2-4:高台の小屋にて

【質問を選択してください】


 ▷ ここはどこ?

   あなたは誰?

   私の顔になにか付いてる?

   いつから私は寝ていた?



「え、えっと……」

 どうしよう。質問したいことはいくらでもあるはずなのに、集中している様子の青年に声をかけづらい。

 なんというか、目つきが怖い。

 にらんでいるとも取れるその形相が、何を思ってのものかがどうしても気になってしまう。話をしようとするどころか、落ちつかない頭には全然関係ない疑問がまっ先に浮かんだ。


「……私の顔に、なにか付いているのかな」

「あっ、いや──すまない。そうじゃないんだ」


 途端にたじろぐ彼を見て、私も「しまった」と思った。どうやら考えていたことをうっかり口に出してしまったみたいだ。

やましいことはないんだ、本当に。ただ、うなされているように見えたから気になっただけで」

「うなされていた……? 私が、ですか」

「ああ。それに、泣いているようだったから」

「……え」


 私は寝床から這い出ながら体を起こす。すると、右目から一筋のしずくが頬をつたった。

 あれ、本当だ。なんで私は泣いているのだろう。泣くようなことなんて、あったかな。


「そうだ、やっぱり具合が悪いんじゃないのか」

「具合……?」

 一瞬なんのことだろうと思ったけれど。そういえば、めまいと脱力感が今も続いている気がする。

「一昨日に森で倒れている君を見つけてここへ運んできたが、それからずっと寝たきりだったからな」

「お、おとといから?」

 思わず声がうわずった。

「ああ。なぜ自分が倒れていたか答えられるか? なにか変なものは口にしなかったか?」

 低い声であれこれ尋ねられるなかで、やっと自分が深刻な状態だと自覚する。

 本当に丸二日もここで寝ていたとなると、私は短くても三日半は飲まず食わずだったことになる。それなら具合が悪いことにも納得だけれど、あまりに初めてのことで本当なのかなと思ってしまう。


「いえ、食べてません……何も」

「何も?」

「えっと、その日の前日から、ずっとそうで……だから多分、私」

「なんだって?」


 だん、と床を蹴り立ちあがる音。

「え! す、すみま──」

 びっくりしてひとまず謝ろうとすると、その前に青年はなぜか部屋の奥の方へ行ってしまった。

 何かまずいことを言ったかなと思いつつ途方に暮れていると。

「そうとは知らずすまなかった」

 どん、と膝をつき座る音。それが痛々しく響いた直後には、何やら小綺麗なコップとお皿が床の上で乱暴にスライドされた。


「有りあわせだが、これを。さあ早く」

 その人は数秒もしないうちに戻ってきていた。

 早口で促されて、私は差し出されたものを見下ろす。コップの中にはまっ透明な水が、お皿の上には一かたまりのパンが置いてある。

「……!」

 まぼろしを見ている心地だった。どちらも見た目は清潔そのもので、まん丸なパンからは焼きたてのにおいがする。よだれがこぼれそうになるのを、すんでのところで飲みこんだ。

「あ、ありがとうございますっ」

 言い終わる前に、たまらずパンに手がのびる。白っぽい粉のざらざらした触り心地も、本物とまったく同じだと分かった。


 けれど、それを食べる前に私は考える。

「どうしたんだ、遠慮しなくていい」

 心配そうな口調で促されて、かえって申し訳なくなる。

「は、はい。……でも」

「でも?」

「でも……」



【行動を選択してください】


 ▷ パンを食べる

   様子をうかがう

   食べない



 毒は入ってませんよね、なんて訊けるわけがなかった。


 私は固まったまま相手の様子をうかがう。

「……? 何をしている」

 普通ならわざと毒を仕込むなんてあり得ないけれど、きっとここはまだデスゲームの中だろうから。少しの選択ミスが命取りになるのは今も変わらない。──本当は食べたくて仕方ないけれど。

