第4話 シリウス

 頭の上で声がする。眠りに浸っていたマユラが意識をもたげると、体はふかふかの寝心地の中にあって、

「まったく、いつまで寝てやがる。さっさと起きろ、ボケ」

 やけに乱暴な声に目を開けて起き上がると、見たこともない部屋で、ベッドの脇には見たことない奴が立っていた。

「やあ、おはよう」

 寝ぼけまなこであいさつすると、

「いつまで寝てやがる、お客様気取りか」

 愛想のかけらもない返事が来た。

「さっさと起きろ、団長がお呼びだ」

 そのもの言いにめんくらいながらも、ベッドを降りて立つ。窓からの陽射しは、早朝と呼べる時間はとっくに過ぎていて、ずいぶんと寝過ごしたことを教えていた。部屋は、豪華ではないが品のある内装に、備え付けの調度品も高級そうで、マユラがこれまでに泊まった中では、一番上等な部屋だった。

「ぼけっとすんな」

 横から口やかましい。

「僕はマユラ」

「聞いているよ。志摩先生の新しい弟子だろ。だったらレリアの奴が起しにくればいいんだよ。なんでオレが・・・」

そいつはマユラを起しにやらされたことが、どうにも不服のようだった。マユラと同い年ぐらいで、背は少し高い。マユラだってそんなにも低くはないのだ。平均より二三センチ下ってあたり。まだ成長するはずだから、本人としては大人になるまでに、あと三十センチぐらい背が伸びることを願っている。

「そんな汚い服で客用のベッドに寝てやがって、ドナさんに𠮟られるぞ」

 昨夜シリウスに着いたときは、夜も遅くなっていたので、志摩に言われてマユラはこの部屋で寝たのである。

「ドナさんって」

「ここの女中頭。料理長より偉いんだぜ。料理長の奥さんだけどさ。あの人に睨まれたらメシ減らされるぞ」

「そいつは勘弁して欲しいね。で、キミは」

「ルディー・スミスだ。ソルジャーマスターのムドー・ザルティア先生門下のシールドソード見習だ」

「ファズさんやレオンさんのジョブだね」

「ファズさんは別の師匠だけど、レオンさんはザルティア先生門の先輩さ。さあ、団長を待たせちゃならない。おっと、顔ぐらい洗ってゆけよ」

 ルディーはドアを指さした。昨夜は部屋に入るとすぐに寝てしまったので、そんなドアがあることも気付かなかった。開けると洗面台があり、それどころかバストイレまで付いている。

「すごい!お風呂がある。トイレ水洗だし、ホテルみたい。しかも蛇口からは水ザーザーだぜ」

「いちいち驚いてないで、さっさと顔洗えよ」

 ルディーの案内で廊下を歩く。昨夜は長旅の疲れもあり、中を見て回るということもなく、部屋に案内されるとすぐに寝たので、大きな建物ぐらいの印象しかなかった。今見ると、古風で堅牢そうな、古城の如き趣の石造りの建物だった。窓からは別棟の建物と、数十人の少年少女の運動している広いグラウンドがあって、かなりの敷地を抱えているようだった。

黒塗りのドアの前に来て、ルディーがノックした。

「連れて来ました」

「通したまえ」

 応えがあって、ルディーはドアを開けた。

「入れよ」

 マユラは部屋に入る。奥の机の向こうで、男が書き物の手を止めてマユラを見ていた、

「君がマユラくんかね」

「はい」

 男はペンをペン立てに戻すと、ルディーに顔を向けた。

「ご苦労だった。自分の修行に戻りなさい」

 ルディーは一礼してドアを閉めた。

「私はカディス・ロレンス。レギオンシリウスの主宰であり、皆は団長と呼んでいる」

 厚みのある声だった。短く刈った銀髪に銀縁メガネ。スーツを着て机に向かっている姿は、傭兵集団という物騒な組織の主宰というよりは、学校の校長先生と言った方が似合っていた。

志摩君からあらかた聞いているよ、両親を亡くしたそうだね。気の毒に思うよ。ここには君のような境遇の者も少なくない。復讐を動機として傭兵に身を投じるのも分からなくはないが、その一念に凝り固まっていては、真の勇者にはなれないよ。勇者の戦いはいつも、人のためになされるものだからだ」

「・・・」

 半分わかった表情のマユラだった。

 ロレンス団長は立ち上がり、机を離れてマユラの前に立った。

「ともかく、シリウスにようこそ。君を歓迎する」

 差し出す手に、

「よろしくお願いします」

 マユラはいつにない礼儀正しい態度で握手した。ロレンス団長はシリウスの主宰だけに、居丈高な態度ではないのだが、マユラにしても軽々しく対応できない貫禄があった。

「修行は厳しいだろうが頑張ることだ。ここには志摩君の他にも、異なるジョブのマスターが何人もいて、彼らの下では弟子たちが修行に励んでいる。さっき君を案内したルディーもその一人だ。修行中は他のジョブの者と関わることも少ないかもしれないが、なるべく他のジョブの者たちとも交流を持って、絆を作って欲しい」

「それなら自信があります。人見知りしない方なので」

 人見知りしないが、かと言って格別社交的な方でもない。故郷の開拓団の町では、アッシュの他には親友と呼べる者はいなかった。遊び仲間も限られていたが、あのときは勉強が出来ず、不登校常習の落ちこぼれとなっていて、一部の生徒たちからは顰蹙を買っていた。しかしここでは剣術である。剣術も、生まれ故郷の町ではやったことなかったが、志摩の弟子となってからは、師の指導の下に修行している。出された課題はクリアしているし、師からほめられたことはないが、自分なりに上達は感じている。ストリームは使えるし、学校のときのような落ちこぼれになるつもりはない。アッシュみたいな、人気者の優等生にはなれなくとも、みんなとうまくやっていける自信はあった。もっともさっきのルディーとは、ウマが合いそうになかったけど。

