第14話 盗賊

 とりあえず川の匂いを辿り、大きな川を発見したシンは、衣服も脱がずに川に飛び込んだ。

 ブクブクと頭まで沈みこみ、沸騰しそうな身体をなんとか静める。


 人間で三十五歳といえば酸いも甘いも噛み締めたいいおっさんだが、シンの中身は見た目通り十五歳くらいの青少年のもので、女性の口からなんて言葉を聞くだけで、身体のどことは言わないが、血液が集中的に一ヶ所に集まって爆発しそうな程熱くなる。

 まだ恋愛すら理解していないシンにとって、サシャの存在はまさに最大魔法を連打されたくらいの衝撃であった。


「シン君、大丈夫? 」


 ユタが心配そうに川の中に潜るシンに声をかけた。


「だ……大丈夫。何だろう、一瞬で頭が沸騰したみたいになって……」

「シン君、鼻血! 」


 シンの鼻から一筋の血が流れ、慌ててシンは水に鼻まで浸かる。

 シンの血を見て、ユタに変化が起こるんじゃないかと慌てたが、ユタはただ心配そうにしているだけで、特に獣化することもなかった。


「あは、大丈夫だよ。俺、獣人なのに人の血のアレルギーなんだ。俺だけは、人の血の匂いを嗅いでも獣化しないし、魅力的とも思わないんだ。獣人として落ちこぼれだって、仲間達にはバカにされてるけど」

「そうなんですか? 」


 獣人の中で生活するには、それはマイナスなのかもしれない。人間にしたらそんな獣人だらけになってほしいところだろうが。


 出血も止まって川から顔を出すと、ユタは情けなさそうに気弱な笑みを浮かべていた。


「赤い月が昇った夜は、俺だって獣化するし、気分が高揚もするけど、だからって人を食いたいって思わないんだ。獣人としては、致命的な欠陥だって」

「そんなこと……。だって、獣人だって基本的には人間を食べたくない筈ですよね? 父親は、母親を襲いたくなんかなかった筈です」

「え? 」

「僕の父親も獣人で、人間の母親を食ったんです」

「うちと同じ? 」

「そう。僕も食われかけて、エルザに助けられたんです」


 それから今までのことを淡々と話した。ユタは驚いた様子でシンを黙って見つめていた。


「そう……、きっと俺達みたいな境遇の子供は珍しくないのかもしれないね。まあ、シン君みたいに人間から獣人に変わった例は聞いたことないけど」

「ああ、でもそれも聞いたことないだけで、実はいるのかもしれない。僕は本だけの知識で、世の中を知らないから」

「それは俺もだ。この里から出たことないし、うちら猿系獣人以外と話したのは実はシン君達が初めてなんだよ」

「そうなんですか? 」

「うん。獣人の中には、人間達の社会に入って仕事をしたりして生活する人もいるけど、そういうのは里を持たないハグレが多いんだ。うちらみたいにそこそこ人数もいれば、うちらだけでも生活は成り立つ。まあ、それでも生活に必要な物を仕入れたりするのに、人間と接触する必要はあるけど、それは里長の仕事だから、うちらみたいな子供は人間どころか他の獣人にだって接触することはないんだよ」

「へえ……」


 シンは、人間の社会のことも獣人の社会のことも、よく知らないんだと痛感する。

 本を読んで難しい知識だけあっても、日常生活にはほとんど役にたたない。例えばどうやって品物を手に入れるか、物を手に入れるには物々交換の他に金銭が必要で、色んな形、色の違いでその価値が違うこと。金銭の手に入れ方。何もかも始めてのことだった。

 枝屋の枝の編み方だって、ヤタラのやっているのを見て知った。もちろん、実物があればどうやって編んでいるのか調べて修得することは可能だが、何も知らずに作ってみろと言われたらできないだろう。


「見聞を広める……か」

「何それ? 」

「この旅の目的です。エルザが、見聞を広めるためには旅に出るのもいいと言っていたので。僕は、本当に何も知らないから」

「それは俺もだ」


 二人顔を見合わせて、何となく笑顔になる。しかし、すぐにシンの表情が固くなり、ユタにシッと指を口に当てて見せた。そして側にあった木を指差し、猿系獣人も舌をまく速さと静かさで登った。ユタもすぐに後に続く。


「どうしたの? 」

「シッ! 」


 緊張した面持ちのシンに、ユタは黙ってシンの見ている方向へ目を向けた。


 しばらくすると、人間と思われる五人ばかりの大柄の男達と、フードをかぶった小柄な男性だか女性だかわからない人物が現れた。男達はみな腰に大振りの剣を下げており、木を切ったり茂みをわけ入ったりする為の物とは思えなかった。


 男達は明らかに回りを警戒しているようで、その風貌からも一般の村人には見えなかった。わざと泥と獣の糞で身体を汚し、人間臭さを隠そうとしており、木や葉の絞り汁で顔や身体に迷彩の化粧を施して、木々に紛れようとしていた。

 動物を狩る狩人がああいう格好をするようだが、持っている獲物が違いすぎる。狩人はだいたい弓矢を愛用するが、あの剣からは獣を切った匂いはしない。


「あいつらは? 」

「盗賊でしょうか? 」


 シンとユタは二人にしか聞こえないくらいの小さな声で喋った。その下で男達は立ち止まり会話を始める。


「なあ、こんなんで本当に獣人が引っかかるのかよ? 」

「私の言うことに間違いがありましたか? 」

「だってよ、こんな臭い格好、いかにもわざとらしいっつうか。しかも、餌があれだしな」


 男達は口元に布をまいていたが、どうやらそれは自分達が発する獣臭( 糞 )をブロックする目的らしく、布の上からさらに手で鼻を摘まみ、くせーくせー騒いでいる。


 男達が引きずってきた檻のような物の中に、何かもぞもぞと動く物体が入っており、どうやらそれが彼等の言う獣人を誘き出す餌らしかった。


「あれって……? 」


 獣人は大抵視力も良い。しかし、檻は上からだと中身がわずかにしか見えず、何かいるとわかる程度だ。檻に入っているから、何かしらの獣だろうか?檻は小さいから小動物か?


