7 悪魔の色気

 捕まえた全ての住民をトラックに積み込んだ後、僕たちは8係の車に乗り込んだ。


「本部まで意外と距離あんだな〜」


 助手席で言ったのは東さん。今から本部に行くのだろうか。僕は、隣に座っている白鳥さんに尋ねた。


「総務署に行くんですか?」


「護送トラックは、俺たちが見送る事になっている。トラックの最後尾から、本部まで尾行すれば終わりだ」


 行きは吉野さんが、帰りは僕たちが見届ける。ということは、完全に運転手が不在、という訳ではないようだ。

 住民を乗せたトラックは自動で走り出したので、車で後を追った。

 総務署に送られた後の人間は、幸せになれるのだろうか。発進してから数分後、突然僕の頭に疑問が浮かんだ。どうして疑問に思ったのか分からない。今日は少し、疲れてしまったみたいだ。



 = = = = = =



陽夜はるやちゃん、今日の姿はとても勇敢だったわ」


 総務署にトラックを無事送り届けた後、8係の部署に戻ってきた僕たち。自分のデスクに戻って帰る準備をしていると、ちょいちょい、と吉野さんに手招きをされたのだった。

 ありがとうございます、と一言感謝を述べると、モニターを見ていた吉野さんがこちらを見て、軽くウィンクをしてきた。突然のお色気攻撃で、僕が反応に困っていると、シャワー室に向かおうとしていた白鳥さんが、口を開いた。


「小月は、確実に成長している。このまま伸び続けてくれれば良いのだが」


 このまま伸び続けてくれれば、か。もう以前の僕とは違うんだ。絶対に成長して、この世界の平和を保ってやる。


「陽夜、今度は俺とお前で前衛行こうな! ボッコボコにやっちまおうぜ!!」


 白鳥さんと入れ替わりでこちらに来たのが、東さん。すると、吉野さんは途端に嫌な顔をして、深いため息を吐き始めた。


「なによ。陽夜ちゃんを手懐けようと思っていたのに」


 手懐けようと思っていた? ……はぁ。今日の巡回も相まってなのか、吉野さんの発言で過剰に疲れてしまった……。


「お前なぁ、俺という男がいながら何をほざいてやがる……」


 東さんの迫真の演技が始まる。なんだかんだ言って、仲のいい二人である。

 吉野さんはというと、この東さんの発言を聞いて、静かに動き始めていたのだった。


「あちぃ! あちぃって! や、やめてくれ!!」


 吉野さんは、湯気のたっているコーヒーを、ニヤニヤしながら東さんの靴にかけていた。それを近くで見てしまった僕は、次第に鳥肌を立てが立ってしまっいった。


「あら、ごめんなさい。手が滑ったわ」


 長髪を耳にかけながら、東さんに言った。


「くっそ、これじゃあ靴がダメになっちまうよ……。ったく、どうしてくれるんだ、はおりん」


 最後の四文字が、余計であった。これが新たな引き金となって、更なる恐怖を呼ぶことになるのを、東さんだって簡単に想像出来ただろう。なのに、なぜするんだ……。


「い、痛い痛い!! でもこれ、悪くないかも……あぁ、前言撤回だ! やっぱ痛ぇ!」


 吉野さんは履いていたハイヒールのヒール部分で、さきほどコーヒーをかけた方の足をグリグリと踏みつけていた。今にも貫通してしまいそうなくらい、めり込んでいる。東さん、この日のために筋トレしてるのかな。もしそうだとしたら、とことんバカだこの人。


「このまま骨をへし折ろうかしら? それでも悪くないって言えるのよね?」


 悪魔であり、色気があるお姉さん。まさか、こんな人が実在するとは。

 このやりとりを遠くで見ていたリーダーは、笑顔のままこちらに近づいてきた。なので、僕は仕方なく止めに入ることにした。


「しゃ、シャワー空きましたよ東さん。僕は後でいいので、先にどうぞ」


 そう言うと、吉野さんは舌をぺろり、と唇を潤して、


「早く入ってきなさい。足、汚れているわよ?」


 と、また火に油を注いだのだった。場を収めるために言ったはずが、吉野さんにまんまと利用されてしまった。


「……ったく、誰のせいで汚れたと思ってんだよ。仕方ねぇ、足がコーヒー臭くなるのもゴメンだ。陽夜、すまねぇけど先に使わせてもらうぜ。それと、はおりん。俺がシャワーから上がるまで、絶対帰んなよ。続きやってやらぁ!!」


