第14話




 きみとあの場所で出逢ったこと。


 それが本当にただの偶然だったとしても。


 運命や神さまなんかに導かれたものだったとしても。


 きみのためになるんだったら、どっちでもいいや。


 そんなことを思ったぼくを、きみは怒るかな、あきれるのかな。




「繋がりはわかってるのか。情報はあんたの専門分野なんだろ」

 リクの声が突然すぐ近くで聞こえた。

 あれ、なんで? と思うけど、身体が動いてくれない。

「あちらもそれに関しては慎重にやってるんでしょう、証拠を挙げられるようなものはいまだ」

 これはクイン・グレッド管財官の声。

「起きたか」

 なに? リク。

 起きた?

 あ、はい。

 起きました。

 意識が上がって、自分がどこにいるのか気づいたとき、やってしまったと恥ずかしくなって、なおさら身動きができなかった。

 泣き疲れてそのまま寝ていたなんて、子供みたいなこと。

 いや、ぼくは子供なんだった。

 ああもう。

 ぼくよりもずいぶん背が高くて、大人の男たちよりはひと周りほどまだ小柄なリクの腕の中にいたときの気持ちは、いたたまれなくて恥ずかしくて、しばらく一人で反省していたいくらいだった。

 記憶のないぼくだけど、出来事としての思い出は全然浮かばないんだけど、漠然と、自分の年齢はもう少し上なんじゃないかなと思うときがある。

 大人だとは思わない。そんな感覚じゃない。

 この小さな身体でいることにはたまに違和感がある程度。

 でも、リクと一緒にいると、その年齢の違和感は薄れて、消えてなくなる。

 見た目のきみくらいだったのかな。

「寝ぼけてんのか」

 あったかくてふわりと気持ちよくなっていて、返事をしたくてもできなかった。

「そのままに。お疲れなんでしょう」

 クイン・グレッド管財官は、そっと小さな声で言った。

 そういう気遣いもできる人なんだ。

「戦闘に参加した盗賊はキスリングにより落命していましたが、逃走した幾人かは捕らえました。集落の兵数人が盗賊にやられたのは人数をかけた不意打ちであったからでしょうが、そう腕のいい輩ではなかったようですね」

「寄せ集めだろうな。意思疎通に開きがあった」

 ぼくがうとうとしている間にも、二人の会話は続いている。

「あなたがたは相当に手加減なさっていたのですね。あの人数相手に怪我もないとは」

「こちらの身内とこいつを逃がすことが最優先だった」

「それで、そんな独自の戦力のある組織をお持ちのあなたがたの狙いは、なんですか」

 リクは即答はしなかった。

 管財官の質問が、核心を突いたからだろうか。

「レナン様がどの程度あなたがたに過去を話されたのか。あなたがたは、自分たちの行く末を賭けて、この場に挑んでおられる。彼が本物だと知り得ないと、ここまでの賭けには出られないでしょう」

 リク。

「そう大したもんじゃない。こいつが本物ではなくても、マンダルバとの直接取引が増えればこちらにとっては大きな利益になる」

「それが本音にしては、あなたがたのこれまでの活動からは、かけ離れて大胆でいらっしゃる」

 あの、また心理戦みたいなことになってるみたいですけど、なんでそうなるの。

「よく知ってるな」

 リクが少し笑う。

「あれだけムトンで急激に活動している組織を、見逃すことのほうが難しい。ムトン情勢はマンダルバの重要事項ですよ。スーザの管理に関わることですから」

「やはりそれもあんたの管轄か」

「マンダルバの交易に関わるすべてのことが、マンダルバ管財官の仕事です。スーザで驚異的な速さで人員を増やし事業を拡大させているヤトゥ商会。もちろん、耳に入っていますよ。貿易部門セリュフ、護衛部門ヴィイ、二人の名はよく聞こえてきますが、この二人の能力が抜きん出ていたとしても、この躍進には違和感がありました。二人のひととなりでは説明がつかない、組織の統率力。表に出てきていない人物が彼らの上にいるのではないかと考えていました」