「指でもちょん切るか? 血が流れれば、獣人達が殺到するんじゃねぇのか? 」

「全く、あなた達は短絡的過ぎる。殺到されたら、困るのはあなた達でしょう。一対一で敵う相手じゃないんだから。一人を誘き出せればいいんですよ。この川は、獣人が生活用水に使っています。一人きたところでこいつを使うんです」


 フードをかぶった人物のみ、普通の格好をしていた。声音から女のようにも、声変わりしていない少年のようにも思われた。その人物からは生きている物体の臭いが全くせず、しかも気配すらなく全くの無音。まるで彼(彼女)の回りに全てをシャットアウトする防音の壁があるかのようだった。


「こんなチビザルで釣れるんすかね」

「まあ別に、あなた達の誰かが替わりに囮になってもいいんですよ」

「そいつはごめんだ」


 下品は笑い声がし、男達はフードの人物に窘められていた。


「あいつら盗賊だ! アイミを拐った奴等かもしれない」

「駄目です。様子を見ましょう」


 今にも飛び降りようとするユタをなだめ、シンはフードの人物から目が離せなかった。

 盗賊達だけならシン一人でもどうとでもできそうだった。しかし、あの人物……あの人物だけは得体がしれないというか、人間ではあり得ない。かといって獣人でもなさそうで……。


 そこへ、サシャが鼻歌を歌いながらやってきた。シン達を探しにきたのか、特に警戒した様子もなくお気楽に歩いている。


「よっしゃ! ビンゴだ! 若い獣人の女だ」

「いや、まて、あれはこの辺りを根城にしている猿系じゃ……」

「何だっていいんだよ! 女だ女!」


 フードの人物の制止を無視し、男達は檻の中から何者かを取り出し、勢いよく川の真ん中に投げ入れた。

 その川に落ちる音と、溺れて泣き叫ぶ声に、サシャは川へ目を向けた。


 川へ投げられたのは人間の子供だった。


「何だってこんなとこに人間が?……ったく、しゃあないか。あんた、今行くから騒ぐんじゃないよ」


 サシャはしゃあないかと言いつつ、行動は機敏で迷いなく川に飛び込んだ。

 真ん中辺りでバシャバシャしていた子供が沈み、慌ててサシャも潜って子供に手を伸ばす。


 その様子を木の上から見ていたシンは、多少サシャを見直した。口が悪く、攻撃的なサシャが人間の子供を助けようとするとは思わなかったのだ。かなり流れが早く、深さもある川だからだろうか、しばらくたってもサシャは浮かんでこない。さすがに呼吸が心配になる頃、川の真ん中に子供の頭が上がった。しかし、それを支えているのはサシャではなく、さっきの盗賊の一人ではないか。反対側の岸に、男達が続いて上がっていく。その一人の肩に、グッタリとしたサシャが抱えられていた。


「あいつら何で?! 」


 子供が川に投げられた衝撃に、つい視線をそっちに向けてしまい、男達を見失っていた。


「あいつら、何か口にくわえてる」

「ユタ、エルザに知らせてください。僕はあいつらを追います」

「俺も! 」

「あのフードの人物、あれは僕ではかないません。エルザを呼んできてください」


 シンの丁寧だが有無を言わさない口調に、ユタは無言で里のある方向へ木から木へ飛び移っていった。それを見ると同時に、シンも音もなく素早く木を下り、水音をたてずに川に飛び込む。潜水で向こう岸まで泳ぎ、男達よりも風下の少し離れたところに顔を出した。


「いやあ、あんたがくれたこの魔道具、本当に空気がでてくんだな。いつまでも潜っていられそうだよ」

「水の中なら獣人も力を十分に発揮できないしな、数人がかりなら溺れさせて気絶させることなんかわけねえや」

「おまえ、どさくさに紛れて色々触りまくってたろ」

「おまえこそ、しがみついて水底に引っ張り込んでた時、尻に顔を埋めていたじゃねぇか」

「おいおい、後でいくらだって楽しめるんだ。今は騒いでねぇでこの獣人娘を縛り上げろ。意識が戻ったら事だぞ」


 多分盗賊達の親分だろうか? 一番ガタイが良く、顔中傷だらけの男が一喝すると、他の男達が慌てたように岩陰に隠しておいた縄を持ってきてサシャをグルグル巻きにした。

 それをジッと見ていたフードの人物は、わずかにシンのいる方へ顔を向けたように思われたが、何かしらの行動を起こすことなく、すぐに男達へ向き直った。


「では、私の足跡をたどってついてきてくださいよ。違うところを踏むと、足跡が残りますからね」


 フードの人物を先頭に、盗賊達は一列になって歩き出した。

 彼(彼女)の歩いた後は金色に輝き、男達が通りすぎた後には消えた。その光の足跡は、消えた後には何も変わらず、踏み砕かれた筈の落ち葉も形を変えることなくそのままに、まるで何者も通らなかったようだった。


 シンは男達が山に消えるのを見守ると、川から上がって男達の後を追いかけた。わざと足跡を残しつつ、木々に印をつけながら歩いた。

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