五章 2


 兵士の賃金は日給月給だ。月の初めに前月分を支払われる。金貨かそれにかわる券か、どちらかを選択できる。


 券は国内の役所に正しい受取人である証明書とともに持っていけば、いつでも金貨と交換してくれる。

 他人が詐取さしゅするのは、まず不可能な細工があれこれしてある。だが、偽造文書作りの名人にかかれば、案外ということもある。


 なにしろ、傭兵の賃金は、一番下の平兵士でも、一日金貨一枚。ひとつきなら四十枚だ。金貨四十枚といえば、小商人がコツコツ働いて、一年で稼げるかどうかという金額だ。詐取できるなら、これほど効率のいいものはない。


「まだ調べてはおりませんが、おそらく安全でしょう。鍵がかかったままになっていましたから」


 そう言って、ワレスは戸棚に造りつけの引出しの鍵を、なにげなく外した。

 知恵の輪の鍵。

 かんたんには折ったり切ったりできない頑丈なものだ。はずしかたを知らない者には、ふつうの錠前よりだろう。

 皇都で何年か前、そういうものが流行った。


「この引出しに入れて——」


 言いかけて、ワレスは自分の目を疑った。


 バカな。そんなバカな。

 ここには、おれの換金券と宝石が入っていたはずだ。

 どうして、こんなことが……。


 ぼうぜんとするワレスの背後に、ギデオンが立った。ワレスの手元をのぞき、表情を険しくする。


「これはなんだ? ワレス小隊長?」


 ギデオンの手がをつかみだす。

 傭兵なら誰でも見まちがえはしない。

 水色の封筒。

 傭兵の命の代価とも言える換金券が、たばになって入っていた。


「全部、番号がことなる。おまえの物ではないということだ」

「知らない」


 ワレスは首をふった。


「しかし、これはここにあった。この現実をどう説明する?」


 ワレスには答えられない。

 ギデオンがワレスの肩を押した。


「どけ。おれが調べる」


 五つの引出しのうち三つから、全部で二十枚以上の封筒が出てきた。


「おまけに、財布もある」


 白い革に金のバックルの瀟洒しょうしゃな金入れ。

 もちろん、ワレスには身におぼえがない。


「違う。おれじゃない……」


 ほとほとマヌケに首をふることしかできなかった。


 ギデオンはワレスを見ながら、優越感に満ちた口調で言った。


「この件は内密にしておく。これは、おれの手から持ちぬしに返しておこう」


 それを聞いて、初めて、ワレスは気づいた。


(はめられた——)


 これは罠だ。

 まんまと、はめられたんだ。この男に。


(よくもやりやがったな。おれを盗人に仕立てあげ、秘密にすることで、代償をもとめてくる気か。おれがこばめないようにするつもりだ)


 嫌われれば嫌われるほど、どうしても欲しくなると言っていた。ギデオンなら、ワレスを手に入れるためなら、このくらいのことは平気でするだろう。


(鍵は知恵の輪だからな。はずしかたさえ知ってれば、誰にでもあけられる。この部屋を以前、使っていたのは、第二小隊の隊長だったコイツだ。間取りも知ってる。手早くすませられたはず)


 ワレスは黙って、ギデオンをにらみつける。


「何か言いたそうだな。小隊長」

「これは身におぼえのないことです。必ず、この私の手で、潔白の証を立ててみせます」


 ギデオンは楽しむように微笑する。


「いいだろう」

 言い残すと、メイヒルをつれて出ていった。


 しかし、もしこのとき、廊下に出たギデオンとメイヒルの会話を聞いたら、ワレスはいっそう混乱しただろう。


「見たか? メイ。あいつのあの悔しそうな顔」


 ギデオンはワレスの前では決して見せない、快活な笑顔で言った。


「まるで、おれが隠したんだと言わんばかりだ。いや、案外、そう思っているのかもな」

「はい。おそらくは」


「今さら憎まれることはかまわんが。しかし、気になる。誰がなぜ、あいつに罪を着せようとしたのか」

「では、中隊長は、ワレス小隊長の言いぶんを信用なさるのですか? 自分がやったのではないという彼の主張を?」


 ギデオンは真顔になった。


「本気で言ってるのか? メイ。あいつがしたことなら、どんな理由をつけてでも、あのとき、おれの前で鍵をあけはしなかっただろう。よりによって、地獄の番人より忌み嫌う、このおれの前でな。やつは中に入ってるものを知らなかったんだ」

「さようですね」


「まあいい。どっちにしろ、面白いことになりそうだ。誰のしたことでもいい。利用させてもらおうか」


 ギデオンは淡く吐息をつく。


「じっさい、ああまで嫌われているんだからな。まっさきにおれを疑うとは、小憎らしいやつだ」


 メイヒルは従順に頭をさげる。

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