 世界の最高学府と言われるところを首席で出る人って、そういうところまで見てるのか。

「あなたなんでしょう? 組織の頂点にいるのは」

 クイン・グレッド管財官の声には、一切の油断がない。

 彼は、見た目はまだ少年のリクに、警戒心を抱いている。

 リクはなんて答えるだろう。

「いままで一切表に出てこなかった人物が、いま目の前にいる。事情を尋ねたくなるのはご理解いただけるでしょう。ただの興味でもあり、私の管財官としての仕事に大きく関わることでもある。なぜ、あなたがたが、必要以上に、レナン様に関わっておられるのか。ただ単に事業拡大をされたいならば、いままでのやり方でも問題はなかったはずでしょう」

 クイン・グレッド管財官が言葉を切ると、その場には沈黙が満ちた。

 空気が冷えたように思って、少し身体が震えた。

「毛布を」

 管財官が誰かに言う。

 しばらくすると、近くに人の気配がして、ふわりと身体に毛布を掛けられた。

 リクがぼくを少し抱え直し、それでもまだ起きられないぼくは、二人の会話を聞いているしかなかった。

 リクが、小さく息をついた。

「おまえたちは、ムトンのことをどれだけ知っている」

 その声には、あたたかみも冷たさもない。

「世間の者よりは、よく知っているつもりです」

「知ってはいても、関わりを持つつもりはないだろう。マンダルバは、確かに豊かだ。それを維持できているのも、多大な努力をしているからだとも知っている。マンダルバ以外のことには、口出しも手出しもするつもりがないこともな。あんたも、近くの国の奴らも、ムトンの現状を知ってはいても、おまえたちにとっては、それはただの情報にすぎない」

「そうですね。そういうものでしょう」

「そう、そういうもんだ。ムトンは誰の助けもない、棄てられた土地だ。だが、どんな環境であろうと、そこでしか生きられない者たちがいる。お前たちの目には映らないものが、そこにはある。移住すればいいだろうと、よその者は言う」

 吐き捨てるようにリクは笑った。

「簡単にな。過酷な環境なら、別の場所に住めばいいだろう、そんなふうに。町や村があっても、最低限の暮らし。訳ありの者たちの住処。なにかから逃げてきた者。貧しくてどこにも行けずに、そこに留まるしかない者。見捨ててまた違う場所に移る者。流れてくる者。慎ましやかに暮らす者。だがそこに、本当に満足している人間はいない。よその者は、こう言う。違う場所に行けばいい。その声に従ったものは多いだろう。だからこその、ムトンの現状だ。だが、棄てたのは、いまそこにいる者ではない。そこに残っている者は、生きる資格がないと思うか? その場所では生きられない、そう言われても、そこに人はいる」

 タグやセリアやスウィン、子供たちみんな、そして、ぼくの知らない、他の人たち。

 自分が見てきたように、想像する。

 食べるものが少なくて、でもどこにも行けなくて、働きたくても身体は小さくて、できることが少なくて。

 なにをすればいい?

 なにがあれば、みんなが生きていける?

「お前たちが探すカルトーリは、そういうところで生きてきた。なにもしなくても食べものがあるマンダルバじゃない。どんな努力をしても食べものがないムトンでだ。こいつがなぜここまで小さく貧弱か、想像がつかないわけはないだろう。俺と会わなければ、いまここにこいつはいないかもしれないが、生きていたとも思えない。前にも言ったが、利用しようとする者にカルトーリ候補としてスーザに連れてこられ、本物でないとお前たちに判断されたらすぐに見捨てられていただろう。生きて返されたと思うか? こいつがいたのは、山の上の相当不便なところにある、子供を保護する施設だ。そこができた当初は、誰かの善意で資金もあったんだろうが、維持できるほどの援助は、もはや受けられてなかったんだろう。その施設のかつての充実ぶりを示すのは、本の山だけ。いまのムトンでは知識を誰も望まない、本など食べられもしない。そこにいたのは、痩せた子供ばかりで、善意で世話する者もわずか。そんなところにも、流れ者は来る。こいつがカルトーリとして利用されたのは、そこを離れて人買いの手に渡ったからだ。ムトンの不便な山の上に好んでくる流れ者が、どういう輩か、あんたなら想像がつくだろう。こいつは、カルトーリ捜索を知っていた者に、売るためにそこから連れていかれた」

