第19話 光速のフォトジェニック ~ 必殺のアキバ系

 ホール内のあちこちから聞こえていたあらゆるBGMはすべて止んでいた。

 固唾を呑んで見守る者、ヒソヒソ話で情報交換をするもの、スマートフォン片手にSNSで実況する者、そして少しでも情報が漏れそうな気配を感じるや否や即座に駆けつけて注意するスタッフたち。

 今、このステージの周囲は異様な緊張感に包まれていた。


EQuAエクア、どうして、どうしてだ。いつもボクを見てくれていたじゃないか。笑いかけてくれてくれたじゃないか。なのに、なのに今のEQuAはもうあのEQuAじゃない。だからボクは、ボクは決めたんだ、ボクたちの思い出はボクたち二人だけのものなんだ、って」


 緊張と興奮ですっかり制御を失った男の腕に力が入る。汗にまみれて熱気を帯びたその身体からだが薄手の衣装に密着して少女の背中もじっとりと濡れてしまっていた。


「うわっ、気持ち悪ぅ。この衣装、だったけどもう捨てだわぁ」


 ネットの世界に登場するや否や、あっと言う間にダントツの人気を得たアキバ系アイドルEQuAエクア、彼女は今、喉元にナイフを突きつけられているもののその気持ちは妙に落ち着いていた。


「にしてもコイツ、ちょっと震えすぎじゃね? イキオイだけで後先考えないただのバカ。ほんとにもう、刃物よりもガタガタしてるその手の方が危ねっつうの」


 それもそのはず、EQuAの首に突きつけられているナイフは刃のついていない峰の方だった。これでは大した脅しにもならないが、この場にいるほとんどはそれに気付いていなかっただろう、ただひとり彼女自身を除いては。


「ハァ――――、なんか疲れるし。誰かソッコーで片付けてよ、マジで」


 呆れたように小さなため息をつくEQuAだったが、追い詰められた男はますます力んで彼女に密着するばかりだった。


「うわ、キショッ、キショいよぉ。マジなんとかして欲しいんですけど」


 顔をしかめながら客席を見渡す彼女、その視界にこれまた奇妙な光景が飛び込んできた。メタリックなビキニアーマーに身を包んだ女性が群衆をかき分けてこちらに向かってくるではないか。

 それはこの騒ぎを聞きつけてやってきたウルスラグナだった。

 珍妙な乱入者に気付いて止めに入る屈強そうな男たちを彼女は片手でいなす。そのすぐ後を従者のように付き添う孝太が申し訳なさそうに周囲に頭を下げながらついてくる。

 EQuAにナイフを突きつけている男も目の前の異変に気付いてステージから声を上げる。


「くっ来るな、来るなぁ――!」


 震えながら手にしたナイフをEQuAの喉元に押し付けるが、EQuA本人は密かにこの急展開を面白がっているようだった。しかしそんなことはおくびにも出さず、彼女は相変わらず怯える少女を演じ続けていた。


 ウルスラグナが何かを叫ぶとすぐさま周囲の人ごみが左右に割れて道ができる。二人はそれをかき分けながら最前列までやって来ると、その場に孝太を残してウルスラグナだけがステージに上がった。