「それから、ここにも学校はある。心配しなくても、勉強はできるよ」

「えっ!」

 団長の言葉に、不意を突かれたマユラだったが。

「どうしたね」

「だって、戦うのに勉強なんて必要ないじゃないですか」

「傭兵も普通の人間だよ。仕事の内容がいささか物騒なだけで、仕事で報酬を得て、そのお金で生活する。何ら世間一般の人たちと変わりない。ならば世間並みの学門や常識は身につけておくべきであろう。修行の過程では出席できない日もあるかもしれないが、原則不登校はナシだからね」

「はあ・・・」

 ため息とともに、そう言えば以前誰かが、シリウスにも学校があるとか、言っていたのを思い出した。

「では、ついてきたまえ。中を案内しよう」

 団長について部屋を出た。会議室や資料室などを見せてもらったが、当面マユラには用のない所だった。館の中を隅々案内されたのではなく、案内されたのはほんの一部だった。館の中には団長とその家族の居住区画もあるし、新入りに見せる必要のない場所、もしくは見せたくない場所もあったかもしれない。だがマユラは、彼にとって最重要な場所に案内されて、ここさえ見ればあとはどうでも良かった。

「食堂だ」

 そこは、横長のテーブルが並んでいて、一度に百人ぐらいが食事出来そうだった。

「僕もここで食べるのですか」

「もちろんだよ。そう言えば、キミは朝食がまだなんじゃないか」

「はい」

 マユラは気づいてもらえてほっとした。いまが何時かわからないが、かなり寝過ごしたみたいで、起きたときには腹ペコだった。

「朝食の時間はとっくに過ぎているが、なにかあるかな」

 食堂のテーブルには一人の姿もなく、厨房では後片付けをしているらしい物音がする。

「ヨンさん、すまんが一つ頼まれてくれ」

 ロレンス団長は間仕切りのカウンター越しに、厨房に声をかけた。

 ここのコックであろう、白衣に前掛、白い帽子の中年の男が出てきた。後にエプロン姿の中年の女が続いた。

「何ですかい、団長さん」

「この少年に、何か作ってくれないか」

「新入りですかい」

「そうだ、志摩君の弟子だ」

「志摩さんの弟子とは珍しいじゃないですか。キミ、なんて名だね」

「マユラです」

「マユラか、サムライ向きの名前だな。俺は料理長のヨンだ。みんなの胃袋の世話を任されている」

「それじゃあ僕の胃袋の世話もお願いします。見た目より、だいぶ大きいですけど」

「そっちは任せておけ。おまえはしっかり修行に励め」

「それじゃアンタかい、客用の部屋で寝たのは」

 険を含んだ声は、ヨンさんの横のおばさんだった。

「はい」

「あの部屋はお客様の泊まられる所で、アンタたちが寝るところじゃないのよ」

「志摩先生に、あの部屋で寝ろって言われたのです」

「昨夜志摩君から、遅い時間に戻って、寮の部屋の手配が出来ないので、新入りの少年に、今夜は客用の部屋を使わせてくれと要請があり、私が許可した。今回は大目に見てくれ」

「そりゃあ、団長様がお許しになられたものなら、あたしなんかがとやかく言えた義理じゃないのですけどね。でもその子、風呂にも入らず着換えもしないで、シラミのたかっていそうな格好のままベッドで寝てしまったものだから、何から何まで洗濯しなけりゃならなくなったんです。せめてソファーで寝てくれればよかったのに」

「あんな立派なベッドがあるのに、ソファーでなんか寝やしないよ」

 マユラが言い返すと、

「はははっ、それもそうだ」

 ヨンさんは笑ったが、おばさんは不機嫌な顔で、

「だらしないのは許さないからね」

 言い捨てると団長に会釈をして、厨房に戻っていった。

「気にするな。あれはドナと言って俺の女房だが、あれで根は優しい女なのだ」

 やはりあの人がドナさんかと、マユラは思った。メシ減らされたらかなわんぞと、危惧が頭をよぎる。

「だが、マスターたちの弟子にもいろいろなのがいる。なにせ傭兵になろうってぐらいだから、元気と勇気は有り余っているのが集まって、ヤンチャなのも多いのだ。ウチのヤツも、そうそう優しい顔はしていられないというわけさ。もちろんマユラくんは、そんな困り者のヤンチャ小僧ではないだろうけどね。それじゃあオムライスでも作ってやろう」

 オムライスと聞いて、マユラの顔がほころんだ。

「好きかい」

「大好物です」

「だったら、とびっきりのを作ってやるから待ってな」

 ヨンさんは厨房へと戻って行き、ホクホク顔のマユラに、

「ドナさんには、ここでの君たちの暮らしの面倒を見てもらっている。生活面での師匠と心得て、言いつけには従うように。問題行動が目に余るようだと、どんなに強くても、シリウスには置いておけないよ」

