第8話 泰山王
一人はTシャツにデニムというラフな格好をした男で、闇色の髪を耳上でカットし、短くもなく長くもない髪型をしている。
鷹を思わせるちょっと鋭い瞳でこちらを見ているその男は、私の幼馴染であり地元の歴史ある神社の跡取りである神見陽だ。
「陽! ……と、どちら?」
私は陽の隣にいる男性を見詰めながら首を傾げる。
陽の隣には、紅色の着物を纏った男性の姿があった。
着物の男性はプラチナの髪は耳下で切り揃え、雑誌やショーのモデルとして並んでも支障はないだろうという容姿をしている。
年は二十代前半くらいだろうか。
中性的な顔立ちをしていて、かわいいというのが第一印象だ。
彼は右手を掲げると、「こんにちはー」と軽く挨拶をした。
なので、私も「こんにちは」と会釈をする。
「紬。やっぱりここにいたのか。紬の家に野菜のおすそ分けに行ったら、行きつけの店で呑んでくるって聞いたから幽玄かと思ったんだよ。また仕事でなんかあったのか?」
「よくわかるね」
「紬のことなら知り尽くしている。保育園からの付き合いだからな」
「陽も来たってことは呑んで行くんでしょ? 帰り妹が迎えに来るからおく――ん?」
私は視界の端に入った黒ちゃんの様子に異常を覚え、言葉を発するのを止めてしまう。
黒ちゃんは顔を青ざめ、体を戦慄かせている。そのせいで、グラスに入っているビールが波打っていた。
一体、どうしたのかな?
こんな黒ちゃん今まで一度も見たことがない。
「黒ちゃん?」
「ど、どうして貴方様のような大物が……」
声を震わせている黒ちゃんは、視線を彷徨わせながら言えば、着物の男性が「僕だって息抜きくらいするよー」と告げる。
「本当にどちら様なんですか?」
私が尋ねれば、陽が代わりに応えてくれた。
「十王の一人である泰山王様。さっき外で会ったんだ。俺もびっくりしたよ。なんでそんな大物が供も付けずにふらっと来たのかって」
「十王……?」
「簡単に言うと、地獄で亡者の審判している人だよー」
泰山王様は懐から扇子を取り出して、ドヤ顔を決めた。
冥府での裁判は閻魔様が行っているとばかり思っていたため、私は正直あまりピンと来ていなかった。
閻魔様が死後裁きを……というのは知っているけど、十王様というのは初耳。
十王ということは十人いるのだろうか。
よくわからない。
「あ……うん……そういう反応だよね……知っていた……閻魔と違って他の十王って知名度皆無だからさ……」
どうやら私は顔に出やすいタイプらしい。
泰山王様はわかりやすいくらいに肩を落とすと両手で顔を覆いだす。
「いいんだ。僕達、他の十王の存在なんて」
と呟きながら、こちらに背を向け出した。
すると、「泰山王様。しっかり!」と、陽と黒ちゃんが彼の背を撫でたりしながら必死に宥め始める。
あっ、なんかごめんなさい。
急に罪悪感が湧いてきてしまった。
「死後人間の審判は閻魔様だけではなく、泰山王様など他の人々も執行するの。審判は七日ごとにやっていくんだ。泰山王様は四十九日目の審判者」
「四十九日って四十九日法要と関係あるの?」
「うん。あるって言われているよ」
黒ちゃんの解説に私はへーと頷く。
「なんとなく把握しました。しかし、冥府でもそんな偉い方も幽玄に通われるんですね」
「この間、狐町の九尾の狐姉妹に聞いたんだよ。旨い店があるって」
「えっ、ご存じなんですか!?」
まさかうちの事務所がある狐町の話が出てくるなんて思ってもいなかったので、私は裏がった声を上げてしまう。
しかも、聞いたということは知っているということ。
やっぱり今もなお、狐町を守っているのだろうか。
だから、狐町は黒い影などが全く立ち入れないし、妖自体も近づけないのか?
