第7話 死神の黒ちゃん

「え、黒ちゃん!?」

 入口から入ってきた黒いワンピース姿の女性は、私の友達だった。

 呑み友達の死神・黒ちゃんだ。

 いつもは「こんにちは」と元気に店に入ってくるのに、今日は富士山から下山して来た人みたい。

 完全に疲労感に包まれてしまっている。


 彼女が身体を支えている大鎌がスキーストックに見えるのは気のせいだろうか。

 

 大丈夫なのかな。すっごく疲れているっぽい。

 仕事で大変な事やストレスが溜まることがあったのかも。


「つ、紬ちゃん!ちょうと聞いてよー。もう、うちの新人が……っ!」

 黒ちゃんは私を視界に入れるやいなや、そう叫ぶ。


 一体、何があったのだろうか?

 話を聞きたいが、玄関前では他のお客さんの邪魔になってしまう。

 そのため、私は彼女を席へと座る様に促すことに。


「黒ちゃん。とりあえず座ってゆっくり話そう」

 私は椅子から立ち上がると、黒ちゃんの方へと向かった。

 そして彼女をカウンター席へと連れてくると、私の隣へと座るように促す。


 黒ちゃんが席へと座れば万桜ちゃんが水とおしぼりを差し出してくれたんだけど、黒ちゃんは水を一気飲み。

 ぷはっとまるでビールでも飲みほしたかのように、息を吐く。

 

 良い飲みっぷり。


「喉、乾いていたの?」

「うん。言葉を発しまくりだったから喉が乾いているの。疲れたから、美味しい物食べたくて幽玄来たんだ」

「あー、わかる」

 気持ちはすごく理解できる。

 私も同じ気持ちだったから。

 美味しいものって不思議なパワーあるよね。


「ご注文は生ビールとかつ丼の大盛でよろしいですか?」

 万桜ちゃんが黒ちゃんに訊ねれば、「お願いします」と言う。


「新人ってさっき言っていたけど、死神も新人教育ってあるの?」

「あるのよ、それが。今まで新人教育何回かしてきたんだけど、今回の新人が超大物。違う意味で」

「違う意味で……」

「愚痴ばかりなの。『なんで死神って大鎌なんすか。ダサくて俺無理っす』とか、『死神って神が付いているのに神っぽくないっすよね。下っ端の仕事していますし』って言うんだよ。私に言うな! んなこと知らんわ」

 黒ちゃんは、手の拭いたおしぼりを今にも壁に叩きつけそうな勢いで話している。


「配置換えして欲しいけど、輪廻転生のために死神課に配属されたから無理だし」

「輪廻転生って生まれ変わりってこと?」

「そう。冥府の仕事って元々冥府の住人と元人間界の住人がやっているの。人間界の住人は十王の裁きによっては、行き先が変わる。人によって色々なんだけど、次に生まれ変わるための冥府での仕事に就く場合もあるの」

「へー」

「だから配置換えとか無理。十王様達の判断だから。だったら、せめて新人担当を変えて欲しい。それこの間説明したじゃんって質問するし。教えるけど覚える努力はして欲しい。だから、私言ったわけ。覚えるためにメモ使ったら良いと思うよって。そしたら、あいつなんて返事したと思う?」

「メモ帳がない?」

「違うの。メモとっても忘れるから俺には必要ないですって。逆によくそんな発想が湧いて出たな。人間って意味がわからない」

 人間界でも時々いるよなぁ。そういう人と、私は頭の片隅で思っていた。

 君は良いけど何度も質問されて時間を使う私が困るってパターンだ。


 教えるのは構わないんだけど、最低限覚える方法は取って欲しいよね。

 さすがに何度も繰り返すのはちょっと……


「大変ですね、お仕事。生ビールとお通しです。店の美味しい料理を食べて今日は疲れを取って下さいね」

 万桜ちゃんが微笑んでジョッキとお通しのアサリの酒蒸しをテーブルへと置く。

 万桜ちゃんの笑顔でもう癒されそう。


 アサリの酒蒸しは身がふっくらとしたアサリに瑞々しい小葱がのっていて美味しそうだ。


「ありがとう、万桜ちゃん。今日は呑んで食べてしゃべって忘れることにするよ!」

 黒ちゃんはそう言うと、ジョッキを手に取り口を付ける。


 ゴクゴクと彼女の喉元が音を鳴らした。


「働くって色々あるよね」

 私の言葉を聞き、黒ちゃんが頷く。


「ほんとほんと。それは人間界も冥府も変わらないかも」

「疲れたら美味しいご飯とお酒が呑みたくなるのも変わらないしね」

「そうそう!」

 私と黒ちゃんはアルコール片手に話が弾んでいく。


「今日、紬ちゃんが居てくれて良かった。紬ちゃん、ここに毎日通っているわけじゃないからさ」

「仕事で疲れることあったの。面倒なお客さんが来てさ。いや、客じゃないか。私も新人の子への対応でちょっと……もっとスマートに慰めたりできればなぁって」

「そういえば、言っていたね。新人が入ったって」

「うん。今日はまだ良いんだけど、時々疲れすぎるとどうしようかなって考えちゃうんだよね」

「どうしようかなって仕事?」

「仕事もあるかな。なんかさ、私の周りでは結構結婚して家庭を持っている子がいるの。仕事が順調で充実している人もいるし。私ってどっちに舵が切りたいのかなって思って」

「結婚と仕事ってこと?」

「そう。三十が近くなったせいか、色々考えちゃっているんだ。私って二十八年間何をしていたんだろうかってさ。夢を叶えている子もいるのに、私って何も掴んでないなぁと思っちゃったんだ」

「人間あるあるだね」

「少し環変えるためにも実家を出て一人暮らししようかなって考えたの。ほら、自立も兼ねて。その件で今家族の反対にあって躓いているところ」

 私がため息を吐き出せば、黒ちゃんが首を傾げる。


「一人暮らしは危ないとか?」

「ううん。私に関してはご自由になんだけれども、問題がニーヤ……私が飼っている猫なの。家族全員が我が家の癒しの猫ニーヤは連れて行くなって。ニーヤの面倒はうちらがみるから心配不要だと言われたよ」

 ペット可の物件を事務所に来る不動産屋さんに数件資料を貰ったのに、家族からニーヤと離れるのは嫌だと反対。


 元々は私が捨て猫だったニーヤを保護して飼ったので、天寿を全うする時まで傍で面倒をみる。

 なのに、まさかのニーヤで反対されていた。


「人間も妖怪も色々な事を考えて悩んでいるのよね」

 突然、優しげな速水さんの声と共に、カウンターの上に料理が置かれた。

 朱色の蓋つきのどんぶりと熱々とした湯気が出ている出し巻き卵。

 出し巻き卵はちょっと大根おろし割り増しの私用になっている。

 私と黒ちゃんが注文したメニューが出来たみたい。


「そうなんですよねぇ。私も……死神も悩んだり凹んだりする。人間の紬ちゃん達も同様。まぁ、人外でも十王様レベルなら悩みなんて無いと思いますけど。そもそもあの方達、悩む時間とかないんじゃないのかな? 十王の一人の閻魔様なんてお仕事ばかりだし」

「ワーカーホリックなあいつと一緒にするなよ。僕は定期的に休日を欲する派だ。むしろ、毎日休日で構わないと思っている」

「「え」」

 突然すぐ傍から届いた声に対して、私と黒ちゃんは体を大きくビクつかせてしまう。


 ゆっくりと右手に顔を向ければ、そこには二人の男性の姿が立っていた。




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