 リク。

 それって、ほんとうの、ぼくのこと?

 調べて、くれたの?

 眠っていると思っているぼくを抱えたまま、リクが続ける。

「そこにいれば、こいつはカルトーリ捜索を知らないまま、貧しさで死に絶えたかもしれない。俺に出逢わなければ、利用されたあと、利用できないと知られて処分されていただろう。まだ大人になれない子供がムトンにいれば、そういう目に遭ってもなんら珍しいことじゃない。それを情報として知っていても、あんたは、なにもできないだろう。飢える子供がいると知っていて、それに、どんな感情を抱いたとしても。いままで誰もいなかったのか? それを変えたいと思う奴は。いたとしても、成功しなかったからこうなっているんだろうな。ならば、あそこで誰がなにをしてもいいだろう? 誰の土地でもないなら、俺たちがもらう。マンダルバよりもさらに広大なムトンを欲しがる者が誰もいないなら、俺たちが盛大に利用させてもらう。お前たちが、自分たちの土地を守るように、俺たちも、自分たちが生きている場所で、これからも生きていく。なにが足りなくて、なにが必要で、なにをすればそれが手に入るのか、俺たちは知っている。そして、いまでも、飢えている者はいる。おまえには、本当に、俺たちが急いでいる理由がわからないか?」

 淡々と語るリクにしがみついていた手の力が増した。

 リクはそれに気づいていて、ぼくをさらに強く抱いてくれた。


 棄てられたムトンに生きる者たちにとっての、その声。


 諦めの中にある、光。


 キルリク。


 もう涙は枯れてるはずなのに、目が熱くなる。

 黙って聞いていたクイン・グレッド管財官は、なぜだか、ふっと笑い声を出した。

「そういう人物が、あの地に、ようやく現れたんですね」

 その声は楽しそうなものだ。

「よく、わかりました。カルトーリ様をお連れいただいた報酬として、あなたがたが望むものは、我々に叶えられるものならば協力いたしましょう」

「我らの組織と、直接取り引きいただけるよう、マンダルバ管財官殿に正式に依頼する」

 リクはまったく変わらぬ淡々とした口調で申し出た。

「承りました」

 それに対する管財官の声もまったく躊躇がない。

 なんて人たちだろう。

「我がマンダルバに利益のあることならば、むしろ喜んで取り引きに応じますが、わかっておられるんでしょうね、これが、どういうことなのか」

「無論」

「ムトンが豊かに変われば、周辺国は黙っておりますまい」

「当然だろうな」

「承知のうえですか。勝算はいかほど?」

「さあな。煩わしいことがあれば、振り払うのみ」

「潔いですな。それも面白そうだ」

「おい」

 意外にも楽しそうなクイン・グレッド氏に、ジョーイ・ハーラット氏から咎め立てる声があがった。

「十年弱。ムトンがある程度、民が餓えることのないくらいまでに変われるまで、それくらいはかかるでしょう」

「そうだろうな」

「このシン・レや、我々の下の世代が育つまで、同様の期間を要します。カルトーリ様がこのマンダルバの民に領主であると浸透する期間も」

 リクの返答はない。

「試練の期間となるでしょうね。互いに油断はできません」

「ああ」

「それでよろしいのですか」

 なにが?

