一の六

 午後最初の授業は英語。担当はクラス担任の服部先生だ。

「ん?なんだ、チンピラ三人組だけじゃなく、杉谷もサボりか」

 まったくしょうがないなぁ、などとぼやきながら、服部先生は授業を始めた。

 不良の三人はともかく、杉谷君は真面目な生徒だ、授業をすっぽかすなんて、珍しい、とあぐりは思った。もしかしたら、昼休みの出来事が関係しているのだろうか?だが、杉谷君が不良たちからいじめられるのは、今日にかぎったことではなく、また、ユカちゃんが不良たちを撃退するのも、杉谷君を叱責するのも、いつものことだ、とあぐりは考えをめぐらせてみた。が、結局、的確な回答を導き出せず、杉谷君のことが心のすみにひっかかったまま、授業が進んでいった。

 五限目が終わり、六限目が過ぎ、そして放課後。

 あぐりは掃除当番だった。しかもトイレの。同じクラスの当番の女生徒たちと、ペチャクチャとよもやま話をしながら掃除をすませ、彼女らになんとなく言いくるめられるかたちで、ゴミ捨てをおしつけられて、校舎脇のゴミ置き場まで捨てにいった。

 あぐりは要領のわるいのは自覚しているのだが、どうもいつも貧乏クジを引いてしまうというか、引かされるというか、そのあたりの対処のしかた、回避する術といったものが思いつかず、ただ、ため息をつくしかない、というようなことが、しばしばあった。

 今も、そんな悶々とした気持ちをかかえたまま、ひとり教室にもどってきた。

 教室には、もう生徒の姿はみえず、ただ、赤みをおびた日の光につつまれた空間に、もの悲しい静寂だけがあった。

 中間テストを間近にひかえ、クラブ活動が休止中なので、みんなさっさと帰宅してしまうのは、当然と思えるのだが、いっしょに帰るために、あぐりの掃除が終わるまで待っている、と約束した紫までいないとは、いったいどういうことなのか。

 しかも、紫の机の上には、通学カバンが置きっぱなし。まったくどこをほっつき歩いているのやら。

 あぐりは、ちょっとふくれっ面になった。

 まさか、トイレにいっているんじゃないだろうか。人が一生懸命みがいた直後に。

 思いながらトイレにもどって中をのぞいてみたが、誰もいなかった。

 しかたがないので、教室にまたもどって自分の席にすわって、あぐりは教科書をカバンにつめたり、無意味に机の角度を直したり、机のうえをアルコールティッシュでふいたりしながら、ヒマをつぶしつつ、紫が帰るのを待った。

 五分、十分、十五分、十六、十七……。

 ゆかりは姿をみせない。

 はて、今までこんなことが、あっただろうか。いささか時間にルーズな紫ではあるが、ここまで何の連絡もない、というのは、まず、なかった気がする。

 ――しかたないなぁ。

 あぐりはスマートフォンをカバンから取り出した。この学校は、携帯電話を持ってくることは禁止されてはいないのだが、校内での使用は厳禁、という、ちょっとわけのわからない規則になっている。

 あたりをみまわし、誰もみていないことを確かめると、あぐりは、紫の携帯電話にかけてみた。

 校則にとらわれず、最初からこうすればよかった。

 ブゥーン、ブゥーン、と携帯のバイブが振動している音が、紫のカバンから、聞こえてきた。

 あぐりは、舌打ちをしたい気分になったが、たとえ教室にひとりとはいえ、ちょっとはしたないので、やめた。

 さて、困った。このまま待つしかないのか。スマホの画面をながめながら、あぐりは考えこんだ。

「校内でスマホを使うとは、いい度胸だな」

「はひっ!?」

 ふりむくと、担任の服部先生が、いつの間にか立っていた。

 隠し巨乳先生は、バストサイズだけじゃなく、存在そのものさえも隠すことができるのか?あなどれない。

 足音はおろか、まったく気配を感じさせず、人の背後にしのびよるとは、忍者の子孫のあぐりよりも、忍者の素質充分なんじゃなかろうか。

「え、いや、ち、ち、違うんです」

 あぐりは、意表をつかれ、完全にしどろもどろになった。

「ユカ……、楯岡さんが、いなくって、その、どうしたものかと……」

「いない?楯岡が?あの存在感においては学園内に右に出るものがいない、あの楯岡が?」

 そんなバカなことがあるか、とでも言いたげに、服部先生の口元にわずかに嘲笑が浮かんだ気がした。

「はい、そ、それで連絡をとってみようと」

「して?」

「携帯はカバンの中みたいです」

「自宅に電話してみたか?」

「あ、いえ、今してみます」

 とあぐりは、紫の家に電話をかけてみたが、やはり帰ってはいなかった。

 それを横で聞いていた服部先生は、放送で呼び出してみる、と言って教室を去っていった。

 さて、どうしたものか。

 スマホをカバンにしまっていると、ふと気がついた。左腕のブレスレットの宝石が、わずかに輝いている。

 ――なにかしら、これ。光の加減かしら。

 気になったあぐりだったが、紫のことが案じられた。ブレスレットをしばらく見つめていたが、しだいに、いてもたってもいられない気分になってきて、校内を探してみよう、と思いたった。

 入れ違いになっても困るので、ノートをちぎった紙にメモを書いて、紫の机の上に残し、教室をあとにした。

 同時に、校舎のスピーカーから、紫を呼び出すアナウンスが流れてきた。放送部員はもういないのだろうか、服部先生の声だった。

 ――これで姿をみせてくれればいいんだけど。

 あぐりはあぐりで、さがせるだけさがしてみよう、と思い、歩を進めた。

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