第二節 ◆ 剣の間/星剣会議(上)

「――刻限だ。これより、星剣会議を始めよう」


 星剣会議――。

 オリュンピア帝国の議決機関において春と秋の年二回に分けて行われる国議の総称。

主に春の部では、政策や法律に関する政治的課題について。一方で秋の部では、生産的課題を中心に国内・国民生産活動の統計を踏まえての審議、意見交換が執り行われる。なお、帝国が定めた生産活動とは、農耕・畜産・林産・水産・鉱産といった「自然生産」。食品加工・建築や紡績を含めた「製造・加工生産」。郵便といった通信、歩荷などの配送、排水や交通整備といった衛生整備管理などの「情報通信生産」の大まかな三つに分類されている。

 オリュンピア帝国は中央集権と地方分権が組み合わされた行政形態をしており、地方自治の運営は七つの各大公領地の領主を中心に、国は総合的・統括的な意思決定をこの会議によって議決を行うことになっている。

 この議決機関の組織こそ、七大公領地の自治を任命された領主にして、皇帝ユピテルの次にオリュンピア帝国の国家運営権を有する七名――すなわち、「七星剣」である。

 七星剣に選ばれた大公領地の領主たち。彼らは、皇帝ユピテルより星剣会議の議席と”冠名”を授けられ、皇帝の剣となって国家と国民の生活を守る約束を結ぶことになる。


 ――第一大公領地・ドゥーベ、貪狼。

 ――第二大公領地・メラク、巨門。

 ――第三大公領地・フェクダ、禄存。

 ――第四大公領地・メグレズ、文曲。

 ――第五大公領地・アリオト、廉貞。

 ――第六大公領地・ミザール、武曲。

 ――第七大公領地・ベネトナシュ、破軍。


 ――そして、帝都・オリュンポスに座する皇帝ユピテル。


 総人数八名によって議論される星剣会議において、今期当日は春の部として開会された。

 しかし、通常ならば春の部は四月末日付に開かれるが、メラク領主ザウラク公の正式な大公領地領主の着任と巨門の議席獲得の歓迎の意も込めて月初に前倒しされていたのであった。

 開会を宣言したユピテル帝の澄んだ麗声が、剣の間に響き渡る。

剣の間の中心部に設置された円状の議卓をユピテル帝と共に囲むのは、帝都に集結した七星剣――。

「本会議における進行はこのユピテル、そして計時および書記は武曲・カストルが執り行う。時間は約二時間、意見は自由制とします。

 ……さて。此度の会議は、長らく空いていた巨門の議席復活。それに伴った体制改正必要の有無に関する議論について。また、先日……如月の二日より始まった催し”園芸週間”に対して国民の声と諸君たち七星剣の評価を確認したく、この場を設けました。――しかし、いささか状況が変わったようだ」

「埋まるべき席が未だに欠けておられるようだがな。そうだろう、破軍・アルテミスよ」

 シリウス皇子が朱き厳然たる眼差しを向けたその先――名を呼ばれた当の本人は、目をぱちくりとさせて呆けたのもつかの間、得意の空元気で白を切ってみせた。

「お、本当だ。どうやら廉貞殿の顔が見えないが……。クク、今回の遅刻大将はあちらにあると見たが、どうだい?」

「廉貞殿は体調不良により、本日は武曲のステラ・実機連星アルテアの遠隔通信を利用しての出席だ」

「”本日は”?――”本日も”、の間違いだろう?文曲・ポルックス殿下」

 即興で取り繕ったおのれの下手な諧謔に、アルテミスはポルックス皇子によって淡々と事実を以って叩き返される。だが、それを気にせずどこ吹く風で嗜虐的な笑みにアルテミスが口元を歪めたその時だった。

「……そこまでに…しておくことだ……破軍…アルテミス……。」

 怜悧な刃の眼光をぎらつかせて傲岸不遜にほくそ笑むアルテミス。その様を、ひどくゆっくりとした特徴的な口調で諫めたのはポルックス皇子――否。ポルックス皇子と同じ声、同じ姿かたちを有する一卵双生児の弟にして七星剣の武曲・カストル皇子だ。

 身を乗り出していたアルテミスは、議卓についていた右肘を大人しく引っ込める。破軍に続き、その場にいる七星剣……その総勢が、ただ一人の男へ注視するために顔を上げた。

 ――皇帝、ユピテル。

 眩いばかりに麗しい白亜の青年は、小首を傾げて眼前に座する黒髪の戦士に訊ねた。

「ザウラク殿は、どうしたのかな?」

「……あ~!ハイハイ、ザウラク公ね!ええ、もちろん。ちゃんと連れて参りましたとも……どっこいしょ」

 ぽんと手を打ったアルテミスは、蟹股に開いていた足元の下から何やら大きめな風呂敷包みを引きずり出す。先の、皇帝が協力した建物の破壊を伴うアルテミスの出席……その散らかり様が跡形もなかったかのように、既に清掃が済んだ床から持ち上げたそれを、アルテミスは無い埃を軽く叩き落として慎重に議卓の上へ置いてみせた。円形の議卓、その上部中心に浮遊するカストル皇子のステラ・実機連星アルテア――白金に輝く金属質な球体。そこに刻印された幾何学模様から放出された光が、金の直帯状となって卓上の荷物に照射された。