「あなたとカルトーリ様、それぞれの道を違えても」

 リクは、答えない。

 でも。

 はじめから、そのつもりだよね。

 ムトンで生きていく人と。

 マンダルバの次期領主。

 これから見ていくものは、互いに交わらない。

 なにも言わないリクに、ぼくの決意を言わなくちゃいけないのに、胸苦しいのにリクの腕で安心しきって、また意識が飛んでしまった。




 マンダルバ本都までは、馬車でもまだ数日かかる。

 相変わらずぼくの体調に配慮した馬車での移動で、その周囲には、マンダルバの兵の他に、単騎でのヤトゥ商会の男たちが警護についていた。マンダルバ側が彼らを信用した証だった。

 セリア、タグ、シチェックの乗った馬車は別にすぐ後ろについてきていて、管財官と管財官補佐の乗った馬車はこちらを先導するように前を走っていた。乗り込む前にちらりとその様子を見ると、移動執務室のような代物だった。移動時まで仕事をこなさないといけないって、マンダルバ管財官の仕事量が恐ろしい。

 移動の間、ぼくの守護をしてくれているフィジとキースとおしゃべりし、ぼくからお願いして同乗してもらっていたエヴァンスとよく会話し、リクはどんなときも寡黙にそれを横目で眺め、とても楽しいときを過ごすことができた。

 そんな時間も、破られるときがくる。

 リクが窓の外に目を向け、エヴァンスがおしゃべりの口をつぐんだ。フィジが不敵に笑い、キースがなにも言わずに剣の革袋の紐を解く。

 ぼくは大きく息をついた。

 馬車の外は夕闇を迎え、管財官が手配した宿にはもう少し行かないといけないところ。民家は少なく、大きな森山が周囲に増えだした、その場所。

「本都に着く前に、来ると思ったんだ」

 しょうがないねといった声でフィジがこぼす。

 それはこの場にいる皆が思っていたようで。

「俺は来て欲しくはなかったですよ」

 面倒そうにエヴァンスが剣を手にした。

「思い切っちゃって、いいですかね」

 立ち上がり、馬車の扉に手をかけてエヴァンスがリクに問うた。

「許可がなくてもやるんだろうが」

 投げやりにリクが返すと、エヴァンスはニヤリと笑い、外へと出た。

 すでに外からの争う音や声が聞こえてくる。

「リク」

 他の人が大丈夫かと、リクに目を向ける。

「おまえは自分のことだけ気にしていろ」

「馬車には防御術を掛けといたから魔法は効かないけど、人力とか物理的にだと潰れるよ? こんなマンダルバの奥まで賊が来てるんなら、導いた者がいるはずだし、きっと人数も桁違いだね。この馬車だけならいくらでもこの場を突っ切れる。でも、それでいいの?」

 フィジはぼくに問いかけてくる。

「リク」

 リクは窓のほうに目をやっていたのを、溜め息をついてからやっとぼくに目を向けてくれた。

「みんながいたから、ぼくはここにいる。みんなに危険が迫るなら、ぼくがここにいる意味がない」

「レナンはあたしが守ってる。キースはまた運動不足だって」

 リクは、あきれたような眼でぼくを見た。

 え、なんでいまその眼なの。

「おまえ、どれだけ人を誑し込めば気がすむんだ」

 はい?

