2話
「……ハッ」
宿屋の前で、私は気が付いた。このまま彼を宿泊させるとなると、彼が泊まる部屋も取らなければならなくなる。そうすると、単純計算でも倍の料金がかかってしまう。もしも良い部屋しか空いていなかったとなれば、倍以上の出費になることもあるだろう。死霊である彼に代金が払えるとは、到底思えない。となれば払うのは私であり、少ない旅費がさらに少なくなってしまう。そんな理不尽な出費は、出来る限り避けたい。
「入らないのか?」
「ちょ、ちょっと待ってもらっていいですか……」
「早く風呂に入るべきだと思うが?」
「それはごもっともなんですが……ちょっと、ちょっとだけ待ってください」
かといって出費を抑え、私が今取っている部屋に二人で泊まるというのもなんだか納得がいかない。本来は私一人が泊まるつもりだったので、部屋は必要最低限の狭いものだ。そんな場所で彼と二人きりというのは落ち着かないし、寝ている間に本契約をされる可能性だってある。
「……あれ?」
そもそも、死霊側の一任で本契約って出来たんだっけ?
冷静になると、さっきまでは動揺していて思い出せなかった色々なことが頭に浮上してくる。本契約に必要な行為が口づけだというのも、本来ならば知っていた。
しかし、目の前で起きる出来事があまりにも衝撃的すぎて、思い出すような余裕がなかったのだ。思い出した今は、確認したいことが山のようにある。
「すみません。死霊さんって、どこまで自分の状況を知っていらっしゃるんですか?」
彼については、名前すらもまだ聞いていない。
「本契約をしようとしない、強情な人間に喚ばれたというくらいだが」
「そういうことではなくってですね?」
「いい加減に入らないか? 本当に風邪をひくぞ」
「あーもう、それはそうなんですけど。うー、こっちの悩みも知らないでー……」
呆れたように呟く彼を尻目に、再びどうしたものかと考えようとした私の視界が一転。
本当に、文字通り一転した。
突然の視界の揺らぎに、頭がぐらりと回される。
「なな、なんなんですか!?」
「随分と軽い人間だ」
どうやら、彼によって担ぎ上げられてしまったらしい。本契約ではないせいで力が足りないと言っていたのに、それでも一般的な大人並みの力は残っているようだ。生前の彼は、力が有り余っていたのかもしれない。
「もう少し食べろ」
「あのですね、食事にもお金はかかるんですよ?」
「それは当然のことだが……もういい」
会話することを放棄した彼が宿の扉を開け、中へと入る。
すると、真っ先に目の合った宿の若い使用人があらあらと言いながらタオルを持ってきてくれた。
「ずぶ濡れじゃないの!」
本当だと呟かれながら、ゆっくりと地に下ろされる。
地に足がつくことに、多大なる安堵感を感じた。
使用人は彼には自らで拭くように促しつつ、私の顔や体をごしごしと拭いていく。その手つきが孤児院にいた頃のシスターと似たものだったので、無意識のうちに手を握ってしまった。
「保護者の方がいながら、どうしてこんなになるまで外にいたのよ!?」
「ほ、ほご」
続いた言葉に、一気に手から力が抜ける。彼が自分の保護者だなんて。一切予想できなかった関係性予想に驚きながら、そう思われても無理はないのだと口の中で呟いて自分を落ち着かせる。
「すみ」
「すみません。私は止めたのですが、聞かなくって」
「え」
私の言葉を遮った言葉がどの口から出てきたのか分からなかったため、私は一瞬だけ周囲を見回した。エントランスには、私と死霊の男と使用人しかいない。
「あらまあ、反抗期?」
「そうかもしれません。成長を感じさせる出来事ですが、こういうことがあると心配でなりませんね」
「分かるわぁ。私の息子もそうだったもの」
目の前で交わされる会話の内容もかなりのものだったが、さわやかな好青年らしい笑みを浮かべている死霊の男に対して鳥肌を立ててしまった。
さっきまでの好戦的な笑みを、一体どうやって消しているのだろう。
「あらやだ。こうしちゃいられない! 早く体を温めなさいな!」
それを見た使用人が、寒さのせいだと勘違いしたらしい。
慌てたように、浴場へと案内してくれた。
「……はぁ」
時間が時間なだけに誰もいない更衣室の扉付近で、ぼーっと一点を見つめ続ける。
先ほどから、起きる出来事の内容が濃過ぎるのだ。近頃は一人で道を急ぐか、ご飯を食べるか、本を読むか、寝るかといった生きていく上で欠かせないことしかしていなかったがゆえに、どっと疲れがのしかかってきた。しかも、問題はお風呂に入ったところで何一つ解決しない。
