第9話 クーデター
俺は談話室を離れ、アリスに今までの状況を伝えた後、マーレットの助言どおり裏庭を抜けて北の丘を目指した。アリスから聞いた話よれば北の丘にはウィルダート家の墓石があるらしい。
夜も更けているため、俺はランタンを片手に裏庭を抜けていく。
「うぅ……寒くなってきたな。早いところエミリーを探し出さないとお互い、風邪を引いちまう」
そんな独り言を言っていると遂に裏庭の門が見えた。その門は開け放たれたままで明らかにここをエミリーが通ったのは間違いないようだ。裏庭から抜けると月の光が俺を照らし、さらに冷たい夜風が吹き付けてくる。それにどこか磯の香りが漂っている。
「海でもあるのか……?」
丘を登りながら耳を澄ませば岸壁に叩きつけられる穏やかな波の音が聞こえ、より一層、肌寒い夜風が吹き抜ける。丘の頂上にたどり着くと墓石の前に立ち尽くしているエミリーが居た。一瞬、振り返る動作を見せたが、エミリーの視線は墓石を見続けていた。
「てっきり、アリスが来るかと思ってたのに……」
「俺で悪かったな。とりあえず、屋敷に戻ろう。こんなところに居たら風邪を引いちまう」
エミリーは何も答えず、しばらく時が流れた。俺はそんな様子のエミリーを見て、ただジッとエミリーが動き出すのを待った。なぜなら、墓石の前まで足を運んだエミリーの意志を尊重すべきだと思ったからだ。
俺も苦しいことがあった時はよく墓参りに行っていたからその感覚が何となくわかる。確かにここで「大変なことになったな」とか、「何とかなるさ!」みたいな薄っぺらい言葉を掛けられないわけじゃない。しかし、そんな励ましの言葉をエミリーが求めているとは思えないし、傷を抉る結果になりかねない。
ましてや、俺はエミリーがどんな人生を送ってきたのか、あまりにも知らなさ過ぎる。だからこそ、俺はひたすら見守ることに徹した。
「何も聞かないのね?」
「ああ……今は何も話すべきじゃないし、聞かないほうがいいかなって思ってさ」
「そう……その、ありがとう」
エミリーは腕で顔を
振り返った顔は赤みは残っているものの、その目には涙はなかった。
「……何というか私、凄く見っとも無いわね? さぁ、戻りましょう」
エミリーはパンパンと自分の顔を叩き、俺にそう促した。結局、俺とエミリーは、屋敷へ向かう間、何も言葉を交わす事はなかった。その静寂はただただ重く、堅苦しいものだった。
屋敷に戻ったエミリーは『今は一人にして欲しい』と言い残し、執務室に篭った。
時折、心配したアリスが紅茶を出しに行ったものの「そこに置いて行って」の一点張りだったそうだ。
「エミリー様は、何かすごく悩んでいるような感じでした……」
「恐らく、自分のことだけじゃなく、俺やアリスのことだって考えているのかもしれないな。まぁ、それでも今はそっとしておいてやるのが一番だと思う」
「ええ。そうですね……」
俺とアリスもエミリーがあんな状態じゃ、気分が落ち込むばかりだ。どうしたものかと気に病んでいた時、キィィと扉が開く音が聞こえ、振り返るとそこには元気なく笑うエミリーの姿があった。
「どうしたのよ? 二人ともそんな湿気た顔をして」
「あっ……! エミリー様! まだお部屋で休まれていた方が……」
「アリス。そんなに心配することなんてないわ。その……ただ、駄々をこねていただけだから。それよりもアリス? 私、お腹が空いたから何か用意してくれる?」
「……は、はい!」
「焦らなくてもいいからおいしいのをお願いね?」
「かしこまりました!」
エミリーの言葉にみちがえるように元気になったアリスは急いで部屋を後にした。
だが、俺はこの時点でエミリーの視線がこちらを向いていることに気付いていた。
「で……エミリー。俺に何か話があるんだろ?」
「ご名答。今回の一件について話しておこうと思って……」
「マーレットが言っていた“クーデターの件”か?」
俺がそう問うとエミリーはコクリとうなずいた。
「今回の一件。つまり、レボネスの構成員が中心となって引き起した軍内部のクーデター。それはマーレットが言っていた通り、三ヶ月前に私が推薦して軍に登用した魔術師だったの。もちろん、適正な審査を受けた上でのチェックだったし、なんら問題が無かったのよ。それなのにその男は軍部の施設を数箇所、爆破したの」
「……ってことは、短期間でレボネスの構成員になっちまったというわけか」
「ええ。それにその一報を受けたとき私は、盗賊の根城が分かったとの情報を受けてその制圧に向かっていたの。その事もあって私が真っ先に疑われるはめになったと言うわけ」
