7ー4 獣を解き放て

『あれを止めろ! 街に侵入させてはならない!』


 トバリが叫び、チームの誰より早くスクラップ・ドラゴンを追う。

 シュカはそれに続きながら、さぁっと血の気が引いていくのを感じていた。

 あんなものが街や人々を襲ったら、いったいどれほどの被害が出るのだろうか。


 一方で胸の奥底では、アレが酷く疼いている。


『歩兵隊! 住民の避難を!』

『了解!』


 トバリの指示に応じた歩兵隊が、第七ゲートから街の中へ入っていくのが見えた。


 ドラゴンは防護壁を軽々越え、街の上を旋回する軍用ヘリへと向かっていく。

 ヘリコプターは、住民に避難を呼び掛けるアナウンスをしているところだった。

 それを横合いから、鍵爪の手が鷲掴みにする。


 シュカとトバリが追い付いた時には、既に遅かった。

 めきり、という耳障りな音と共に、軍用ヘリの尻尾があっさり圧し折られた。次いでプロペラが毟り取られる。

 銀色の飛竜は鋭い牙の並ぶ口を大きく開けると、既に原型のない軍用ヘリに噛み付き、激しく咀嚼した。

 ヘリコプターの部品が、バラバラと落下していく。


 真下にあるのは、この街の総合庁舎だ。


 曲がったプロペラが、変形した鉄の板が、次々と庁舎本棟に突き刺さった。

 そこへ動力部の機械と無数の破片が降り注ぎ——


 ビルが、爆発した。

 凄まじい衝撃音と熱風で、空間ごと激しく揺さぶられる。

 炎上する軍用ヘリの残骸と、崩れ落ちる建物と、人々の悲鳴と。

 あまりの光景に、シュカは言葉を失う。視界が黒煙で覆われていた。


『ターゲットを確認しろ! 我々の狩るべきものは上空だ!』


 トバリの怒号で、ハッと我に返る。

 ちょうどスクラップ・ドラゴンが地上へ向けて急降下し始めたところだった。


『止めろ!』


 その号令で、レアメタル・ハンターたちは巨大な敵へと向かっていく。

 接触の瞬間、それぞれ手にしたブレード・ウェポンを鉄屑の身体に突き刺し、スカイスーツの電動ファンをフル回転させて上向きの推進力を作り出す。クリーチャーの落下速度を抑え、少しでも被害を防ぐためだ。

 だが、ドラゴンは止まらない。それどころか、たった一度の羽撃きでハンターたちを振り切って、火の手の上がる総合庁舎本棟に突っ込んだ。


 跳ね飛ばされたシュカは瓦礫に全身を打ち付け、その場にうずくまった。

 周囲には同様に転がった仲間数人の姿がある。ビルは既に、見るも無残な状態だ。

 左腕を肩から捻ったらしく、動かそうとするとぴしりと嫌な痛みが走る。脳震盪でも起こしているのか、酷い目眩がした。

 本来ならば、少し休憩が必要だろう。

 しかしその後に目にしたものは、シュカをパニックに陥らせるに十分だった。


 この街で一番高いビルを破壊したスクラップ・ドラゴンが、次に向かった先。

 それは総合庁舎に程近い、街で二番目に大きな建物——

 ノース・シティ中央病院だ。


「やめろぉぉぉぉ!」


 声にならない声でそう叫ぶ。

 あそこには、イチがいるのに。


 怪物の長い尾が振り回される。多数の窓ガラスが割れ、白塗りの壁が大きく抉れる。そこから何人かが落下するのが見えた。

 イチの病室は逸れているはずだが、もはや時間の問題だろう。


 ——ころせ。


 内なる声が聞こえる。


 ——戮せ。


 それが、抑え込んだはずの衝動を突き動かす。

 一方で、理性は思考を急き立てる。


 ——早く、早くしないと。イチが危ない。


 シュカは痛みを忘れて立ち上がった。背中と大腿部、そして両翼にある計十六基の電動ファンを一斉に起動させ、空中へと舞い上がる。


『シュカさん!』


 まるで彗星のように標的へと向かうシュカに、声を掛けたのはエータだろうか。それに応える余裕はもちろんない。


 ——戮せ。

 ——早くあいつを倒さなきゃ。


 狂気と正気。二つの心がせめぎ合う、その狭間で気付く。

 今こそ、この獣の力を解き放つべきではないか。

 両者の目的が一致した今、コレを抑え込んでおく理由もないのだから。

 もう、一切の迷いもなかった。


「うらぁぁぁぁぁぁッ!」


 吠えるように声を上げると、神経の昂りが一瞬で天を衝いた。

 柄のみの状態に戻っていたブレード・ウェポンを振り出し、ロングソードに変形させる。

 刹那のうちに距離を詰め、建物に取り付く敵の右肩へ鋭く斬り込む。シュカを掴もうとする長い爪を掻い潜り、更に一撃、二撃。


 驚くほど速く、しなやかに、そして力強く身体が動く。

 心臓から送り出された血液が全身を駆け巡り、五臓六腑を滾らせる。

 それでいて、己が己であるという意識は確かにあった。

 己の意志で、獣の力を纏っていた。


 鉄屑の間から淡い光が見える。サブのコアだ。


 ——戮せ倒す!