「知っているよ。というか、僕より君の方が詳しいんじゃない?」
「狐町で働いていますが、会ったことはありませんよ。でも、おかしくないですか? 猫吉さんは千年を越えた化け狐は天狐にランクアップするって聞きました」
「そうだね。天狐にランクアップし、強力な神通力を持つ」
「狐町に平日八年間仕事で通っていますが、まったく存在を把握出来ないです。強力な神通力を持つくらいの力を全く探知できないって不可能じゃないですか?」
「俺もそれは疑問です。狐町に何度か行ったことがありますが、妖力を感じたことはありません」
私と陽の台詞を聞き、泰山王様は喉で笑う。
「力を隠しているに決まっているじゃないか。紬は仕方ないけど、あの神すらも見ることが出来るから、神見と呼ばれている者がそれじゃあねぇ。陽、修行やり直し。よって今日は神見の奢りとの審判を申す」
泰山王様は扇子を閉じ、ビシッと陽を指す。
「……もう酔っぱらっています? 一滴も呑んでないですよね。修行と奢り全く関係ないじゃないですか」
「酷いー」
「修行不足は認めます。今度狐町に行って探して来ますよ」
「照魔鏡持って? たしか、収蔵室にあるから貸すけど」
「貴重品あっさり貸さないで下さいよ……って、まさか人に化けて生活しているんですか!?」
陽は目を大きく見開き泰山王様を見る。
そんな陽の姿を見て、泰山王様は「あー」という声を上げながら視線を彷徨わせだす。
かと思えば、黒ちゃんの肩にポンと手を置き、唇を開く。
「バラしちゃった。黒。責任は君が持って」
「はいっ!?」
「姉妹に内緒って言われているのに、バラしちゃったから怒られちゃうよー。日常生活に支障をきたすって。だから、代わりに怒られて。直属じゃないけど、間接的には君は僕の部下だし」
「パワーバランス的にその発言は大問題ですよ! 普通逆です。上司が部下の失敗を持つんです。そもそも口滑らせたのは泰山王様本人じゃないですか。あと、勝手に収蔵室の物を人間に貸さないで下さいよ。違反です。照魔鏡なんて貴重なんですから」
泰山王様が出したヒントによれば、狐町の九尾の狐は人間に化けている。
そして、強力な神通力を持ち、その力を隠して人間と過ごしているってことか。
「というか、陽。照魔鏡って聞いてどうして人間に化けているってわかったの?」
私はハイボールを呑みながら訊ねる。
「九尾の狐の伝説って知っているか?」
「鳥羽上皇の傍に仕えた悪い妖怪の玉藻前でしょ。知っているわ。確か、追われて最後は殺生石になったんだよね」
「そう。でも、その前にインドや中国に居たことがあると言われているんだ。中国で人に化けて悪さをした時に照魔鏡という鏡で正体がバレたという逸話が残されているんだよ」
「あぁ、それで人間に化けていたって思ったのか」
「そういうこと。しかし、まさか狐町なんてな……大丈夫なのか? 紬の職場は狐町だよな」
眉を下げて不安そうな表情をしている陽に、泰山王が声をかける。
「大丈夫だよ。あの二人は、千年前に受けた恩を未だに返しているから。僕からしてみれば、稀有な存在だよ。面倒じゃない? 恩を返すって。基本的に僕は働きたくないからさ」
「十王様のいう台詞じゃないような……閻魔様に聞かれた説教受けますよ」
「真面目だからね、あいつ。寄り道しないで真っ直ぐ帰りなさいって言われたら、絶対に真っ直ぐ帰るタイプだよ。自分に厳しく他人にも厳しいし。自分に甘い僕とは反対だよね」
彼の言葉に全員頷き同意する。
泰山王様とは出会って数分しか経過していないけど、その数分間で性格を把握できる発言が多々あったからだ。
「泰山王様、陽さん」
突然届いた可愛らしい万桜ちゃんの声に対して、私達は声のしたカウンター側へと顔を向ける。
すると万桜ちゃんがにっこりと微笑んでいた。
「立ち話もなんですので、席に座ってお話をされてはいかがですか?」
「そうだねー。立っているのってすごくダルいし。紬達もいっしょに呑もうよ。万桜、二人の料理テーブル席に運んで」
「自分達で運べるから大丈夫だよ。ね、黒ちゃん」
「そうですよ」
私と黒ちゃんは自分が注文した料理やグラスを陽に手伝って貰いながらテーブル席へと移動を始める。
まだそんなに注文していなかったため、すぐにテーブル席へと移動することが出来た。
新たに追加された料理もテーブルに並べられている中、私達は改めて四人で吞み会を始めることに。
陽が泰山王様のグラスのお猪口に冷酒を注ぎ、黒ちゃんが泰山王様の小皿に唐揚げなどを分けている。
「仕事終わりって唐揚げを皿に盛るのもめんどいよね」