「無自覚だから厄介だよねー」

「茶化すな」

「はいはい」

 リクはぼくから目を離すと、扉を開けて外へと出る。下に降り立ち、ぼくに向けて手を差し伸べた。

「来い。おまえが動けば、こいつらも動く」

「あ、はい」

 慌ててリクの手に捕まり、外へ出る。

 途端に、剣戟や怒号、火の気配なんかが強く吹き付けてくるように感じた。

 なんて、人数。

 敵は、こちらよりも大人数なのが明らかで、道の向こうにも後ろにも、戦っている人たちがいた。

 暗くなった森の道、待ち伏せするには最適なところ。

「こんな樹々の豊かなところで火を使うなんて、不埒者ね」

 フィジとキースも馬車を下りる。

 森のどこかが燃えている。

「戦でもないから、管財官が常時動かせる兵数は限られていたようだね」

 二人とも、慣れてるからってそんなにのんびりしないで。

 ぼくの焦りの声が聞こえたように、キースはぼくに向かって笑い、剣を抜いた鞘をまたフィジに預けていた。

「カドルにして傭兵、キスリングの戦技、レナン殿にお目にかける」

 キース、いや、キスリングがぼくに背を向けて、長大な剣を歩きながら準備運動のように軽く振り下ろす。

 彼の朗々とした素敵な声がなにか言葉を奏でていて、その振り下ろした剣に、大粒の水滴が滴り出した。

 これって、水の魔法?

「水精魔法はね、普通ならただの水しか出せない。それは、戦闘では大して役には立たない」

 フィジがキスリングのほうを向いて、ぼくに語ってくれる。

 次の瞬間。

 キスリングの剣の水の動きが固まった。

 彼の前に周りに、暗い衣服を着た複数の男たちが迫ってきていた。

 まだ距離のあるところで剣を構えた者らは止まり、キスリングに警戒しているようだった。

 キスリングが無造作に歩むとその距離を保ったまま敵があとじさる。これでは彼の長大な剣でも届かない。

 キスリングはスッと腰を落とすと剣を背後に水平に構え、超人的と言えるような速さでそのまま水平に剣を振り払った。まるで目の前の硬いものを輪切りにするように。

 複数上がった男たちの鋭い悲鳴に、なにが起きたのかわからなかった。キスリングの周囲すべての敵が、地に這っていた。

「水精魔法を極めれば、温度を操ることができる。それが、雹雲の由来」

 雹を生み出すもの、それは、雲。

「接近戦だけでも脅威なのに、氷の刃を撃ち込めるんじゃ、無敵になるはずだな」

 ぼくの後ろでリクがあきれ声を出す。

 キスリングはさらに前方の複数の敵にも普通に歩いて迫っていく。遠距離でも敵を倒せるキスリングに男たちは無謀にも斬りかかっていく。

「少しでも魔法を感じ取れる者なら、いまのキースに近寄ろうなんて思えないはずなんだけどね」

 ぼくには理解できないほどの戦闘力を持つカドルは、ぼくの目の前で踊るように、重く長大な剣を軽々しく縦横無尽に振るっていく。

 その動きがすごすぎて、目がついていかない。

 自分の目の前で人が死んでいくのに、それから目が離せない。

 心臓はずっと速いまま、怖いことにはまったく変わりないのに。

 ぼくがキスリングの動きに見惚れていると、リクが持っていた剣を鞘から抜いていた。

 フィジが手をぼくの横手にかざす。その唇が美しい言葉を奏でると、凄まじい突風が渦を巻いてぼくに迫ってきていた誰かに吹き付けられ、地に鞘を放り投げたリクが直後に強い踏み込みで敵の胸辺りを斬り払った。

 自分に近いところでの血飛沫に、さすがに目をつぶってしまう。手が震えてきた。

「う」

 守ってくれている人たちがどれだけ強くても、怖くて、でも、きっとぼくはそれを見届けないといけなくて。

 涙ぐみながら、地に倒れている人を見おろす。

「無理はしなくていいんだよ。こんなことに慣れる必要はない。手を汚すのは部下の仕事。支配者とはそういうもんだよ」

 それでも。

 自分のために誰かが手を汚さないといけないなら、それは知っておかなければならないものじゃないのか。

 戻ってきたリクを見上げる。

 リクはなにも言わずに、またぼくの背後に立つ。

 決意をしたなら見届けろ、そう言っている気がした。

「ちょっと、敵の数が多すぎない? 狭い場所じゃ、さすがのキースも時間がかかるよ。味方まで斬るわけにはいかないからね」

 当たり前のこと言わないでください。

「雹雲のキスリングには、五馬身は近寄るな。これ、傭兵仲間の合言葉。普通の兵相手なら百人くらいあっという間に斬り払っちゃうから」

「納得」

 怖いことを納得しないでリク!