 ロレンス団長は釘を刺す。

「わかりました」

 団長にここまで言われると、うかつにあのおばさんの機嫌を損ねられない。メシ減らされないためにも、気をつけねばと思うマユラだった。

「おはようございます」

 声に振り返ると、一人の少年がこちらに来るところだった。やや長身の白人で金髪。黒の上下はどこかの学校の制服のようだ。

「おはよう。今日も学校はサボりかね」

「一時限目のホームルームでテストの日程だけ聞いて、あとは用もないので早退しました」

 平然と返す態度に、大したヤツだとマユラは感心した。学校をサボって、なかなか、こうも堂々は出来ない。あらかじめテストの日程を調べておいたということは、その日はどこかへ雲隠れするつもりなのだろう。顔を見ると、澄んだ青い目に銀縁メガネなんか掛けて、勉強出来る感バリバリなのに、こういうのに見かけ倒しがあるのだ。

「やあ! 僕はマユラって言うんだ」

 マユラは同士を見つけた気安さで声をかける。

「イリアスだよ」

 イリアスと名乗った少年は、キョトンとした顔で応えて、

「コーヒーお願い出来ますか」

 厨房に声をかける。

「あらイリアス、今日も早いのね」

 ドナさんが出てきたが、マユラのときとは打って変わって上機嫌である。

「コーヒーお願いします」

「いいわよ、いつものブラックね。団長さんもどうです」

「それじゃ私もブラックで」

 ドナさんは二人の前に、ホットコーヒーのカップを出し、マユラには、

「アンタはオムライスの出来るのを待ってな」

 相変わらずの無愛想である。

「このところまともに出てないようだが、学校は大丈夫なのかね」

「問題ありません」

 イリアスはまるで他人ごとの口調で、コーヒーを美味そうに飲んだ。

「キミって度胸あるんだね」

 マユラに話しかけられて、イリアスは目をしばたいた。

「学校サボってコーヒーだなんて、僕だってそこまでの余裕はなかったぜ。だけど団長さん、学校サボるのはダメじゃなかったの」

「イリアスが通っているのはシリウスの学校ではないのだ。アザレアウィズスクール。魔道の学校だ」

「魔道の学校・・・」

「シリウスの学校は初等から中等教育程度だが、アザレアウィズスクールは高等学校だ」

「アザレアウィズスクールといったら、州外からも秀才たちが入試に集まる、競争率十倍の難関校なのよ。イリアスはそこを飛び級で受けて、しかも首席の成績で合格したのよ」

 ドナさんは、まるで我が子のことのように誇らしげに言った。

「でも、どんな名門校に入ったとしても、サボりしてたらダメでしょう」

 そんなことは言えた義理じゃないマユラだったが。

「意味もなくサボってやしないよ。授業を受ける意味が薄いから、その時間をもっと有効に使いたいだけさ」

「どういうこと」

「今の学年はもとより、最終学年の全過程、完全に理解して完璧な成績を顕す自信があるから、みんなと同じように授業を受ける必要がないと思っているのさ」

「けど、テストの日はバックレるのだろう」

「バックレやしないよ。学業の成果えお示すのはそこだろう。テストを受け損ねることがないように、日時を確認しておいたのさ」

「授業をサボっていい点取れるの」

「イリアスは百点しか取ったことないんだよ」

 ドナさんが自慢そうに言った。

「百点満点のテストで」

「二百点満点のテストで百点しか取れなかったら、僕だってみんなと同じように、遅刻も早退もなしに授業を受けているよ」

「どうしてそんなに解るの」

「どうしてって、教科書読んでたら解ったけど」

「もしかして、テストの答えが解る、魔法の教科書とか持っているの」

 有るなら貸して欲しいマユラだった。

「そんなの物無いし、有ったとしても、勉強は自分の頭で考えて理解しなきゃ意味ないでしょう」

「教科書じゃないよ、ここ」

 ドナさんは頭を指さした。

「入っているものが、アンタのとは違うんだよ」

 そりゃあ、とびっきりの上等が入っているに違いない。あのアッシュだって、ここまでではなかった。マユラは天下の豪傑を目の当たりにしたような、すっかり度肝を抜かれたような面持ちだった。

