6

 そしてついに華さんは死を望みました。


「殺して……」


 華さんは苦しい息の中必死に、でも力なく言いました。


 彼はいつか華さんが見た屈託のない笑顔を華さんに向けました。


「なに言っているんだい」


 彼はそう言いながら華さんを抱きしめました。


「僕はもう殺したじゃないか、君の心を」


 その瞬間、華さんの涙はぴたりと止まりました。ゆっくりと彼は華さんを離しました。その時やっと華さんは気づいたのです。

 自分が彼にどんどん生気を奪われていたこと、そして彼の青い目に魅入られ、自分は大切なものを奪われたことを。


 華さんを見下ろす彼の目には確かに愛はあったのかもしれません。まるで異次元のような歪んだ愛でした。


「僕には華がいなきゃダメなんだよ」


 そう言って彼は華さんの顔を撫でました。


――常套句ね。


 もう愛のささやきも、華さんの心には少しも響きませんでした。


「じゃあ、頂戴よ」


 華さんはそう言って床に落ちた包丁を拾いました。


「拓馬の青い目を、頂戴よ」


 華さんは笑いながら包丁の先を彼の顔にくっつけました。すると彼はにっこり笑って華の包丁を握る手を掴み、その手で包丁を自分の目に近づけました。


 そして何の躊躇もなく、包丁を自分の目に突き刺したのです。もう華さんは震えなくなっていました、なぜならもう心が死んでしまったからです。華さんは力強く包丁を握り、彼から目を逸らしませんでした。


 彼の目から涙のように血が流れます。


「青い目から赤い涙」


 華さんは静かに言いました。


「綺麗ねぇ」


 華さんが優しく彼の頭を撫でました。

 彼は華さんに優しい笑顔を向けました。


 包丁をつたって、彼の血が華さんの手に届きます。

 華さんは包丁から手を離しました。そして、華さんの手に届いた彼の血が空気に触れて固まらないようにそっと歩きました。


 そして彼と出会った時に拾った猫に、彼の血を舐めさせました。さすが、人を食べたことがある猫です。血も大変おいしそうに舐めました。その様子を彼は包丁が刺さったまま、何も言わずに見ていました。


 猫が血を舐め終わると、華さんは彼の目から勢いよく包丁を抜きました。


 華さんは彼のかすかな悲鳴にも躊躇しませんでした。


「知ってる?」


 華さんは血だらけの包丁を持ったまま話し始めました。


「人殺しをする前に、人間はよく動物を殺すんだって」


 彼は包丁を指した目を押さえながら華さんを見ました。

 華さんはそっと歩き始めます。ついた先は猫のゲージの前でした。


「私もいつか、殺すのかなぁ。」


 そう言って華さんは猫を手に持ちました。


「……何を?」


 彼は分かっているはずなのに、華さんに聞きました。

 きっとこの状況が楽しくて仕方ないのでしょう。華さんは口を歪めて言いました。


「人」


 そして一突き、猫の腹に包丁を思い切り刺しました。猫は当然、死にました。


「殺すんじゃない?」


 彼はそんな状況でも冷静に言いました。 華さんは笑いながら包丁を床に投げました。本当の意味とは違いますが、狂いながら喜ぶ、まさに狂喜です。

 

 そして華さんは血だらけのままどこかに行こうとしました。


「どこに行くの?」


 彼は華さんに聞きました。


「どこだろうねぇ?」


 華さんは彼を振り返りもせず言いました。それっきり、華さんは家に帰らなくなりました。


 数か月後、華さんは遺体となって砂浜の上に打ち上げられていたそうです。真相は分かりませんが、華さんが殺した人間は華さん自身だったのかもしれません。

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