第13話



「マンダルバは、ここから南方にあたる小さな島々からの移住民が祖となっています」

 ジョーイ・ハーラット管財官補佐は、病み上がりで体調がまだ万全ではないぼくのために、寝そべることもできる縦に長細い六頭引きの客席馬車を用意した。それに、ぼくとリク、フィジとキース、さらにはジョーイ・ハーラット氏まで同乗した。

「ここは遙か太古のレッテ山噴火からの溶岩によりできた地形だとかで、大陸から突出した半島となっています。長い年月をかけて、岩だらけの土地から豊かな自然を育み、この雄大な景色ができあがったわけです」

 ジョーイ・ハーラット氏は、ぼくに向けてマンダルバの成り立ちを講釈していて、勉強にはなるんだけども、その、ぼくを面白いものを見るような目つきはやめてもらえないだろうか。ときどきニヤリと笑み作りながら、彼は窓の外を見やる。

 ぼくも、まだ体がだるいので隣のリクに寄りかかり、向かい側の景色を眺めた。

 レッテ山岳地帯はすでに下りきり、山を過ぎれば、そこは本当に緑豊かな土地だった。

 小さな岩山や広葉樹の生い茂った森山も所々見られるが、その他はなだらかな平野が、海のほうまで全体的に広がっている。山あいは、酪農のための草原や整えられた果樹園が広大にあり、さらに平地に近づいていくと、家々の多い街が増え、麦や野菜の畑が土地のほとんどを占め、穀物も多種に渡り収穫できるらしい。緑がすくない岩場の土地では、鉄工所や木工所、紡績など、他の手段で民は収入を得ている。

 マンダルバは、まさしく、物産の宝庫だった。

 馬車内の座面や背中に多くの綿入り布団を敷いてもらって、ちょっとぼくに対して過保護ではないかと思ったのだが、この馬車を使うことに関して誰もなにも言わないので、ぼくが口を出せるはずがなかった。リクは自分からぼくに、寄りかかってろ、そう言ってくれたので、ぼくは彼に甘えっぱなしだった。

「この土地に移住し、マンダルバと名付けた初代領主は、この地を民の永住の地とするため、随分とご苦労をされました。以来、千二百年あまり、マンダルバの人々は、この土地を守り、ここまで豊かに作りあげてきたのです」

 隣のリクの顔を、ちらりと見上げる。

 リクは、窓の外を見てはいなくて、若干退屈気味な顔で、ぼくの反対側に顔を向けていた。

 リクがなにを思っているのか、わからないけど、ムトンの荒野や荒削りな裸山たちから比べると、この豊かすぎるくらいのマンダルバとの落差が激しすぎて、この馬車を追ってきているはずの馬車に乗る、ムトンの出身者であるタグとセリアだったら、羨ましいと思うか、羨ましいの裏返しに憎たらしく思うこともあるかもしれないと思った。

 どうして、ここまでの差ができるんだろう。

 その土地を愛したのか。

 その土地を棄てたのか。

 それは、そういうことなんだろうか。

 向かい側にいるジョーイ・ハーラット氏に目線を戻して、彼の言葉を聞いていて疑問に思ったことを訊いてみる。

「あの、管財官補佐殿は、マンダルバの人ではないんですか?」

 彼の肌色は、マンダルバ人から比べると白めだし、マンダルバのことを語るときには、部外者のような、少し第三者的目線で語っている。

「おわかりですか」

 ジョーイ・ハーラット氏はにこりと笑う。

「マンダルバ領内には、領外出身の者も多くおりますよ。マンダルバ人の性格では、農業や酪農には向いていますが、手先の細かな作業の、例えば紡績や軽工業には向いていないんですよ。もちろん人それぞれ違いますけど、まあそういう大らかな性格のものが多い人種なんですな。農業以外の産物のために、歴代の領主が外から人材を誘致してきており、その関係での移住者もおります。その点は血統を重んじるソサイデとは違い、血を交わせてきた。ですけど、私は、そういった領内で生まれた者ではなく、ミリアルグ出身者です。ミリアルグの家名をつないできた小さな武官の家柄で、私も武官を目指しておりましたが、あのお国柄では、勉学もできないといけなくて、ミリアルグ国立司法院高等学部で文武共に学んでいたときに、クイン・グレッドが留学で来ておりましてね、いわゆる好敵手という間柄だったんです。私のほうがむしろ敵愾心の塊のように、彼に対して何事でも目の敵にしてたんですが、彼はあの通り、冷静に強かに、誰に対しても態度を崩すことなく淡々と、当時の高等学部最終試験を主席で卒業しやがりましてね。敵愾心を持つことに馬鹿馬鹿しくなったんですな。私も頑張ったんですがね、十位内程度で終わりました」

