第6話 剣術

エミリーが部屋に持ってきてくれた朝食を食べ終わった後、俺はエミリーに屋敷の中を一通り案内してもらうことになった。今後はここで寝泊りをしつつ、魔術学院に通うことになるらしい。エミリーが言うには、近くに居てもらった方が隠蔽しやすいという利点と俺に魔術の基礎を叩き込む上で都合がいいのだそうだ。


そんなこんなで屋敷内を把握してほしいらしく、こうして俺はエミリーと歩いている訳だが、ウィルダート家の屋敷はとにかく広い。屋敷は二階建ての構造になっていて一階には客間や食堂、アリスの仕事場などがあり、二階には会議室やエミリーの仕事場となる執務室などが集中している。


一通り、案内してもらったが、部屋の数が多すぎて聞いているだけで手一杯だった。現に今、居る食堂も屋敷内に幾つかあるというのだから普通に迷う気しかしない。


「最初に見たときから思ってたけど、エミリーの家って本当に豪邸だな……」

「そう? 私からしてみればコレくらいは普通だと思うけど……?」

「(いや、それはさすがにないだろ……)」


心の中で突っ込みを入れているとアリスが奥からコーヒーが入った2つのカップを持ってきた。


「もうお話はお済みですか?」

「ええ。大まかな屋敷の案内は今さっき終わったところよ」

「では、これを……」


アリスはコーヒーカップを俺とエミリーの前においた後、一通の書面をエミリーに渡した。エミリーはそれを受け取ると封蝋を見て顔をしかめた。


「アリシア家の紋章……。ということはマーレットからね?」

「はい」

「まぁ……大体、書いてある事は想像がつくけどね」


おもむろに手紙を開けてエミリーはため息を漏らす。


「やっぱり……。昨日の一件のことを聞いてきてるわ。まぁ、アレだけデカイ魔術をパンパン使っていれば、さすがにバレるわよね? アリス、ペンと紙を用意してくれる?」

「かしこまりました」


アリスからペンと紙を受け取ったエミリーは顎に手を当てながら考えて居たが、やがて書き始めた。


「とりあえず、私はマーレットに返事を書くから……申し訳ないけどアリス、響を裏庭まで連れて行ってくれる?」

「裏庭……ですか?」

「そう。学院に入学させる前に響を特訓するの」

「特訓? 何をやるんだ? それ」

「秘密よ。さぁ、行って」

「では響さん、行きましょうか」


アリスはエミリーの『特訓』という言葉を聞いて納得したような表情を浮かべつつ、俺を裏庭へと案内した。ウィルダート家の裏庭は学校のグラウンド並みに広い更地と森が広がっており、表側の華やかさとは違い、穏やかな場所だった。


「だから、どんだけでここの敷地、デカいんだよ」

「普通に考えればありえない敷地の大きさですからね。私もここに来た当初は裏庭で迷子になりました」


ちょこんとアリスは地面に腰を下ろした。

それに応じるように俺も地面に腰を下ろす。


「アリスはここにエミリーのところに来て長いのか?」

「はい。私はエミリー様の所でお世話になってもう五年経ちました」

「その前は何を?」

「え~っと…………。その、奴隷を……」


そう語るアリスの表情は暗く、無理に笑っているように見えた。


「その、悪い……。別に詮索するつもりはなかったんだ」

「わかってます」


弁明するように俺がそう言うとアリスは苦笑いをしつつ、背伸びをしながら空を見上げた。


「私、ここに来るまで空を見たことがなかったんです。ずーっと地下の中で鉱山の採掘をして……男の人の相手をして暮らしていたんです……」

「…………。」


今更ながら、無理にでも別な話に切り替えてしまうべきだったと俺はこのとき後悔した。それがどれだけ辛いものか俺にはわからないが、想像を絶するものだったはずだ。だが、アリスは独りでに昨日の事のように語り続ける。


「でも、ある時、エミリー様たちの部隊がその鉱山を攻撃したんです。そのおかげで私は開放され、こうして空を見ていられる。全てエミリー様のおかげなんですよ」


アリスはどこか遠くを見るように微笑んだ。その表情はまるで無垢な少女そのもので、戦闘の時の雰囲気は消えている。


「(これが本来のアリスなのかもしれないな……)」


アリスの表情を見ながらそう思っていた時だった。


「待た……せたわね!」


裏庭にエミリーが大きな荷物を抱えてフラフラしながらやってきた。

ドンと音を立てて、いろんな武器やら石やら巻物(スクロール)のようなものが山のように入った箱を地面に下ろした。


「あ、え~っと……私は屋敷の仕事がありますのでこれで!」

「ええ、アリスありがとう」


どこかアリスが慌てた様子で裏庭から去っていった。その一方でエミリーは箱の中から木刀を取り出し、それをこちらに放った。


「さて、時間もないことだし早速、特訓始めるわよ! まずは手始めに剣術から行くわ。響、木刀を構えて」

「あ? ああ……」

「じゃあ、行くわよ!」


俺が木刀を手に取り、構えた瞬間、エミリーは凄まじい速度で肉薄し体の内側に入り込み、木刀で腹部をモロに打ち抜いた。凄まじい衝撃とともに強烈な痛みが腹部に走り、その場に崩れ落ちる。