 東さんが話している途中で、吉野さんはデスクトップに繋がったヘッドセットを着けてしまったので、多分最後まで聞いていないだろう。いや、それが正解なのだ……。


 東さんがシャワー室に向かったあと、再び僕は吉野さんに呼び出されていた。


「陽夜ちゃん。やっと二人の時間がやって来たわね」


 ワイシャツのボタンを上から、一つ、また一つと開けながら言う吉野さん。


「ちょ、ちょっと待ってください! 音門巡回官だっているんです! しかもここは、職場です! そういうことは────」


「やぁね、冗談よ。暑いから上のボタンを外しただけなのに、こんなに興奮するだなんてね。ほんと、陽夜ちゃんはかわいいんだから」


 この人は一体、これまでの人生に何が関係してこうなったのだろうか。気になるような、気にならないような……。


「今日はよくやったわ。倒れなかったじゃない」


 これまで同行した巡回は三回で、そのうち二回とも気絶している。最初は血で、二回目は……どうして倒れたんだ。まるで思い出せない。確かに気絶した記憶はあるのだが、どのような理由で倒れたのか、微塵も思い出せなかった。


「どうしたの? 褒めてあげてるんだから、そんな深刻な顔しないで喜びなさいよ」


「は、はい! 吉野さん、ありがとうございます」


 どうやら、考え事をしていたことがバレていたらしい。さすが8係のお姉さん。鋭い目をお持ちのようだ。


「この調子で頑張るのよ、陽夜ちゃん。あなたなら、もっと強くなれるわ」


 と、先ほど開けたボタンを閉めながら言う。本当に暑かったから開けたのか、それとも僕をからかうために開けたのか、一体どっちなのかは分からない。でも、一つだけ言えることがある。別にどっちでもいい、と。


「この調子で、これからも頑張ります」


 僕が覚悟を決めた表情で言うと、吉野さんはよし、と一言返してくれたのだった。


「あ、そうそう。かなむーはあんな感じだけど、安心して頼るといいわ。あぁ見えても、やるときはやる男よ」


 予想外にも、吉野さんは東さんを評価した吉野さん。僕が驚いた表情でいると、吉野さんは、


「巡回の時だけよ。それ以外は、頼るなんて言語道断。近寄るのもゴメンだわ」


 生ゴミを見るかの眼差しで言い放った。もしこの場に東さんがいたら、もうとっくに止められない状況になっていたことだろう……。


「これからも頑張るのよ、陽夜ちゃん」


「はい!」


 先輩から応援された僕は、シャワーを家まで我慢することにして、仕事場を後にしたのだった。



 = = = = = =



 明日の準備を終えて、ようやく寝に就こうと思っていた午前十二時。しかしそれは、鳴り響く着信音によって阻まれたのであった。

 スマートフォンを見て着信相手を確認すると、そこに表示されていたのは音門巡回官であった。僕は布団から飛び出して、急いで応答した。


「お疲れ様です、小月です」


『今すぐ署に来い、緊急事態だ』


 電話でも沈黙を突き通されたらどうしよう、と少し身構えていた。しかし音門巡回官はいつになく焦り気味な声で、簡潔にそう告げていた。


「分かりました、すぐに行きます」


 後輩としての僕に了解する以外の答えは無い。なので、一杯の水を飲んで眠気を取っ払ってから、素早く準備をした。果たして、緊急事態とはなんだろうか。聞き返す間も与えてくれずに、すでに電話は切られていた。


 いつもは公共機関を使用して8係の部署まで行き来しているのだが、さすがに夜は動いていないのでタクシーを手配して向かったのであった。

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