こんなイベントに参加することになって困ってます

 僕と美里愛ちゃん、香帆ちゃんは3人それぞれ、本来のコスプレ衣装を普通の私服で隠していた。美里愛ちゃんは黒のトレンチコート、香帆ちゃんは赤と青のチェック柄のブラウス型ワンピース、僕は緑色のジップパーカーと黒のジャージ型ズボンを履いていたが、黒の蝶の仮面は外していない。僕は外に出た瞬間から、万が一のことを考え、誰にコスプレ中を見られてもいいように謎の人物でいたかったからだ。

 僕たちはこれらの格好のまま受付へ向かう。


「ええと、3名様でよろしいでしょうか?」

 そう尋ねる女性の表情が戸惑っている。当然だろう。美里愛ちゃんと香帆ちゃんの格好は、ボタンを開けばセクシーな格好が飛び出すのが目に見えているし、そこに黒い蝶の仮面をした謎の人物がついてきているのだから。ちなみに性別も聞いてほしくない。

「3名様です」

 美里愛ちゃんは自身の格好へのツッコミを許さないことをオーラで訴えながら答えた。


 3人はバックステージの幅広い廊下に特設された衝立のもとにやってきた。

「さあ、防御態勢を解除するわよ。隠し用の上着はこのキャリーバッグに収めるから」

 美里愛ちゃんはキャリーバッグのジッパーを開いた。確かに中は空っぽで、まさに元の服を収めるのに充分すぎるスペースがある。


 そうこうしているうちに、女子二人はためらいなく上着のボタンを外し、次々と中をはだけた。美里愛ちゃんのコスプレは、トップスが黒のノースリーブのシャツだが、裾がハサミで切られているっぽく、くびれた腰があらわになっている。深紅のフリルが囲ったパンティーのような衣装だけがボトムスとして決まっていた。あと彼女が脱ぐまで気づかなかったけれど、かかとから10cmぐらいを覆う赤いブーツが眩しく映える。


「お気楽デビルのチリアルよ」

 それが今回の美里愛ちゃんのコスプレのテーマだった。ライトノベル『ある日急に重度の非モテ症候群になりました』に登場する悪魔。モテモテだった主人公の男子・晴樹に憑りついて、彼を見る者は彼のダメなところしか目につかず、恋愛対象として見なくなるという、シンプルながらも世の男子にとって恐ろしい物語である。


 まあ、こちとら悪魔に取り憑かれなくても重度の女子ビビリ症候群だったんだけどね。


 香帆ちゃんのコスプレも大胆だ。バスケットボールのユニフォームのようだが、黄色いトップスが短く、へそまでいかなくともお腹がわずかにチラリと見える。もちろん、パンツは股下6cmぐらいかと思うぐらい短い。


 僕は、女子二人の格好をチェックしてる場合じゃないことに気づいた。また深紅のナイアガラを起こすまいと、彼女たちのいる方向から180度ターンした。

「どうしました?」

「また鼻血か?最もアンタの鼻血がかかっても、今回の私のコスプレは黒と赤でまとめてるから、返り血もものにできるけどね」


 美里愛ちゃんがさらっとえげつないことを言うなか、僕は両手で鼻を覆った。しかし、いつまでたっても、滝は流れてこなかった。どうやら、こんな童貞でも、彼女たちの変態的な格好を何度も見ていれば、体が慣れてしまうようだ。僕は彼女たちの方に向き直った。


「大丈夫だ」

 僕は鼻から手を下ろし、無事をアピールした。

「あっ、そう。それじゃあ」


 美里愛ちゃんはいきなり僕のパーカーのジップを下ろしにかかった。

「ひゃあ、やめろ!」

 女子に触られることに慣れきったわけじゃないし、何より「脱がされる」ことへの抵抗が強かった。


「自分で脱ぐから」

「10秒以内にやらないと香帆ちゃんと一緒に脱がせるから」


 10秒後、女子たちにベタベタ触られまくるってこと?それっていいことなの?いや、僕はそんなの受けたくない!