「それに、味方なら、もうすぐ着く」

 え?

 たしかに、複数の馬が駆ける地響きが近づいてくる。

 リクのほうを向けば、ぼくらの背後のほうから騎乗した人が大勢近づいてきていた。

「先を越されたか」

 リクはそう言うと、後ろについてきていたセリアたちの馬車に近づいていく。

 ヤトゥ商会の男たちに守られていたけど、彼らも敵と応戦している。

「あれも、敵のほうだね」

 フィジが少し警戒した声で言ったことで、近づいてきていたのが敵だと知る。

 リクが片手でシチェックを胸に抱え、ぼくの足元に下ろす。シチェックはぼくを見上げてにこりと笑い、ぼくの片手を握った。タグとセリアはリクの背後からこちらに避難してきた。

「ナオのそばにいろ」

 リクはタグたちにそう言い置いて、ぼくたちと、戦うヤトゥ商会の男たちとの間で留まり、片手で剣を下げたまま背を向け立っていた。

 どれだけの人数が、敵としてここで襲撃してきたのか。もう百は超えている。こちらは十数人の戦士たち。多勢に無勢。

 エヴァンスが向こうで声を張っていた。

「何者だ、おまえたちは」

 近寄って来ていた男たちは、持っていた松明の火で森に火を移していた。

 なんてことを。

 その男たちの先頭に馬を進めて来た者がいた。

「名もなき盗賊団を、聞いたことがないか?」

 笑いながらの通る声の騎乗の男は、炎に照らされ、屈強な体格をぼくたちに見せつける。

 男の背後の者たちも笑っている。

 この前の盗賊は、この者らか。

 シチェックの手を握る手を強くする。

「それがおまえたちと言いたいわけか?」

 エヴァンスが嘲るような声を出す。

「ムトンの盗賊たちを併合し、従え、ときには潰してきた。それが我らのことだ」

 自信に満ちた男に、エヴァンスが笑い出す。

「これはまた、自己主張の激しい名もなき盗賊団だ」

「笑えるのもいまのうちだ。恐怖に怯えて死ぬがいい」

「そんなご大層なお言葉を言う暇があるなら、さっさと奪うのが盗賊ってもんだ。おしゃべりは身を滅ぼすぞ」

「自分を棚にあげるな」

 敵の男とエヴァンスの会話に割り込んだリクの茶化しに、

「うるさいですよ!」

 エヴァンスがリクに向かって歯を剥く。

 こんな場面で笑わせにこないで。

 シチェックが笑い転げている。その肝っ玉、ぼくにも分けて。

 こちらの茶番に腹を立てたのか、今度は敵の男たちが無言で馬を動かした。

 ヤトゥ商会の男たちは再び応戦していく。

「狭い場所では馬上は不利なのに」

 フィジが不思議そうにつぶやく。

 たしかに、地に降りて戦っているヤトゥ商会の男たちは、容赦なく近寄る馬や敵の足を斬り払い、すぐにそこから去っていく。

 次々に出来上がる馬や人の屍に、道はどんどんと塞がっていく。

 馬はこちらに来ることができずに、自然にできた防壁に、勝手に苛立っている。

「火を放て!」

 今度は向こうから火矢が降ってくる。

 ル・イースが一番前に立つ。声は聞こえないけど彼が片手を振ると、巨大な炎の壁が火矢に向かい、羽ごと炎に包まれた矢は勢いを失い、ル・イースの随分前で地に落ちた。

 ル・イースが魔法を使うのを初めて見た。

「フィジ、あとで消しといてくれ」

 こちらを向かずに言うリクの声に、

「わかった」

 と軽くフィジが返事をする。

 だから、どうしてあなたたちには緊張感てものがないんですか。

 こんな場面なのにぼくまで緊張感が抜けたらきっとすぐ死ぬ。

 さすがに馬上が不利と気付いて、敵の男たちが馬を下りだした。

 さすがに数十人がこちらに一気に来れば、無事では済まない。

