第12話



 あんなに懸命に馬を走らせてきて、ここでまたすぐ戻ることに、他の人たちはなんて思うだろう。

 セリアとタグが山を下りる前、少し話ができた。

 セリアは、真っ直ぐにぼくを見つめてきた。いままでのぼくに対する関心のなさからみれば、彼女が長くリク以外の人を見つめるのは、まれなことのように思う。

「絶対に、リーヴを無事に帰して」

「うん」

 ぼくが戦闘できるわけじゃない。それはセリアもわかっている。リクの無事を最優先にしたいとぼくが願っていることを、セリアが理解してくれてるのだと知る。

 タグも、いつもはぼくに対して不満顔なのに、いまは不機嫌そうなのは変わらないけど、目が違う。リクに対して尊敬の念を抱いている彼のことだから、ぼくの存在はリクにとって不要くらいに思っていたはずだけど、いまは対話に値する一人の人間として見てくれているのかな。

「おまえも無事に戻れ」

 ぶっきらぼうな口調だけど、心配してくれてるのかなと思うと、なんだか、ちょっと感動する。

「うん。みんなも、気をつけて」

 無言でうなずく二人と、二人の前で手を振るシチェックに背を向けて、ぼくの動きを待ってくれていた人たちのもとへ向かう。

 管財官補佐は、昨夜酷使された馬の代わりに、マンダルバの馬を貸してくれた。

 関所の門近くでその馬を待つ間に、管財官補佐がぼくに言う。

「レナン殿、無茶はしないと、お約束ください」

「なにもできませんよ、ぼくは。剣だって持てない、魔法も使えない、いまから向こうに行っても、役立たずです」

 ふうと、管財官補佐が息を吐く。

「わかってないようですが、いまなぜ我々が同行すると言ったのか、それはあなた自身が人の心を動かしたからだ」

 そう、なのかな。

「人を動かす、すなわち、あなたはいま我々の指揮官である。と、そういうことなんですがね」

 指揮官?

 どうしてそうなるの。

「人の好意に、ただ甘えてるだけです」

 兵が連れてきた馬の手綱を持ち、ジョーイ・ハーラット氏は笑う。

「あなたと会ったときは、なかなかに面白い子だと思う程度でしたが、いまは、あなたがカルトーリ様になられるといいと、思っていますよ」

 管財官補佐は騎乗し、道を進ませていった。

 領主は選ばれる類のものではないのに、おかしな言い方だ。背後に来ていたキースに馬上に上げられている間、内心頭を傾げていた。

 夜が明け、普段ならば朝食をいただく時間。空腹を感じる余裕はなかった。

 緩い速度で、馬は進んでいく。

 前を行く管財官補佐が、その速度以上で行くことを許さなかったからだ。ぼくたちの仲間を助けにいくのではなく、向こう側の偵察である態を崩さない。

 それには、こちらも同意せざるをえなかった。ぼくとキース、フィジの馬は、最後尾に位置させられ、ぼくたちの前をエヴァンスと、ヴィイの相棒さんがいた。ついに彼の名前をきくことができていた。彼は言葉少なにカイだと名乗った。