 というわけで、大急ぎでパーカーもズボンも自ら剥ぎ取り、バニーガールのコスプレをあらわにした。美里愛ちゃんと香帆ちゃんがそれぞれ僕の手からパーカーとズボンを受け取る。この間二人とも無言であることが、雰囲気をどこかシリアスにさせた。


 広大な体育館内はいくつもの仕切りが設けられ、通り道やブースを形作っていた。

「ほう、集まってる集まってる。ちょっと待って、あれって『ウィッチドーター沙雪』じゃない?」


 ウィッチドーター沙雪とは、魔法戦争中に敵が仕掛けた、別世界へ転移する落とし穴「フェイタルホール」にはまって人間界へ転移してしまった沙雪が、現世界の生活になじむため奮闘するアニメである。


「その隣にいるのは、野茂山レオくんじゃないですか?」

 香帆ちゃんが沙雪役の隣にいる少年に気づいた。

「気楽なもんだよ。レオはこの時期、赤いパーカーにグレーのダボダボのズボンがお決まり。極端な話、人前歩いててもそれほど浮いては見えない安易なコスプレだ」


 美里愛ちゃんがバッサリと斬り捨てる一方で、僕はレオ役の少年が羨ましかった。赤いパーカーはないけど、「レオの新しい私服」という体で、家にあったパーカーとズボンを着てここに来られたら、こんな黒い仮面も必要ないのではと思った。

「自分もあんな格好で来たらって思ってる?J.K.C.K.では許さないから」

 美里愛ちゃんが容赦なく僕を照らした一筋の希望の光を閉ざした。


「さっさと行くぞ」

「あっ、ちょっと待って、いきなりはダメだよ」

 美里愛ちゃんに不意に手をつながれ、僕はどぎまぎしながら引っ張られた。

「すみません、どちらへ向かうんですか?」


「この辺特に人が混んでる感じがするから、ちょっとだけ人がすいているところに移動して、落ち着いてから写真撮ってもらうわよ」

「その前にこの手を離してくれる?」

 僕はとにかく女子と手をつなぐと、体の芯から震えが襲ってくる。一秒でも早くそこから逃れたいだけだ。


「なんか、仮面の奥が赤くなってません?」

 香帆ちゃんが僕の顔が恥ずかしさで火照っているのを見つけた。

「黒に赤はよく合うからなあ~」

 美里愛ちゃんは能天気な発言をしながら、なおも僕を強制的に引っ張っていく。

「ファッションの問題じゃなくて、本当にちょっぴり恥ずかしいんですけど」

「つべこべ言うなよ、仮面着用許可でだいぶ譲歩したつもりだからね」

 美里愛ちゃんが相変わらず僕にピシャリと厳しい言葉をぶつけた。


「んっ?奇跡的に空いている場所発見!」

 美里愛ちゃんが目ざとく空きブースを見つけた。そこはありふれた衝立で三方を囲まれ、長机とイス2つがキレイに残されていた。

「よし、今回はここを持ち場にするわよ。そして心置きなく、色んな人にコスプレを撮ってもらいましょう」

 美里愛ちゃんはチリアルという悪魔のコスプレを見せびらかすように、誇らしげに両手を広げた。


「ほらほら、清子と香帆は宣伝活動やってよ。ブースの前からみんなに呼びかけるのよ」

「どうやって呼べばいいのですか?」

 香帆ちゃんが不安そうに美里愛ちゃんに質問した。

「アンタの場合は簡単なことよ。バスケ部員らしく、大きな声で『撮影に協力してもらえませんか』って言うのよ」


「ただ撮影してもらうだけじゃなくて、そこはせめて相手に撮影を持ちかけてから『ついでにこちらも撮ってください』って頼めばいい気がするな」

 僕は撮影者を呼び寄せるための現実的な提案をした。コスプレが好きでもないのにそんなことをしている自分が信じられなかったけど。


「ああ、それいいね。じゃあ、早速アンタが『撮影させてもらえませんか?』と頼めば」

 美里愛ちゃんは冷淡な様子で僕に命じた。

「ほら、スマートフォンを持っているでしょ」

 僕は緊張のあまり、ショートパンツのポケットに相当するポジションをまさぐった。


「そのコスチュームにポケットなんかあるわけないじゃない」

 美里愛ちゃんのツッコミで自分がバニーガールをしている現実を思い起こされた。

「そうか、ここだったか」

 僕は胸元を指差した。

「ちょっといいかな」

 慌ててブースの机にもぐる。うっかり美里愛ちゃんの下半身が視界に入らないように、机の端っこで縮こまりながらスマホを取り出し、机から立ち上がった。


「これでいいかい?」

 美里愛ちゃんが無言でOKのサインを出した。

「それじゃあ、呼びかけを始めますね」

「頑張ってらっしゃい」

 美里愛ちゃんは部下に期待する上司のような静かな意味で香帆ちゃんと僕を見送った。


「みなさ~ん、何とあのチリアルがここにいますよ~!」

 バスケ少女の格好をした香帆ちゃんが精一杯に声を張り上げた。僕もそれを見ながら呼び込みを行おうと考えたが、あいにくバニーガールという男子としてのアイデンティティを根本から覆す格好が、僕を強気にさせてくれない。


