3話

 いつの間にか、借りている部屋へと戻ってきていた。ニタニタと笑う死霊に聞くと、宿の主人が感動して夕飯の食事を無償で提供してくれたという。良い父娘がどういうものなのか分からない私は、釈然としない思いを抱きながらその食事を腹に収めたのだろう。それまではいい。

「あぁ……」

 問題となるシングルベッドを前に、私は頭を抱えるしかなかった。

 死霊とはいえ、目の前にいるのは大の男の人だ。一緒にいると、当然のことかもしれないが、一人では充分な広さだった部屋をやたらと狭く感じてしまう。彼の存在感が強いのも、そう思う要因になっているかもしれない。

「いい加減諦めて、隣に来たらどうだ?」

 先ほどまで宿屋の主人に向けていた人当たりの良い笑みはどこへやら。

 意地の悪い笑みを浮かべながら、ベッドの端へ座りこちらを手招きしている。完全に自分がイニシアチブを握っていると自覚している笑みだ。どうしてこうなってしまったんだろう。

 彼に会ってから、こんなはずじゃなかったのにと思うことばかりだ。

「さっきから言ってるじゃないですか。私は、このソファで寝ます」

「お父さんと一緒に寝るんじゃなかったのか?」

「それはその場の勢いで言ってしまっただけです! っていうか、あなたは……」

 本当の父親じゃないですよね。そう言おうとした。しかし、あなたという二人称を使ったことで、自らがしなければいけないことを思い出す。彼の正体と、どれだけ自分の状況を把握しているかを聞いておかなければならない。

「あなたは、一体何者なんですか?」

「私か?」

 男は、こちらを小馬鹿にしたように鼻で笑った。

「こちらに身の上を聞く前に、まずは自らの話をするべきではないか?」

 正論に、思わず閉口する。たしかにそうだ。そうなのだが、私が見ている顔の九割が悪人面なので、彼の口から一般常識が出てくると驚いてしまう。元々の素材はいいだろうに、どうしてこんなにも悪そうな表情が出来るんだろうか。

 というか、どうして私相手にはそんな表情ばかりしかしてくれないんだろう。もうちょっと人のいい顔だって出来ているのに。

「……それもそうですね、失礼しました。私の名前は、ペルラと言います。ネクロマンサーになるために、師のもとへ行く旅をしています」

「ほう、ペルラか」

 彼が私の名前を、ゆっくりと繰り返す。

 そして、思い出したように言葉を続けた。

「古代語で真珠という意味の言葉だな。良い名をつけるものだ。命名は両親によるものか?」

「そうですけど……」

 ストレートに褒められ、嬉しくなってしまう。今は亡き両親が残した自らの名前を褒められるのは、この上なく嬉しいことだ。

「良い名ですよね、やっぱり」

「ああ、両親に感謝することだ」

「もちろんしてますよ」

「そうか、ならいいんだ」

 彼は、組んでいる足の左右を入れ替える。

「口ぶりからして、親子仲は良いようだな。であれば、一人で旅をしている娘のことがさぞかし心配だろう。本当に見に来たりするんじゃないのか?」

「そんなことはありませんよ」

「何故そう言い切れる?」

「両親はもう、この世にいません」

 その言葉で、男の表情が変わることはなかった。男の瞳に映っている私の表情も、そんなに大きくは動いていない。現実を受け入れられずに泣いて過ごす日々は、もう過ぎ去ったのだ。

 時間は、どんな悲しみも洗い流してくれる。

「そ、そんなことより。あなたも名前くらい明かしてくださいよ」

「レオン。レオン・サビーナだ」

 彼の態度から有名な貴族の出であることは容易に想像できていたが、その口から出てきた家名に首を傾げた。

「……聞いたことない家名ですね」

「そうか、滅んだか」

「いやいや!? 貴方のような人間が産まれる家が何故!?」

 呆気なくそんなことを言う彼に、こちらのほうが肝を冷やしてしまう。

 もしかしたら記憶の奥底にあるのかもしれないと思って糸口を辿るが、どうやっても思い出せない。

「思い出せないのだろう?」

「も、もしかしたら、私が知らないだけかもしれませんし」

「これでも私が治めていた頃は、近隣で知らぬ者はいない家だったんだ。そうではないということは、滅んだということなのだろうよ」

 自身のいた家が滅んだかもしれないのに、彼の口調は変わることがなかった。

 彼の時代は、頻繁に王が入れ替わっていた戦乱時代だったのかもしれない。

「今はどこの家の者が、この国を治めているんだ?」

「主にオリーヴェという家名の人が、この国をまとめていると習いました」

「それはこちらが知らぬ名だな。私が没したのが七十五年……今は何年になる?」

「五年です」

「五年?」

「……あ。すみません。一〇〇五年です」

 彼の顔から表情が消え、なにかまずいことを言ってしまったのかと思っているうちに彼は声を上げて笑い始めた。おかしくてたまらないと、その表情は語っている。今の会話のどこがおかしかったのだろうかと振り返ってみるが、特に面白いとは思えなかったので、ひとまず彼が落ち着くまで待つ。

 やがて落ち着いた彼が、しかし口の端からヒヒッといった笑いを溢しながら口を開いた。

「私は、おおよそ一〇〇〇年後の世界に来たということか。それなら我がいえが滅んでいたとしても、なんらおかしいことはないな」

「いえ、おかしいですよ」

「なにがだ?」

「レオンさんが国を治めていた時期は、確かにあるんですよね? だとしたら、その名が歴史にも残っていないのはおかしくないですか?」

「それは簡単な話だ。私の名が残るのが困る人間が消したんだろうよ」

「……恨まれてたんですか?」

「人並み以上には」

「それなら……そうなんですかね……?」

 彼が適当な嘘を吐いているとも思えなかった。彼の能力が高いことは、雰囲気だけで分かる。人並み以上に恨まれていたとしても、それは優秀すぎたからなんだろう。

「それで、ここまで会話を交わしたわけだが。……こちらで寝る気にはなったか?」

「まだ諦めてなかったんですか!?」

「諦めるもなにも、そもそもお前は、宿の主人の好意を無下に出来るのか?」

「……と、言いますと?」

 彼はおもむろに立ち上がると、私との間にあるテーブルの上に乗っていた携帯食を手に取る。

「お前が失言だと思っていることを言わなければ、これを食べることになっていたんだろう? 温かい食事を食べられて良かったとは思わないか?」

 言われてみればまさしくその通りだ。だが、失言以前にやはり彼は父親ではないという思いが強い。

「あなたは、私の父親じゃないんですよ!?」

「そうだな。今はお前に喚ばれた死霊だ。死霊として、主の体調を気遣わなければならないだろう?」

 彼に手を握られる。

 そのまま引き寄せられ、私は彼と共にベッドへと倒れ込んだ。

「寝ろ」

「ご、強引にもほどがあります!」

「悪いな。どうやら、死んでも性分は変わらないらしい」

 私はなんとしても起き上がろうとした。しかし、予想以上に疲れが溜まっていたらしい。柔らかい布団と枕から起き上がることは出来ず、徐々にまぶたが閉じていく。最後に見えたのは、レオンさんがふっと微笑む姿だった。

 私の前でも、そんな顔出来るんじゃないですか……。

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