 それでもそんなに広くはない森の中の道なので、あちらも少しずつ来るしかない。

 それに、森に放たれた炎が、どんどんと広がっていた。熱気と、焼け焦げた匂いが迫ってくる。

「大丈夫、雨も来る」

 フィジが自信を持って言うので、

「え、そんな力もあるんですか」

 つい質問した。

「あはは、さすがにそれは自然の力」

 突然の光の矢が幾筋も空を走る。眩しくて目を閉じた。

 しばらくしてから地を揺るがすほどの轟音が辺りを襲う。

 なんて雷。

 これは、たしかに雨の気配。

 湿った空気が、やってくる。

「タグ、セリア、シチェックと一緒に馬車にいて」

 タグとセリアの目をそれぞれ見る。

「わかった」

 タグは、ぼくをもうよそ者を見るような目では見ない。

「あんたも一緒に」

 セリアはぼくのことを心配してくれるようになった。

 セリアに首を振る。

「シチェックをお願い」

 握っていた手を離す。

 手のひらの温もりが消えていく。

 シチェックはおとなしく二人について馬車に乗ってくれた。

 ぼくは目を閉じて、馬車の扉を閉める。

 みんな、いままで、ありがとう。

「フィジ、みんなを、守って?」

 フィジの目を見て笑えた。

「あたしは高いよ」

 フィジが悪戯っ子の目で微笑む。

「出世払いでいいなら、マンダルバ次期領主として、お願いする」

 リクの真似をして、ちょっと偉そうに言ってみる。

 フィジが楽しそうに笑う。

「いいよ。貸しひとつね」

「信念を曲げてもいいんですか?」

「きみがマンダルバ領主になることが条件なんでしょ? それは叶う。だから支払いは保証済み。無理だったら、そっちの彼に追加料金もらうから、大丈夫」

「勝手に追加にするな」

 聞いていたらしいリクがぼやく。

 ああ、ごめんリク。だめだったらお願い。

「あ、ぼくの守護の件は」

「もうもらったよ。すごいね、ミリジス白金貨で即払い」

 一枚で、家一軒買える、ミリジス白金貨で、即払い……

 何者ですか。

 いまだにリクのことがよくわからない。

 フィジに馬車を任せ、本格的な土砂降りとなった中、リクのほうに行く。

 やや後ろに立って、リクの顔を見る。

 ちらりとこちらに視線をくれたけど、すぐに前を向いて、仲間が戦っている姿を見つめる。ぼくも、今度は目を逸らさない覚悟で、彼らを見る。

 みんな、強い。

 エヴァンスは素早い動きであちこちに移動し、敵を翻弄する。

 ヴィイは長身と全身のばねを使い、広範囲の敵を短時間で仕留める。

 ル・イースは最小限の動きで向かってくる敵の急所を確実に抉る。

 カイはヴィイの背後を守り、彼に向かっていこうとする者を巧みに妨害し倒す。

 他の二人も、堅実に剣を振るっている。

 何人かマンダルバの兵がいて、彼らも負けじと働いている。

 だけど、敵の数が多い。

 雨に濡れて冷え、疲労も溜まっていく。

 敵も、こちらを消耗させるような人員の注ぎ込み方をしてきていた。

 この均衡が破られそうで、怖い。

「やっと来たか」

 リクがつぶやく。

 敵の向こうから、雨の音に重なり、こちらとは違う声や音が聞こえてきていた。

 騎馬が数騎こちらに速い速度で駆けてくる。

 それらが道に折り重なっている屍たちの上を、雨飛沫をあげて向こう側から飛び越えてきた。

「あっぶない! それに遅いよ!」

 エヴァンスがやってきてた人に怒鳴っていた。

 丈夫そうな馬に乗っていたのはセリュフだった。

「悪いな。分散させてたのを再集結させるのに手間取った」

「少しは申し訳なさそうに言え」

 リクもセリュフにそんなふうに言う。

 どういうこと?

