△3四悪狼《あくろう》(あるいは、魂のデイトレーダーたち)


 午後の授業はずっと上の空だったんだけど。


 対局組まれてないで良かった。思考がめたくしゃになってるから、どんな相手でも負けていたと思う。私がいくら心配してもどうしようもないことかも知れないんだけど……この後に迫っている「ミロカ×沖島さん」の、人智を超えた将棋バトルに思いを馳せるとそれだけで……鳩尾の辺りがいやな熱を持ってきて、もぉう、落ち着かない。冷房のほどよく利いた教室でも、私は固まった真顔で少し汗ばみつつ、何とか授業を終えたのだった……


「ミロカ、やっぱやめとこう? こんなことしても何にもならないし……」


 五限と六限の間の十分休みの間に、もはや親衛隊だか信奉者だかが群れなすようになったミロカの机向けて何とか人の波をかき分け辿り着いた私は開口一番、そう諭すかのように言うのだけれど。


「これはこれは委員長どの……わらわの事よりも、あの、何とかとかいう孤立無援の眼鏡女についてやっていた方がいいんではないかえ? それにこれは売られたマウントだ……この学園を侮辱されたとも私は思っているのだよ……ゆえに……ゆえに!! 『棋青舎・鳳将ほうしょう』として、馬の骨のぶつけてきた決闘を……受けぬわけにはいかないのだよ……」


 ……ホントに人が変わり過ぎてて、誰と喋ってるんだか分からなくなっている私がいる。その、頑なだったけど確かに前を見ていたように感じた真っすぐな瞳は、いまや濁りきっていて私をも嘲笑うかのように歪められているけど。凛といつも結ばれていた形のいい艶やかな唇は、いまや何とも言えない不快感を感じさせる風にひしゃげているのだけれど。


 このままじゃ、きっとだめだ。絶望のどん底から、経緯はどうあれ自分の力で這い上がり、キックと将棋に、未来を見出し始めていたミロカが、このままじゃ、だめになっちゃうよ。私は内心のやるせなさと憤りを鋼の意思で腹底に押し留めると、小さい頃から長けていた、「媚びていないようで全力で媚びている」というような、天衣無縫の笑顔を顔面の筋肉を総動員させて形作ると、目の前の親友にこう告げるのだった……


「わかった。じゃあ私は勝手が分からないだろうから、あくまで『案内役』的なセコンドとして沖島さんに着くね。でも……応援してるよ、ミロカのこと」


 あざとさ全開の私の表情と言葉に、ミロカの周りを囲っていた男子の何人かが胸を押さえて狂おしそうな表情を呈してくるけど。ミロカ……あなたにだけ、言ってるんだからね。


「ここここ……案ずることはない。あの無礼なるイキり眼鏡に礼儀を叩き込んでやるまでよ……」


 しかして。私の渾身の言葉もやはり通じてはいないようで。私は「形成されているのは確かに笑顔なんだけれど、見ようによってはとめどなく真顔に見える」顔に移行していくのを自覚しながら、力無くその場を去るほかないんだけれど。


 そして放課後。結構上位者の対局が行われることの多い別館2Fの「鳳凰の間」には、このとんでもない「決闘」を生で観ようと大勢の生徒やら教師やらが押し寄せ、十五畳くらいの空間は立錐の余地なく、畳張りの中央にでんと鎮座した六寸はありそうな脚付きの榧盤に覆いかぶさらんばかりにして息を詰めた人らがひしめいている図があるのだった……


 えーと、いつもの重要対局よりも観客数多―い……確かに注目度は高くて当然なのかもだけれど。ここ三か月くらいのミロカの勝ち局は「次元を超えた」奇手・妙手が爆裂するのが常であって、華やかで見ごたえのあるものばかりだったし……でもどうせ棋譜はリアルタイムで発信されるんだから、こんな冷房21℃設定にしてもまだ熱気がこもるこの場所に居合わせなくても、とも思う。


 そんな一種異様な雰囲気の中でも。


「……」


 常に傲岸な微笑を湛えたまま、脇息に身をしなだれかけさせて何かド派手な飾り羽のついた扇子をあおいでいるミロカと。


「……」


 かっちりとした正座姿勢が、見る者に涼やかな空気を運んで来るような、落ち着いているけれど盤上に熱のこもった視線を細いレンズの奥から落としている沖島さんと。


 どちらも向いているベクトルはてんでばらばらなのだけれど、そのつよさみたいなものは相対していると相当。この対局……どう転ぶかは分からないけど、超高次元の殴り合いに発展するだろうことだけは、私や、周りのギャラリー達も多分、脊髄くらいのところで感知している。


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