 結局どうしていいか決めきれずに、パンをつまむだけつまんだまま静止していると。


「失礼」


 青年はそう断って私の手をやんわり退けると、コップとお皿を自分の正面へ引き寄せた。

 何をするのだろうと思いつつ見ていると。その人はそっと両手をあわせてから、パンを一欠片ひとかけらだけちぎって口へ運んだ。

 驚く私をよそに食器の方だけを向いて、水をほんの一口飲んで息をついてから、一言。


「ほら。見てのとおり何も仕込んではいない」

 真剣な顔のままそう言って、不安をほぐすように両手を広げてみせた。

 突然のことでびっくりしたけれど。遅れて私は、疑う気持ちを察知されてしまったのだと気づく。


「ご、ごめんなさい、私──」

「いいんだ。怪しまれることには慣れてるから」


 とっさに謝ると、その人はなだめるようにそう返した。どこか寂しげに見える姿に、いたたまれない思いでいっぱいになる。

「それで、食べないのか? 嫌なら無理しなくていい」

 食事がまた私の方へ戻される。やんわり突きつけられた同じ問いに、もう一度頭を悩ませた。



【行動を選択してください】


 ▷ パンを食べる

   様子をうかがう

   食べない





「じゃあ……いただきます」


 私は思いきってパンを食べることにした。

 青年はしずかにうなずいて、手をあわせる私を見守っている。


 小さくちぎって、口に入れる。

 やわらかな感触が舌に乗る。しっとりした生地、控えめな甘さと歯ざわりから、それが米粉でできたパンだと分かった。


「……おいしい」

 そう声に出した時。本当なら笑って感謝を伝えるべきなのに、私はあろうことか涙を流していた。


 二口、三口。ちびちびと少しずつちぎりながら、その甘味を大切に噛みしめる。目の奥がとても熱い。しだいに嗚咽おえつが漏れはじめた。

「おい、君……大丈夫か?」

 青年がタオルを手渡してくれた。受け取らなきゃいけないと思った。ずぶ濡れの顔をすぐに押しあてた。

「ち、違うからな。本当に何も仕込んでないんだ。信じてくれ」

 そうじゃないと伝えたくて、必死に首を横に振る。顔をうずめたままのくぐもった叫び声は、苦しみによるものだと誤解されてしまう。


 自分が情けなくて仕方がなかった。

 ゲームだの死ぬだの何だの言って、周りを疑ってばかりの自分が。

 向けられた優しさに悪意を探してしまう自分自身が。


 自分はどうしようもない人間だって、訊かれてもないことを声に出して叫びたかった。




「……ごちそうさま、でした」

「お粗末さま」

 私は空っぽになった食器を青年に返した。

 お腹がふくれたことで、溜めこんでいた疲れはやわらいだ。当然ながら、体調不良は特にない。出されたものに毒なんかが仕込んであったら、とっくに症状が出ている頃だろう。


「あの、さっきは……本当にすみませんでした」

「気にするな。今日一日は楽にするといい。あと、わざわざ敬語で話す必要はない」

「あ、はい…………うん、わかった」

 何でもないように気をつかわれて、私はうなずくだけだった。

 敬語についてはノアンにも同じことを言われたけれど、そんなに気を張っているように見えたのかな。むしろ慣れているから楽なつもりだったけれど、ここは素直に甘えることにした。

「つまらない住まいだがこらえてくれるか。体が良くなったら、ちゃんと森に帰すから」


「え、待っ……あの、ここって」

「ああ、まだ言ってなかったな」

 森に帰す、という言葉に違和感を覚えて、思わず質問する。その人は少し考えたあと、部屋の奥にある開き戸へ歩いていった。


「明るいうちに見てもらった方がいいだろう。──開けていいか? 風が入るが」

「う、うん」

 後ろ手でドアノブを持つ青年に、慌てて返事をした。

 がちゃりと戸が開いて、光が差しこむ。そこから見えたのは切りたった丘からの景色、青い空と立ちならぶ木々の頭たちだった。

「今いる場所も……森の中ってこと?」

「そうだ」

 促されて部屋の外へ出ると、嗅ぎ慣れた空気が私を迎えた。丘のふちから見下ろせば立ちならぶ木々の群れ。ただ、洞穴の近くで見たそれよりも地面が遠くに感じる。単純に考えれば、今いる場所は以前よりも高台にあるということかな。


 草原に立つ小屋。木造りの外装。

 狭いけれど落ち着く居間。吊るされた照明。レンガの暖炉。奥に見える階段とキッチン。


 立派に構えられた住まいへきびすを返す。

 そのあまりに立派な住まいと青年に、私は首をかしげてしまう。森の中にこんな小屋を建てるなんて、この人は何者なのかなって。

 すぐにそれを探ろうとはしなかった。せっかく打ち解けかけてきたのに、また疑ってしまうのが怖いから。


 ヘルプは何か教えてくれるかな。

 そう考えたけれど駄目そうだ。そばにいる気配こそあっても、さっきから呼びかけに応えてくれない。


「どうした、まだ何かあるのか?」

「え? あ、えっと……」

 いつの間にか不安が顔に出ていたみたいで、変な目で見られてしまう。

 どうしよう。つい返事が曖昧になってしまった。ここで今さら「何でもない」と言ったところで、きっと怪しまれてしまう。


 私は悩んだ末に、代わりの些細な質問でごまかすことを思いついた。

 急いで頭をはたらかせる。他に訊いても良さそうなことって、何かあったかな。




【質問を選択してください】


 ▷ ここはどこ?       [check!]

   あなたは誰?

   私の顔になにか付いてる? [check!]

   いつから私は寝ていた?  [check!]






「あの……あなたは誰? あなたの名前を教えて」


 そうだ、名前を聞いていない。自分の名前もまだ名乗ってないままだ。


「……名前だって?」

「そ、そう。あ、私はミサキ、なのだけれど……あなたは?」

 まずは自分から名乗って、やんわり尋ねてみるけれど。

「それはどうしても知りたいことか?」

「え? う、うん……」

 どうしてか渋るような言い方をされた。タイミングが悪かったこともあるだろうけれど、それを差しおいても困っている様子だった。

 それでも青年は「分かった」とうなずいてくれて、不安げな表情のままそっと口をひらいた。


「ブルートだ」


 彼はそれだけ言って、小屋の中へ歩いていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

揺りかご迷宮 -Nanohana Misaki edition- 憂杞 @MgAiYK

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