第6話 小料理屋・幽玄

 猫吉さんと一緒にしゃべりながら三十分ほど歩けば、無事目的地へと到着。

 私達がいるのは、朝日町のとある場所のガード下だ。


 うす暗いガード下は、心もとない照明が照らしてくれていた。

 屋台なども出ておらず、ただ静寂が包み込んでいる。


「ほどよく歩いたから喉も乾いたね。日本酒飲みたかったけど、ハイボールにしようかな。ぐびぐびと炭酸で喉を潤したい」

「ハイボールもハイカラで良いっすね。あっしは熱々の焼き魚をふうふうして食べたいっす。今日のオススメ魚はなんですかねぇ」

「いいね、焼き魚。さっそく行こうか。幽玄」

「はいっす!」

 私達は顔を見合わせて頷くと、辺りをきょろきょろと見回す。


 誰もいない事を確認すると、ガード下の壁へと手を伸ばした。

 掌につたわるひんやりとしたコンクリートの堅い感覚がだんだんと溶けたアイスのように柔らかくなっていく。

 すると、四方八方から光を照らされたかのような強い光が私と猫又さんを包み込んだ。


 眩しさのあまり瞳をぎゅっと閉じたが、すぐに眩しさは止んだ。

 強い光を浴びた後って、瞼の裏がカチカチするんだけど、不思議な事にそういう不快を感じない。

 ゆっくりと閉じられていた瞼を開ければ、幻想的な風景が広がっていた。


 辺り一面が漆黒の空間の上、明かりも一切無い。

 それなのに、鮮明に大きな桜の木が肉眼で確認出来た。


 季節は初夏に移り変わっているはずなのに大木には、淡いピンク色の桜が満開。

 はらりはらりと時折風に舞う桜吹雪の辿り着く先には、明かりの付いた小料理屋が建っている。

 小料理屋は木造のこじんまりとした一階建てで、入口には紺色の暖簾が掛けられていた。

 暖簾には白字で『幽玄』と達筆な文字が。


 桜を見ながら食事を出来るように、外には簡易的なテーブルと椅子も窺える。


「あー、やばい。白いご飯が食べたくなる匂いがする」

 店からは醤油と砂糖の甘辛い匂いが私の鼻腔に漂い、熱烈アピール中。

 美味しそうな匂いが私の空腹中枢を刺激しまくっている。


 煮つけかな?

