▲3三麒麟《きりん》(あるいは、駒落ち/闇堕ち/魍魎ウォッチ)


 そんな、開幕三連敗くらいを喫した過去の失態を思い起こさせるくらいの、空気が澱んでいるかくらいの嫌な予感はこの場に立ちこめてはいたけど、だからと言って、それを止めるとか、どうこうするなんてことは私なんかには出来るわけなかったのだった……


 教壇から静かな所作で降りてきた沖島オキシマさんが、私の隣の、示された教室後ろの席に向かって来る。私に涼やかな視線と微笑みを送ってくれながら。それは非常に嬉しくて……でも案の定……いや案の定って欲しくはなかったけど、


「おう新入りの。ぁに挨拶が先じゃろがい」


 沖島さんが努めて見ないふりをしつつ素早く通り過ぎようとしていたはっきりの異物感まるだしの籐椅子の陰から、そんな、何とも形容しにくい、どこの郷の言葉か分からない言語が、お腹の下あたりを震わせてくるような低い低い音程で紡ぎ出されてきたわけで。


 み、ミロカ、と思わず諫めようと席を立った私だったけど、沖島さんはその場でくいとその声の主の方に向き直ると、オキシマミユデスヨロシク、みたいな感情のこもらない声色で言い切った。そして、


「で? あなたは何者?」


 と、極めてフラットだけど、どことなく小馬鹿にしたようなニュアンスを滲ませながら、そう訊き返したのであって……やばい。修羅場の予感……ここからじゃ見えないけれど、顔筋入りまくりだろうミロカが、


「ふははは、『鳳将ほうしょう』の名を知らぬとは、笑かしよる」


 それでも余裕を感じさせたいのか、穏当かつ鷹揚な言葉で応酬していってるぅ……それに追従するかのように、教室のそこかしこでも遠慮がちな笑い声が上がるけれど。もぉぉう、こんな空気いたたまれないでしょうに。と、


「……こんな学校でのタイトルなんて知らないのが普通でしょ?」


 沖島さんもブッ込んできたー。もはや隠しようもない憎悪と敵意が、二人の間で黒い炎と化して渦巻いておる……へ、平穏な、平穏な世界だと思ってたのに、とんでもない修羅場が展開し始めているよ怖いよ……。そんな、立ったままその場であわあわするばかりの私。そこへ、


「……どうやら」

「将棋で白黒つけた方が、話早そうね」


 両者からそんな提案が。はからずもそんなところでは意見の一致を見せる二人だけど、ちょっとちょっと。


「よかろう、我が棋力は『五段』。貴様は?」

「……『三段』」


 くくっ、とまた嫌味な笑い声を立てたミロカは、ならば「香落ち」で手合ってやろうではないか、とか、もぉう増長しまくりのこと言うんだけど。


「いいけど……それプラス『デスマッチ』を提案したいんだけれど? いい?」


 眼鏡の奥の切れ長の目を細めながら、沖島さんも不穏なコトをのたまい出す。もぉぉ、やめようよおぅー……


 私の制止も聞く耳持たずに、ただただヒートアップしていくだけの二人。のっぴきならない修羅の闘気オーラが、教室の酸素を燃焼し尽くしていくようで何かもう息苦しいので↑す→が↓。


 結局、本日の放課後、「鳳凰の間」での特別対局が組まれてしまっちゃった……あああ、何でここまで変貌しちゃったの、ミロカェ……


 でも痩せても枯れても「委員長」である私は、クラス内の揉め事なんかを調停する立場にあると勝手に思われているわけで。そしてそこを裏切りたくない、という、学園生活における外面そとづらの良さを保ちたいという、極めて打算的な私もいるわけであって……


 言の葉の通じ無さそうな方はとりあえず放っておいて、私は昼休み、沖島さんの机に机を合わせると、穏やかに、だけど有無を言わさない感じで、お昼一緒にいい? と話しかける。と、


「……心配してくれるのはありがたいけど、あのコと仲いいんでしょ?」


 意外に可愛らしい、というか中一にしてはあれ、ちょっとコドモっぽくない? と思わせる何かのアニメキャラのカラフルな絵がでかでかと描かれたランチョンマットに包まれたお弁当箱を出しながら、沖島さんは、そんな私の立ち回り処世術を見越したような言葉を返してくるのだけれど。ちなみにミロカは昼休みのチャイムが鳴るか鳴らないかのところで例の「お輿」の面々が教室の中まで入り込んできて、そのまま籐椅子ごと担がれて多分食堂に運ばれていった。そこでもさぞかしちやほやされていることだろう……言っていちばん高いメニューなんて「C定食:480円」くらいで高は知れていると思うけど。


 いやいや、それは本当にどうでもいい。


 私……八方いい子なところは自覚はしているけど、そういうキャラ付けを早々に獲得したから、あえてのそんな振る舞いに徹しているってとこもある。その方が自分も周りの人たちも判りやすいのであれば、それはそれでつつがない平穏学園生活にとっては重宝されるから。


 まあ今のこの状況は、その「平穏」とやらが何だったのかも薄れかけるように、180°全力で遠ざかりかけているのだけれど。


「……沖島さん、『デスマッチ』とか、やめといた方がいいと思う。あのミロカは言動とか振る舞いはアレだけど、最近の将棋の充実っぷりって言ったら空恐ろしいほどだから……」


 「デスマッチ」なる物騒な対局形式を提案した沖島さんだったけど、最初はミロカ香落ちの上手から指し始めて、「勝った方がどんどん不利になっていく」というルール……つまり負けた方は「香落ち」「両香落ち」「角落ち」「飛落ち」「飛香落ち」「飛両香落ち」「二枚落ち」「三枚落ち」……みたいに、どんどんハンデをつけられるという……そして「負けた方が降参するまで、ハンデ戦が続いていく」という……何と言うか、心とか精神を殺しにくる危険な代物と思われる……


「……『29連勝中』とか言ってたね。そういう時の勢いって馬鹿にはできないけど……でも……まあ多分だけど、大丈夫だと思うな」


 綺麗な箸使いでカラフルなおかずを口に運びながら、沖島さんはそんな落ち着き払った口調なんだけど。でも……同年代のコに「何枚落ち」とかされて、さらには負け続けるなんてことがあったら……今後の将棋人生にも色濃く影響を及ぼしそうで本当に怖い。立ち直れなくなりそう。


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