「仕事終わりとか関係ないですよね? いつもの事じゃないですか」
「酷い」
「こんなに早く仕事を終わらせて良いんですか? 閻魔様なんてまだ仕事中なんですよ」
「まだあいつ仕事しているの? いい加減に休みなよ。ただでさえ、年間休日数0日じゃん。ブラックな企業も真っ青なブラックじゃん。上司が休まないと部下も休めないでしょ」
「一応、休んでいるみたいですよ。帰りにくいし休みにくいらしいですけど」
「今度閻魔に会ったら休むように言うよー。部下が迷惑だし。なんなら、息抜きにこの店に連れて来るよ。来なそうだけど。食事をすることが不要なのに、わざわざ食べるなんて時間が勿体ないって言いそうだしさ」
「えっ? 食べなくても良いんですか?」
お刺身に伸ばした箸を止め、私はテーブル越しに座っている泰山王様へと尋ねる。
すると、私を除いた三人が「いまさら?」という表情を浮かべていた。
いや、だって幽玄でみんな普通に食事しているじゃん。猫吉さん達だって奥の座席で宴会中だし……と、喉元まで出かかるのを飲み込む。
「冥府の人間は基本的に食べなくても生きていけるよ。ただ、美味しい料理の味を知ってしまったから食べているだけ。楽しく生きるのが僕のモットーだし。求めるのはストレスフリーな生活」
「「「わかる」」」
私達三人の声が綺麗に重なる。
可能ならばストレスフリーな生活を送りたい。それは、人間も人ならざる者も一緒らしい。
私は箸を唐揚げへと伸ばす。
しっかりした身の肉厚な唐揚げを口へと入れて咀嚼すれば、肉汁がじわっと口内に広がっていく。
わずかなニンニクの香りと熱々さが、ハイボールを呑む手を余計に進めてしまう。
「しかし、紬って希少だよね。ここに生身の人間が来られるなんて。大抵は魂魄が彷徨っている者だよ。あ、神見の者は霊力あるから話は別」
「それは思います! 私も初めて幽玄で紬ちゃんを見た時、人間がいる! ってびっくりしましたもん」
「テンション高い百鬼夜行に着いてきたら辿り着きました」
「紬。普通の人間は百鬼夜行を見て着いて行こうなんて思わないよ……陽、心配じゃない? 紬の性格」
「そうなんですよ……」
陽が深い溜息を吐き出す。
「妖怪にも色々いますからね。大丈夫な妖怪かどうか区別つくようになりました。小さい頃、陽と一緒に天狗に遊んで貰っていましたし。陽と私の両親、仕事で忙しかったので」
「でも、気を付けてね。妖怪も幽霊も良い者ばかりではないから。あっ、でも神見君がいるから大丈夫かも」
黒ちゃんはにこにこしながら陽の方をちらちら見ている。
それを見て、泰山王様がニヤニヤとし始めた。
「えー、なになに。そういうことなの? おもしろいじゃん。陽、九尾はこの事を知っているのかい? 九尾にアドバイス貰いなよー。あいつらモテるし」
「……え。九尾の狐って俺も会った事があるんですか?」
陽の返事を聞き、泰山王様は両手で口を押えるが、ばっちりと聞こえてしまっている。
お酒を飲んで口も軽くなり始めてしまっているのかも。
アルコール回るとおしゃべりも弾むし。
「絶対に怒られる……黒、任せた」
「また気軽に任せないで下さいよ! そこまでしゃべるなら、正体言っちゃったほうが楽なんじゃないですか?」
「無理だよ。二人は今、現代社会に合わせた方法で人間を守っているんだから。ほら、昔は悪い妖怪から人々を守るって助ける事が出来たじゃん。でも、今って精神世界っていうより物質社会になったから、妖怪達も暮らしにくいから幽世に引っ込んじゃっている。現に身近になっているのって妖怪より幽霊だし」
「確かに。心霊番組も幽霊メイン」
「今は妖怪よりも悪霊が蔓延っているかな。あとは人間関係が複雑になったせいか、生霊。昔は極楽浄土などの思想があったからある程度の自分を自戒することは出来ていた。でも、今は思想より大切なものはスマホ。わかるよ。僕もガチャで課金したのに、無課金勢に負けたことがあるからね。なんで無課金がレアひけるわけ? 僕、課金しているのに!」
「話題がズレていますよ、泰山王様」
というか、そもそも泰山王様はスマホを所有しているのだろうか。
名義は? 料金は? 冥府で使用可? という疑問がどんどん湧いてきてしまった。
「とにかく、ざっくりまとめると人は負の感情を残しやすい。生きている人間、死した人間問わずに。だから、紬は気をつけなよ。霊感強いから縁を引っ張って来やすいからさ。真面目な話」
泰山王様は真剣なまなざしで私に告げた。
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