第20話 エルフ・イン・ブラック

 ミーティングテーブルの上に並ぶすっかり冷めてしまったお茶と同じように横一列に並んでパイプ椅子に座る三人は、先ほどからずっと目の前の大型テレビを見つめていた。

 画面の中では白いパーカーに身を包んだ一人を色とりどりのスウェットウェアを来た男たちが取り囲んでいる様子が映っていた。やがて群衆が見守る中で深夜の乱闘が始まる。その映像を見ながら最初に口を開いたのはあの鬼鉄こと相庵あいあん警部だった。


「お前たちはどう思う、この戦いっぷりを見て」

「そうねぇ……」


 その問いに答えたのはパナマ帽にあご髭がトレードマークの恭平きょうへいだった。彼はオネエ言葉で続ける。


「スピードとパワーはハンパないわね。ほら、今のなんか瞬間移動よ。でも……」


 恭平はそこで口ごもる。その先を促したのは学校帰りであろう、着崩した制服姿のEQuAエクアだった。


「でも何なの、恭平兄さん」

「あえて言うならワザが伴ってないってことかしら」

「うん、アタシもそんな気がする。あのときのウルっちもスッゲェ速さだったけどちょっと隙ありだったし」


 三人の前ではウルスラグナがスウェット軍団のリーダーと剣を交える光景が流れていた。


「あの短剣をどこに隠してたんだか、それが不思議よね。あと水鉄砲かしら、さっきのあれは」

「う――ん、てか、あの武器から出たっぽいし」


 画面の中ではついにリーダー格の男を倒したウルスラグナがドヤ顔で孝太の下に歩み寄る姿が映っていた。

 相庵警部はそこで映像を止めるとテレビの電源を切った。手にしたリモコンに代わってすっかり冷めた湯呑を手にして冷たくなった茶をすする。


「それでどうだ、あのウルトラ嬢ちゃんは使えそうか?」

「そうねぇ、一度道場で手合わせしてみて、ってところかしら」

「それならアタシ、アタシやってみたいし」

「ダメダメ、そんなことしたらこっちがお師匠様から大目玉よ……そうだ、いい考えがあるわ。ねえ、絵久亜えくあちゃん、業田ごうだちゃんを貸してくれない?」

「業田ねぇ……うん、わかったパパに頼んでみる」


 二人の会話を黙って聞いていた警部が業田の名前を聞いた途端に口を挟む。


「おいおいお前たち、親父さんとこを使うのはほどほどにしとけよ」

「大丈夫よ、内々でうまくやるわ。警部さんには迷惑かけないから」


 恭平は相庵警部に向かってニコリと微笑むと隣に座る絵久亜と申し合わせたように目配せをするのだった。



――*――



 その建物は新宿二丁目の裏路地にあった。五階建ての古ぼけた小さな雑居ビルにエレベーターはなく、その最上階に向かうには階段を上がっていかねばならないのだった。

 一階から三階までの各フロアではこの地ならではの飲食店が営業しており、四階は空室なのだろうか、白木で造られた和風の扉が固く閉ざされていた。その四階から最上階の五階に延びる階段はそれまでとはだいぶ趣が異なっていた。

 四階から先のそれは今までの半分の幅しかなく、もしここで大人二人がすれ違おうものならそれぞれが譲り合いの精神で身体からだを横に向けねばならないほどだった。

 そして階段を上がり切った先には同じ幅の狭い廊下が続き、その終端である突き当りのすぐ脇には飾り気のないクリーム色に塗られた鉄扉がある。孝太は今、表札すらないその扉の前に緊張した面持ちで立っていた。


 これまでも仕事の都合でその筋の事務所に出向くことはあったが、そんなときはいつも便利屋の社長がいっしょだった。あの社長はやたらと顔が利く人で、どんな場所だろうと臆面もなく仕事をこなすのだ。しかし今回は自分一人である。その緊張感はかなりのもので、暑くもないのに孝太の背中や胸元がじっとりと汗ばむほどだった。やはり自分はあの社長の足元にも及ばないのだ、と孝太はそれを実感させられた。


「何をビビってんだ、オレ。ウルスが先に行ってるじゃねぇか」


 孝太は今一度扉の前でひと呼吸つくと意を決してインターホンのボタンを押した。


「はい、どちらさん」


 小さなスピーカーから野太い男の声が聞こえた。案の定、相手が名乗ることはなかった。孝太はインターホンに顔を近づけて


「便利屋の秋葉です。うちのツレがお世話になってます」


と声を潜めて答えた。

 インターホンが切れる乾いたノイズに続いて鉄扉のロックが解除される音が聞こえた。

 廊下に面しているにもかかわらずこちら側に開く扉を引いて孝太は中に入る。すると目の前すぐにまた扉、同時に今入ってきた背後の扉が閉じてロックの掛かる音がこの狭い空間でやたらと大きく響いた。

 目の前の扉には小さなのぞき窓があった。

 窓が開く。

 扉の向こう側、その部屋の中から窓を通して男の目がこちらを見つめる。ほんの数秒、窓が閉じると二枚目の扉のロックが解除されて、自分のことを確認したであろう男が「どうぞ」と不愛想に言って孝太を招き入れた。


 中に通された孝太の目に最初に飛び込んできたのは、正面の壁から自分を見下ろす立派な神棚だった。その真下にしつらえられた重厚なデスクには今は主がおらず、しかしそれでもピカピカに磨き抜かれていたのが印象的だった。