「オムライス、お待ちぃ」

 ヨンさんがオムライスの皿を、トレイに載せて出してくれた。

「ありがとうございます」

 細かく切った鶏肉や野菜とともに、ケチャップをまぶして炒めた熱々ご飯を、黄色い卵の膜の包むオムライスにマユラは目を輝かせ、イリアスのことも、もう意識にない。

「気にすることはないぜ。イリアスは特別、他は大概、おまえさんと五十歩百歩だ」

 ヨンさんは言ってくれた。

「気にしてないですよ。勉強で勝負する気なんて、はなから無いですから」

 マユラはあっけらかんと応え、いそいそとオムライスをテーブルに運んだ。

「ライザ先生の頭痛のタネが、また一つ増えそうなあんばいね」

 ドナさんは、水の入ったコップをテーブルに置いた。

「汚さないでよ。拭いてあるんだから」

「気をつけます」

 オムライスをスプーンで口に運び、

「うめぇ」

 感嘆の声を上げ、あとはもうガツガツと、テーブルが汚れようがおかまいなしにかきこんで、ドナさんをあきれさせた。

 がらんとした食堂でただ一人メシを食うマユラを、カウンターでコーヒーを飲みながら見ていたロレンス団長だったが、

「マユラくんにシリウスの案内をしていたのだが、書きかけの書類があってね、続きを頼めるかな」

 イリアスに聞いた。

「かまいませんけど、彼は」

「志摩君の新しい弟子だ。ツアーの途中で拾ったのだそうだ」

「そう言えば志摩先生のチーム、昨夜帰られたそうですね」

「ツアーの最後に大きな仕事をやり遂げて、十分以上の報酬を持って帰ってくれたが、しかし、手放しでは喜べぬ」

 ロレンス団長の顔が、普段見ることのない険し気な表情となり、イリアスは訝しんだ。

「誰か負傷、もしくは戦死されたのですか」

「そうではないが、じゃあ、マユラくんのことは頼んだよ」

 ロレンス団長は、はぐらかすように話しを終えると、

「ごちそうさん」

 カップを置いてカウンターを離れて、オムライスを食べているマユラに、

「あとはイリアスくんが案内してくれる」

 と告げて、食堂を出ていった。

「キミって、すごく優秀なんだね」

 オムライスを食べ終え、イリアスの案内で廊下を歩きながら、マユラは改まった視線を傍らの秀才に向ける。

「そんなことないよ。みんな持ち上げ過ぎさ」

「キミなら九九だって、もう覚えているよね」

「クク?」

「もしかして、まだなの」

「あの掛け算のやつ。ずっと小さかった頃に表を見せられて、単純な理屈だからすぐに理解できたけど、覚えるとかいうものなの」

 マユラにとっていまだ難敵の九九を、こいつは幼少期に瞬殺である。

「魔導師に数学って必要なの」

「必須だね」

 イリアスの答えは明快だった。

「数学がイコール魔道ではなく、魔道にはまた別の要素も必要だけど、術構築に数学的センスが必要になるんだ。術構築については特殊な感覚で、言葉で説明するのは難しいけど、ちょっとでも破綻があったらダメなので、数学的明晰性が必要になるんだ」

「それじゃあ僕は魔道師になれないね」

「うん、向いてないね。けど、僕だって剣士には向いてない。本格的に剣術をやったことはないけど、人をバッサリするのは、どうにも性に合わない。対してキミは、志摩先生が弟子にするぐらいだから、剣術の才能は人並み以上のものがあるのだろう」

「どうかなあ、そんなふうに言われたことはないけど」

「でも、志摩先生みたいに強くなりたいとは思ってるのだろう」

「うん、志摩先生みたいな強いサムライになるんだ」

「魔道師だけでチームは組めない。実戦に出るときには志摩先生みたいな使い手をチームに加えたいし、いつか強くなったキミのお世話になるかもしれない。だから、僕が人より勉強が出来て、キミが多少勉強が苦手だとしても、実戦に出れば対等だし、そんなに感心することも、ひけ目に思うこともないよ」

「それもそうだね。よし、一人前になったらチームを組もうぜ。近づく敵は僕が斬り伏せるから、キミは離れた敵を魔道の稲妻でバリバリ撃つんだ」

 心やすげに将来を語るマユラに、イリアスは笑いながらも、

「でも勉強は、きちんとしなけりゃダメだよ」

 そこはしっかり言っておく。

 イリアスは館の中をあちこち案内することなく外に出た。彼いわく、食堂さえ分かっていれば、当面差し支えないとのことだ。

 外には学校の校庭を思わせる、広いグラウンドがあって、三つのグループが運動をしていた。空は薄曇りで旗をなびかせる程度の風が吹き、五月のこの地方にはあまりない、少し肌寒く感じるぐらいの日だが、マユラには風も涼しく、心地よいばかりだ。そして運動している連中は、汗ばんでいることだろう。三つのグループのうち、一つのグループはランニングをしていて、列を作り、広いグラウンドをひたすら走っている。もう一つのグループは走り高跳びをしていた。二メートルぐらいの間隔を置いて立てた二本の高跳び用の柱に、水平にバーを架け渡し、それを跳び越えるのだ。高さは一メートルぐらいに設定してあり、うまく跳び越える者もいれば、バーを落とす者もいた。

「あれって意味あるの」

「意味って」

「だって、ここで傭兵を目指しているってことは、みんなブレイヴの能力は持っているのでしょう。普通体で一メートルをハイジャンプしなくても、ブレイヴ体になれば、その倍だって軽いでしょう」

「確かにブレイヴは超人的な運動能力を与えてくれるけど、横着を許してくれるものじゃないぜ。ブレイヴ体での運動能力の核となるものは普通体での身体能力なんだよ」

イリアスは答えた。

「ブレイヴ体の能力があったとしても、毎日ズボラに過ごしている、ぜい肉ぶくぶく

のクズ野郎が、いざという時に見事に働けると思うかい。核がふにゃふにゃだと、ブレイヴ体での動きもふにゃふにゃさ。だからブレイヴファイターは、体を鍛え、身体能力を磨くことを心せねばならないのさ」

「・・・」

イリアスの言葉に、マユラは悟らされた面持ちとなった。

「なんてね、これは受け売り。魔導師の僕が、武闘系のことを偉そうに言えた義理じゃないさ」

「でも、ブレイヴ体になれるからといって、体の鍛錬をおろそかにしてはいけないと言うことは、よくわかったよ。なんか志摩先生の言葉みたい」

「かもね」

「えっ」

「さっきの言葉は、キミの先輩になる人から聞いたから、きっと志摩先生から、同じようなことを言われてたのだろう」

「僕の先輩って、どんな人」

「会えばわかるよ。とにかくそういうことだから、ファイターの鍛錬と言っても、割と、普通の学校の体育の授業でしているようなことも、やっているのさ」

「そうなんだ。あの人たちはクラス別なの」

「勉強のクラスは一つしかない。初等から中等までの全学年を、ライザ先生が一人で受け持っている。たまには僕も手伝うけどね。鍛錬は、当然ジョブ別に分かれて行う。ランニングをしているグループは、ザルティア先生門下のシールドソードたちだ。高跳びをしているのは、ソードマスターのベン・リュード先生の門下のフェンサーたちだ。違いは盾の有る無しだけだけどみたいだけど、それだけで基本形から違ってくるので、初歩の段階から鍛錬は別々なのさ。もう一つの、格闘の組み手をしているのは、ランサー、槍使いのグループで、マスターはケン・ギガス先生」

