▲3五嗔猪《しんちょ》(あるいは、シンクロナイズド/シンクロニシティ)
開け放たれた障子。差し込む陽光は確かな熱と光をこの部屋に与えているけど。エアコンの無粋な送風音だけが、この人口密度が限界レベルの「対局室」で常にうなっている……
あと聞こえるのは、ミロカと沖島さん、双方が互いに鳴らす駒音だけなのであって。静けさの中、ふたりの熱気のこもった指がしなる。
「……」
私はと言うと、この対局……というか「決闘」の見届け人として任命されたこともあって、盤横で記録係を買って出ている。この戦いは、やっぱりすぐ側で見届けなくちゃいけない気がして。
両者の合意により定められた、「持ち時間10分:それを使い切ると一手1分未満」という早指しルールの中、ミロカも沖島さんも、淡々と序盤中盤を進めていく。
「……」
流石のミロカも、薄いパステルブルーという尋常じゃない羽根扇子を閉じたり開いたりしながらも、対局中ともあって、真剣に盤面に向かっている。時折沖島さんの指し手を見て、くっくと笑ったりするマナー違反なところも見受けられるけど、その表情は、いいおもちゃを見つけた、みたいな無邪気で興味津々といった、まっすぐな表情をしているように、私には見えた。
「……」
相対する沖島さんは、初手から変わらない無表情ながら奥底には気合いの走ったような顔つきのまま、こちらも盤上没我といった感じ。「香落ち」のハンデを与えられてることもあって、一手指すごとに盤面を着々と制し始めているように感じられたけど、ここは絶対落とせないはず。ミロカの方はこれは前哨戦と位置づけているのか、それとも相手の棋力・棋風を推し量ろうとしているのか、はっきり、手抜いている感がありあり。いや、最善手を繋いではいるんだろうけど、何となく「鳳将」獲った時の迫力も何も無い感じであって。
おそらくは次戦、「平手」での対局が、本番と見た。どうなるんだろう……
私はこの対局が始まる前に沖島さんと話したことを思い出す。
―あれそれ『イビアナ』……?
「案内役」するとは言ったけど、沖島さんにちゃんと了承を取ったわけでもなく、要らないよ、とか言われたら気まずいよなあ……とか、またいい子な私が細かい人間関係にあれこれ危惧しながらも、帰る準備をちゃんとしてから「対局」に向かうのだろう、夏休みが明けてからはほとんど誰も持ってきてない学園指定の黒い革かばんに端末とかを丁寧にしまっていた隣の席の彼女におずおずと声を掛ける。何て切り出そうとか、そんなことをその時になってもまだ迷いながら。
思わず目についた、沖島さんの細く長い指に掴まれたペンケースに描かれた「魔法少女」の大きな瞳と目が合い、そんな、本題とはかけ離れたことを口走ってしまうけれど。
筆記用具は一応持って来いとは言われているけれど、ほとんど端末で事足りるから、誰も使っているところなんて見たことない。でも沖島さんは、午後の歴史の授業では、ちゃんと紙のノートにシャープペンシルという鉛筆のような字が書けるやつで、綺麗な字を綴っていた。一文字一文字を丁寧に、でも強弱緩急つけながらペンを走らせていくその姿は、対局中のいまも垣間見せている、何と言うか「流麗」な感じがした。
とか思っていたら。
―え? 知ってるヒトいたんだ……
ちょっと驚きの顔つきで私の顔をまじまじと見てきた。はじめて目が合ったような気がする。はじめて真正面から見る沖島さんの、おかっぱをそのまま伸ばしたような不思議な髪型の先からさらに伸びる、しゅっとした顎の
―そうですぞ七年振りに蘇ったんですぞコポォォ!! 『絶!
と、鼻息荒く、そののっぺりとした顔面をこれでもかと紅潮させながら、5cmくらいの間合いにまで踏み込まれてそんな理解が5%ほどしか及ばないことをまくし立てられたのだけれど。
あっるぇ~、なんか、なんか私の知ってる
無欠感をにじませていた沖島さんの、意外な混沌を見せつけられた体だったけど、それが話の取っ掛かりになって、いろいろ話せたのは良かった。
家の最寄り駅が錦糸町であること。ひとりっ子であるということ。両親が共働きで夜遅くまで帰ってこないことが多いから、いつでも遊びに来てもいいと誘ってくれたこと。部屋には尋常じゃないほどの「イビアナ」グッズがひしめいているということ……
そして……最後にさらりと私の度肝を抜かれることも。
すごいクールで大人っぽいヒトかと思っていたら、気さくな感じでぐいぐい話を展開してくれた。私もいろいろ喋った。自分のコトとか、あと。
……いまいちばんの懸念事項、ミロカのことについても。
友人代表として無礼をひとまず謝っておいたけど、よくあるよくあるー、将棋はね、自信と挫折を繰り返すことで太く強く伸びるんだよー、と、達観したかのように言ってくれた。そして、
……だからへし折ってあげるのが彼女のためになる。
その時だけ鋭い光をレンズ奥でギラつかせた沖島さんの表情を見て、あ、これミロカ喰われるんじゃ……と私は早くも予期したのだったけれど。
そんな回想の中、予定調和のように、定跡を並べていくかのようにするすると、「第一局」は決着した。八十八手までで下手、沖島さんの勝利。
「……」
二人共、対局が終了しても表情は変わらない。ミロカはにやにや笑いを貼り付かせたまま。沖島さんは真剣な無表情のまま。
感想戦も無く、駒が並べ直される。今度は四十枚すべてが盤面に整然と。いよいよ始まる……決戦が。
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