「青年、その武器を捨てて娘を解放せよ」


 男は二、三歩後ずさりしながら上ずった声で叫ぶ。


「お、おまえ、な、なんなんだ。こ、これが見えないのか。来るな、来るなぁ!」


 ウルスラグナは呆れたように大きなため息をつくと相手を睨みつけながら威圧するような声で自らを名乗った。


「我が名はウルスラグナ。さあ、その娘を開放するのだ。小さな命は守られねばならんのだ」

「な、なに言ってんだ、お前」

「お前ではない、ウルスラグナだ」


 男はEQuAに突きつけたナイフに力をこめて威嚇する。そんな男にウルスラグナはなおも説得を試みる。しかしその口調はまるで命令だった。


「もう一度言う、武器を捨てろ。さもなくば……」

「さもなくば、どうするってんだ。それにそんなふざけたカッコで、ボ、ボクに命令するな!」

「これは……その、防具らしいのだが、私にはどうにもこれが役に立つとは思えんのだ。青年、貴様はどう思う?」

「し、知るかそんなこと。いいから離れろ、あっち行け!」


 ウルスラグナは孝太が背後で様子を伺っていることを見て取ると異世界語イースラーで呼びかけた。


"Kohtaコータ, xorazasホラザス sienausigtastosシェナウシグタストス dorstmimnilドルストミムニル. Alahndinアラーンディン Yihsrahtosイースラートス seilgidemimimalセイルギデミミマル."

(コータ、ヤツに聞かれたくない。ここからは異世界語だ)


"Bihraビーラ famidamimimunファミダミミムン."

(了解した)


"Alsdymアルスディム xoraimホライム rahruxatosラールハトス siuradanmimシュラダンミム. Ahdinアーディン damimダミム siamsultosシャムスルトス arumimimアルミミム."

(まず私がヤツの気を引く。そしてあの武器を奪う)


"Bihraビーラ yinandolimimイナンドリミム, bahuバーウ damimダミム daxutahltosダフタールトス kohrakmimnigyihydamコーラクミムニグイーダム."

(なるほど、それでオレはあの娘を保護すればいいんだな?)


"Bihraビーラ, bihraビーラ. Etomtauaninamxalエトムタウアニナムハル?"

(その通りだ。できるか?)


"Baruhkバルーク etomtauanzahlmalエトムタウアンザールマル."

(なんとかなるだろ)


 聞いたこともない言葉でボソボソと会話する二人に苛立ちを隠せない男が一層強くEQuAを引き寄せながら声を上げる。


「おまえら、何をゴチャゴチャ言ってるんだ。とにかく下がれ、下がるんだ」


 男が手にしたナイフの峰がEQuAの喉元に食い込む。


「ヒッ!」


 EQuAが発した小さな声に一瞬だが気を取られる男。そして視線を再び正面に向けたとき、既に男の前にはウルスラグナの獲物を狙うような鋭い眼があった。


「えっ?」


 突然のことに男が素っ頓狂な声を上げる。それは光速の瞬間移動テレポーテーション、この場に居る全員が瞬きするよりも速く彼女の姿は男の目の前に到達していたのだった。


「ぐあっ、あ、あ、あ……」


 ナイフを握る手をウルスラグナに掴まれて思わず呻き声を上げる男。彼女の左手が男の手首をひねりながら締め上げる。あまりの痛みに声を上げながらナイフを取り落とす男。

 ウルスラグナは床に転がったナイフをステージの袖に向かって蹴り飛ばすと、即座に男の顔面に右ストレートをお見舞いするつもりだった。しかし彼女が上げた拳の前にあるはずの男の顔はそこにはなかった。


「ぐっ、うぐっ、ぐ……ぐはっ」


 ウルスラグナが掴む手首を支点にして男の身体がだらりと崩れる。激しく嘔吐えずき咳き込む男、その横には何食わぬ顔でソッポを向くEQuAの姿があった。

 チラリとこちらに視線を投げるEQuA。その瞬間、ウルスラグナは彼女が不敵な笑みを浮かべたのを見逃さなかった。

 それもそのはず、ウルスラグナが男の手首をひねり上げたとき、その身体を盾にして観客席から伺い知れない角度で彼女は男の鳩尾に肘鉄を打ち込んでいた。それはウルスラグナすらも気付かないほどに一瞬の出来事だった。

 瞬時に見せた必殺の反撃、それが小柄なアイドルが見せた笑みの理由わけだったのだ。


 孝太はウルスラグナとの申し合わせの通りEQuAに駆け寄るとその小柄な身体にタックルしてステージ上手の袖に向かって押し倒す。続いて男の反撃に備えて中央に向いて身構えた。