「それは、すごいね」

 フィジが感心したように言う。

「そうなんですか?」

 フィジは博識で、ぼくにいろんな話をしてくれた。そんな彼女が言うなら、すごいんだろうな。

「ミリアルグってところは、歴史と勉学の国って別名言われてるところでね。国民の心の臓まで勤勉さが刷り込まれてるって揶揄されるくらいのところなんだよ」

 フィジの言葉に、ジョーイ・ハーラット氏は苦笑している。

「あらゆる国家のどんな学問と比較しても、ミリアルグ国立司法院中等学部の学力のほうが高いと言われてる。その高等学部なんて、学問の分野では世界の最高峰のとこだよ。十位内もすごいことだと思うけど。その主席になった者だったら、ミリアルグから本来出してもらえないんじゃない?」

「ははっ、その通りです。クイン・グレッドは、当時のミリアルグ国王より、直々に主席証書授与の栄誉を賜りました。そのときに、マンダルバには戻らず、ミリアルグに仕えるように請われたんですが、それをあの小憎たらしい笑顔で断ったんですよ、あいつは」

 ジョーイ・ハーラット氏はかつての好敵手をちょいちょい揶揄する。

「ミリアルグ国王は落胆されましたが、さすがに無理強いはなさいませんでした。私はクイン・グレッドのことを面白いなと思い始めてたんで、彼の帰国についていったんです。それで、いまに至ってるわけです。マンダルバからすれば私は純粋な領民というわけじゃないんですが、ザグゼスタ様が私の能力を認めてくださり、本来はない肩書きの、管財官補佐の任を与えてくださいました。私はザグゼスタ様に恩義ある身、それゆえに、ザグゼスタ様のご遺志をかなえてさしあげたいと願っております」

 彼はぼくのほうを真面目な目で見つめ、少し神妙な口調になっていた。

 ぼくはそれに対してなにも言えなかった。

 リクのほうを見つめる。あいかわらず、リクは全然違うほうを見ている。

「ちょっとしゃべりすぎましたかね。クイン・グレッドの待つ街まではあと少しです。よければどうぞお休みください。着きましたらお声かけしますので」

「はい、そうします」

 少し大きく息をついて、空いていたリクの反対側のほうに足を上げて上体を落とした。

 体調が戻り出してからはいろいろなものを食べさせてもらったけど、それが身についた実感がない。ぼくの成長期はどこに行ったんだろう。

 ぼくはリクにくっついていたい気分で、彼の腿の一部に頭の先をくっつけていた。

 寝転がったまま見上げると、こちらをちらりと見下ろしてきたリクと目が合った。

 その目がなにか言いたそうだったので、体調を心配してくれてるのかなと思う。

「ちょっと疲れただけ。寝ててもいい?」

「ああ」

 そっけなくリクは言った。

 腕を組んで、リクも目を閉じた。退屈を通り越したみたいで、居眠りを決めたらしい。

「ちょっと、眠気誘う陽気ね。あたしも寝よう」

 フィジはキースの片胸に頭をもたせかけると、キースは彼女の両肩を片腕で包んでしまった。

 斜めになった視界に映る睦まじい美男美女のその様は、現実のものには思えなかった。

 羨ましいな。

 命を懸けて他人と関わろうとする女と、己の持つすべてを賭けてその人を守る男。

 そんな生き方、普通の人にはできない。

 ぼくは、どうなんだろう。

 こんな弱々しい命を懸けられるか、わからない。

 もともと強い人を守ってあげる力なんてない。

 誰かのそばにいるには、資格がいるのかな。

 愛とか恋とか、そんなんじゃないけど、そばにいたい人はいる。

 ああ、だめだな。

 この前から涙腺が緩んでて仕方ない。

 横向いて、体を縮めて、顔を隠すために上げた手の指先で、隣の人の衣服をつまむ。

 くしゃりと、髪を緩くかき混ぜられて、かえって胸は痛んだ。


 ジョーイ・ハーラット氏に案内されたのは、クイン・グレッド管財官の別宅とかで、海寄りにある本都から馬車でレッテ山岳地へ向かえば、三日目の距離。山のほうからは、下りてきて一度宿に泊まってからさらに半日のところ。大きな建物ではあったが、豪華な住居というよりは、立派な兵舎といった感じだ。