 格闘の組み手をしているグループでは、二人一組となって、相手にケガをさせないように気をつけながら、突きや蹴りを交互に出していた。それを見ているのがケン・ギガス氏なのだろうか、黒い肌の筋骨隆々の体が鉄の塊のような、黒人男性だった。

「槍なのに、格闘術を習うの」

「どのジョブでも、初級の格闘術は教えるよ。戦場では何が起きるかわからないし、こちらが武器を失くしても、敵は見逃してくれないからね」

「そうか。けど、槍だったらバルドスさんじゃないの」

「あの人も使い手だけど、人を教えるのには向いてないよ。大酒を飲んだ次の日には出て来ないし、教え方は乱暴だし、話しは大雑把だし。だけどギガス先生はバルドスさんの弟弟子で、バルドスさんをリスペクトしているんだよ」

 三つのグループの中で一番数が多いのは、ランニングをしているシールドソードのグループだった。五十人ちかくが列を成して走っている。次に多いのがランサーのグループで三十人ぐらい。フェンサーは二十人前後だ。

「シールドソードが一番多いね」

「盾の防御力が魅力だからね。戦場で生き残れる確率が一番多そうな感じがするのさ。もっとも、戦場でのジョブごとの死亡率のデータなんて無いから、確かなことはわからないけどね」

「先頭がザルティア先生なの、ずいぶん若いね」

 シールドソードの先輩になるで走っているのは、遠目にも二十歳前後と見える若者だった。。そして列の最後尾ではあのルディーが、なんとかみんなについて行こうと、ハアハア言いながら走っていた。

「ザルティア先生は、剣技の指導しかされないよ。ランニングとか、その他体力作りのトレーニングは、年長の弟子に任せているのさ。それにリュード先生もツアーに出ていて、いま指導しているのは若手の師範代だ。ギガス先生だけが本人さ」

「サムライはどこ、僕の先輩たちは」

「いずれ会えるさ。それより、寮長さんのところに案内するよ」

「寮長さん?」

「あれが寮、僕らが寝起きする所さ」

 イリアスが指さしたのは、館の西側に建つ、灰色の外壁の三階建てだった。歴史を感じさせるシリウス本館と比べると、何ともうすっぺらで、古城の横に安アパートを持ってきたような物件だった。

「なんか、雰囲気違うね」

「館自体は三百年の歴史のある建物だけど、中に寮を置くとなると手狭になるので、団長が建てられたのさ。少々安普請なのは否めないけど、雨露をしのぐには十分さ。他にも体育館が新しく建てられた建物さ」

「体育館なんてあるの」

 それはマユラの生まれ育った町の学校にはなくて、もっと大きな町の学校にしかないものだと思っていた。

「照明までついているぜ。あんまり遅くまで点けていると怒られるけどね。それと、女子寮は館の中にある。女子は少ないからね。うかつに近づくとひどい目にあうから、足を向けないのが無難だよ。寮長さんは、寮を差配している人さ。早速にキミの部屋も用意してもらはないと、さすがに二晩もゲストルームを使わせてはくれないから、今夜は野宿になっちゃうよ」

「それは困るよ」

 優等生ながら、それを鼻にかけるでもないイリアスに、マユラは好感を持った。今朝方起しに来た、あのルディーってヤツはつっけんどんで反りが合わなさそうだったが、イリアスとなら友達になれそうな気がした。イリアスみたいな気のいい仲間がたくさんいたら、ここでの暮らしも楽しいものになるだろうと思うマユラだったが・・・

 和気あいあいと話しながら歩く二人の前方から、輪郭も鋭げなたたずまいの影が一つ、こちらに歩いて来る。近づけばそれは少女だった。年齢はマユラやイリアスと同じぐらい。身長はマユラよりあった。肩の張った怒り肩で、細身の体はウエストが締まり、裾の擦り切れたジーンズにサンダル履きの足が長く伸びていた。黒髪の白人で、ブルーの瞳、整った顔立ちは、エレナ程ではないが、美少女だと、マユラは思った。もっとも今のマユラに初恋の人であり、追憶の美化が思い切りかかったエレナ以上の美少女は有り得ない。なので、彼の主観での、どちらがどうとかは置いとくとして、人目を惹く涼やかな顔立ちをしていた。カーキ色の半袖Tシャツの胸はやや寂しかったが、そこも含めて、全体的にシャープな印象は、いかにも戦士を志す者らしい。少女は、そのスレンダーな体には不釣り合いなほどの太い木刀を携えていて、五六歩の距離を置いて双方足を止める。

