△3六猫刄《みょうじん》(あるいは、玲瓏と/爆熱の狭間で)


 先ほどの静謐さとは、また違った感じの、さらにの緊張感を孕んだかのような重苦しくも張り詰めたような静けさに、ひといきれだけが半端なくこの部屋に充満していってる……


 沖島さんの先手で始まった「第二局」は、居飛車VS振り飛車のオーソドックスな立ち上がりを見せた。そしてミロカの細く整った指に摘まみ上げられた飛車は四筋へと。


 ここ最近の彼女のエース、四間飛車。定跡の埒外から来るその速攻猛攻に、先手が先手を取れないといった摩訶不思議状況に陥ったと思うやいなや、そのまま押し切られているというパターンを、29連勝の棋譜の中からいくつも見てきた。


 まるで自在に飛翔する「鳳凰」の駒でもその自陣に仕込まれているんじゃないの、みたいに、駒たちがそれぞれに飛翔乱舞する華麗な寄せ方は、とても私たちには真似できないものであっても、あるいはそれだからこそ、強く魅かれるところがあったのだった。


 でも今のメンタルは絶対間違ってる……間違ってるはずだよ、ミロカ。だから……


「……」


 一方の沖島さんは定跡通りに着々と囲っていく。ミロカの指し手にたまに頷くような仕草を見せながらも、自陣しか見ていないかのように、自分の玉を左辺へ、左辺へと滑らせていってる。目の前に展開し始めた、荒唐無稽にも見えるミロカの両翼を広げた鳳凰のような布陣に、目を細めながら。


 沖島さんはこの対局を楽しんでいる……楽しんでいるんだ、きっと。盤面を通した、新しい出会いを。「将棋で白黒つける」とか言ってたけど、それは多分違うんじゃないかな。将棋を通して、分かり合いたいんだと思う。どんな相手に対しても、将棋を指す者同士であれば、指すことで、分かり合えると思っているんじゃないかな……だって、


 それは私たちよりも遥かに計り知れないほどに膨大な時間、将棋に接してきたから……そして将棋で、接してきたから……たくさんの他の人たちと。自分の目の前に座る相手たちと、将棋で語り合うしかない世界を、歩いてきたからだ、たぶん。


 私は沖島さんの境遇をさっき聞いていた。だからそう思ってしまうのかも知れないけど。でも彼女の発する空気は、確かに将棋で語り合おうとしているかのような、そんな張りつめながらもどこか相手を受け入れるかのような、そんな感じを醸し出しているようで。


 「9九」の地点に潜り込んだ沖島さんの王様は、かかって来いとばかりに、実にどっしりと、全てを受け止める構えでその枡目の中心に鎮座しているかのように私には見えた。


 居飛車穴熊イビアナ。玉を堅固な守りの奥の奥に潜ませ、「絶対に詰まない状態ゼット」を維持しながら、激しい攻め合いに転ずる……彼女の溺愛/崇拝するキャラクター「Z壁ゼッぺき少女イビアナ★」も、モチーフはそれだ。同時に彼女のエースでもあるんだろう。ミロカの早々の仕掛けに対しても、動ぜずにゆったりと、穴熊それを明示してきたということは。


 盤上から発せられる、熱のような、冷気のような、わけ分かんないオーラが、大勢が身じろぎせずにひしめくこの部屋に、時に激しく、時に穏やかに、だけど段々と見ている私たちを圧倒していく……


 中盤の入り口とすら、認識は出来なかった。扇子で口許を隠したミロカがふ、と力の抜けた感じで指した3五歩。それが、戦いの狼煙だった。


「……!!」


 その何気ない一手から、一気に盤面が慌ただしくなっていく。正面でぶつかる駒と駒。取りつ取られつ……お互いの陣に、打ちつ打たれつ。盤上のあちこちで火の手が上がりながらも、ミロカと沖島さん、はどちらも引く気は無さそうだ。かたや穴熊、かたや……何とも表現できない、天衣無縫の囲い……「鳳凰囲い」とでも言ったらいいのか、玉がまるで巨大な両翼を広げたような布陣。そしてそれがそのまま敵陣目指して緩やかにその巨躯を蠢かせていく……


 定跡とか。盤上この一手とか。そんな常識はもう通用しないような、混沌カオスの坩堝みたいなものに、局面は突き進んでいた。周囲ギャラリーの私たちはただ、ほとんどが口半開きの固まった顔のまま、それでも目だけは盤に吸い着けられるようにしながら、一打ごとに火の粉が舞い散ってるんじゃないのくらいの対局に、意識の全部を持っていかれていたわけで。


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