 家主はあいにく領を離れていた間に溜まっていた仕事をこなすために多忙とのことで、代わりに管財官補佐が、ヤトゥ商会の男たちと、タグ、セリア、シチェックも一緒に招いてくれた。

 夕飯前の待機の場所として、先にぼくとリクは二人で別室に案内されていた。

 他の人たちは遅れてこの建物にやってきた。

 セリアたちとは、境界警備兵舎で別れたとき以来の再会で、リクを視界に入れたセリアは、走り出して長椅子に座っていたリクの首に勢いよく抱きついた。リクはそんなセリアを軽く抱きとめる。色男ですね。

「心配させないでよ」

「心配など無用と知ってるだろう」

「それでも、心配するの!」

 うん、セリアの気持ちはよくわかる。

 泣き出しそうに顔を歪めているセリアは可愛かった。これで二人は恋人同士じゃないのはなぜなんだろう。リクのセリアに対する接し方は、兄が妹に対するようなものだ。二人を見てると不思議な感じがする。

 セリアはリクが本当に好きなんだなと思うし、リクはセリアを拒絶はしないけど、それ以上をけっして踏み込ませすぎないようにしている。受け入れる気はないんだとわかる。

 それでもめげないセリアは、とても可愛いなと思う。

「あんたも、怪我もなくてよかったわね」

 リクの首に抱きついたままのセリアが近くの個椅子に座っていたぼくに顔を向けて言ってくれた。

「ありがとう」

 嬉しいな、セリアがぼくにも目を向けてくれてる。

「レナン!」

 ぼくのほうにはシチェックが飛びついてきた。

「ちょっと、まっ」

 全部は言えないうちに、嬉しそうな奇声をあげてシチェックが全身で抱きついてきて、こらこらと、一緒に入室してきたエヴァンスがシチェックを引き剥がしてくれた。抱き潰されるかと思った。

「シチェック、こっちに座って」

 大きい個椅子だったので、自分の股の間にシチェックを座らせると、えへへーとシチェックは声を出して喜んだ。

 ヤトゥ商会の男たちは部屋の出入り口近くで立ち話をしていて、情報交換でもしている感じだった。

 フィジとキースは別室を与えられていて、しばらくこちらには顔を出さないとのこと。

 久しぶりに、仲間内みんなが顔を揃えた。

 くつろげる長椅子もあるが、この部屋は基本的には会議などで使われるものらしく、簡素な長卓と事務的な椅子も複数置かれていた。ヤトゥ商会の男たちはそちらに移動した。セリアはリクの隣に座りなおし、節度を守って大人しくしてくれたようだ。

「そちらは、どうでした?」

 前置きなしに、エヴァンスが長椅子でだらり背もたれに背を預け長い脚を組んで気怠げにしているリクに問う。

「フィジが身隠しの術を解いていたせいか、とくに目立った気配はなかったな」

 リクの答えに、そうなんだと知る。

「ル・イースが彼女に近寄りたくはないと言ってました。さすがに術者ですね。これでキスリングまで力を開放すれば、こちらに手出しする者はないと思いますが」

「あの二人がいるとわかっててのあれだからな、どうだか」

「そう思います?」

「追いかけ方があいまいだった。かたをつけるつもりなら、宿に入る前に仕掛けてきてただろう」

「ヴィイはどう思います?」

「リーヴに同意」

 ル・イースはしゃべらない。他の男たちも、この三人の会話に加わる気はないようだった。タグは男たちと一緒にいたが、まだ大人たちの会話に加われると思っていないらしく、目線は鋭いけど声はあげない。

