決戦のとき

 運命の月曜日。

 僕はスマートフォンの画面に映ったツーショットを見ながら、嘆いていた。

 そこにはピンクのヒョウ柄水着の美里愛ちゃんと、一歩下がって申し訳なく写る、ヘソが出るほど裾が短いセーラー服と、ちょっとかがむだけで下着が見えそうなぐらい短いスカートによる異端の制服をまとった赤い蝶の仮面の誰かがいた。


 これは美里愛ちゃんが杏ちゃんへの当てつけとばかりに撮り、SNSにアップした写真だった。

 僕はスマートフォンをポケットに引っ込め、運命の地へ続く道を歩いていた。近づけば近づくほど、奇妙なプレッシャーが強く感じられるが、ズル休みはいち高校生としてのプライドが許さないばかりに、歩みはどんどん前へ進んでいく。


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 放課後のチャイムをバックに僕は階段の踊り場で迷っていた。このまま屋上に向かうべきなのか、それとも、すっぽかして現実逃避するか、それが問題だった。

 女子たち二人が自身の信念をかけて決闘するのは、ほかの男子から見たら面白いのかもしれない。喜んで自分がジャッジマンになってやろうという気概を示す男子だっているだろう。しかし僕は望まれずしてその役を引き受ける羽目になった。だから乗り気じゃない。


 おそらく美里愛ちゃんはここぞとばかりに戦闘用コスプレを決めるだろう。杏ちゃんは制服か。でもそしたら激しい動きでスカートがめくれて……いやいやいや、杏ちゃんは体操服に着替えてくるかもね。

「何してるの」

 杏ちゃんの呼ぶ声がしたと思ったら、急に肩を両手で掴まれた。当然のように全身が震え上がる。思わず鼻を覆った。中から何か流れてこないか条件反射的に確かめたのだ。


「行くわよ、決戦の地へ」

「えっ、ちょっと待って」

 僕は問答無用で杏ちゃんに押される形で階段を上がっていった。

「うろたえないで、アンタ審判なんだから」

「いや、やりたくてやってるわけじゃないからね!」


「もう、ツンデレ」

「ツンもデレもしてないから!」

 杏ちゃんとこんなやり取りをしている間も、どんどん屋上へと近づいていった。


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「はい、開けて」

 杏ちゃんの頼みで、僕が屋上への扉を開けることになった。そこへ出ると、いきなり美里愛ちゃんが視界に入った。赤いマントをひるがえし、目元には六芒星のアイパッチ、何よりもミニスカワンピースのような幻想的なコスチュームが僕の心をかき乱す。


「清太くん」

 戸口の間近には香帆ちゃんが立っていて、複雑な顔をしながら僕を呼んだ。

「ちょっと、何手つないでんの?」

 美里愛ちゃんが赤い棒で指しながら、僕たちの手元を指摘した。香帆ちゃんは危険を察知したようで、走って僕たちのもとから離れていく。


「清太は私のアシスタント。たぶらかす者は問答無用で吹っ飛ばしちゃうわよ」

 美里愛ちゃんが冷淡な口調の後に、赤い棒を豪快に振るってきた。

「危ない!」

 杏ちゃんが僕を引き寄せながら一緒に回避する。僕たちはもんどりうってコンクリートの地面に転んでしまった。ちょっと痛い。


「私のアシスタントからさっさと離れなさい」

「何よ。決戦の約束の審判に指名したんだから、私ともども遅れてしまっちゃ、これから戦う人の風上に置けないでしょ」

「大体、アンタもアンタ。杏なんかに背中を押されて、舞い上がってんじゃないわよ!」


「ご、ごめんなさい」

 僕は美里愛ちゃんに詫びつつ、杏ちゃんと距離を取る。


「もう戦いは始まっているってことね」

 杏ちゃんが覚悟を決めて立ち上がった。

「その通り。どうする?やるの、やらないの?」

「私だって、このときを待っていたんだから!」

 杏ちゃんは制服姿のままカバンを投げ捨て、素手で戦闘態勢に入った。


「それなら言うことないわね。ルビー・スパーク!」

 美里愛ちゃんが杏ちゃんに棒を鋭く向けた。杏ちゃんは身を屈めてかわし、美里愛ちゃんの背後に立つ。彼女が振り向くなり、杏ちゃんは「ハッ!」という強烈な掛け声とともに、両手を美里愛ちゃんの前面へと突き出した。


