どっちが大事かなんて……

 波乱万丈の日の夜、僕はベッドの上で考えていた。クローゼットの奥に納められたコスプレ衣装を見ながら考えていた。

 あの聖戦の調印所が本当だったら、美里愛ちゃんはおそらく人生最大のリスクに身をさらしている。彼女たちは工藤高校における清らかな高校生像を追い求めるためなら、手段を選ばない。それは彼女たちの振る舞いの奥に眠るゆがんだ正義感を感じ取ったからわかる。


「ピンポン」

「何鍵閉めてんだよ、開けろ」

 扉の奥から、あの冷徹な声が聞こえてきた。僕は面倒くさいと思いながら、扉を開けて応対した。

 美里愛ちゃんはいつもの調子というか、ためらいの「た」の字もない調子で靴を脱ぎ玄関に上がった。服装が純白のバスローブになっている。中に過剰な刺激を与えかねない格好をしていると確信しながら、僕は玄関の鍵を閉めてから後を追った。


「美里愛ちゃん、待ってよ」

 僕は彼女を追って自分の部屋に戻った。その頃には、もうバスローブがはだけていた。

「またヒョウ柄の水着かいっ!」

 僕はとっさに床に伏せた。これ以上強烈な刺激を伴った格好で、鼻血を流すわけにはいかない。僕が今日、貧血で倒れたところを彼女も見たはずなのに。


「どうしたの?」

「いや、なんでもないよ」

 僕は全力で美里愛ちゃんの方へ振り向くことを拒否した。

「ちゃんと私の目を見て喋りなさいよ」

「そっちこそ、ちゃんとバスローブの紐を結んでくれ。脱いでから紐だけを結んで『はい、できました』とかなしだからな」


「チッ」

 美里愛ちゃんが舌打ちをするのが聞こえた。再びバスローブを着直していると思われる衣擦れが鳴っている。どうやら図星だ。完全に図星だよね。


「仕方ないわね。まあ、今に関してはコスプレはついで。アンタもちょっと真面目な話がしたいんでしょ。ほら、バスローブはちゃんと着直した。だからこっち向いて。ウソじゃないから。また鼻血ぶっこいて、一度に二度も病院の世話になってもらうのは、さすがに迷惑千万でしょ」


 僕はおそろおそる美里愛ちゃんの方を向いた。右手で目を隠す条件付きで。

「じれったいわね~。私はウソついてないって言ってるでしょ」

「本当?」

「本当だよ」


 僕は人差し指と中指の間をちょっと開いた。確かに彼女はしっかりとバスローブの紐を着た状態で結んでいる。胸元がちょっとはだけていて、ピンクのヒョウ柄がチラリとしているのは気になるが、まあこれは許容範囲だ。とりあえずボトム部分のVラインをバスローブの下がしっかりとカバーしていればいいんだ。


 というわけで、僕は右手を正式に解除した。


「安静が解けた直後に、あの紙を見たんだ。君のコスプレとは違う意味で刺激が強い内容だったんだけど。だって、月曜日に杏ちゃんと決闘だろ?」

「その通り」

「さらっと返してるけど、J.K.C.K.をかけることになったんだろ?」

「その通り」


「何でそんなに冷静でいられるんだ?」

 僕は美里愛ちゃんの何事もないようなクールな表情に、不安を覚えた。

「私には現実が見えているから。このまま無理やりJ.K.C.K.の活動を続けても、もれなく杏をはじめ、風紀委員会のメンバーが邪魔をする。今日の一件により、月曜日以降の介入は特にエスカレートすることが予測される」

 美里愛ちゃんは淡々と僕にそう語った。


「そう考えていたとき、幸か不幸か杏の方から決闘を持ちかけてきた。私の戦闘力数値が8115ロルスあることを知っていたのかはわからないが……」

「ロルスって何?」

「戦闘力を測る数値よ。グルマシア国でのウィザードの魔法クオリティの高さを測る単位として用いられているわ。まあ、そこらのゲームで言う『ポイント』みたいなものね」


 おそらく出典はクロスオーバー文庫の人気ライトノベル『マジカルハーディー丈太郎』。異世界に転生してしまった高校生がひょんなことから魔法バトルの王者と戦うハメになり、ど素人から死に物狂いで努力する成長物語だ。


