2-3:走馬灯と、灰色の青年





 ──オレにはお前が必要なんだ。


 しずまりかえったパソコンルーム内で、わたしは先生センセイにそんなことを言われていた。


 窓ガラスの向こうにあった夕焼けは、すでにまっ黒な闇に飲みこまれている。もう校内にはわたしと先生しか残ってないだろう。

 また校舎じゅうの施錠を見て回らないとな、と、話を聞くかたわらでぼんやりと思案していた。


 ──お前の力が必要なんだよ。


 おおげさに抑揚をつけて先生は言う。

 分かりきっている。これが、わたしをはなさないための方便に過ぎないってことは。



 事のきっかけを作ったのはわたしの方だった。

 専門高校で二年生に進級したばかりのこと。新しくプログラミング実習の担任になった先生が、休み時間中に自前のノートパソコンをいじっているところを偶然見かけた。

 それを教える側の大人にしては、あまりに手つきがたどたどしくて。たまらず声をかけてしまった。

「なにかの作業ですか。代わりにやります」と。


 先生はさもありがたそうにパソコンを貸した。

 聞くにその作業は、授業でもそのうち出すというアクションゲームの制作だった。自宅で大まかなプログラミングをおこなったものを、外ではさっきみたく簡潔にデバッグ手直しをしているらしい。

 後者は門外のわたしでもできる簡単な仕事だった。教わったとおりの動きをしない箇所をテストプレイ中に見つけて、そこに正しい命令プログラムを当てはめ直せばいい。

 指示どおりに作業するだけなら誰でもできる。それにわたしの方がパソコンの操作に慣れているから、わたしがやった方が時間効率がよかったのだ。


 それを卒なくこなすと、翌日も先生から同じ『お手伝い』を頼まれた。

 特に断る理由はなかったから引き受けた。その次の日のお手伝いも快諾した。次の次の日のお手伝いも、遅くまでかかると言われたけれど二つ返事でけた。


 日を追うごとに頼まれごとは増えていって。三ヶ月が経つころには、どうしてか今みたく夜遅くまでかかるようになった。

 執拗にせがまれたから、元いた文化部は二ヶ月前に辞めた。勉学と部活とお手伝いの三つを両立させるのは厳しいだろうと、気をつかうような声色で言われたから。特にそうは思わないけれど頷いておいた。

 宿題の量はわたしだけ特別に減らしてくれるという。部活はもともと義務感から入ったようなものだから、辞められる口実ができて都合がいいとさえ思った。


 退部する理由は先生に勧められたとおり、「忙しいから」とだけ伝えてごまかした。

 一年ちょっと一緒だった部員たちの、怪訝そうな顔を見送るのは容易たやすかった。



 ──お前はオレのためだけに在ればいい。


 そう言われた。そんな気はしていた。


 今日わたしはお手伝いが終わるタイミングをみて、明日以降の帰りを早めてほしいと頼んでいた。

 理由を訊かれた時は「日が暮れるから」とか「勉強したいから」とか、今更感いまさらかんありまくりな言い訳ばかり並べた。

 知られたら面倒そうだと思ったから、本当の理由は言わなかった。そのせいで納得してもらえなくて、下校時間はいつもどおり変わらなかったけれど。


 ──お前はゲーム作りが好きでここに入学したんだろ?

「はい」


 言うほど好きじゃない。ただ昔から暇つぶしでやってただけで。


 ──また手伝ってくれたら内申点も上げてやるから。

「ありがとうございます」


 別に。そんなの求めてない。


 作業はいつも退屈だった。先生との会話も。

 稚拙な出来のアクションゲームを、あわれみながら直す日々。


 機械のように繰り返す日々。

 いつまで経っても同じ日々。


 普段の成績の伸び悩みも、クラスメイトの冷ややかな目も。

 ただの空模様のように思えた。全部どうでもよく思えた。




 ……だから私は、死にたいと思ったのかな。


 いつ終わったって同じだから。

 いつ死んだって同じだから。

 けれどいつまで生きたって同じだから、一人じゃ死ねなかったのかな。誰かに背中を押させてでも死にたいと思ったのかな。


 だとしたら、最低だな。


 こんな大がかりなゲームという媒体で。他人まで巻きこんで。やりたいことは自分一人だけの自殺だったんだ。


 お金もかかったはずなのに。時間もかかったはずなのに。学んできたプログラミング技術まで利用して、自分を見殺しにさせる共犯者まで用意するなんて。……鹿


 なんてははっ馬鹿であはは最低でははは鹿鹿鹿


 ノアンやカシマールあはははははははは勝手あっ自分あっ鹿うに、

 ほんとうに、嫌になる。


『だったら、今はどう思いますか?』


 覚えのない光景たちが、まばらになって頭に浮かんでくる。きっと私は、失った記憶を少しずつ思い出しているのだろう。

 喜ぶことはできなかった。自分の過去なんて、もうどうてもいいとさえ思った。だってとっくに謎は解けて、私もゲームも役目を終えるのだから。


 助け舟なんてない。このまま眠るしかないんだ。

 けれど問いかける声が今も聞こえて、意識を手放そうとするのをぎりぎりのところで食い止めている。


『あなたは今でも、それが正しいと思いますか?』


 くらい記憶の中でかすかに聞こえる、芯のとおった一声。

 私へ向けられたあの言葉は、誰のものだったかな。

 一人でいようとした私がすがりたくなるようなあの声は、誰のものだったかな。


 ………………………………………………

 ……………………………………




「…………い、………………か」


 よみがえっていた記憶はとぎれて、急に静かになった。

 抜けきらない眠気のせいで体がだるい。まるで夢からさめたばかりの気分だ。

 さっきまでの私は──そうだ。たしか森の中で食べ物を探していて、二日間見つからずじまいで倒れて……その後は、どうなったのだろう。


「……おい、……いじょ……か」


 必死に呼びかけるような声が、すぐ近くから聞こえる。

 誰かが大変な目にあっているのかな。いや、本当は私に向けられた声だと分かっているけれど。あまりに情けなくて他人ごとであることを願ってしまう。


「……おい、大丈夫か!」

「っ!」


 真剣そうな声が鮮明に聞こえて、やっと我に返った。これ以上気をつかわせちゃいけない。

 私はゆっくりと目をあける。──あれ? ここはそもそも、森じゃないみたいだ。

 くたびれた視界はしばらくの間ぼやけてばかりで、何度もまばたきを繰り返した。木板を何枚もはり合わせたような、茶色い天井が目にうつる。

 体がじんわりとあたたかい。少しだけ身じろぎすると、全身が寝袋ねぶくろくるまっていることに気がついた。


「よかった、気がついたのか」

 さっきまで焦っていた声色は、どうやら落ち着いてくれたみたいだ。


 しだいに声の主の輪郭が見えてくる。それは木製の茶色い床に両ひざをつけて座る、私より少し若そうな一人の男子だった。

 不揃いにおろした灰色の短髪と、色素を抜いたような灰色の瞳。すす汚れの目立つシャツを着た彼は、近くから真剣そうに私の顔をのぞきこんでいた。

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