「あなたはただいま、操られ中です。それそれそれそれ」

「何!」

 杏ちゃんが合気道まがいの動きで両手を動かし、手のひらを向けたまま円を描く素振りを見せた。杏ちゃんもなぜかそれに合わせるようにそれぞれの手で同時に弧を何往復も描いている。


「はああああっ!」

「うわあっ!」

 杏ちゃんが右手を波動拳のように思いっきり突き出すと、美里愛ちゃんは体をきりもみ状に回転させながら地面に転んだ。もはや展開が急すぎて審判役の僕は状況についていくのに精一杯だ。


「美里愛ちゃん、大丈夫?」

「こんなんでへこたれる私じゃないわ」

 美里愛ちゃんは相変わらずクールな調子でそっと立ち上がる。


「じゃあこれならどうかな?とおっ!」

 杏ちゃんが人差し指を突き出す。

「あなたの臓器をくすぐっているの」


 美里愛ちゃんは軽く笑いをこらえている。まさか遠隔操作みたいな感じで、本当に臓器をくすぐられているわけではないだろう。間違いない。僕が今裁いているのは、コスプレ好きの中二病と、ライトノベルか何かをかじって中二病らしく振舞っている女子による、聖戦という名の「茶番劇」か。


「クリムゾン・ブレード!」

 美里愛ちゃんは赤い棒を振り下ろし、空間をぶった切った。杏ちゃんがハッとする。


「サイクロン・マリー!」

 杏ちゃんが再び右手を突き出した。そこから台風か何かが繰り出されているようだ。しかし美里愛ちゃんは急に背中を向け、独特な防御姿勢に入った。背中越しに攻撃に耐える美里愛ちゃんのうめき声が聞こえる。攻撃が終わると、美里愛ちゃんが杏ちゃんの方へ向き直る。


「こんな攻撃などへっちゃら。この赤いマントが特殊素材でできていて、魔法攻撃のダメージを10%防いでくれる特性があるのよね」

 美里愛ちゃんのマントの話を聞いた杏ちゃんが軽く悔しがる。


「私の珠玉のコスプレコレクションを、アンタなんかに奪わせやしないわよ」

「奪うんじゃないわよ。適当に処分するだけ」

「私がどんな思いでコスプレに身を捧げているか知っている?」

「知ったうえで納得しない」

 美里愛ちゃんの詰問に、杏ちゃんは動じることなく自我をアピールした。


「大体、アンタのいうコスプレって、何でああいう品性下劣なものばかりなのかな?何着もあるからこそ余計気になるのよね」

「仕方ないでしょ、その手の服を着るのが私は好きなだけ。本当は今着ているコスチュームよりも、さらに露出の激しいコスプレで勝負してやりたかったけど、今はこのコスチュームでよかったと思ってるわ」


「あっ、そう。私に言わせたらそのコスプレもそんなにスカートが短い意味がわかんないのよね」

「魔法少女は可愛く見せるのもアイデンティティのうちよ」

「全ての魔法少女のこと、スカートが短かったり、露出度が高いと思っているの?そんな風に女子を横一線に見られちゃ困るのよ」


「実際の魔法少女のことなんて考えてない。これが私の好きなコスプレなだけ」

 美里愛ちゃんは思いの丈を込めるように、赤い棒を突き出した。そこからエネルギーか何かが飛び出したようだが、杏ちゃんはアクション俳優のような機敏な動きで転がってかわした。

「これだって、立派なコスプレよ」

「『それ』が?」


「ええ、制服だって、学校という閉鎖された空間でしか着ることがないからね。ある意味コスプレ好きな人が特定のイベントだけけばけばしい格好で会場内を練り歩くのと同じ。私はこの格好ができる世界に感謝しているのよ。ハアッ!」

 杏ちゃんが不意に右手を突き出すと、美里愛ちゃんが地面に転がった。その反動で、杖を投げ出してしまった。どうやらそれだけ凄まじい攻撃だったようだ。


 杏ちゃんが美里愛ちゃんとの距離を詰め、馬乗りになった。至近距離から激しい攻撃を見舞い、美里愛ちゃんの体力を大幅に削る気か。


「今すぐ、現実逃避の品のないコスプレをやめると誓いなさい!」

「誓わない」

 美里愛ちゃんは馬乗りにされても至って冷静に返した。

「何でよ。そんな露出度高めの服ばっか着て、何になるというのよ!」

「露出度が高ければ、自分を解放できるから」


「何でそれでしか自分を見出せないの!?悲しい人間ね!この世界に何千、何万、何億とある服のパターンのなかで、どうしてそんな品のないコスプレしか選べないわけ!?」

 杏ちゃんが狂ったように美里愛ちゃんに叫ぶ。

「何千、何万、何億とある服のパターンのなかで、最低限の布で自分を表現できるなら、そんな服をずっと着続けたいと思った。寒い日に水着みたいな格好でも構わない。それが、私の、奥原美里愛の生き方よ!」


