一の五

 壁にもたれて腰を抜かしたようにへたりこんでいる杉谷君に、不良のひとりが、覆いかぶさるようにして脅している状況だった。

 杉谷少年、おとなしい性格が災いして、いつも不良たちの餌食にされている。あぐりは、杉谷君にけっして悪い印象を持っているわけではないのだが、もうすこしだけでもシャッキリとしてくれれば、印象もずっと良くなるだろうに、と思う。

 不良たち、紫のほうに向きなおって威嚇してきた。

「てめぇ、今度こそぶちのめしてやる」

「どうした、口だけか、かかってこいよ」

 言うが早いか、紫が不良のひとりに飛び蹴りをくらわした。

「てめぇから、かかってきてんじゃねぇか!」

 残りの不良ふたりが同時に、紫にとびかかる。だが紫は、いともたやすく空手パンチとチョップで撃退し、起きなおってきた最初に蹴り飛ばした不良を、回し蹴りで再びふっとばした。

 じつにたわいなくカタがついたようにみえるのだが、不良たちも本当はかなりケンカは強いはずだ。

 だがそれよりも、紫が強い。強すぎる。たぶん学園最強。

「おぼえてろよっ」

 叫びながら、ほうほうのていで不良たちは校舎に入っていった。

「けっ、ありきたりなすてゼリフしか言えねえのかっ」

 紫は満足げな笑みを浮かべて、言いはなつ。

 趣味、悪党退治、これにて終了。

 その後ろを、杉谷君が、足音をしのばせて、そっと立ち去ろうとしていた。だが紫は、ケモノの感覚で察知した。ふりむきざま、杉谷君のお尻にケリを一発(軽いやつ)。

「てめえがシャンとしてねえから、クズどもがつけあがるんだよっ」

 楯岡紫、そうとうブラックな正義の味方である。

「あ、杉谷君、大丈夫?」

 つんのめって、ヒザをついた杉谷に、あぐりがかけよって助けおこそうとした。

「甘やかすんじゃねぇよ」

「もう、ユカちゃんは他人ひとに厳しすぎるんだよ」

「あんたは甘すぎるんだよ。そんなやつ、厳しくするくらいでちょうどいいんだよ。愛のムチだ、ムチ」

 おためごかしなことを言って、人に厳しくあたるのは、あまり感心しないあぐりだが、それを言って改心する紫ではない。

「ありがとう……」

 と、はたして言ったかどうか。聞きとれないほどの小さな声でつぶやくと、杉谷はズレた眼鏡をなおそうともせず、そそくさと、立ち去っていった。

 あぐりは杉谷を、憐憫れんびんの目で見送るしかなかった。


 杉谷は、校舎の裏のまで歩いてきた。そこで周りをみまわし、人気のないことを確かめると、うつむき、嗚咽した。ずっとこらえ続けてここまできた。たまりにたまった涙が、とめどなくあふれでてきた。

「ちくしょう、ちくしょう」

 声にならない声で、杉谷は言った。

 クズどもめ、楯岡め、みんな僕のことを馬鹿にしやがって。ちくしょう、ちくしょう――。

 涙でぬれた眼鏡をふきとることもせず、ただ、ひたすらに、涙を流した。

 その前に、どす黒い靄のようなものが湧きでてきた。それはやがて収縮し、人の形をなしたとき、杉谷の耳に、いや、脳に直接届くように、声が聞こえた。

「力が欲しいか」

 杉谷が顔をあげると、そこには、不気味な人の形にみえる「なにか」がいた。

 驚きのあまり、声もでず、涙も止まり、杉谷はただおびえた。

「キミに力をあげよう」

 不思議と心の安らぐ声。

「すべてを手に入れる力を。すべてを制する力を」

 魅惑的なささやきに、恐怖はしだいに消えてゆき、心は落ち着きをとりもどしていった。杉谷は、目の前にいるものが、なんであろうとかまわない、と思った。

 杉谷は、ただ、こくりとうなずいた。

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