第7話 魔術の基礎

俺が夕食を取り終わって一時間ほど経った頃、エミリーが部屋に訪れた。


「さて、魔術の勉強やるわよ?」


そう言った後、廊下から俺の自室に可動式の黒板と分厚い本、それからフラスコや試験管のような実験道具が入った箱を運び込んだ。正直、その量を目の当たりをして、つい数時間前の光景が頭を過ぎった。身の危険を感じる。当のエミリーは薄ら笑みを浮かべ、面白そうにこちらを見ている。


「……何も、とって食おうなんて思ってないから安心していいわよ? それに今日の目標は九割方、終わってるの。今からやるのはちょっとした座学とお遊びよ」

「ちょっとした……ねぇ」


エミリーがやるというモノは何でも危険な気がする。ましてや、実験道具みたいなものを持ち込んでいる時点で俺からしてみれば恐怖でしかない。


「まぁ……さっきはちょっとやり過ぎたけどこれは響にとって必要なことなのよ? 私の話について来れなければ魔術学院で学生なんてやっていけないわ。この意味、分かるわよね?」


そう言うエミリーの目は真剣そのものでアクアブルーの瞳は俺を映し続けていた。

要は『これくらいの話について来れなければ魔術学院にも入れず、密約もご破算だ』と言いたいのだろう。詰まる所、これまた拒否権など最初から無いも同然なのだ。


「ああ、わかってる。好きにしてくれ」

「そ……。じゃあ、好きにさせてもらうわ。では響に質問よ。基本的に魔術はどういうモノだと思ってる?」

「随分といきなりな質問だな……ん~そうだな。不思議な力。実際に起こりえないことを実現させる力、またはそれを行使するモノ……かな?」

「具体的にはどういうイメージ?」

「うーん、火がないところで火をおこしてみたり、風がないのに突風を起したりする……みたいな?」


それを聞きながらエミリーは頷きながら、黒板にチョークを走らせていく。


「今、言っていたことをザッとまとめてみたけど、ほぼ言っていることすべてが正解よ。魔術は起こしえないことを起こす。いい例がアリスにかけた治癒魔術ね。本来、あんな銃創ならものの数分で死んでしまうわ。でも、魔術なら『傷も残さず治す』という奇跡が起せてしまう」


そう言いながらさらに黒板にチョークを走らせる。


「つまり、魔術は『奇跡を具現化』させるわけだけど……それに絶対、必要なのが豊かな“想像力”と“強い思い”よ」

「想像力と強い思い?」

「そう、魔術を行使するには魔術がどんな風に発生し、どんな結果が出るのか想像した上でなぜ、その力を振るうのかという思いを込める必要があるの。これは実践した方が早いわね……」


徐(おもむろ)に箱の中から紙と鉄製の皿を出し、テーブルに置いた。


「例えばそうね……昨日、私が空に撃った炎の魔術、『ファイヤー・バースト』は『炎の業火よ・我の答えに応じて・爆ぜて燃え尽くせ』の三節詠唱で唱えれば起動させることができるけど……ここでアレを発動させたら部屋を丸ごと吹き飛ばしてもお釣りが来るほどの威力が出るわ。でも、想像力と思いを込めてきちんとコントロールしてあげれば……」


深呼吸をしてからエミリーは紙に手を伸ばす。


「<炎の業火よ・我の答えに応じて・爆ぜて燃え尽くせ>」


エミリーが言葉を紡ぐと紙の中心にのみ火が灯り、メラメラ燃え始めた。


「まぁ、こんなものね。後はこんなこともできるわよ?」


エミリーはもう一枚、紙を取り出して鉄製の皿に載せて言葉を紡ぐ。


「<燃えよ!>」


今度は三節ではなく、一節で紡がれた言葉で紙が燃え出した。


「すげぇ……こんなこと、俺も出来るのか?」

「ええ、できるわ。一節詠唱はそれなりに練習が必要だろうけど、響ならできるはずよ。響には天性のセンスがあるからね」

「え? 天性のセンス?」

「ええ、コレが証拠よ」


箱から見覚えのある手錠を机の上に置いてエミリーは亀裂を指差す。


「これは昨日、響が壊した手錠だけど普通、こんな綺麗に亀裂がはいることはないの。この手錠には魔術的、物理的防御が付与されている。でも、そんな代物をこんな風に壊せたという事は大量のマナを消費するだけの許容魔力量(キャパシティー)があり、それを魔術として落とし込むだけの思いと想像力があるということなの」