「うはッ……! 痛ぇ! いきなり、何を……」


だが、エミリーは涼しい顔をして剣先を俺に向ける。


「まずは今の動きができるように練習するわよ? もちろん、実戦形式でね?」

「そんな無茶苦茶な……」


アリスがこの場から立ち去ったのも納得できる。この場に居たら間違いなくアリスもこの特訓とやらの餌食になっていただろう。


「さぁ、剣を取って掛かってきなさい。そんなんじゃ、妹さんを救えないわよ!」


そんなのは分かっている。事実、千春を救うためには十中八九、命を懸けたやり取りをしなくちゃならないときが来る。その術を得るためにはエミリーに付いて行くしかない。


「クッソォォォ!」


とにかく俺はエミリーとの間合いを詰めて左右に剣を振っていく。だが、重いはずであろう俺の力をスッと簡単にいなして何事もないかのように攻撃へ転じてくる。


「いい度胸だけど、甘すぎるわ!」


左上から振り下ろされたエミリーの剣の重さに耐えられず、体勢が前のめりになる。その刹那、思いっきり腰を木刀で打たれ、地面に叩きつけられた。


「休んでる暇は無いわよ! さぁ、立ちなさい!」


こうして鬼にすら見えるエミリーの指導は夕方まで続き、一本も取れないまま体はボロボロになっていった。


「うっ…………」

「諦めないで向かってきなさい! 向かってこないのならこっちから行くわよ!」


またしても肉薄し、姿勢を低くして内側に入り込んだエミリーに強烈な一撃を腹部にお見舞いされ、俺はもう動けない状況になっていた。それでもエミリーは手加減をしない。


「もう、意識が飛びそうなんでしょ? でも、立ちなさい! もし、この状況で目の前に殺されかけてる妹が居たらどうするつもりなの! 早く立て!」


エミリーから激しい檄が飛ぶ。


分かっているさ。俺はそんな状況だったら何が何でも立ち上がるだろう。

俺は木刀を地に刺し立ち上がった。だが、不思議な事に体から痛みがスーッと消えていくような感覚を覚えた。それは昨日、手錠が外れたときの感覚に似ていた。


コレならいけるかもしれない。


俺は最後の力を振り絞るように木刀へ意識を集中させ、一気に地を蹴った。

蹴ると同時に今までに感じたことの無い速度でエミリーへ接近する。


「(イメージは打ち込まれ続けてきた内側に入るやり方だ!)」


未だ加速するその一瞬の中でそう考えをまとめ、速度をみるみる上げていく。

しかし、エミリーは堂々と剣を構え、こちらを凝視している。


「(絶対にいける! このイメージと速度なら! 止められるものなら止めてみろ!)」


残る余力を振り絞り、振りぬかれた一閃がイメージ通り、エミリーの腹部へ向かう。


「……響。やっぱり、あなた、いいセンスを持ってるわね」


エミリーは笑みを零し、体をよじらせながら木刀を擦り合わせるようにしてその一撃を軽く打ち流してみせた。そして、通り過ぎた俺の体に意図も容易く反撃を加え、地面に叩き落とした。


「今の一撃の感覚を忘れないで。それが常時できるようになれば並大抵の奴なら一発で跪かせることができるわ。あ、でも、さっきみたいに反撃があることもしっかり覚えておくこと。いい?」

「ああ……わか……った……」


雄弁に語るエミリーとは打って変わって俺の疲労はピークに達していた。

体中のありとあらゆる場所が痛い。何千本と木刀による攻撃を受けたのだから良く死なずに生きていたものだと自分を賞賛したい。


「さて、切込みをマスターしたところでそろそろ夕食ね。行く……というか行ける状況じゃないか……むしろ、天国に逝きそうね……?」


俺は今更気付いたかと心で突っ込みを入れつつ、答えずにいるとエミリーは言葉を紡ぐ。


「<聖なる風よ・精霊の加護を以て・かの者を癒せ>」


少しずつ、すこしずつではあるが、痛みが和らいでいく。

そして、エミリーは付け足すように喋り始める。


「夜は魔術の基本を教えてあげるんだからこんな所で寝られちゃ、困るわ」

「……まだ……何か、やるのか?」

「当然じゃない! 学院の入学まであと一ヶ月もないのよ? そんなの、徹底的に仕込んであげるに決まってるじゃない!」

「鬼ぃ……」


薄ら笑みを浮かべるエミリーを見ながら俺は再び、意識を失った。

正直、こんなつらいことをするなんて誰が想像しただろうか。それでも美咲のためにやり遂げなくてはならない。


そして、数時間が経って目が覚めると隣にはアリスが居た。


「あっ、起きましたか? これまた随分とこっ酷くやられましたね。まぁ、私も同じような経験をしましたけど、ここまで酷くなかったかと……」


苦笑いを浮かべつつ、夕食であろうシチューを可動式テーブルに載せ、俺の前においた。


「うっ……体中が痛い。あそこまでやるべきものなのか? アレ」

「まぁ、『魔術学院に入る』と聞いた時点でこうなるかもしれない……とは予測してたんです」

「それって……どういうことだ?」

「それは……『学院に入学すれば分かります』とだけ言っておきます。それよりシチュー。冷めちゃいますから食べてくださいね! では!」


曖昧な発言を残すだけ残して去って行ってしまった。推測の域を出ないが、アリシア魔術学院という場所はそれだけ高度な武術も扱えないとやっていけない場所なのかもしれない。


「この先が思いやられるな……痛ッ!」


ポソッと愚痴を吐きつつ、俺は傷みで軋む体をいたわりながらシチューを口に運ぶのだった。

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