 ふっくらとした炊き立てのご飯と共に食べたい。


 もうすでに私の思考は食事をすることだけが支配。

 早く店の中に入って注文しお腹を満たしたかったので、私達は急ぎ足で店前まで向かうと引き戸に手を伸ばして引く。

 ガラガラという音と共に、店内の光景が広がっていった。


 中は壁沿いにテーブル席が五つほどあり、奥には大きな座敷がある。

 右手がカウンター席になっていて、七から八人がゆったりと座れるような造りだ。

 まだ時間帯が早いから、お客さんがまばらに座っているだけだった。


 人間の私が夕食を摂るにはちょうど良い時間帯だが、ほとんどの妖達の活動する時間帯とはズレている。

 逢魔が時、丑の刻がこの店が一番繁盛する時間帯らしい。


「いらっしゃい、紬さん。猫吉さん」

 落ち着いた女性の声音が出迎えてくれたので、私達はそちらへと顔を向けた。

 そこはカウンター側。


 声の主はカウンターにいた割烹着姿の初老の女性で、こちらを見て目尻を下げて微笑んでいる。

 白髪交じりの女性で、年は五十代くらいだろうか。


 くしゃっとした笑顔が印象的な彼女は幽玄の店主・速水さんだ。


 ここのお料理はどれも絶品。だから、みんなに勧めたいんだけれども、訪れる人が限られているから……


 私が速水さんに挨拶をしようとした瞬間。「猫吉―!」という店の奥から猫吉さんを呼ぶ声が届いてしまう。

 そのため、私の視線と意識はそちらに向いてしまった。


 奥の座敷席には、もふもふとした猫達が座りこちらに向かって手を振っている。

 烏帽子を被った猫や手ぬぐいを被って踊っている猫、それから神々しい雰囲気を纏った人間くらいはある大きな虎猫だ。

 どうやら猫又さんの友達は、もうすでに呑み始めているらしく、テーブルの上には料理やお猪口が窺えた。


「早っ。もう吞んでるじゃないっすかー。待っていてくれても良いのにー。じゃあ、紬さん。また今度!」

「うん。またね!」

 手を振って去っていく猫吉さんを送ると、私は定位置となっているカウンターの真ん中付近に近づき、椅子を引くと座った。

 鞄は自分の腰と椅子の間に置き、メニュー表へと手を伸ばす。


 静寂でもなく煩くもない、さじ加減の良い周りの話し声。

 この時間帯は落ち着いて食事を出来るから好きだ。


「速水さん。外まですっごく良い匂いがしてきたんですけど、煮つけですか?」

 私がカウンター越しに速水さんに声をかければ、彼女は頷く。


「えぇ。良い魚が手に入ったの。煮つけに適した魚だけれども、今日はお刺身もオススメするわ」

「どっちも良いですね。色々注文して食べたいけど、今日は一人だからなぁ……」

「紬さん、またお仕事で何かあったの?」

「あー……やっぱりわかりますか?」

 私はメニュー方から顔を上げて、速水さんを見詰めた。

 速水さんは眉を下げて微笑を浮かべる。


「紬さんがうちに来てくれる時は大抵仕事で疲れている時だから」

「今日、ちょっと面倒なお客さんが来たんですよ……それで幽玄に来たくなって。速水さんのお料理食べると嫌な事とか疲れとか全部飛んじゃうんですよね。料理が美味しすぎて」

「お世辞でも嬉しいわ」

「お世辞じゃないですよ! 幽玄で美味しいお酒と料理を食べている時が至福の時なんです。きっと私だけじゃなく、他にもいますって。速水さんの料理は凄いんですよ。みんなを幸せにしてくれる」

「そうですよ。速水さんの料理は凄いんです」

 私が両手で握りこぶしを作りながら力説していれば、同意する声が傍から届く。

 まだ幼さが残る少女の声だ。


 弾かれたように顔を向ければ、そこには桜の柄の着物を着た少女が立っていた。

 年は十五から十八くらいだろうか。


 ゆらゆらと花を散らす外の桜を思い出させる着物柄で美しい。

 彼女は手に水の入ったグラスが乗ったお盆を持っている。


「いらっしゃいませ、紬さん」

 可愛らしい声と共に、私が座っているカウンター席へ右側から水が置かれたので、「ありがとう、万桜ちゃん」と言う。


 万桜ちゃんはこのお店の給仕の一人。万桜ちゃん。

 彼女の他にも給仕をしてくれる子が二人ほどいるそうだ。

 この時間帯は万桜ちゃんだけらしく、私は彼女以外の子を見たことがなかった。


 幽玄には三年くらい通っているが、あまりこの店内事情は詳しくない。

 私は速水さんや万桜ちゃんの名前以外は全く情報をもっておらず。


 速水さんや万桜ちゃんが人間なのか妖怪なのかもわからないし。

 なんとなく時空の狭間にある店にいるので、妖怪の類なのかなっては思うけど。


 きっとその件に関してはこれから聞くこともないだろう。

 

 別に聞きにくいということではないけど、今の距離感がちょうど良いし人間や妖怪かなんて関係ないから――


「ご注文はいかがなさいますか? 今日のお通しは紬さんの好きなアサリの酒蒸しですよ」

「本当っ!? 今日、ついているかも。じゃあ、いつものやつとハイボール」

「出し巻き卵と本日のサラダですね」

「さすが万桜ちゃん!」

 ここで食事をする時は、まずそのセットを注文する。

 外食事には野菜を補いので、なるべくサラダを食べたいのだ。


「鳥の唐揚げとタコの唐揚げも食べたい気分なんだけど、一人で唐揚げ二種類は多いんだよね。黒ちゃんか誰かが一緒なら分け――」

「とりあえず生ビール。あと、かつ丼大盛下さい!」

 私の声を遮るかのようにガラガラと引き戸を引く音と共に、注文をする声が店内の奥まで聞こえるくらいのボリュームで広がった。

 その声はなんとか振り絞り張り上げた声音だったため、すっごく疲れているんだなぁと聞いただけで手に取るようにわかる。


 私と万桜ちゃんがほぼ同時に玄関へと顔を向ければ、そこには黒のワンピースを纏った女性が。

 ピンク色の髪を二つに結んでいて、アイドル顔負けの容姿をしている。


 見るからに疲労しているなぁと判断できるくらいに疲れ切った表情をしていて、彼女が手にしている大鎌を杖のようにして体を支えにして、かろうじて立っている状況だ。


「え、黒ちゃん!?」

 入口から入ってきた黒いワンピース姿の女性は、呑み友達の死神・黒ちゃん。


 いつもは「こんにちは」と元気に店に入ってくるのに、今日は富士山から下山して来た人みたい。

 

彼女が身体を支えている大鎌がスキーストックに見えるのは気のせいだろうか。




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