二章 4

 *



 数刻後。


「ワレス隊長。そろそろ、後続の到着を待たれたほうが、いいんじゃありませんか?」


 ハシェドに言われて、ワレスは馬をとめた。


「そうだな。あまり離れると危険だ」


 鬱蒼うっそうとかさなりあう緑。

 ばかげて巨大な葉に、つくりものみたいな色鮮やかな花。

 からみあい、ねじくれたタコの足のような気根。


 よろいの下を汗が流れる。熱気で頭がどうにかなりそうだ。


 いつ、どこから、魔物が襲ってくるかわからない森のなか。人跡未踏の魔族の森だ。


 ワレスは彼の小隊の先陣を切って進んでいた。


 森焼きの作業は月に何度かおこなわれる。砦を魔族の森から切りはなし、守るために、定期的に必要な作業だ。


 以前は森焼き作業のなかでも、すでに焼かれた焦土の部分の保全役だった。作業は単調な汚れ仕事だったが、魔物と遭遇する確率はきわめて低かった。


 しかし、今のワレスの隊に課せられているのは、はるかに危険な仕事だ。馬でちょくせつ森のなかへ入り、次回に焼くときのため、枝を切り、木を倒し、乾燥させておく作業だ。

 そこに人の足は入っていない。何が起こるかわからない。命の保証はない。


 ワレスたちは、決して焦土の見える範囲からは離れない。それでも、森のつまさきのようなその部分でも、ときおり、ひどく恐ろしいことが起こる。


 そのときも——


「全体、止まれ。第二分隊以下の到着を待つ。それまで少休止だ」


 ワレスの命令で、二十名ほどの第一分隊が集まってきた。ワレスたちは馬をおり、ひとかたまりになって、木の下のわずかな空所にすわりこんだ。


 あたりの景色は、話に聞く南国の森に似ている。熱帯雨林というやつだ。

 もっとも、奥のほうはどうなってるのかわからない。そこから生きて帰った者はいないから。

 ウワサでは、神代の秘密がそこに隠されているともいうが。


 まあ、ワレスには関係のない話だ。

 何があったって、森の奥深くへなんて行くことはない。行けと言われれば、砦をやめて逃げだすだけだ。


「魔の森で鎧かぶとは、かえって体力を消耗させるな。着用を義務づけてる上部の連中も、この蒸し風呂地獄を味わってみればいいんだ」


 悪態つきながら、ワレスはかぶとをはずした。ちょっとだけ、生きかえった心地がする。

 すると、その肩を、ホルズがたたいてきた。


「なあ、小隊長」


 いつもは威勢のいい六海州の男も、このときばかりは元気がない。


「あそこに見える白いの、なんだろう?」


 濃緑のあいだに、いやに生白いものが見える。じっと動かないので、ワレスは生き物ではないだろうと思っていたのだが。


「木じゃないか?」


 ワレスは馬に乗り、進めようとした。が、馬は森の奥へは行きたがらない。

 そもそも、まだ伐採されてないあたりは、とても馬では進めない。枝や地面をはうツルクサが複雑にからみあっている。

 しかたなく、ワレスは馬をおりた。


「隊長。行く気ですか? 危ないですよ」


 ハシェドが止める。

 だが、ながめているばかりでは落ちつかない。それに、ほんとに危険なものは、どこにいても危険なのだ。


「おまえたちは、ここで待ってろ」


 万一のとき、犠牲は一人でいい。

 ワレスは言いおいて歩きだした。

 あわてて、ハシェドが馬をおりる。


「お一人じゃいけません。おれも行きます」

「いいから、おれに何かあったら、すぐに逃げろ」


 さほど遠い距離じゃない。大木がつらなるかげにあるから、見えにくいだけだ。

 ワレスはすぐにたしかめて帰ってこれると思っていた。


「でも、隊長」

「おまえは来るな」


 追ってこようとするハシェドを、再三とどめる。


 ワレスは木のかげをのぞいた。巨大な白いサンゴのようなものがある。

 これなら、知っている。

 文書室の博物学の本で見たことがある。ひじょうに珍しいが、害のない樹木だ。


「七度焼きの木だな。大理石のようなツヤがあるので、置物などに加工する。この森でしか手に入らないから貴重だ。切って、全員でわけあおう」


 いつ死んでもおかしくない呪われた森に、ただで傭兵が入りはしない。こういう利点があるからだ。


 すでに安全が確認され、城への持ちこみが許可されたものは、見つけた者たちで山分けができる。もっとも、そうそう、いつも、こんなラッキーなことはないが。


「運がいい」


 なにげなくふりかえり、ゾッとした。

 ワレスのすぐ足元の地面から、白い手が生えていた。

 まるで、ワレスを観察するように、ゆらゆらとゆれながら……。

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