 馬に揺られながら何度も浅く呼吸し、いまこの道にリクたちが何事もなかったと言って現れてくれないかと願っていた。

 マンダルバの兵たちを先頭に、昨夜懸命に駆けてきた道を戻っていく。

 そのさらに先から、駆けてくる馬があった。

 騎乗した人がこちらに向かってきていた。まだ個人の判別がつかないけど、期待していた。

 近づいてくると、それはマンダルバの男だった。

 大きく息を吐く。

「管財官補佐!」

 その人は管財官補佐に気づき、彼の前に馬を止めると馬上で報告した。

「集落が盗賊の襲撃を受けておりました。役人、警備兵含め、生存者はおりません」

「残忍な賊のようだな。しばらくはムトンのほうでもそこまでの盗賊団はかなり減っていたはずだが」

 冷静に会話をしているけど、彼らの緊迫感は感じられた。

「戻り報告せよ。向こうは情報を待っている」

「は!」

 騎乗の人はぼくらの横を駆け抜けていった。

 管財官補佐がこちらを振り向く。

「レナン殿、あなただけでも戻られませんか」

 その言葉はありがたいけど。

 リクたちに危険が迫っているなら、なおのこと。

「仲間の無事を確認できるまでは、戻れません」

「そう言われると思いました。案外頑固ですね」

 管財官補佐が苦笑する。それはリクにも言われた。

 本当は、怖い。

 昨日のうちに、多くの人が殺されている。

 ほら、こんなに、身体は震えている。

 指先や、脚だって、冷たいまんまで、腹と喉のほうだけが熱い塊が詰まっている。

 でも、リクに会いたかった。

 上り道を終え、山の反対側へ差し掛かり、しばらく進ませた頃。

「戦闘の気配だ。注意して」

 ぼくを支えてくれているキースが、管財官補佐に向けて少し大きめの声で告げた。

 一行の男たちは、腰に下げていた剣を鞘から抜いた。管財官補佐でさえも。その動きはとても自然で、武技に慣れている人みたいだ。この人は文官じゃないのか。

 ぼくはいまだに自問している。

 自分の知っている人が、人に向けて武器を振るうことに、目を背けずにいられるのかと。

 ぼくが山を戻ると告げたあと、キースはずっと近くに置いていた長細い皮袋の紐を解いた。いまは、その逞しい背中に、長大な剣を背負っている。

 エヴァンスは細身の長剣を、カイや管財官補佐、マンダルバの兵たちがそれよりもさらに太い剣を持っているが、キースの剣はそれらから見て規格外だった。並外れた長身の彼には丁度かもしれないが、普通の剣からさらに半分ほど長い。鞘は装飾のない簡素なものだ。

 だけど、キースはまだその剣を抜いてはいない。

 速度を変えずに進めば、戦っている男たちの姿が見えるくらいに近づいていた。

 道幅は横に三馬身ほど、二台の馬車が互いにぎりぎり通り抜けられるくらい。

 その幅を、敵を通さぬよう、五人の男が戦っていた。周囲には地面に突き刺さった矢がいくつか見えたが、彼らの前にあるそれらの大半は焼け焦げ、形を保っていない。

 馬上の男たちの中で、一番背の低い人を探した。

「リク!」

 片手で手綱を操りながら敵の男の剣を弾き返したリクが、ちらりとこちらに視線を寄越したが、なにも反応せずまた敵に目を向けた。

 よかった、無事だ!

