第7話 お人好し

「おい坊主、ホットな」

 俺のことを「坊主」と呼んでいた辰さんは、この街で土建業を営んでいて、いつも午前中の早い時間に店に来るとカウンターの真ん中の席に陣取り、決まって「ホット」を頼み、先代と他愛もない話でさんざん時間を潰していた。

 マスターとは古い付き合いだったんだろうね、日頃ジャズしか流さないこの喫茶店が、辰さんが来てる時間だけ、たまに演歌が流れるものだから、ジャズを聴いてたお客さんは驚く人もいて、それが妙におかしかったよ。

 ちなみに、うちの店には「ホット」というメニューはないが、マスターは黙ってブラジルとモカの特製ブレンドを出して、それを辰さんは角砂糖1つ入れて飲んでたよ。


 そんなある日、梅雨も明けきらない雨の日だった。辰さんが店に入るなり、カウンターに座らずにテーブル席へ向かった日があってな。珍しく小学生ぐらいの男の子を連れてたんだ。

 確か、辰さんには子供がいなくて、会社を誰に継がせようって話を店でよくしてたから、俺やマスターは顔を見合わせた。

「健二君、ちょっと」

 驚いたのなんの、辰さんが健二君なんて言うもんだから、俺は最初誰か別の人を呼んでたのかと思ったくらいさ。まさか自分が敬称をつけて呼ばれる日があるなんてな。

「ええとな、このクリームなんちゃらと、何か腹の膨れるものをこの子に出してやってくれないかい」

「じゃあ、スパゲティでいいですか」

「おお、何でもいい。ついでにサンドイッチもな。特製のやつ」

 ハムや卵をたっぷり挟んだマスター特製のサンドイッチと、粉チーズがたっぷりかかったナポリタンを、その男の子が美味しそうに全部平らげるのを見て、辰さんは満足そうに笑ってた。

 そして、来た時と同じように手を繋いで二人は帰っていったんだ。


「辰さん、この間の子、誰なの」

 しばらく経った頃、俺は気になってたから思い切って聞いたんだ。

 辰さんは、腕組みをしてしばらくじっと目を閉じてたが、おもむろに語り出したよ。

 あの梅雨の日の朝、辰さんがうちの店へ行こうと玄関を開けたら、母親と思う女の人とあの男の子が立ってたらしい。「なんか用かい」と辰さんが聞くと、女の人は男の子をグイッと自分の前に出して、

「あなたの子よ。なんとかしてあげて」

と言って逃げたんだってさ。

「おや、心当たりでもあるの」

「いやあ、女にまったく見覚えはなかったんだがな。あなたの子よって言われんだ。俺の子ならなんか食わさなきゃって思ってさ」

「ほんとですか。遊ぶ相手が多過ぎて覚えてないだけじゃないんですか」

 俺がからかうつもりで聞くと、

「そりゃ、まったく遊んでないとは言わないがな。残念ながら、俺には子種がないんだよ。子種があったら、あっちこっちに俺の子がいたかも知れないなあ。がはは」

と豪快に笑ってた辰さん、あの後、やっぱり警察に行かなきゃなと思って連れてったらしいんだが、しばらく元気がなかったのは、連れてったのを後悔してたのかもな。

 こんなお人好しの辰さん、俺は大好きだったな。

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