「あ、あの……何ていうか……」

 黒い蝶の仮面はあくまでも僕が白滝清太であることを隠すだけ。いち男子としての羞恥心までは押し殺せなかった。

「お~い、そこのバニーガール、何してんだ」

 たまらず美里愛ちゃんが立ち上がり、僕の隣に立った。

「何恥ずかしがってんの?もしかして実は、そんな仮面をしていることが恥ずかしかったり?」


 美里愛ちゃんが平静を保ったまま、いきなり僕の仮面に手をかけた。当然にように僕は激しく抵抗するが、美里愛ちゃんはそんな僕をあざわらうように仮面に触れてくる。


 ここで仮面が取れることで白滝清太が女装趣味の男と思いっきり誤解されたくない。それ以上に、美里愛ちゃんの手がしつこく僕の顔に触れる様がくすぐったい。彼女の手が皮膚に触れることで、僕の羞恥心は倍増する。


「お~い、みんな。誰か撮影に協力してくれないと、こいつの覆面が取れちゃうぞ~」

 美里愛ちゃんは相変わらずクールな顔をしたまま、能天気な口調による脅し文句で周囲の気を引いた。周りは彼女に興味を示しているというより、僕たちの関係性を推し量りかねている感じだった。すなわち好奇の目を向けている。


 やっとこさ僕は自力で美里愛ちゃんの魔の手から逃れた。しかし、無事では済まなかった。黒の蝶の覆面は下にズレてしまい、口元を斜めに塞ぐ形になった。

「ああっ!」

 僕は咄嗟に仕切りの方を向いて、覆面を直した。何事もなかったかのように見知らぬコスプレイヤー達の方に向き直る。


「きゃあああああっ!」

 いきなり女子の甲高い悲鳴が聞こえた。まさか、ド変態が会場に忍び込んで、コスプレイヤーに非道徳的な振る舞いをしているのかと思った。


 僕は悲鳴のした方向を向き、被害にあった人を探した。その光景に僕は拍子抜けした。

「誰か助けてください」

 香帆ちゃんが網にくるまれ、悲壮感漂う姿で助けを訴えていた。網の周囲では、私服そのものの格好をした女子四人が囲んでいる。僕は何事かと思い、ちょっとだけ近づいた。四人組の中に、見たことのある一人がいた。


「今時のバスケ選手、そんなに短いボトムス履かないよ。全く自身の品格に欠けた趣味をさらし、相手方の性欲をそそるために、リアリティがなくてはしたない格好をするなんてね。これだから今時の高校生はあてにならんわけだ。そろそろ現実に気づいて、風紀委員会に移ってきたらどう?」


 自身も高校生であることを棚に上げ、杏ちゃんが香帆ちゃんに冷たくダメ出ししていた。


「これでいいの、杏」

 一人の女子が杏ちゃんに確認した。彼女より貫禄が感じられて、どうも先輩っぽい。

「はい、風紀委員長、現時点では問題ありません。そして後ろに、問題の人物が」

 杏ちゃんが風紀委員長の背中越しに美里愛ちゃんを指した。風紀委員長の手元をよく見ると、防犯用と思われる網鉄砲を持っていた。


「あ、あと、その人、黒覆面してたって私にはバレバレ」

 すでに僕がJ.K.C.K.の一員と知っている杏ちゃんの前では、黒い蝶の仮面も全くの無力であると思い知らされた。

「皆さ~ん、こちらにいますのは、J.K.C.K.という秘密結社という暗黒のるつぼに堕ち、女装地獄を味わっている悲劇のヒーロー、白滝清太で~す!」


 杏ちゃんに名前を高らかに叫ばれたとき、この場所は地獄に様変わりした。

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