 エヴァンスとカイの馬が速度を増した。そのままの勢いで戦闘に加わる。

 道の両側には針葉樹が林立し、未開の地面は岩も多く、舗装されているところ以外に馬の侵入は難しいのか、敵はまだリクたちの背後には来ていない。

「敵も、本格的には攻めてはきてないようだね、安心しなさい」

 隣に来ていたフィジの声に安堵するが、まだ気は抜けない。

「たまには身体動かしてきたら? キース」

「そうだね、ちょっと動こうかな」

「贅肉ついたら、馬の代わりにこき使うからね」

「了解です、ご主人様。これ、ちょっと持って」

 キースが馬の手綱をぼくに寄越してきた。

「きみはもう一人で馬を操れるよ」

 そう言い置いてキースが馬を下りる。

 え、あの。

 馬は静止してくれているけど、たまに身動きするからそれを制しないといけない。

 慌てて両手で手綱を握り、支えてくれていた手を失った分、自分の全身の力をうまいこと操らないといけなくなった。

 キースはあっさりと言ったけど、やっぱり難しいじゃないですか。

 そんなことを思っているうちに、キースは背負っていた剣に括られていた革紐を解き、剣を抜いたあとの鞘をフィジに預けていた。

 片手で剣を持ったキースはそのまま普通の速度で前を歩んでいく。

 ぼくの前方を守るように剣を抜いたまま動かないマンダルバの兵たちの横を通り、長い脚だから、もうリクたちの最前線まで到達した。

 リクのそばまで行ったキースの声が聞こえてくる。

「任せてもらっていいかな。運動不足なんだ」

 なんて言い方するんですか。

 それを聞いたリクはあっさりと敵から馬身を返し、こちらへ進んできた。

 その背後に、馬上の敵が剣を振り上げた。

 息を飲んだ。

 リクが危険と思ったからじゃない。

 キースがゆっくりとした動きで抜き身の剣を両手で構えたのが見えたからだ。

 長大な剣は、キースの最小限の踏み込みだけでリクに迫っていた敵の剣を弾き、その流れのまま敵の男の胴体を通り過ぎる。

 その様は、こちらに来るリクの陰で見えなくなったが、剣が切り裂く音と恐ろしい絶鳴は聞こえてくる。思わず目をつぶった。

「先に逃した意味がないだろうが。なんで戻ってくる」

 呆れたようなリクの声が懐かしかった。

「来い。おまえは見るな。あれは戦場の化け物の一人だ。子供の教育に悪い」

 リクがぼくの馬の手綱を片手で奪いそんなことを言う合間にも、男たちの怒声や悲鳴が聞こえてくる。

 さすがに正視できるような肝は持ち合わせていなかった。やっと目を開け、隣で馬を進ませるリクを間近で見られた。

 その姿がどんどんと揺らいでいった。

「まだ泣くな。ちゃんと周りを見ろ」

 リクの厳しさが嬉しいなんて、どうかしてるかな。

「うん」

 片腕をあげて服の袖を目に押し当てた。

 ジョーイ・ハーラット管財官補佐は、その場を境界警備兵に任せ、ぼくたちを関所まで連れて戻った。フィジは残らず、ぼくの守護者のままついてきた。

「いま食事を用意させます。兵舎の食堂へどうぞ」

 馬を下りた管財官補佐は近寄ってきた兵士に馬を任せ、身長が足りずに下りられないぼくに手を貸してくれた。

 同じように馬を兵士に任せたリクが、ぼくの隣にやってくる。

「いや、先に寝床が欲しい。こいつも限界だ」

 管財官補佐の手が離れる前に、意識が途切れた。




 歌声が聞こえる。

 綺麗な、女の人の声。

 歌、なのかな。

 旋律があるようで、でも、ただ誰かに語っているだけのような声にも聞こえる。

 ふっと意識が上がり、目を開く。

 歌声は、そばにいたフィジの唇から発せられていた。

 ぼくにはわからない言葉を、ぼくを見下ろしながら語っている。

 それが途切れた。

「まだ動かないでね。癒しの魔法が身体に馴染むまではね」

 魔法?

 出ない言葉を汲んだように、フィジは笑う。

「そうだよ。きみが見たがってた魔法。樹精の癒し魔法は分かりづらいから、精霊がいないきみにはなにも見えないけどね」

 目だけ動かして状況を確認すると、寝台に寝かされているみたいで、フィジは寝台横に椅子を置いてそこに座っていた。

「樹精魔法はね、基本的にはこの世の植物たちの成長を促せるものなんだけど、それを人間に作用させると怪我を治しやすくしてくれるの。きみはよく頑張ったけど、ちょっと無茶をさせすぎたね、ごめん。見た感じ、成長も遅めのようだし、身体が限界来ちゃったみたい」

 それは、うん、気だけは張っていたから。

「熱が出たの。最近まで体壊してた?」

 コホッと、喉に絡んでいたものを払ってからしゃべる。

「あの、リクに拾ってもらうまで、全然肉がついてなくて。最近リクによく食べさせてもらって、やっと少し体重増えたくらいで」

 まだ全然、身長に見合う体重にもなっていない。

「あまり家で食べさせてもらえなかったの?」

 家。

 ぼくは、リクと会うまで、家にいたんだろうか。

 体を起こそうとして、頭がくらくらとしたのでやめた。起き上がる前に、身体が重くて無理だったけど。

「まだ起きないで。癒しの魔法は、切り傷を塞いだり、骨を繋いだりはできるけど、内臓や体の細かなところには効かないの。熱はまだ下がってないよ」

 確かに熱い。

 身体がぽかぽか、あったかい。

 あれ?

 身体の半分が、もう半分より熱い気がした。

「そうやってると、彼もまだ子供みたいだね」

 彼?