 シュカは渾身の力でコアを貫き、砕いた。崩れ落ちた鋼鉄の右腕は、ただのスクラップと化す。


 レンズの双眸がシュカを捉える。瞬時に複数のアームが伸びてくる。

 まるでスローモーションだ。

 シュカはそれらをひと薙ぎで斬り払う。だが、ぎりぎりで落とし損ねた一本が彼女の脇腹を穿った。

 不思議と痛みは遠い。どくんどくんと鼓動が脈打ち、ますます心を猛らせる。

 その衝動に任せて、シュカは敵の眼前に躍り出る。

 自分の姿を映す、レンズの目。

 その片方に、刃を突き立てる。ぱりんと音がして、そこに蜘蛛の巣状のひびが入る。


 金属の軋む咆哮が、鋼鉄のドラゴンの喉から迸る。

 それが鼓膜をつんざき、脳を震わせる。

 痛覚が戻ってくる。血の流れる傷の痛みがたちまち増幅して、シュカの意識の輪郭を奪っていく。


 電動ファンの回転が止まったことは覚えている。剣の柄から手が離れたことも。

 そこで、視界が暗転した。




 はっと瞼を開ける。

 シュカは地面に横たえられていた。リュック型バッテリーは外されている。

 誰かが脇腹の傷に触れているようだ。


「あっ……シュカさん、大丈夫ですか?」


 顔を覗き込んできたのはエータだ。


「とりあえず止血剤とテープで応急処置してあります。ヘルメットはちょっと寝づらいと思いますけど、落下物があるかもしれないから……」


 ヘルメットのシールドは上げられているので、息をするのには問題ない。


「あぁ、うん……ありがと、これでいいよ。……ドラゴンは?」

「どうにか病院の建物から引き離して、すぐそこの中央公園広場で戦ってます。片方の翼を壊したので、もうそんなに飛べないはずです」


 ここは中央病院の正面ロータリーらしい。

 ヘルメットの内蔵インカムを通して、仲間たちの声が聞こえてくる。


『残るは左脚だけだ!』

『そっちの翼もやっちまえ!』


 シュカのブレード・ウェポンは刃が収納された状態で、頭の真横に銃やバッテリーと並べ置かれている。

 半身を起こそうとすると、左肩と左脇腹に痛みが走った。思わず、呻き声が漏れる。


「あっ、駄目ですよ! シュカさんはここで休んでてください」

「……ごめん、こんな時に」

「何言ってるんですか。さっきシュカさんがいち早くドラゴンを攻撃したからこそ、病院の被害を最小限に抑えられたんですよ」


 エータは立ち上がり、担いだ銃に手を添えた。


「僕も行ってきます。一刻も早くあれを解体しなくちゃ」

「大丈夫? 普通の敵じゃないし、無理はしないで」

「大丈夫です、任せてください。僕もハンターチームの一員ですから」


 ぴしりと敬礼が返ってくる。ヘルメットのシールドの向こうにある微笑みは頼もしい。中型のスクラップ・ワームにも尻込みしていた気弱な見習いの新人は、もうそこにはいなかった。


「分かった……任せる」

「はい!」


 スカイブルーの翼で飛び立っていったエータを見送り、天を仰ぐ。

 よく晴れた空だ。太陽は高く昇り詰め、一層強く照り付けている。頬を撫でる風は、場違いに爽やかだ。


 先ほどまでのことが嘘のように、心が凪いでいた。

 獣はどこへ行ったのか。

 四肢に残る熱は、確かにこの身体の芯と繋がっている。

 獣は、シュカの中にいる。

 だが、以前のように得体の知れないものでは既になく、己の意志に通じる力のように感じられた。


 だから、怖れるようなものじゃない。


 一つ、息をつく。

 耳に届くのは、病院から避難する人々の足音や話し声ばかりだ。

 一般市民を誘導したり、イチを探しに行ったりできればいいが、情けないことに身体が上手く動きそうにもない。


 インカムからの通信で、サブのコアの最後の一つをエータが狙撃で破壊したことを知る。


『よし、よくやったエータ! 後はメインのコアだけだな!』

『はい! もう少しですね!』


 エータの嬉しそうな声に、そっと微笑む。

 後はチームのみんなに委ねようと、そう思った矢先。


『……ん? 何だあれは……』

『えっ……ちょっと、すごい数じゃないですか』


 狼狽えたような仲間たちの会話。

 シュカの周囲の人々も、何事か騒ぎながら空を指差している。横になったままそちらの方向へ首を巡らせると、青空に点々と黒く、たくさんの影が見えた。

 鳥か? いや、あれは——


 その時だった。


「ママ!」


 甲高い、聞き慣れた声。

 世界で一番愛おしい声。

 視線をそちらへ動かせば、崩れた病院から避難する人の列に、パジャマ姿のイチがいた。


「ママぁ!」


 小さなスリッパを履いただけの足で、イチがぱたぱたと駆けてくる。

 転ぶよ、気を付けて——とシュカが口を開くより先に、周囲の人々がどよめき、悲鳴を上げた。


 空から地上へ、そいつらは次々と降りてくる。

 背中に翼を生やし、大腿部と背中に電動ファンを装着した、人の形のクリーチャーだ。


 その一体が、こちらへ向かってくるイチの目の前に立ちはだかった。


 誰かが叫ぶ。


「坊や、危ない!」


 横たわったまま身動きの取れないシュカの目が捉えたのは、その怪物が、イチに向かって剣のようなものを振り上げるところだった。

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