ザ・ガーターベルト

「これ、何?」

 僕は着替え後の自身の姿に絶望した。襟元や前立ての部分にフリルがふんだんについた黒いYシャツに、深紅のミニスカートを履いていた。そして香帆ちゃんと同じく、黒のガーターベルトもついている。ていうか男子でガーターベルトを着るようになったらいよいよそっち系……いや、僕は違うよ!好きでやってるんじゃないからな!


「何震えてるの?何恐れてるの?そんなんじゃ明日の体育館ユートピアには行けないよ」

 美里愛ちゃんが冷徹な口調で僕に迫る。僕が体をのけぞらせると、美里愛の顔が追いかけてくる。僕はさらに体をのけぞらせ、ブリッジの体勢で両手をついた。しかし美里愛ちゃんは意味深に顔同士の距離感をギリギリまで詰めてくる。

 勘弁してくれ!せっかく詰めたティッシュ全体が真っ赤に染まってしまう……!


「あの……」

 ここで香帆ちゃんの声がカットインした。

「人が話している最中に話しかけないでくれる。野暮ってものよ」

 美里愛ちゃんが問答無用で香帆ちゃんに注意する。しかし今回はそうしてくれなければ僕の人間としての尊厳が危ぶまれるところだった。


「すみません……この後の予定を聞こうとしたんですが」

「体育館ユートピアのリハーサルも兼ねて、周辺をぶらっと回るか」

「何だって!?」

 美里愛ちゃんの衝撃発言に僕は唖然とした。


「イヤだよ、男の子の概念を根底から覆すこんな格好で外を歩くなんてイヤだよ!だって、ミニスカぐらいはまだいいけど」

「へえ、慣れたんだね」

 美里愛ちゃんが非情な一言を挟む。

「慣れたわけじゃないから!それに話を最後まで聞いてくれ」


 美里愛ちゃんはナマケモノのマネか、急に地面にうつ伏せになり、耳を両手でガッチリと塞いだ。僕の話など知ったこっちゃないという意思表示か。僕は声のボリュームを軽く上げながら話を続けた。


「とにかく、僕、ガーターベルトつけたまま外を歩きたくないです!男らしいコスプレはありませんか!?」

 美里愛ちゃんは僕をバカにするように両手を崩し、寝たふりをした。

「あの、美里愛ちゃん……」


「だって私、男装は趣味じゃないからさ……」

 寝言のようにさらっとえげつないこと言ったよ、この女子。マイペースな美里愛ちゃんがそっと目を開く。

「というわけで、アンタはこれから3年間、ずっと女装に女装を重ねてもらうから。嫌なら自分で男物のコスプレを買うことね。今からネットでポチっても間に合わないと思うけど」


 要するに、僕はここにいる限り、自助努力以外で男らしい格好をできる手立てはないらしい。その現実を前に僕はがっくりと肩を落とした。


「ふう、今日もいい天気ね。おお、雲ひとつない快晴じゃない」

 大通りの交差点を前に、美里愛ちゃんが朝の気持ちいい目覚めみたいに両腕を伸ばしていた。香帆ちゃんはまだちょっと恥じらいを感じているのか、周囲の目をチラチラ気にする素振りを見せた。僕に至ってはもうそんなことをする余裕さえない。今この姿を見た人には、僕は幻覚だとみなしてくれとさえ思っている。


「ほら、青になったぞ」

 せっせと歩き出した美里愛ちゃんに香帆ちゃんと僕が慌ててついていく。

「はぐれたらどうなるかわかってるよね?」

 振り向きもせずして美里愛ちゃんが無慈悲なプレッシャーを飛ばしてきた。僕は神経がすり減るのを感じながら早足で女子二人に追従した。


「よーし、ここから大通りをしばらく進んで、左に曲がってビル二軒を過ぎたら、コスプレカフェがあるぞ」


 美里愛ちゃんがさも当然のように目的地までのルートを語った。しかし僕は全く心の準備ができなかった。正直言えば、J.K.C.K.のアシスタントを全うする覚悟さえもできていない。ガーターベルトの変な締めつけが、僕の心の底までを悶えさせている。これは決してよい意味ではない。ここまでのハードな格好を強いられて、よくティッシュロケットひとつで踏みとどまれているもんだ。


 そんなことを考えながら、僕はわざと歩くペースを落とし、美里愛ちゃんと香帆ちゃんとの距離を五メートルばかり離した。衆人環視が気になりすぎる今、コスプレ好きの女子二人と別のコスプレ好きの一人がたまたま同じ方向を歩いているように見せたかったからだ。人はこれを他人のフリという。


 そのとき、美里愛ちゃんが急に立ち止まった。僕もとっさに急ブレーキをかける。思わず美里愛ちゃんを追い越してしまった香帆ちゃんが振り向く。

「どうしました?」

 香帆ちゃんの心配する声もかまわず、美里愛ちゃんは数秒間立ち止まったままだった。と思ったら、突如僕の方へ歩み寄り、強制的に手をつながれた。


「ええええええええええっ!?」

 これだけの人前で女装しているだけでも精神的にキツいのに、童貞のみで女子に手をつながれたことで、いよいよ口から臓器のひとつでも飛び出してくること覚悟した。何よりも、この女子二人と仲間と思われたことが、僕を余計に狼狽させた。


「すみません、この人は知らない人ですからね。気にしないで気にしないで、あと、僕、こんな格好ですけど、好きでやってるわけじゃないんで。すみません。通行人の皆さんは気にしないで通り過ぎてください」


「やめて、恥ずかしいでしょ」

 美里愛ちゃんが一連の行動を棚に上げ僕をたしなめつつ、強引にコスプレカフェまで引っ張っていった。

「私と契約を交わした以上、あなたは女装をし続ける運命なの!いい加減受け入れなさいっ!」


「そんなあああああ……」

 美里愛ちゃんの情け容赦ない一言が、僕から抵抗するモチベーションを奪い去った。

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