「なんだか、いらっとしますね」

 はあっとエヴァンスが息をつく。

「それが狙いだろうな。敵を心理的に追い込むのは、開戦前の定石だ」

 リクがふっと冷たい笑みを零す。

「敵、ですか。盗賊は陽動ですかね」

「明らかに、不自然だからな。だがそれをあえて知らしめている」

「領内に入ってからは、視線は減りましたよ。まだ違和感はありますけど」

「計画は進んでるか?」

「繋ぎがないですが、セリュフに手抜かりはないですよ。失敗したときのほうが連絡を寄越すでしょう」

 マンダルバに人材派遣でもするつもりかな。事業拡大を狙ってるんだろうし。

「怪しいのは、前領主義弟だと思います?」

「さてな。管財官も食えない奴だ」

 リクは、ぼくを狙っているらしい者が誰であるのか、さほど重要視はしていないようだ。

「今夜、管財官と面談があるんでしょう? 管財官でも誰でもいいから、早く首謀者が判明するといいんですけどね。こちらも対処の仕様が変わる」

 エヴァンスが卓に頬杖をついた。

「やっとやる気が起きたか?」

 リクが珍しく楽しそうに笑う。

「とっくにいろいろと巻き込まれて有無を言わさずやる気を引きずり出されてる気分です」

 エヴァンスは投げやりに言う。

「大仰なことも好みませんが、忍耐力を試されるのもごめんですよ。俺も性根は野蛮だったんだなと、自覚させられて自己嫌悪してるところです」

 そんなふうには見えないけど。

 エヴァンスは人に気を使うことができて、その場の状況を的確に判断してて、エヴァンスにはぼくは何度も助けられている。エヴァンスがどんな性根を持っていたとしても、それを制して、物事に対処できる人だ。違う顔を見せることもあるけど、そこがちょっと格好いいと思う。

 そのあとも、みんなの前で二人は意見を交わし、ぼくたちはそれを黙って見ていた。

 現状はスーザを出るときとなんら変わらないという結論が出ただけで、この焦らされるような敵の出方に、みんないい加減忍耐力も尽きそう、そういうことみたいだ。

「普段はすぐに行動してくる奴らが相手ですからね、それなら返り討ちすりゃいい。そっちのほうが楽だ。こういう、戦さみたいなやり方は、ちょっと勉強しないといけないんですかね。でもこれは俺の役割じゃなくて、本来セリュフがすることですよ。なんでいまここにいないんですかあの人は。こういうことは嬉々としてやるでしょ。腕っ節が強いくせに頭もいいなんて、とんだ詐欺師ですよ」

 だんだんエヴァンスの愚痴になってきていて面白い。

「管財官と話が合いそうじゃないか。あいつらの議論を一度見てみたいが」

 リクの言葉に、エヴァンスは心底嫌そうな顔をした。

「いやですよ。化け物たちの化かし合いになるに決まってます。どちらも本心は悟らせないように、御託だけは理路整然と並び立てるでしょうよ。想像するだけでも心が削られそうです」

 食えない笑顔のクイン・グレッド氏とセリュフ。二人が相対する姿を想像したら、たしかに背筋が冷えそうだと思うけど、でも見物するだけなら面白そうで、おかしくて吹き出した。笑いがこらえられなくて腹が痛い。

「あれ、これって笑いどころですか?」

 エヴァンスがきょとんとした顔で言うのもまたおかしい。

 シチェックも一緒に笑いだし、一緒に体が揺れているので笑いが止まらなくなる。

「ごめん、なさい」

 笑いながら謝っておく。

「やっと楽しそうな顔が見られて、よかったです」

 エヴァンスが笑顔をくれる。いろいろ心配させてたのかと思うと、申し訳ない。

 その後この屋敷の人に夕食に呼ばれて、そこにも管財官はいなくて、また代わりにジョーイ・ハーラット氏が現れて申し訳なさそうにしていた。

 管財官殿が忙しくても、こちらは急ぎの用事があるわけじゃないし、そんなに恐縮する必要はないと言ったんだけど、ジョーイ・ハーラット氏は気が済まなかったらしい。夜には必ず来させますと、夕食後に約束して去っていった。

 管財官側については、今夜には真相がわかりますかねとエヴァンスが言い、ヤトゥ商会の男たちを代表してぼくについていてくれることになった。この建物にいれば、ぼくの身の心配はしていないみたいで、案外ぼくとリクの二人だけで行動させてくれていた。