「でも、俺……詠唱とかしてないぞ? ただそれが壊れただけで……」

「詠唱はしていなくても強い思いと想像。そして、この手錠の内側から膨大なマナをぶつけることができる許容魔力量があれば理論上はこんな風に破壊できるの」


そこまで言うとエミリーは箱から大き目の水晶を取り出す。


「一様、魔力を測定するこんな機材もあるんだけど……試しに響、水晶の上に手を載せてみて?」


指示通り、水晶の上に手を載せると水晶は輝きを増していく。

そして、次の瞬間、水晶はパキパキと音を立てて粉々に砕けた。


「まぁ~そうなるわよね……。あの手錠を破ってる時点でこうなる事は目に見えていたけど、ここまで粉々になるなんて……驚きよ」


壊れた水晶の破片をちょこっと持って呆れつつ、その破片を俺に見せた。どうやら魔術的才能があるのは間違いないようだ。しかし、なんでこんな才能が俺にあるのか、些か疑問だった。考えをまわしているとエミリーがパンパンと手を叩く。


「何、ボーッとしてるのよ? いくらセンスはあっても使えなければ意味もないし、使い方を間違えれば自分を危険に晒す諸刃の剣にもなりかねないの。集中して聞いて」

「あ、ああ……悪い悪い」


自分に注意が向いたのを確認してエミリーは再び、話を戻す。


「基本、魔術には適切な詠唱文があるわ。それを学べるのがこのクソ分厚い本よ」


エミリーはテテーブルに置いた分厚い本を指差す。

その本の分厚さからして千ページ近くあるようだ。


「まさか、俺にコレを全部読めと……?」

「そんなことをしたって何の役にも立たないわ。ましてや、コレを全部、入学まで覚えようとしたら悟りを開けちゃうわよ?」

「アハハ……。そりゃ、末恐ろしいこった」


エミリーは本をパラパラと捲(めく)っていきながら、どこか冷めた様子で遠くを見つめる。


「実際にこの本を見れば魔術の詠唱文は三節から十節以上に渡るモノまで多くあることが嫌ってほどわかるはずよ。しかも、節を切り詰めた詠唱文もご丁寧に載ってるわ。だから、ある程度、魔術の心得がある人間なら誰でも魔術を行使できる。でもね……」


エミリーはそこで言葉を区切ってパンッと勢いよく本を閉じた。


「これには基礎的な情報が抜け落ちているのよ」

「それってどういうことだよ?」

「魔術は、詠唱文を暗記して詠唱すればイイってもんじゃないのよ。魔術は多くの行程を理解した上で自分自身のマナを使用し、初めて具現化できるモノなの。だから、その行程を無視して行使しようとすれば予期しない形で失敗するし、最悪、死に至るの。……そうね。例えるならシーソーと同じよ」

「シーソーってあの遊具の?」

「そうよ。それ以外に何があるのよ」


俺の反応に呆れながら顎に手を当てつつ、エミリーは黒板にスラスラとシーソーの図をチョークで描いて力点と作用点を指差し、説明していく。


「魔術を構成する想像力と思い、そして術者の魔力許容量の使い方……それが一つでも欠けたり、偏りでもしたら魔術は正常に発動しない。何らかの形で失敗するの」

「なるほどな。バランスが取れていないと失敗するし、かといって土台が潰れたら、発動した人間に害が出るって訳か……」

「そういうこと。まぁ、詳しい事は自分の体で、感覚的に覚えた方がいいと思うから、また明日から特訓するわよ?」

「え……? また今日みたいなことをやるのか?」

「そんなの当然じゃない! 魔術は響が考えるよりもずっと危険な物なんだから。 何、大丈夫よ! 殺しはしないから」


エミリーはまったく悪びれた顔一つ無く、笑顔でそんな事を言う。


「殺しはしないって……」

「はい! ってことで、今日の座学はここで終了よ。明日に備えてとっとと寝なさいね~」


エミリーは箱をドカッと持ち上げてあくびをしながら部屋を出て行った。こうして嵐の如く始まり、嵐の如く終わったエミリーの魔術講座はこれにて終了したのだった。

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