「痛ぁ――い、なにするかなぁ。危ないし、足、捻るかと思ったし」

「君、大丈夫か。ケガは……」

「バッカじゃないの? アンタのおかげでケガしそうだし」

「えっ?」

「だ――か――ら、もう片付いてるっつうの」


 孝太を激しく責めながらゆっくりと立ち上がるとEQuAは衣装についたホコリを払いながら未だ構えたままの孝太を睨みつけた。


 会場がどよめきに包まれる。それを合図に下手の袖からから様子を伺っていた数名の警察官がステージに駆け上がる。


「三時三十五分、確保!」


 力なくうなだれる男の両脇を抱える二人の警官、残りの二人がウルスラグナに詰め寄る。


「君にも話を聞きたい。署まで同行してもらえるかな」


 しまった、この騒ぎだ、誰かが通報したのか。

 困惑した顔を向けるウルスラグナに、どうしたものかと孝太も狼狽する。

 そのとき一部始終を遠巻きに眺めていた相庵あいあん警部もステージに上がって来て野太い声とともにウルスラグナの肩を軽く叩いた。


「この嬢ちゃんはこちらで預かる。そこの間抜けな兄ちゃんもだ」


 そう言いながら警部はジャケットの内ポケットから手帳を出して警官に差し出した。姿勢を正して敬礼する警官。


「了解しました。それではよろしくお願いします」


 すっかり脱力した男は警官たちに引きずられるようにしてステージから下ろされて連行されていった。

 その様子を見送ると相庵警部は少しばかり居丈高な態度でウルスラグナの肩をポンポンと叩いた。


「ご苦労だったな。さあ、嬢ちゃんも仕事に戻った、戻った」

「嬢ちゃんではない、ウルスラグナだ」

「わかった、わかった。あとはこっちでうまくやっておくから、ウルトラちゃんは心配するな」

「ウ、ウルトラ……」

「さ、行った、行った。ほら、便利屋もウルトラ嬢ちゃんについてってやりな」


 警部に促されてステージを降りようとする孝太、その腕をEQuAが掴んで引き寄せる。


「ねえお兄さん、あのビキニアーマーさんの名前を教えてよ」

「それは……」


 孝太が口ごもっていると、それに気付いたウルスラグナがEQuAの前にやって来た。


「我が名はウルスラグナだ」

「ウルスラグナさんね。アタシはEQuAエクア、アイドルやってるの。きっとまた会えると思うし、それじゃウルっち、またね」


 笑顔で二人に手を振るとEQuAは何人ものスタッフたちに囲まれながらステージを降りて会場から去っていった。


 毅然とした様子でウルスラグナもステージを後にする。コスチュームに身を包んだ姿が凛々しい彼女の背中を見ながら相庵警部と孝太が並んで歩く。警部は前を向いたまま独り言のように語り始めた。


「この場であの妙な術を使わなかったのは賢明だったな。ここでやったら以上の大騒ぎだったぜ」


 あのときとはウルスラグナが大立ち回りをしたあの夜のことだろうことは孝太にもすぐにわかった。その会話に答えることなく黙って歩き続ける孝太に向かって、相庵警部はお構いなしに話を続けた。


「お前らはうまくやったつもりだろうが、新宿の街にいったいどれだけの監視カメラがあると思ってんだ?」


 その言葉に孝太は焦りを隠せなかった。


「こっちはすべてお見通しってことさ。その上であえて泳がせてるんだ、今日だってそうさ」


 そして警部は孝太の顔を覗き込むようにして不敵な笑みを向けた。


「そう言うわけだ。これからもギブ・アンド・テイクでよろしくな」


 警部は孝太の背中を押すようにポンと叩くと「ウルトラちゃんとうまくやれよ」の言葉を残してその場を後にした。

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