「やあ」

 イリアスが声をかけたので、

「彼女?」

 気安く聞いたが、イリアスの顔を見ていたマユラは、この時、少女の目に、何とも剣吞な光の閃いたのを見逃した。

「違うよ、彼女はレリア」

「レリアさんていうの、素敵な名前だね」

 そつのない社交辞令のつもりだったが、少女レリアには笑みもない。

「レリア、こっちはマユラ。志摩先生の・・・」

「そのマヌケのことなら、聞いているわよ」

 きれいな声が、容赦ない響きだ。

「マヌケじゃなくて、マユラだけど」

 マユラは怒るよりも面食らった顔で、一応訂正を入れておく。

「レリアは志摩先生の弟子、キミの先輩なんだよ」

「そうなの、よろしく」

 手を差し出すマユラだったが、

「うぎゃ」

 強烈な衝撃に右手を引っ込め、腫れあがりそうな甲に息を吹きかける。レリアの木刀が、ビシッと打ったのだ。手にさげ持った木刀の、柄の部分での、恐ろしく速い一撃だった。

「痛いな、なにするんだよ」

「後輩が握手だなんてありえんわ。よろしくお願いしますと、頭を下げるべきだろうが」

「だからって打つことないじゃん。骨が折れてたらどうするんだよ」

「あの程度で折れるヤワな手なら。切って捨てて、代わりに孫の手でもくくりつけときな」

「無茶苦茶言うぜ」

 手の痛みに顔をしかめながらも、レリアの言い草にたまげるマユラだった。

「聞いたわよ。アンタ、朝食の時間もとっくに過ぎた頃に起き出して、食堂に行ってオムライス作ってもらったそうじゃないの。まったく、甘ったれたことしてくれるよね」

「ロレンス団長が、頼んでくれたんだよ」

「どうせ腹が減ったとか、団長に言ったんでしょう」

「言ってねーし」

 レリアの憎まれ口に、ため口で返したマユラだったが、瞬時に彼女の木刀が風を唸らせて奔り、一瞬後、堅そうな樫の切っ先がマユラの眼前にあった。手元も霞む打ち込みは、マユラの顔にあと一センチのところで止まっていて、コイツを食らってたらどうなっていたことか、さすがにマユラも息を吞むしかない。

「先輩への口の利き方に気をつけな。女だからってなめてかかると、次は止まんないよ」

「わ、わかりましたよ」

 フン、レリアは鼻を鳴らして木刀を引いた。

「マユラくんは来たばかりなんだ。最初から、そうきつく当たるなよ」

 イリアスが見かねて口を出す。

「これはウチの一門の問題よ、部外者は黙っててよ」

「あの・・」

 また木刀が飛んできたらたまらないと、マユラは遠慮がちに声をかける。

「なに」

「他の先輩方は、どこにおられるのですか」

「そんなもんいないわよ。志摩一門は、師匠と私の二人だけだったから」

「ええっ!」

「なに、先輩が私だけじゃ不服だというの」

「そうじゃないけど、よそのジョブは、けっこういるみたいだったから」

「ウチは少数精鋭主義だったのよ、アンタが来るまではね。志摩先生のおられないときは、私の言葉が先生の言葉よ。それが嫌なら、ケツまくって出ていくことね」

「わかりましたよ」

「そう、じゃあ今日、あなた昼飯ナシね」

「ええ~」

「さっき食べたから、お昼は食べなくてもいいでしょう。で、今からグラウンドを走る。私がいいって言うまでね。ちゃんと見ているから、ちんたら走っていると、ストリームで飛んできて、ケツに木刀お見舞いするわよ。椅子に座るとき痛い思いしたくなかったら、気合入れて走ることね」

「レリア、僕たちこれから、寮長さんのところに行くとこだったけど」

「そんなの後でいいわよ。あなたも自分のことに戻って。かわいい弟弟子のことだもの、姉である私が、しっかり面倒みてやるわよ」

 そのしっかりに、不穏な匂いもないではないが、よそのジョブの修行に立ち入るわけにもいかない。

「じゃあ、またね」

「ありがとう」

 マユラは名残惜しげにイリアスを見送ったが、

「ぼさっとしてないで、さっさと走る」

 すぐにレリアの叱声がとんで、

「やれやれ・・・」

 走り出すマユラだったが、ビシッと、尻への強烈な衝撃に飛び上がった。

「いてぇー なにするんだよ」

 早速にレリアの木刀をもらった。

「ダラダラ走るんじゃない。もっとキビキビ手足動かせよ」

「そんなこと言ったて、尻が痛くて・・・」

 尻をさすり、ぶつぶつ言い返すマユラだったが、二発目をくれかねないレリアの顔に、

「やります、やりますよ」

 尻の痛いのを我慢して走り出した。

「はひ~ふぅ~」

 力のない息を吐いて、へとへとになりながらも走っていたマユラだったが、遂に力尽きて地面に座り込んだ。

「もう走れねぇ」

 長距離走の経験などなく、しかもレリアにケツをしばかれたらかなわんとやみくもに走ったものだから、二十分足らずでバテてしまった。

 たとえ木刀で脅されてももう一歩も動けないと、開き直って大の字に寝転がる。しばらくしてもレリアが来る様子がないので、あの人もオレを見張り続けているほど暇じゃないのかと思い、そのまま寝転んで空を見上げる。無辺の青に滔々と風は流れ、薄雲の片々としてちぎれゆく様を眺めながら、出るのはため息ばかりだった。——たった一人の先輩が、あんなパワハラ女だとは、ツイてないぜ——

 心中ぼやく。と、頭上に人影のさして、レリアかと思い反射的に上体を起こす。しかし、逆光に目をしばたいて見上げると、見知らぬ男だった。

「やあ」

 男は声をかけて、マユラの横に腰を下ろした。三十歳ぐらいの黄色系だった。マユラも父親は黄色系だが、母は白人だった。この男は純粋な黄色系のようだ。もっともマユラの母親は、白人で連想される目鼻立ちくっきりの人ではなかったので、マユラもほぼ黄色系百パーセントな顔だった。