「あのさ、君に8115ロルスあるとしてもだよ」

「何よ?」

 美里愛ちゃんが不服な表情を浮かべる。

「杏ちゃんの能力が8115ロルス以下とは限らないんだよ。もしかしたら5ケタかもしれないんだし」

「そんなもんわからないでしょ」


 美里愛ちゃんはそう言いながら、一度結んだバスローブの紐を解き始めた。

「やめろ!」

 僕はまたとっさに後ろを向きながら床に伏せた。自身の言葉に異を唱える人に対し、脱いだ姿で威嚇するなんて、こんな脅し方は聞いたことない。


「大丈夫、はだけてないから」

 僕がおそるおそる振り向くと、何事もなかったかのようにバスローブの紐は元通りになっていた。

「とにかく、何であんな戦いを受けちゃったんだよ?」

「それぐらい質問しなくてもわかるでしょ。J.K.C.K.の威信を守るためよ」


 まだ活動開始から1ヵ月も経っていないコスプレ研究会に威信も何もないと思うんだが。

「ここで杏ちゃんをケチョンケチョンにやっつけて、風紀委員の鼻を明かせば、私たちは晴れて自由」

 美里愛ちゃんはいきなり崩した正座のまま僕に歩み寄り、耳元に顔を近づけてきた。

「何するんだ、やめろよ~」


 女子の顔が近づくだけでくすぐったくなり、僕は悶えながら体をのけぞらせる。しかし、頭が床についてもなお、美里愛は極限まで口元を僕の耳に迫らせた。

「あなたも自由。つまり、コスプレやり放題」

 その言葉が優しく聞こえるのは表の部分だけ。言葉の奥には、僕を縛りつけるという絶望の予告というニュアンスが9割5分ぐらい感じられた。


 美里愛ちゃんが崩した正座のままバックして元の位置に戻ると。僕も上体を起こした。

「でも負けたらどうするの?あの紙に間違いがなかったら、J.K.C.K.乗っ取りだよ?」

「そこがちょっと厳しいところよね」

 美里愛ちゃんは落ち着き払った様子であっけらかんなことを言った。


「わかる?私にとってJ.K.C.K.どころか、この豪華絢爛たるコスプレ衣装のコレクションは、体の一部なのよ。当然、このバスローブの中に着ているものも含めて」

 美里愛ちゃんのトーンがやたら盛大に聞こえ始めた。

「でも、万が一、万が一だよ。美里愛ちゃんが負けたら、このコスプレ衣装もどうなるかわからないよ。風紀委員会のことだから、もしかしたら全部燃やされちゃうかも」


「そうとは聞いてないけど、燃やしてくれようものなら、覚悟の上」

 美里愛ちゃんが強がるように言葉を返した。しかし、すぐにボロが出たように、彼女はうつむき始めた。

「どうしたの?」


「私、どうしよう。何であんな約束しちゃったんだろう」

 僕が思った以上に、美里愛ちゃんは精神的にモロいようだ。

「自分の実力には自信を持ってきたつもりだけど、杏ちゃんがもし強かったら」

「美里愛ちゃん、だ、大丈夫?」


「心配は無用よ」

 すぐにクールな顔を上げ、僕を突っぱねる美里愛ちゃんである。

「正直に言うわ。あなたたちに何の断りもなく、人生を分かつような戦いに乗ってしまったことはお詫びする。しかし、杏ちゃんとの決戦はどの道避けられないものだった」

 美里愛ちゃんの語りがシリアスな風味を帯びてきた。僕の胸も、露出度の高い衣装を見ているときとは違う意味でドキドキしてくる。


「しかし、我が華やかなるコスプレ人生を築くうえで、弾圧を狙う反対派の攻撃は覚悟のうえ。私は、私の好きなものを貫くのよ。そう、このスーパー・セクシュアルなプレイング・コスチュームを!」


 美里愛ちゃんは突然立ち上がりながらバスローブの紐をほどき、ついに脱ぎ捨ててしまった。僕はとっさに床に身を伏せた。ここは異世界ではなく僕の部屋のなかだから、ファンタジー的な光は放たれていないはずなのだが、なぜか背後から眩しいオーラが僕の体を照りつけているみたいだった。