 頭だけフィジの反対側に少し動かす。

 目をつむったリクの整った顔が目の前にあって、驚きすぎて心臓がどこんどこんと強く叩いていた。

 きみの綺麗な顔は近くで見ると心臓に悪い。

「さすがに彼も疲れたのか、きみをここに運んだときに一緒に寝ちゃったよ。ほほえましくって、そのまんま」

 ぼくの片側の肩を抱き込むように、リクは横向きで爆睡中だった。これはしばらくは起きない。

「いま、どれくらいですか。みんなは」

 フィジに顔を戻す。

「そんなに経ってないよ。きみの仲間はみんなここに来た。盗賊だとわかったから、マンダルバは兵を増やして向こう側に向かった。管財官補佐はきみが目覚めるのを待ってる」

「怪我人は」

「大丈夫じゃないかな。大きな怪我をした人はいない」

 よかった。

「でも、油断はできないよ。集落の襲撃が盗賊の仕業だとしても、きみがスーザからつけ狙われていたのは事実みたいだから。そこは他の候補者側の思惑が絡んでいると思う」

 ぼくも、そう思う。

「あの、ありがとうございました」

「礼を言うにはまだ早いよ。きみがマンダルバ領主になるまではそばにいる」

 ぼくが領主になるかはわからないけど。

「でも、もう守ってもらいました」

 十分に。

「まだ雇い主と交渉もしてないから、きみがあたしの契約解除はできないよ」

 悪戯っ子のようにフィジは笑う。

 そうだ、リクが依頼をしてるんだ。

 早く起きないかな。

 そう思ってるぼくも、また眠くなってきた。

「まだ身体は休養を求めてる。寝なさい」

 はいと返事も返せずに目蓋は勝手に落ちていった。


 寝かされていた部屋は置かれている調度品は質素ではあるけど、兵ではなく客人を泊める部屋のようで少し広めで、しばらくはその部屋がぼくとリクの寝る部屋になった。

 ぼくの熱が数日引かなかったからだ。

 一度目覚めたけど、その後一時期はかなり高く上がったそうで、みんなに心配をかけた。

 せっかく体重が増えてきてたのに、また元どおりみたいに肉が落ちてしまっていた。

 フィジが言ったように、熱には癒しの魔法は使えず、物理的に冷やすようにして、薬と食事で元に戻していくしかなかった。

 それなのに全然よくならなくて、もどかしかった。

 いつもの軽快な調子に戻っていたエヴァンスからも、無理をさせたことを謝られた。

「うちはリーヴが基準なことが多いんで、彼が並外れていることを失念してました」

 ちょっと演技掛かった神妙な態度のエヴァンスに笑ってしまう。これこそエヴァンスだと思った。

 いまは部屋の中にマンダルバの人はおらず、リクとエヴァンス、ヴィイがいた。

 他のヤトゥ商会の男たちは、残されているマンダルバ兵と共にこの兵舎を守っている。キースとフィジは、この兵舎の中でのんびりとしているそうだ。

 ヴィイは窓辺の椅子の一つに足を組んで腰掛け、エヴァンスは寝台横の椅子に、リクは長椅子のほうにだらりと背もたれに身体を預けていた。

 ぼくはまだ寝台の上、背布団を大目に敷き詰めたところに背中を預けていた。体調が少し戻って、久しぶりにお風呂に入れてもらったあとで、さっぱりとした気分だった。

「俺だってさすがに疲れたんだがな」

 不機嫌そうにリクが言う。

 食事もせず爆睡してたもんね。

「よく言いますよ。普通の十四歳は、あんな激しい戦闘、絶対に無理です」

 え?

 エヴァンス。

 なんて、言ったの。

「いまだって身体がバキバキ鳴りそうだ」

 とうとう長椅子の座面に寝転がってしまったリクが顰め面で言うのをぼうっと聞いていた。

 エヴァンスが吹き出し笑う。

「それってあれでしょ、成長痛でしょ? ここ二年くらいで一気に背も伸びましたもんね」

 リクが寝転がりながら、ぼくを見る。

 金色の瞳。

 なにも、言わせない、眼。

 熱い塊が胸に膨らんでいく。

 膝を抱えて、それを押し隠す。

 勝手に目が熱くなって、膝で押し当てる。

「あ、気分悪くなりました?」

 エヴァンスの声が優しい。

「大丈夫」

 大丈夫。

 大丈夫、だよ。

 それを言いたいのは、自分にじゃない。

 しゃくりあげそうになって、必死で押し殺す。

 気づいたかな。

 きっと、気づいたよね。

 ぼくはわかりやすいから。

 きみは、聡いから。


 大丈夫だよ。


 ぼくは、まだ頑張れるから。


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