「志摩さんの新しい弟子だね」

 男は肩までの長髪で、額にバンダナを巻いていた。日焼けした浅黒い肌。人懐っこそうな黒い目に、口元もどこか気安げだ。白人系の彫の深い美男子ではないが、さっぱりした風貌の好男子であった。

「マユラです」

 マユラは、男の人懐っこそうな表情につられて名乗った。

「あなたもシリウスの人ですか」

「もちろんさ」

「ジョブは?」

「当ててみな」

 男は、上は迷彩柄のTシャツ、下は黒のジーンズにつっかけ履きで、トートバッグを肩に掛けているが、腰に剣帯もなく、剣などは身につけていない。痩せてはいたが、筋肉のつくべきところについた戦士の体で、志摩を少し細くした感じだった。

「フェンサー」

「違う」

「ランサー」

「違う」

「シールドソード」

「違う」

「もしかして、サムライ」

「違うが、多少近い」

 男はトートバッグを肩から外して、小さな瓶を取り出した。

「それよりキミ、バテバテの様子じゃないか」

「とにかく自分がよしと言うまで走れと、レリア先輩の命令で、もうバテバテのへとへとですよ。おまけに昼飯抜きとか、ひどすぎると思いません。女なのに、優しさのかけらもありゃしないのだから」

「女は優しいもんだって、誰が決めた。そんなのは幻想に過ぎん。それにアイツは、アレでなかなか苦労人だ」

「そうなんですか」

「それはともかく、バテたときにはコイツだ。スタミナもりもり、一食抜いたぐらいどうってことない」

 男が瓶の蓋を取ると、独特の匂いがした。

「なんですか、ソレ」

「いいから食ってみろ」

 箸を渡される。

「使えんのか」

「使えますよ」

 マユラはちょっとぎこちないながらも、瓶の中の物を箸でつまんで、左手の手のひらにのせた。赤い、こってりした汁のたれる漬物だった。口に入れると、

「ひー 辛い」

 辛そうな顔で、シャキシャキ漬物を咀嚼するマユラに、トートバッグから水筒を取り出した男は、コップにもなる底の深い水筒の蓋に、水を注いで渡した。

 マユラは水を飲んで、燃えるような喉を冷ました。

「ひー辛いっすね」

 だが、水を飲んで喉が人心地つくと、また食べたくなった。

「もうちょっと、いただいていいですか」

「遠慮はいらん、全部食べていいぞ」

 マユラは舌にピリッとくる辛い漬物を、熱い息を吐きながら食べた。

「辛いけど美味いなあ。コレ、なんて食べ物です」

「キミはキムチも知らんのかね」

「キムチですか」

「そして俺は、カン・ネリだ。カンは苗字、ネリは名前だ。だがみんなカンネリと呼んでいるから、カンネリでもいいぜ」

「カンネリさん、ん」

 聞き覚えのある名前だった。確か、チームの面々からボロクソに言われてたのが、そんな名だったような・・・

「俺のこと、聞いているみたいだな」

 マユラの表情を読んで、カンネリは探りを入れる。

「どうせろくな噂してなかっただろう」

「いえ、そんな・・・」

「ごまかさなくてもいいぜ。俺が連中に快く思われていないのは、先刻承知よ」

「どうしてですか」

「そりゃあ、俺が仕事は出来るし、女にゃモテるはでよ、そうゆう男はあちらこちらやっかまれるのよ。万年モブのファズやダオあたりには、面白くないこと、この上なしだろうぜ」

 話しを聞きながら、この人も背負ってるねとマユラは思った。

「もっとも、キミの師匠の志摩は女に興味もない朴念仁だから、俺とはウマが合った。一度、組んで仕事をしたことがあったが、互いに、腕に信頼を置ける者同士、悪くはなかったぜ」

 自慢とも取れそうなカンネリの話だが、キムチを食べながら聞いていて、確かにこの人は強そうだと、マユラは思った。どこでそう感じたのかは分からないが、年下相手に吹いてるだけの人には思えなかった。

「ところでマユラくん、その名前から察するに、キミはフジヤマの人だね」

「フジヤマって」

「キミらの民族の名だよ」

「ウチらはヤマト族って、父さんから聞いたけど」

「オレらはフジヤマと呼んでいるのさ。なぜかと言うと、キミの民族の連中ときたら。あちこちの山に、やたらナントカフジと付けるからさ」

「フジって何です」

「さあ、知らんがね。とにかくだ、シュラト山脈のアムル山には、諸山を従える風があるので将軍フジとか、イスファーン州のハマーン山には、山容妙て優れたる趣があるので、妙宝フジとかさ、イマイチなネーミングで悦に入って、拝んだりしてやんの。まったく、はた迷惑なこったぜ」

 それまで民族のこととか、考えたことのないマユラだったが、カンネリの言い方には、何かカチンとくるものがあって、

「それじゃ、あなたはキムチ族ですか」

 と返した。

「そんなわけなかろう。いいか、俺たちはソウル族だ。ソウル、わかるよな、ここだ」

 カンネリは、力強く己の胸を叩いた。

「ソウル(魂)って言葉は、俺たちの先祖からきているんだぜ」

「・・・」

「あ、疑っているな。源地球にいたとき、俺たちのご先祖は、何をするにも魂の入った仕事をしたのさ。それで世界の人々は、俺たちの民族の名を、精神の精髄を意味する言葉にしたんだ」