「こっちだ」


 白いスウェットの上下に身を包んだ男がすぐ右手のドアに案内する。静まり返った部屋ではあるが、そのドアの向こうには人の気配が感じられた。

 男がドアを開くとそこは応接セットといくつかの机が並ぶ事務所然とした部屋だった。そしてそこにウルスラグナはいた。


「コータ、遅かったじゃないか」


 笑顔で迎えるウルスラグナの姿に孝太は視線を奪われた。

 これまで孝太が見てきたウルスラグナは現場の作業着を除いては露出度が高い衣装がほとんどだった。先日のキャンギャルのときも白いビキニ姿だったし、その次はメタリックなビキニアーマーのコスプレだった。部屋にいるときも下着姿だったり、ひどいときには全裸のままでいることもしばしばだった。

 しかし今日のウルスラグナが身に纏っているのはブラックスーツである。孝太も初めて目にするその姿はまさに精悍というのがふさわしかった。糊の利いた真っ白なシャツに黒い細身のネクタイ、もちろんパンツもジャケットも黒、それは古い映画に出てくる殺し屋や用心棒のように見えた。

 絹のような白く柔らかな髪から覗く尖った耳で彼女が人ならざる者であることが伺い知れるが、ダークエルフ然とした異世界人とスーツの組み合わせが孝太にとってはかなり新鮮で、その姿に心奪われる思いだった。

 彼女にしてはめずらしくにこやかな表情から彼女自身がそのスタイルをえらく気に入っているのがわかる。


「どうだコータ、この衣装は」

「あ、ああ、似合ってるよ」

「コータ、ずいぶんと気のない返事ではないか」

「こ、こりゃ見違えたな」

「そうだろう。この世界の正装だと聞いたが、これはなかなか気が引き締まるものだな」

「正装ねぇ……まあ、当たらずともってとこか」


 孝太はそう言いながらも彼女の姿に見とれていたことは確かだった。そしてウルスラグナは孝太のすぐ脇に立って小声で耳打ちする。


「コータ、この衣装は借りものだがしっかりと記憶したぞ」


 そう言ってウルスラグナは孝太に向かってニコリと微笑んだ。

 彼女は法具とも言うべき装身具を異世界からこちらに持ち込んでいるが、その中のひとつ、コーレユックと呼ぶペンダントの中に身に着けた衣装を記憶させることがきるのだった。

 この世界で生きていくこと、これからの仕事のことを考えて孝太はウルスラグナにフォーマルウェアのひと揃えも用意するつもりでいたが、それがブラックスーツになろうとは。ウルスラグナの気性ならばドレスよりもむしろスーツの方がしっくりするのかも知れない。孝太は凛々しい姿のウルスラグナを見ながらそんなことを考えていた。



 そのとき事務所の奥にあるまた別のドアが開いた。部屋の中にいる男たち全員が姿勢を正してドアの方を向いて声を揃える。


「お疲れさまです!」


 仕立てのよいスーツ姿で入ってきたのは一見するとインテリ風ビジネスマンにしか見えない男だった。しかしフチなし眼鏡の奥に光る眼は見た者すべてを飲み込むような迫力があった。

 その男に続いてもう一人小柄な男が現れた。黒のスリムパンツと白いクルーネックシャツに黒いスウェードのベストを着たその男は孝太もよく知る恭平ママだった。しかしさすがにこの場ではトレードマークのパナマ帽は頭に載せずに手に持っていた。


「キ――バヤン、お疲れ――」


 緊張感のかけらもない調子で恭平ママが孝太に向かって挨拶する。


「ママがどうしてここに……」

「そりゃ今日の会場は私のマブがやってるお店を貸し切りにしてなんだもん。紹介したのは私だし、だから立ち合いみたいなものね」


 恭平ママを見て肩の力が抜けたのか孝太の顔が少しだけほころんだ。そんな孝太にインテリ風の男が声をかける。


「秋葉君、今回依頼するのはちょっとした警護みたいなものだ。彼が言ったように今夜地元のショーパブでイベントがあるんだが、そこにアイドルを呼んでるんだ。こんな街に年頃の娘さんだ、万一のことがないように、ってなわけさ」


 自分と同じブラックスーツに身を包んだイカツイ男たちに物怖じすることなく歓談するウルスラグナを見ながら男は話を続けた。


「君のところのお嬢さん、先日も暴漢に襲われたアイドルを身を挺して助けたって話じゃないか。それで今回もあのお嬢さんに、ってのがそのアイドルとやらのたっての希望なんだ」

「えっ、たっての希望って……」


 すると再び部屋の中の男たちが姿勢を正してドアに向かって一斉に頭を下げる。はたしてそこから現れたのは学校帰りであろう制服姿のEQuAエクアだった。

 EQuAはこの雰囲気に動じることもなくにこやかに手を振る。


「ウルっち、元気してる――? 今日はよろしくぅ。あっ、そこのコータくんもよろしくぅ。今夜はおとなしくしてていいしぃ」


 偶然にしては話が出来過ぎている。

 しかしその時の孝太はウルスラグナを気に入ったEQuAが八方手を尽くして自分たちを探し出して、またぞろ仕事を依頼したのだろう、くらいにしか考えていなかった。

 まさかこれらすべてがシナリオあってのことなどとは……。

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