよね?そのときの条件もわかってますよね?J.K.C.K.の活動を認めるって」

「活動は認めます。ただし、こんな下衆なコスプレは認めません。やるなら、露出度を抑えた品のあるコスプレにしてください。そもそもどんな展開になろうと、私たちがノースリーブでヘソが出ていて、スカートもスカートの体裁を成していないほど短いポリス服みたいな感じを認めるわけがないでしょ」


「だからって、ここまでやるんですか?」

「はい」

 恵里香さんからの、非情なる即答だった。


「何よ、アンタだって、私が想像するのも不快なコスプレにイヤイヤしてたくせに」

 杏ちゃんがイヤらしく口をはさんでくる。

「嫌だよ、それはずっと前からの紛れもない事実だよ!」

 僕は正直なことを風紀委員室のなかで叫んだ。


「確かに美里愛ちゃんのコスプレは、非現実的すぎて、品がなくて、なんか、どこを見たらいいのかわからなくなる。僕も毎回そんな衣装を着せられていくうちに、何のために生きていいのかわからなくなったときもあった!」

「それなら、なぜ……」

 恵里香さんが戸惑うように呟いた。


「オレは、見たくないんだよ。わからないんだけど、美里愛ちゃんの悲しみを、女子の悲しみを見たくないんだよ。スカートの中と同じくらいに。だから、服を返してやってくれ。その下品なコスプレ衣装を返してやってくれ」


「自分でも、下品と、認めてるじゃない。だったらなおさら返さないわよ」

 杏ちゃんが強がるように主張する。

「そうか。返さないなら、仕方ないね」

 僕はポケットからスマートフォンを取り出した。カメラモードにセットする。

「何する気?」


 血の気が引いた杏ちゃんら3人の風紀委員会のメンバーをパシャリと撮った。しっかりと美里愛ちゃんのコスプレ衣装の数々も写りこんでいる。これを校長にでも見せれば風紀委員会の解体は間違いないか。


「何てことを!」

 杏ちゃんが手前に置かれていた机を踏み台に、僕に飛びかかった。 僕はとっさに避ける。杏ちゃんは勢い余って黒板に顔面をぶつけてしまった。「うっ!」という悲鳴にもならない声が杏ちゃんから響き、彼女は床に倒れこんだ。


「杏ちゃん!?」

「大丈夫かよ?」

 恵里香さんに続いて、僕も杏ちゃんを気遣った。ほかの風紀委員会メンバー二人も机を越えて杏ちゃんに駆け寄った。


「痛い……」

 杏ちゃんがそっと呟く。

「何か、悪かったな……」

 僕は気まずい空気に操られるように平謝りした。


「よくも!」

 杏ちゃんが顔を上げ、僕に怒りをぶつけてきたが、その鼻からは深紅の一筋が流れていた。

「あの……」

「何よ」

 杏ちゃんが不機嫌な声を出す。


「……出てるよ」

 僕は申し訳なく思いながら、そっと彼女の鼻先を指差した。杏ちゃんもおそるおそるといった感じで、鼻の下に指を当て、確かめた。

「本当だ」

「仕方ないわね。保健室に行きましょう」


「でも」

「ここで我々にできることはないわ」

 恵里香さんは観念した様子で杏ちゃんを諫めた。

「一旦、コスプレ衣装のことは忘れましょう。証拠をバラされたらたまらない。今は彼に持っていかせて、私たちはまず杏ちゃんの鼻を治すのよ。J.K.C.K.をどうにかするのはそれから」

 恵里香さんはそう語ると、杏ちゃんに肩を貸し、ほかのメンバーとともに風紀委員室を後にした。ひとまず、被害は防がれたということか。


 僕は、散らかされたコスプレ衣装を見つめ、周囲を見渡した。机でできた囲いの外側に目を向けると、窓の隅っこに台車が置かれていた。これを使って、美里愛ちゃんのコスプレグッズを持ってきたわけか。


 静まり返った部屋のなかでも、僕は何かに追われるような感覚で、コスプレ衣装を畳み直しては、ケースに戻していく。そのとき、急に後ろ側の扉が開かれた。僕がハッとしながら振り向くと、荒い息遣いをした香帆ちゃんがいた。


「美里愛さんの服は……?」

「ここだ。手伝ってくれないか」

 香帆は服が散らかった場所へおそるおそる近づいた。


「間違いないですね。無事でよかったです」

 香帆ちゃんは胸に手を当て、ホッとした様子だった。

「あの、手伝ってくれないかな?」

「もちろんです。神聖な衣装ですからね」

「……まあね」

 僕は「神聖」という言葉に戸惑いながら、笑って返した。



 衣装を収めたケース4つをひととおり台車に積み終わると、僕はそれを押しながら風紀委員室を後にした。

 香帆ちゃんと二人で近くにあったエレベーターに乗り込み、J.K.C.K.がある3階へ上がった。自動ドアが開くと、そこに美里愛ちゃんが立っていた。


 美里愛ちゃんは何も言わずにかすかに微笑んだ。僕は彼女の意外な反応に戸惑った。

「あの、どいてくれないかな?」

「どうぞ」

 美里愛ちゃんが横にそれて、左手を広げて僕を行かせようとした。ところが降りている最中にエレベーターのドアが閉まり、僕はものの見事に挟まれ、痛みと屈辱感で床に倒れこんだ。


「すみません!」

 香帆ちゃんが慌ててあやまりながら、エレベーターのボタンに手をやる。僕がはさまれる前に「開」のボタンをキープしていてほしかった。


「かわいい子。早く降りてきなよ」


 美里愛ちゃんがからかうように呟いた。僕は痛みをこらえながら廊下に出て、香帆ちゃんがそれに続く。


「ありがとう。やっぱりアイツらが服を持って行って、やっぱりアンタが取り戻しに行ったわけね」

 美里愛ちゃんは懐から取り出した紙を僕に示した。緊急事態を示す僕の文書だった。

「よかった。アンタというアシスタントがいてくれて」

「美里愛ちゃん?」

 思わぬ褒め言葉に僕は反応に困った。


「この紙もなければ、私は何事もなかったかのようにあの部屋に入り、服がないという現実に絶望して……」

 そこまで言って、美里愛ちゃんは言葉に詰まった。

「もしかして、泣いてる?」

 僕はおそるおそる尋ねた。美里愛ちゃんは両目を強くゆっくりとひとこすりした。


「ちょっと眠いだけ。昨日、先々に着るコスプレの計画でついついあれこれ考えすぎて、寝不足になっちゃったの」

「そう……か……」

「今の間は何?」


「何でも。僕も何で今スッと言えなかったかわからない」

「ああ、そうなの。とりあえず、この箱、運び入れるわよ。香帆、着いたら積み入れを手伝ってくれない?」

「わかりました」


 僕は台車を取り、部室の方向へ転換させた。4つのケースと台車の重みを、僕はJ.K.C.K.の活動部屋までグイグイ押していき、美里愛ちゃんが後ろから「さあ、がんばんな」と声をかけながらついてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る