「そんなの初耳だけど」

「そりゃ、おまえが知らないだけさ。みんな知っている」

「みんなって」

「俺たちソウル族は、みんな知っているのさ」

 思わず、そりゃあ、アンタらだけじゃないのと、ツッコミそうになるのを何とかこらえた。

「そういうわけで、俺たちのご先祖は、源地球ではブイブイいわせてたみたいだぜ。まあ、フジヤマさんは大したことなかったみたいだけど」

「いや、ウチらのご先祖って、かなり凄かったって親父から聞いたけど」

「フン、自分のルーツを悪く言うヤツはいないさ」

 カンネリは舌先であしらう。

「それにおまえたちの先祖は、俺たちの先祖にずいぶんとひどいことをしたんだぜ」

 カンネリは、借用書を広げでもするようなあんばいだ。

「ひどいことってどんな」

「そいつは俺も知らん。なにせ遠い昔のことだ」

「知らないのなら、根に持つことないじゃないですか」

「そうはいかん。民族の恨みは、たとえ五千年経っても無にできない」

「いやいや、源地球でのことなら、たとえじゃなくて、リアルで一万年ぐらい経ってんじゃないの」

「一億年経っても忘れんのだ」

 と、カンネリ。

「けど、ブイブイいわせてたご先祖なら、やられたらすぐに、仕返ししてそうなもんだけど」

「ご先祖は優しい人々だったから、フジヤマさんの狼藉も許してやったのさ」

「いっぺん許したのなら、その時でチャラでしょ」

「そういう紋切り型であつかましいところが、フジヤマ流だと、祖父さんは言ってたぜ」

 にしても、一万年は引っ張り過ぎだろうと、思うマユラだった。

「だが、遠い世界で、大昔にあったことを、ここで俺たちが言い合っても、意味ないよな」

「そうですね」

 二人は白け気味に笑った。

「じゃあ、大昔のことではなく、最近のことで一つ聞きたいのだが」

「なんです」

 マユラはキムチをつまんで、シャキシャキ食べながら応じる。

「グレッグのことさ」

 んぐっ、キムチをのどに詰まらせそうになった。

「おいおい、俺のキムチが美味いからって、あわてて食うことはないぜ」

 カンネリは、コップ代わりの蓋に水筒の水を注いでやり、マユラはゴクゴク喉を鳴らして流しこんだ。

「ありがとう」

「いいってことよ。それでグレッグはどうなった。死んだか」

「話してはいけないことになっています」

 チームのメンバーであったグレッグは、忌まわしいイケニエの儀式を経て、ヴァルカンになってしまったのである。ヴァルカン堕ちを出すことは、チームはもとより、レギオンにとっても不名誉なことであり、人に話してはいけないと言われていたのだ。

「それは、部外者には漏らしてはいけないってことさ。俺は志摩と同格のチームリーダー、つまりはシリウスの幹部なんだぜ。おまえが知っている程度のことは、俺も知っているべきだろうが」

「だったら志摩先生に直接聞いてください。僕は言いつけに背くわけにはゆかないので」

「そうゆう融通の利かないところがフジヤ・」

「なにしてるの」

 鋭い声を放ち、足早に来たのはレリアだった。

「目を離すとすぐにサボるんだから」

 地面に腰を下ろしたままのマユラを、例の木刀片手に𠮟りつける。

「俺が誘ったのだ」

「カン先生、失礼しました」

 レリアは、上位者への一礼をした。

「斜に構えなくてもいいさ。他のマスター連中と違って、礼儀などにやかましくないのがカンさんよ」

 カンネリは、キムチの瓶に蓋をして、水筒とともにトートバッグにしまって立ち上がる。それに合わせてマユラも立った。

「そんなにツンツンしてたら、美人が台無しだぜ」

「かまいません。顔で刀を使うわけではないので」

「無愛想は相変わらずか。まあいい。おまえにも、やっと弟弟子が出来たな」

「欲しいと思ったことはありませんが」

「そういうな。俺の見るところ、筋は良さそうだ。しっかり指導してやってくれ。じゃあなマユラ。頑張れよ、姉さんの言いつけ聞くんだぞ」

「キムチ、ごちそうさまでした」

「こんなので良けりゃ、いつでもごちそうしてやるぜ」

 カンネリは歩き出し、マユラは見送った。レリアは、しかしカンネリの後ろ姿に向ける彼女の目は、油断のないものであった。

「カンネリさんて、いろいろ噂聞いてたけど、会ってみたらいい人だったね。フジヤマさんて言われるのは、ちょっと気に障るけど」

「アンタ、あの人に目をつけられたわね」

 レリアは、冷たげに弟弟子を一瞥した。

「気をつけなさいな。あの人には志摩先生も、気を許しちゃいないのだから」

「どうして、同じシリウスの仲間でしょう」

「ここにだって、見えないところで絡みあってるものがあるのよ」

「・・・」

 意味深なレリアの言葉に、意味を計りかねるマユラだったが、

「そんなことより、あんたはさっさと走りな」

 鞭を入れるようなレリアの声に、マユラは再び走りだした。

「あの、いきなり叩くのナシ、うぎぁ」

 走りながら後ろ向きつつ、話しかけたマユラだったが、レリアの木刀に尻をしばかれる。

「だから、いきなり叩くのナシって言おうとしたのに、痛いなぁ」

「サムライの修行にゃナシもリンゴないんだよ。ケツがスイカみたいになりたくなけりゃ、気合い入れて走るんだね」

「もーっ」

 憤懣を言葉にならない声に吐いて走りながら、

——オレが気をつけなきゃならないのは、カンネリさんじゃなくてアンタの方だ——

後ろを走るレリアに、内心毒づくのであった。



 

 





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