 そんなとき、美里愛ちゃんは僕の肩に優しく手を置いた。

「月曜日、しっかり立ち会っててね」

 まだ女子に慣れていない僕の体がビビッて震えた。


「そ、そのことなんだけど」

「何?」

「僕、美里愛ちゃんと杏ちゃんの戦いの審判をすることになっちゃった」


「なっ……」

 僕の後ろで美里愛ちゃんが衝撃を受けているのが、雰囲気でなんとなくわかった。僕は目元を手で覆いながら振り向き、開いた指の隙間から美里愛ちゃんをのぞき込む。そこには、ピンクのヒョウ柄のスクール水着一枚で唖然と立ち尽くす美里愛ちゃんの姿があった。


「杏ちゃんにやってって頼まれた?」

 僕は申し訳なく思いながらゆっくりとうなずいた。

「杏ちゃんから頼まれてOKするってことは、もしかして……そういうこと?」

 美里愛ちゃんの声のトーンが一段低くなったのを見て、僕は事の重大さを感じ始めた。


「この浮気者!」

 美里愛ちゃんはいきなり僕の両手首をがっちり掴み、床に押し付けた。馬乗り状態にされて僕は動けない。それでも、ピンクのヒョウ柄の水着を間近で見ることで鼻血は出しまいと、目をきつくつむった。


「アンタそれでもJ.K.C.K.のアシスタントですか?杏ちゃんの頼みを易々と受けちゃうなんて」

「だって断れなかったんだもん!」

「断れなかった?杏にのぼせ上がってホイホイ乗っちゃっただけでしょ」


 美里愛ちゃんは冷徹な口調とは裏腹に、抵抗する僕を凄まじい力で押さえつけた。おかげで僕は床に張り付いたまま動けず、美里愛ちゃんに上からまたがれっぱなしだ。彼女の太ももが僕の腰のあたりに接触していないだけ、まだ鼻の奥のナイアガラは鳴りを潜めているが、今にも乗っかられそうという緊張感が僕の心臓を震わせていた。


「それとも何?私が風紀委員会に勝てないと踏んで、杏に乗り換えたとか。まさかの背任行為ですか?」

「そんなつもりはありません~!」

「じゃあなんで審判やるって受けたのよ。普通は断るでしょ。私のアシスタントなら普通は敵の頼みなんか受けないはずよ。なんでそれが理解できないのよ!」

「本当にすみません。でも杏はああ見えて押しが強いから。突然さらりと言われちゃって断るタイミングを失ってたんだ。本当にすみませんでした~!」


 しかし美里愛ちゃんは容赦なく僕がきつく閉じたまぶたを指二本で強引にこじ開けにかかった。無理やり開かれた視界に、完全にあらわになったピンクのヒョウ柄のスクール水着が見え隠れする。


「あ~、もうすみません、もうすみません、ギブアップします~!これ以上血を流させないでくださ~い!」

 僕がこう騒いでいると、いきなり上から押さえつける力が一気になくなった。閉じた目の向こう側で、美里愛ちゃんの体が僕から離れる物音が聞こえた。緊迫状態から解放され一息つきながらも、僕は美里愛ちゃんが動いたと思われる方向に背を向けた。


「ねえ、清太。こっち向いて」

「嫌だよ。まだ水着のまんまでしょ」

「もう水着じゃないよ」

「本当?」


 僕の背後でバスローブの紐を締める音が聞こえた。それに反応して振り向くと、美里愛ちゃんは本当にバスローブで水着を隠していた。


「真面目な話、私と杏、どっちが大切なの?」

 いきなり核心をつく質問に僕はうろたえた。

「いやあ、美里愛ちゃんは本当にコスプレが大好きな気持ちが伝わってくるし、それはすごいなと思う。なんと言っても僕はアシスタントだし。でも杏ちゃんは風紀委員会で、おしとやかな感じがあってなおかつ明るいし、それに彼女が工藤高校の生徒たちの品格を上げようという思いもすごくよくわかるし」


 美里愛ちゃんがいきなり高速で這ってきて、僕の間近に顔を近づけた。

「それで結局、どっちなのよ」

「ええ、どっちかはっきり言わなきゃダメ?」

 美里愛ちゃんが小刻みにうなずいた。


「そりゃ、J.K.C.K.のアシスタントの立場としては美里愛ちゃんが大切だよ」

 美里愛ちゃんが僕を見つめる表情を変えないまま、拳を立ててガッツポーズをする。

「でも杏ちゃんの言ってることも正しいなと思うんだ。ほら、たまにはコスプレばかりじゃなくてこういう格好みたいな服の遊びもあるんだなっていうのもよくわかったし」


 美里愛ちゃんの拳が、親指を下に向けるサインに変わった。

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