 僕の目からは、杏ちゃんが唖然としているのか背中越しにわかった。

「だから、何で。この制服だって充分かわいいでしょ!? さらに言うなら、街中に溢れる、長袖にひざ上を充分に覆ったスカートや長ズボンの格好も、16歳の思春期の女子のありのままで清潔感を持って生きる姿を表現していて、素敵でしょ!?どうしてそれがわからないの!?」

 杏ちゃんは自身が素手で魔法を繰り出す女子という設定を忘れたか、とうとう美里愛ちゃんの襟首を掴んで揺らしてしまっている。


「私には、己を解放する術しかわからない。学校に仕立て上げられた制服という呪縛を解き放ち、ありのままの自分をさらけ出す快感が忘れられないから。それを毎度毎度邪魔するのが、アンタだった」

 杏ちゃんは自身を取り巻く現実に絶望しはじめたように息を呑んだ。


「逆にアンタは、何で自分をさらけ出さないの?どうしていつまでも長袖の格好を『女子のありのままの姿』といっているの?」

 美里愛の逆質問に、杏ちゃんが押し黙る。


「それは、鎧がわりの服に自分を自ら閉じ込め、外に飛び出すのが怖いからでしょ?」

「違う、私は、私は……」

「言い訳しようたって無駄」

 言葉をつなごうとする杏ちゃんを、美里愛ちゃんがシャットアウトした。


「アンタは、恐れている。自身がその身をさらけ出すことを。『イイヒト』の枠からはみ出す自分が想像するだけでも怖い。その恐怖が一線を通り越し、私のような他人がコスプレをしていることさえ『品性下劣』というレッテルを張り、猛烈に非難する。それは自身が弱虫なのを正当化するため」

 美里愛ちゃんの言葉がだんだんシリアスになってきて、僕もついつい胸を打たれる。


「弱虫という名の鎧が服にまとわりついている。それを脱ぎ捨てる自分を心のなかで、頭ごなしに激しく嫌っている。だから私から露出度高めなコスプレをする権利を取り上げようとしたり、鼻の奥から赤い滝が降り注いだりするの」

 ここに来て僕に流れ弾!?


「山藤杏よ、眠りから覚めなさい」

 僕は吸い寄せられるように、二人のもとへ向かった。杏ちゃんの襟首を掴む手が離れていく。

「上品でいることばかりが、人の仕事じゃない。それを知るがいい!」

 美里愛ちゃんは赤い杖を杏ちゃんに向けた。


「混沌を切り裂く深紅の力よ、我に立ちはだかる壁を崩し、道しるべとなれ!クリムゾン・エナージェティック・スピリット!」

「きゃああああああああああっ!」

 杏ちゃんは美里愛ちゃんの体から弾かれるように舞い上がると、足元が着地しつつ、激しく地面をロールした。まくり上がったスカートを遠目で見て僕の心臓が一瞬不自然な行動を打ったが、幸いにも中はギリギリ見えていない。僕は審判として正しいことをせねばと思い、彼女の姿をチェックしようと駆けつけた。


 杏ちゃんが少しだけ目を開き、口パクで「ワタシノマケ」と告げた。


「ただいまのバトル、勝者は奥原美里愛ちゃん!」

 僕の精一杯の声が、屋上にこだました。

「よしっ!」

 続いて美里愛ちゃんがガッツポーズとともにクールなトーンで喜ぶ声が聞こえる。僕は美里愛ちゃんが勝ってくれたというより、この中二病的な「聖戦」が幕を閉じたことに安心してため息をついた。


 その結果……。


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「あの、これから何が始まるの?」

 後日、僕、美里愛ちゃん、香帆ちゃんは風紀委員室の机に座っていた。ポジションは3つの机が描く「コ」の字の上の方、実際の位置でいうと窓際の部分だった。

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