入ったら出たくなくなるだろうな。
そう思ったが、震えの原因は寒さにもたしかにあったらしい。
震える自らの体を見て、渋々服を脱いでいくのであった。
髪や体を洗ってから温かい湯船に浸かると、幾分か心に余裕が生まれてきた。誰もいないおかげで、気兼ねなく入れているというのが大きいだろう。昨日の夜は人が多く縮こまって入ったせいで、あまりゆっくりすることが出来なかった。
「さて、と……」
一息ついたところで、脳内で状況を整理する。
偶然ではあるが、死霊を喚び出してしまった。
しかも喚ばれた本人はいかにも扱いづらそうな気質をしているうえに、私と本契約を結び現世へ留まることを望んでいる。
私はネクロマンサーを志してはいるものの、まだ勉強を始めたばかりだ。きっと彼は、自分のような人間が喚んでいいヒトじゃない。しかし、今の私には彼を帰すことが出来ないのである。そうなれば、いや、元より道は一つしかない。早くネクロマンサーの師の元へ行き、修行を積む。それだけだ。使役するにしても帰すにしても、まずは学ばなければどうにもならない。
やることは変わらないけれど、より一層やらないといけなくなってしまった。それ自体は良いことかもしれないが、過程が一切の良さを無くしている。
こんなつもりじゃなかったのに。軽い気持ちでやったおまじないが、とんでもないことを招いてしまった。
「後悔しても仕方がないと分かっていても、してしまうものはある!」
ぐっと拳を握りしめて、目線の先にあった桶を睨みつける。もちろん意味のない行為なので、すぐに視線を上へと逸らした。
「……ハァ」
とりあえず、あがってから彼に名前と生前の経歴は一通り聞いておこう。あとは、彼が自らの置かれた状況をどれだけ理解しているかをきちんと把握しなければならない。
本契約をしていない死霊は、召喚した本人から絶えず力を貰い続けている。そのため、食事などは必要がなかったはずだ。だがそこで安心するのは良くないことで、油断していたときに一定以上の距離を置くと途端に死霊が苦しみだしたと、以前読んだ本に書いてあったような……。
そこまでを考えて、私はハッとした。一定以上の距離がどのくらいのものかまでは覚えていないのだが、距離を置いているのは間違いない。しかも、かなりの時間を経てしまっている。
どうしようと口に出すより先に、湯船から出た。急いで服を着ると、エントランスへと走る。そう距離もなく行き着いたエントランスにある歓談スペースで、彼らしい人が宿の主人と向かい合って座っていた。
「……えーと?」
ラフな格好をしているために確認が遅れたが、どうやら本人らしい。
「おかえり。温まったかな?」
こちらに気付いた彼が顔を上げ、そんな言葉とともに手を振られる。
結論から言うと、彼はなんともなかった。
その手の振り方があまりにも余裕に溢れていたので、心配して損をしたと心中で悪態を吐く。
「……ただいま」
とはいえ人がいるので、出来る限りの笑顔を浮かべてそう返す。気を良くしているらしい主人もまた、おかえりと口にしてくれた。
「あの、鎧は?」
「主人に服を貸していただいてね。鎧は君の部屋を案内してもらって置いてきたんだ」
「あんまりにも濡れていたから、不憫に思って俺の服を貸したんだよ。いやぁ。俺の若い頃に似て美形だねぇ」
「いやだなぁ。褒め過ぎですよ、お父さん」
「なんでも、君を心配してわざわざ田舎から来たんだって? 良いお父さんだね、本当に」
「そ、そうですねぇ」
「あ、いや。部屋も君と一緒でいいって話だったから、父娘で仲が良いのかな?」
答えづらい問いに、思わず死霊のほうを見つめた。彼はにこにこと人の良い笑みをしており、なにを考えてそう言ったのかを読み取ることが出来ない。それに、彼が代わりに適当なことを言ってくれそうにもなかった。
もちろんここで、やっぱり部屋は別がいいですということも出来るんだろう。勝手に決められてしまったのだし、年頃の人間としてそれを拒否する権利くらいはあるはずだ。
「……はい、そうなんです。父、良い人で」
だが、私の口から出て来たのは肯定の言葉である。どうしてなのか自分でも分からずに動揺し、頭の中が一気に爆発した。そのせいで、余計なことを口走ってしまったのだろう。
「今日も、一緒のベッドで寝る予定なんです!!」
そう言ってからのことは、よく覚えていない。
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