エミリーは扉脇にある柱に体重を預け、下を向きながらそう語った。
でも、それだけでは証拠は無く、エミリーがレボネスに加担したなどとは言えないはずだ。それなのになぜ、首謀者だと疑われたのか理由が分からない。
だが、俺はそこですぐに気付いた。……というか、思い出したのだ。
そもそも、マーレットがエミリーを解任したのも『庇いきれなくなったこと』が原因だ。つまり、内部からそういう声が上がったということになる。
「……ってことは」
「ふぅ……大方、気付いているとは思うけど『反乱を率いたのはエミリーだ』とでも扇動した奴が居たのよ」
「いや、でも……領主であるマーレットが軍トップのエミリーをこんな風に失脚させるなんていくらなんでも――」
「馬鹿ね。マーレットは私がレボネスに加担したなんて思っている訳がないわ。でも、私を強く庇おうとすればマーレット自身が失脚させられかねない。だから今日の内示は実質、私を守る策にしか過ぎないわ」
そして、エミリーはため息を付きながら一呼吸、置いた。
「……ここからは私の偏見と推測だけど、領土を取り仕切る評議会の誰かが賄賂でもバラ撒いて私の失脚に賛同するよう仕向けた。最近は地盤を固めるなんて余裕がなかったし、三か月前の件もある。この状況を作り出すことは簡単だったはず」
「……でも、そんな謀反みたいなこと、できるものなのか?」
「……できていなかったらこうはなってないわ。それに、それが政治というものよ」
俺の顔を見ながら酷く冷静にエミリーはそう答えたのだった。
そして、俺を正面に見据えて重い口調で語り始めた。
「響……現状、アリシア領の軍事長官じゃなくなった私にはもう何の力も無いわ。だから、もうあなたとの交換条件もチャラにしてもいいと思ってる……」
「つまり、俺に出て行け……と?」
「端的に言えばそうなるわね。もちろん、アリスにも出て行ってもらうわ。でもね、誤解しないで。これはあなたたちのためになるの」
「俺たちのため?」
「そうよ、明日になれば私の失脚の話で持ちきりになるはずよ。私と一緒に居れば裏切り者の、犯罪組織の一員として見られてしまうことになるわ。だから、そうなる前にここを出て行って欲しいの」
「でも、エミリーはどうするんだ?」
「わ、私は……どうもしないわ。力も、名誉も全て失ったんだから」
場は静まり返り、重い静寂に包まれた。確かにエミリーの言うようにその決断は正しいのかもしれない。けれど、俺には納得が行かなかった。
「(完全な濡れ衣なのに何もしないで受け入れるなんて、間違ってる)」
俺は怒りを覚えながらエミリーを直視する。
「本当に、何もしない気なのか……?」
「しょうがないじゃない。決まったことはもう覆せない。もう終わった事よ……」
「おいおい……なんだよ、その言い方! じゃあ、なんだ? 今更、あなたたちはかわいそうだから逃げなさいってか? ここまで必死にお前に食らいついてきたのに、ふざけんのもいい加減にしろ!」
「な、何を急に逆切れしてんのよ! 私はあなたのためを思って――!」
「俺がそんなことを望んでるって本気で思ってるのか?」
「そ、そんなの……当たり前じゃない! 私と居たって何のメリットもない……そうでしょ!」
「メリットって……。おまえ、悔しくないのかよ!」
「っ……! 私だって……私だってね! こんな濡れ衣、認めたくなんて無いわよ! でも、どうやったって力も無い私じゃ、疑いを晴らすことなんてできないのよ……!」
エミリーはそう言いながら涙を流す。それはいつも強く前を向いていたエミリーが初めて弱く、そして脆く見えた瞬間だった。流れとはいえ、俺に魔術や剣術を教え、生きる術を教えてくれたエミリーが窮地に陥っている姿を見て、俺は意志を固めた。
「俺は出て行かないぞ。そりゃあ、簡単には疑いは晴らせないとは思う。だけど、濡れ衣を被るなんて間違ってる。それに一回、約束した事はきっちり守ってもらうからな!」
俺がそう言い切ると同時に部屋の扉が開いた。
「エミリー様、わたしだって絶対に出て行きません! 私はいつだってエミリー様を一人にはさせませんから! 誰かが賊と言おうが私はエミリー様を信じています。だから、逃げろなんていわないでください! エミリー様らしくありませんよ!」
アリスもどうやら外で立ち聞きをしていたらしい。
「あなた達、馬鹿でしょ……もう……」
「馬鹿で結構だ」
「ええ! 馬鹿でも結構です!」
エミリーはその場で崩れながら涙を流し続け、そっとアリスが抱きしめたのだった。
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