 お風呂も用意されていて、それが済んで、もう寝なくちゃいけないねって言っている時刻に、ようやく管財官殿のお越しとあいなった。




「お待たせして申し訳ありませんでした」

 とてもそうは思っていない無表情で、クイン・グレッド氏は謝罪を挨拶の言葉に変えたらしい。

 クイン・グレッド氏は、いままで会っていたときよりも動きやすそうな服装になっていたけど、どこか都会的な雰囲気を持っていた。ミリアルグが世界で一番学問に優れているということは、いろんな情報が入ってきやすいところなんだろう。ジョーイ・ハーラット氏もおしゃれに気を使っているとわかるし、ミリアルグ留学時代に影響を受けたんだろうか。

 黒に近い濃い茶髪に、瞳の色は少し薄めでいつもぼくたちが飲んでいる透き通ったお茶の色、肌色はぼくやリクよりは少し濃いめの褐色、とにかく眼光の鋭さが目立つ人だ。

 ぼくとリクが案内された部屋は、彼の執務室に繋がる歓談室のようで、このお堅い建物にしては調度品が高級そうでおしゃれだった。火の入っていない暖炉の前の長椅子と個椅子に使われている木部にはつやつやとした塗装をほどこしてあり、座面や背もたれには、草花の文様に織られた立体的な布地を使用してあった。

 そこに座るように指示され、ぼくとリクは長椅子に、エヴァンスは立ったまま後ろに控えていた。

 個椅子の一つにクイン・グレッド氏は腰かけ、彼の他には、ジョーイ・ハーラット氏があとからそっと入室してきて、そこに三人目のマンダルバ領主後継者候補であるシン少年が一緒で、少し驚いた。

「紹介しましょう」

 管財官の声に、シン少年は管財官の近くにくると、彼に頭を軽く下げた。

 疑問に思った。

 だって、その態度は、管財官よりも下の者がするものだ。

「シン・レ。私の父が、将来このマンダルバで領主のお役に立てるよう目をかけていた者です。今回、カルトーリ様捜索にあたり、私が用意した候補者、もちろん偽物です」

 え?

 偽物?

「身を偽っていたこと、お詫びいたします、レナン様」

 そう言ったあと、シン・レと名乗った少年は、ぼくに対して頭を下げ、顔を上げたとき、ふっと笑った。

 彼に対するぼくの印象は、ちゃんと合っていたんだなと安心した。賢そうで、あんな緊張を強いられるような場面でも臆しない、とても勇敢な人だ。

「いえ、気にしないでください」

 ぼくも笑い返した。

「公表する気になったということは、隠していたことを明らかにする気になったという解釈でいいのか、管財官殿」

 長椅子に共に座っているリクが、シン・レの告白にはとくに意識を向けていないような表情で言う。

「そうですね。もうあなたには分かっておられるかもしれませんが、こちらの行動は、ザグゼスタ様の義弟、アーノルト氏を牽制するものです」

「ああ」

 リクは承知しているというふうに簡素に返答した。

「公けにカルトーリ様を捜索することになれば、彼がなにかしらの行動を起こすだろうというのは、我々にとって予想できたものでした。あんなに条件の合う候補者を出してくることまでは予想外でしたが。もっと短絡的な行動をするかと思っていましたが、存外頭の出来は悪くはなかったようです」

 管財官は嫌味な笑みをする。それが似合っていて、難儀なお人だなと思う。

「そんなに、アーノルトはあんたらに信用されてないのか」

「ええ。彼がすることといえば、民に対して偉そうに威張り、自分に甘い取り巻きたちと贅沢三昧、姉を心配している態ですが、そこまで姉を守ってきたようには見えませんね。仕事ができない人だとは申しません。ザグゼスタさまから与えられている職務はこなしておられましたよ。ただ、彼の人間性を好んでいる民は少ない、そういうことです」

