五章

五章 1



「死にかけたそうだな。ワレス小隊長」


 病みあがりに見たくない顔だ。しかし、来てしまったものはしかたない。

 ワレスはムリにもベッドから起きあがろうとする。


「おかげさまで命びろいしました。まだ本調子ではありませんので、お見苦しいところをごらんに入れます。おゆるしください。ハシェド。サンダルを持ってきてくれ。このままでは、中隊長に失礼にあたる」

「いや、そのままでいい。らくにしていろ」


 いったい、何をしに来たのだろうか?


 ギデオンを見て、ハシェドが立ちあがると、入れかわりに、枕もとの椅子に、ギデオンはすわった。

 しかし、そのあと、とくに何か言いだすでもなく、ワレスの顔をながめる。


 ワレスのほうが居心地が悪くなった。


「本日はどのようなご用むきですか? 中隊長殿」


 ギデオンは苦虫をかみつぶしたような顔になる。

「死にかけても変わらんな。見舞いに来たのだ。病気の部下を上官が見舞っても、不思議はあるまい」


 まあ、そうだ。

 文句を言う筋合いのことではない。


 ギデオンは、メイヒル小隊長に目くばせした。

 メイヒルが手にしていたカゴをさしだしてくる。ジャムでさえ、手に入れるにはひと苦労の砦で、めずらしい果実が盛りあわせてある。


 どうやって、そろえたのだろう。

 裏庭に、城主とその側近にだけ供する、特別な野菜や果実を栽培する温室があるという。

 そこの庭番でも買収したのだろうか?

 だとしたら、このひと盛りの果実に、ものすごい数の金貨が積まれたはずだ。


「こんなことで死なれては、つまらん。憎まれ口は完治してから言うがいい。それまで、ゆっくり療養するのだな」


 そう言われれば、つっかえすのも大人げない。


「ありがたくちょうだいいたします。ハシェド。中隊長殿のご厚意だ」

「はい」


 メイヒルの手から、ハシェドの手へとカゴが渡る。

 ギデオンは名残おしげにワレスを見て、立ちあがった。


「おれの顔はおまえの回復に悪いらしい。早々に出ていってやろう」


 そんな顔をしていただろうか。

 さしものワレスも、さすがに少し申しわけない気がした。


「わざわざのお越し、ありがとうございました」と言っておく。


 ギデオンは憎らしさと愛情のまざった目で、ワレスをながめる。そして、ワレスの上に覆いかぶさってきた。ワレスのひたいに唇がふれる。


「今日のところは、ここで勘弁してやろう。ではな」


 出ていこうとする。

 ワレスはホッとした。が——


「中隊長。このようなときですが、兵士たちがさわいでおります。大隊長への報告が、これ以上、遅れますのはいかがかと存じますが」


 メイヒルが言った。

 ギデオンは立ちどまり、気乗りしないようすで考える。


「明日でもいいだろう」


 明日も来られたんじゃ、たまったもんじゃない。


 ワレスはたずねた。

「なんのことです? 中隊長」


 ギデオンは肩をすくめた。

「先日の盗人だ。おまえが治ってからと思っていたが。メイヒルが言うのも、もっともだ。小隊長が狙われたというので、兵士たちのあいだでウワサになっている。おまえの被害報告がないので、まだ大隊長への申告をしてないのだ」


 すっかり忘れていた。そういえば、そんなこともあった。やはり、口止めはきかなかったらしい。


「わかりました。今、しらべます。財布がなくなっているらしいことはわかっていますが」


 衣装戸棚は、とりあえず、誰かが片づけていた。


「棚を片づけたのは誰だ?」


 ハシェドが答える。

「おれです。あのままにしておくわけいもいかなかったので。すいません」

「かまわん。サンダルを持ってきてくれ」


 ベッドの上で半身を起こすと、めまいがした。よこになっているときは、さほどに思ってなかったのだが、思いのほか体力が落ちている。


「手をかしましょうか? 小隊長」

「いや、いい」


 ほんとは、サンダルをはくために下を向くと、そのまま床に沈んでしまいそうだ。

 しかし、ギデオンの前でハシェドにすがれば、感づかれてしまうかもしれない。


(そうだ。隠しておかなければ。さっきはつい、あんなことをしてしまったが……)


 ギデオンが入ってくる前、ハシェドは何を言いかけたのだろう。

 聞かずにすんでよかったのだろうか?

 それとも、聞けなくて後悔するような言葉だったのだろうか?


 そんなことを考えながら、ワレスは上の空で、戸棚の前に立った。両びらきの扉をあけると、あれだけ荒らされていたのが嘘のように片づいている。


「私が帰ってきたときには、この両扉がひらかれ、カバンが引きだされていました。服は見たところ、なくなっているものはありません。財布はカバンのなかに入れていました。白い革に金のバックル。金貨が二十枚ばかり入っていました。それと……」


 あれはいいかと、ワレスは考えた。

 母のおもかげを忘れられなくて、今まで、すてずにいたのだが。

 家族を描いた細密画——


 ぼんやりと思う。

 ギデオンが声をかけてきた。


「換金券はどうだ? 今度のやつは、それを狙うらしいぞ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る