 どんどん、向こう側の騎馬が増え、とうとう敵が動きを止めた。

「おまえら、なにもんだ!」

 さっきの敵の首領格の男が声を荒げていた。

「何者だろうが気にするなよ。おまえたちは名前を付けてもらえなかった盗賊団なんだろ?」

 エヴァンスが敵を煽る。

「名もなきだ!」

「へえ?」

 セリュフが馬上で面白そうな顔で笑う。

「それはぜひ腕試しさせてもらわないとな」

 そう言って、セリュフは馬を下り、ヴィイのほうに行く。

「遅い」

 ヴィイもセリュフを叱る。

「だから悪かったって」

「これだからあんたは信用ならない」

 そんなことを言いながら、カイはその場をセリュフに譲り、ヴィイはセリュフとは違う敵に向く。

 二人はしばらく周りの敵を見ながら動きを止めていた。エヴァンスは二人から離れ、ル・イースも距離をとる。

 こちらの味方が作ったその間を、敵は二人に隙を見たように声をあげて飛びかかってきた。

 セリュフはあまり動かず敵の剣をゆっくりとした動きで自身の大剣で跳ね返すと、それを受けた敵が大きく体勢を崩した。

 即座にそれに追い討ちをかけたのがヴィイで、さっきよりも速い動きで敵を斬り倒す間に、ヴィイが動いて開いたところにセリュフがどんと脚を踏み込み、近くの敵を強い力で弾き飛ばす。

 またそれをヴィイが早い動きで追い撃つ。

 それを、なんとも目まぐるしい速度で繰り返し、本当にいつの間にか周囲の敵を短時間で二人は斬りまくる。

 なに、これ。

 他の誰とも違う戦い方だった。

 口悪く応酬し合う二人なのに、なにも言わずとも戦闘の呼吸がぴたりと合っていた。

 その速度は、キスリングが悠然と屍を量産するものに匹敵する。

 あまり場所を動かないセリュフと、身体のばねを生かして全身を使って動くヴィイ。

 なにかの息の合った競技を見ているみたいだった。

「あれ、もう来ないのか。期待外れだったな」

 二人が十数人斬ったところで、セリュフが動きを止めた。敵が向かってこなくなったんだ。

 なんて、強い。

「これが名もなき盗賊団か。弱いんだな」

 セリュフのなんだかわざとらしい台詞に、ふっと、隣でリクが笑った。

 なんだか、感覚が麻痺してくる。たくさんの人が、目の前で死んでいるのに。

「なにしてるの?」

 キスリングの声がする。

 後ろを見ると、

「こっちは終わったよ」

 キスリングがフィジから鞘を受け取り剣をしまっていた。

 あんなに、敵がいたのに。

 背後からクイン・グレッド管財官とジョーイ・ハーラット管財官補佐もやってきた。

「ご無事でしたか」

 ぼくに言ってくれた。

「はい。みんな、守ってくれました」

「ああ、これは、さすがとしか、言いようがない」

 道の向こう側にできている、ものすごい数の屍を見て、管財官が感心したように言う。

 リクが管財官に顔を向けた。

 リクと出逢ったときのような豪雨は、小さくなってきていて、リクの髪を落ちていく雫に、雨で消えようとしていた遠くの炎を反射し、リクの瞳がまた金色に見えた。

「名もなき戦力。数々の盗賊団を撃ち果たしてきた者たち」

 クイン・グレッド管財官の言葉に、

「知っていたか」

 リクが金色の強い眼で笑った。




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