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 さて、ここからのお話はわたくしが体験したお話です。

 快楽者も、人を手で殺すことに飽きてきた時期でもありました。


 そんな時、彼はある出会いをしました。

 道端である人に出会ったのです。その人は正義を愛するものだと彼に名乗りました。やはり似た者同士、仲良くなるものだな、とつくづく思います。

 その人は(以降はwと呼びたいと思います。)今の世界は邪悪で劣悪だ、自分がこの世界を変えたいと彼に豪語しました。


 自分の正義を実行するためだったらどんな手段でも厭わない、そんなwは彼によく似ています。そりゃあ、意気投合するわけですよね。


 うすうす勘づいている人もいるかもしれませんが、wはある宗教の信仰者でした。

 勿論、この世の中には立派な生き方を諭すような教えを持つ、たいそう立派な宗教が多数派です。


 けれどwが所属する宗教団体は少数派でした。彼は頭が良く、薬学にも詳しいのですから当然、その宗教団体の行う活動において非常に可愛がられるわけです。頭の良い彼も、倫理的なことは猿並(もしかしたら猿以下かもしれませんが)ですから、どんどんその宗教にのめりこんでいきました。


 実はわたくしは、彼を捨ててから一度だけ彼に再会してしまったことがあります。それは彼が街中で宗教を布教していた時でした。

 わたくしは青い目を失った彼でもすぐにXに気づきました。あちらはわたくしの顔なんて覚えておらず、わたくしに宗教の内容が書かれているパンフレットを渡してきました。わたくしは受け取りませんでした。パンフレットを受け取らなかった彼にとっては他人の内の一人に、わたくしは扮したのです。


 わたくしは彼を見た瞬間、彼の人生の内容を察しました。やはりわたくしが捨てたから、彼は鬼畜な動物になってしまった、その思いが胸に染みました。やはり彼の奇行を知った時にわたくしは彼を殺すべきだったのです。


 一体どれだけの人が彼に殺されたのでしょう?

 一体、彼の罪はわたくしが何回死ねば償えるのでしょう?


 わたくしはしっかりと彼の所属している宗教団体の名前(以降dと致します。)を覚えました。わたくしは、dがどんな活動をしているのか、弁護士に調べてもらおうかとも思いました。けれどそれを知るのは凄く怖かった、それに活動内容を知ったところでわたくしの罪悪感が増すだけです。


 だからわたくしはもう彼に対して何もしないと心に決めました。今更何をしても遅い、そう思っていました。

 それから数週間してわたくしの家のポストに奇妙な手紙が届きました。


「ヤットアエタネ」


 その一言だけ、真っ赤な便せんに青いペンで書かれていました。わたくしはすぐに誰が差出人かわかりました。書いてはいませんが、きっと、厭、絶対に彼です。松田拓馬です。わたくしはその手紙を持って震えあがりました。いつも彼は、何でもお見通しなのです。


 あの一言以外何も書いていないので返事を書けるわけでもなく、わたくしはただ自分の身を案じました。けれど家を住み替えなかったのは、彼に殺されたてしまった方がいいかもしれないと、わたくしは心のどこかで思っていたからでしょう。


 もしかしたらわたくしはまた彼からの手紙が欲しいと思っていたかもしれません。母親とはなんて馬鹿な生き物なのでしょう。まぁ、きっとわたくしは世界で一番馬鹿な母親でしょうけど。


 でもあの一通以外、手紙は来ませんでした。

 あの手紙が来た時から約五年が経ち、わたくしもすっかり老いぼれました。鏡を見るたび、少し色素の薄い自分の顔に皺が増えているように思えて死が近づいているのだとわたくしは喜びました。今この瞬間にも、わたくしにも彼にも死は近づいているのだと思うと、心が少し軽くなる心地がします。


 けれどそんな一時の平穏を打ち破り、わたくしを不幸のどん底に陥れる出来事がありました。


『同時多発テロ 国内で最悪の被害 死者 100人超える』


 その新聞の見出しを見てわたくしは体が一瞬にして凍るような感覚を味わいました。なんの根拠もないまま彼の仕業だとわたくしは思ったのです。


 なぜこんなにも母親の勘とは当たるのでしょうか?わたくしは取り乱しそうになる自分を、なんとかして正常な精神状態に戻そうと必死に呼吸をしながら新聞を読みました。

 

 読むとは言っても、Xの名前と、宗教団体の名前を必死に探していただけですが。


 そしたら案の定、すぐに宗教団体の名前を新聞の文面から見つけました。わたくしはすぐにTVをつけました。勿論、その同時多発テロの話題でどの番組も持ちきりでした。


『過去最悪の死人数です』


 わたくしの耳に入ってきた情報はほとんど頭まで届きません。


『今回の実行犯のリーダーである、Xは……』


 X、その言葉だけはわたくしの頭にしっかりと届きました。


――嗚呼、やはり。


 わたくしはTVもつけっぱなしで、ふらふらした足取りで事件の一番被害の大きかった場所に行きました。

 泣き叫ぶ声、苦しみの声、怒り狂う声。

 わたくしは自分への報復のために事件現場に行きました。


 沢山の医療関係者が自分の命も顧みず、働いていました。その様子を見てわたくしは自分の何かが爆発するような気がしました。


「全て、全てわたくしが悪いのです!」


 わたくしはそう叫びました。けれどその声は苦しんでいる人の声にかき消されてしまいました。


「邪魔だ! どけ!」


 わたくしはある医療関係者にそう言われ、その場を離れました。

 後悔、の極致は快楽なのかもしれません。


 わたくしはこの苦しんでいる人を見て後悔している自分に酔っているのです。やっと自分を懲らしめられた、やっと自分へ罪が降りかかってきた。


 わたくしは笑いだしました。事件現場の悲惨な状況、苦しみもがき、死なせてくれと懇願する人の表情、必死に生かそうと救助をする医療関係者の姿を自分の目にしっかりと、焼き付けて。わたくしはやっと自分の心を殺せるのです。自分の精神を滅茶苦茶にして、本当の死より残酷な生き地獄にようやく自分を堕とし入れられたのです。


 わたくしは笑いが止まりませんでした。

 呼吸が出来ないほど笑い転がりました。


 こんなに狂ったわたくしが、周りの目に入らないほどこの事件現場は最悪なのです。わたくしは愉快で仕方ありませんでした。


 あの人も、あの人も皆わたくしのせいで苦しんでいる!


――なんて、愉快なんだろう。


 ガラスが割れるような音がわたくしの心臓のあたりから聞こえました。

 そこでわたくしの目の前は真っ白になりました。

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