「大々的にカルトーリを捜索しても、本人が現れるとは限らない、それでよかったのか」

 それもそうだ。

「私はザグゼスタ様のご遺志に従っているだけです。本物が名乗り出なければ、それはそれでかまわない、そうおっしゃっていました。カルトーリ様が生きているのか、もう亡くなっているのか、ザグゼスタ様にはご判断ができていなかった。もし偽物が多く現れることになったとしても、たとえ本物がいらっしゃらなくとも、この血がここで絶えようと、それもまたマンダルバの命運。マンダルバ領主は、いままでも直系の血のみを繋いできたわけではありません。それは公けにはされておりませんが、とうに初代領主の血は途絶えています。ですが、歴代領主は、民を豊かにするために役目を全うしてきました。マンダルバ領主とは、民を愛せる者ならば、誰がなってもよろしいのです。民も、純粋な領主の血を求めているのではありません。前領主に指名された有能な者ならば受け入れる度量があるのです。民を潤す役目は管財官の役割、これは私のように能力のある者なら誰でも務められる。マンダルバとは、領主が治める土地なのではなく、民が自ら働き年貢や税として収め、それをもって平穏を見返りに領主が民を守る、それだけで成り立つところです。マンダルバ領主に求められるのは、頭のよさでも剣の腕でもない、民を愛せること、それだけです。ザグゼスタ様は、民に愛された人でした。ときには、独自のやり方で、親族の方々に心配をかけられることもありましたが。親族の中でザグゼスタ様は異端だったとしても、民からは、自分たちに近しい、とても親近感の持てる方でした。ザグゼスタ様のお子であればなおのこと、民は安心して暮らしていける、ですから、カルトーリ様が領主になられることを願っているのです」

 第三者から語る、カルトーリの父。

 胸が熱くなって、リクの服の端っこを知られないように握った。

「そこのシン・レが偽物だと明かすということは、こちらが対抗馬でかまわないということか」

「ずっとアーノルト氏を監視はしておりますが、このまま彼の思惑通りにしてやるのも癪でしてね。彼が推すユナムがいかに有能な子であろうと、アーノルト氏の意向を汲んだ行動をさせられるでしょう。本来民が受け取るべき財を、アーノルト氏が私腹に入れること、それは避けねばなりません。管財官としては、代替わりするまでそれを阻止するのが私の役割。そういうわけで、レナン様には、カルトーリ様になっていただきます」

 ジョーイ・ハーラット氏の言い方に疑問を感じたのは、そういうことだったのかと納得がいった。

 でも。

 隣のリクを見上げる。

 リクは、表情に感情はまったく表していなかった。なにを思っているのかも、あいかわらず読めない。

「レナン様」

 管財官に呼ばれて、彼の顔を見る。

 真摯な眼だった。

「あなたにはまだ信用いただいていないかもしれませんが、我々は敵ではない。いままで身の危険を感じておられたでしょうが、この領地におられる限りは、我々はあなたをお守りする。お約束いたします」

 信じて、いいのかな。

 でも、ぼくは。

 このマンダルバ領主になりたくてここに来たわけじゃない。

 迷いが顔に出たのかもしれない。

「過去のことは、決してお尋ねいたしません」

 クイン・グレッド氏の言葉に、戸惑いながら彼を見る。

「あなたを本物であるか否かを問うつもりはないということです」

「それって、いいんですか? ぼくも偽物かもしれない」

 ここに来る前から、自分がカルトーリではないことはわかっている。

 管財官は、仕方がない人だなというような眼で、ぼくを見る。

 初めて、優しい眼のこの人を見た。

「カルトーリ・レナン。ザグゼスタ様が、愛する人の産んだ子に与えた名です。ザグゼスタ様も隠し名を死後に公表なさいましたが、カルトーリ様も、それを持っておられる。かつて、ザグゼスタ様とルマ様が、お二人で子供について話をしたことがあったそうです。もしも子供を持つことができて、それが男の子ならレナンがいいとルマ様が言っていたと、ザグゼスタ様が亡くなる間際に楽しそうに話してくださいました。あなたがその名をあの場で名乗られてから、あなたがカルトーリ様になることは決まっていた。たとえば、これが偶然だったとしても、たとえば、ルマ様がその名を他の者に明かしていてあなたが本物ではなかったとしても、その名を持って現れたのは、あなた一人だけでした」

 胸の痛みも熱さも強くなって、リクの顔を見る。

 金色の眼がぼくを見ていた。

 でもなにも言ってくれない。

 我慢ができなかった。

 目からぼとぼとと大粒の雫があふれて、それを見たリクはちょっと困ったような顔をして、自分の胸にぼくの顔を引き寄せた。

 リクは本格的にしゃくりを上げたぼくを支えてくれていた。


 これは、きみの涙だ。


 ぼくが受けた感情は、すべてきみの感情だ。


 これは、きみの物語だった。


 カルトーリの生い立ちがただ悲しくて、リクがレナンの名をくれたことがただ嬉しくて、自分の感情のまま、涙が枯れるまで、自分の力全部でリクにしがみついていた。




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