 危険物ではないことを確認したカストル皇子。彼の促しを了承したアルテミスは、その淡い紫の花柄が目立つ風呂敷包みの結び目を、丁重に解いていく。

 粗暴な言動や振る舞いが目立つ普段の破軍とは、打って変わった荷物への扱い。そんな物珍しさに皆が慎重に見守るなか、四重に包装された布のうち最後の層が捲られた。

 ――その瞬間。いつも気丈なフォーマルハウトが、小さく短い悲鳴を漏らした。

 そこにあったのは、こぶし大に縮んで干乾びた黒ずんだ植物の球根に似た鉱石が二つ。そして、無惨にも白骨化した一人分の人間、その頭部だった。

 ……厳かな場には到底似つかわしくない、異様な光景。

 上品なしぐさで手を重ね、驚愕に開いた口元を覆い隠すフォーマルハウト。彼女に続き、中身を検めた七星剣たちは次々に押し黙る。普段は謹厳で機械的な双子皇子も、今回ばかりは珍しく目を眇めて口を固く閉ざした。同じくシリウス皇子も張り詰めた怒声を嚥下し、その双眸をして静かな怒りの焔を揺らめかせる。

 露わになった酷烈なる中身。沈黙を打ち破って、ようやくアルテミスへ発問を起したのは皇帝ユピテルだった。

「訊き方を変えようか。破軍・アルテミスよ、三度は問わぬ。――ザウラク殿を、どうした?」

 崩れぬユピテルの慈愛に満ちた温顔。しかし、その声には暖かさが失われ、冷厳たるその様は畏怖の念を発圧とさせる。

 下手に事実を口にしても、その威圧だけは躱せない。そう判断したアルテミスは、黙してザウラク公の殺害を認めた。

「――破軍。よもや貴様、”約束を違えた”のではあるまいな」

 シリウス皇子の仮借ない追及が、ただでさえ緊張に張り詰めた議場の空気を一変させる。明るかった室内は心なしか暗鬱とした澱みが充ち、冷や汗、動悸、そして悪寒を誘う。もちろん、外界の変化は一切無い。剣の間の大窓の外には、晴れた青空と新緑に茂る庭園の鮮やかな景色が広がっていた。

しかし、この暗晦は心理的影響が感覚器官に影響をもたらしたものではない。現に、室内の照明がその灯火を収縮させているのが視認できる。アルテミスが上へ注意を向けると、カストル皇子のステラ・実機連星アルテアの幾何学文様が赤く点滅していた。疑いと警告を込めた静寂の中、その様態は不気味の一言に尽きる。

”刺すような視線、とはよく言ったものだ――。”

 アルテミスは、心中でそう独り言ちた。

 無情で、無機質で、鋭く――出方を一歩でも間違えば容赦なく五体を貫く裁定の切っ先。集結した者たちがアルテミスへ向けるその疑いの眼は、シリウス皇子の問いかけに破軍はどう答えるか否かを判じかねていた。

 いずれにせよ、答えねば待つのは物理的な串刺しだ。

「まさか!さすがは貪狼殿、ご冗談に少々刺激が強……いえ、芸才に秀でていらっしゃる。……第一、私が皇帝陛下より賜りし勅は、”ザウラク公を帝都まで連れてくる”こと。何も、生け捕りにせよとは言われていない」

 アルテミスが飄とした態度で頭を振る。大げさにため息をついて、自らに注がれた重圧をものともせずに軽く受け流したその直後。

アルテミスの頭上で、一筋の稲妻が轟音をまき散らして迸った。

それを合図に、仄暗かった剣の間は再び元の明るさを取り戻す。突然の雷鳴に内心驚いたアルテミスは、平静を装ってばくばくと暴れそうになる心臓を一心不乱に宥めていた。そのような様子もお構いなしに、皇帝はその淡い桃色の薄唇を小さく開いた。

「――武曲・カストル」

「……御意。」

 皇帝ユピテルの指示を受けたカストル皇子は、白手袋をはめたままのその左手を、右から左へ横一線に空を切って見せる。すると浮遊するステラ・実機連星アルテアから、薄紫色の光が彼のもとへ照射された。極細の光線は、瞬く間にカストル皇子の目の前で四辺形の平面を織り成していく。数秒も満たぬうちに光の糸がプツンと音を立てて切れるや否や、宙に浮かぶ透過した四辺形が現れた。それに表示された文字の羅列と記号を、カストル皇子は涼やかな顔のまま両手で素早く画面に打ち込むと、ステラ・実機連星アルテアから皇帝ユピテルの声が議場全体へ降り注いでいった。

【――皇帝ユピテルより、ステラ・実機連星アルテアのミザール設置端末から破軍・アルテミスへ至急伝令。次期巨門・ザウラクが帝都の剣の間より逃亡、アリオトに潜伏している疑いがあり。破軍・アルテミスはザウラクの身柄を捕らえたのち、直ちに帝都まで送り届けたし。繰り返す――】

「……当時発令された……緊急勅令の…音声伝送記録を…参照、確認。……破軍・アルテミスの認識通り…本勅令の内容においては……対象の生死に関して…特に……言及は…ございませんでした……。」

「というわけだ。ふむ……これは我が指示における具体性の不足によるもの。破軍は、確かに余との約束を守った。――大義であれば、責める理由はどこにもない」

 朗らかに破顔したユピテルの声には、あの柔らかさが舞い戻る。音声の再生がカストル皇子によって停止されると同時に、剣の間の凄まじい重圧が消失する。解放されてほっとしたアルテミスは、自身の脱力を許さずに凛として身と気を引き締めた。

「皇帝陛下の仰ることは正しい。……だが、詳しい報告をまだ全て聞いていない。そうだろう、ウッカリ破軍よ」

「だ~れがウッカリどじっ子野蛮人だ、文曲サマよ」

 文曲・ポルックス皇子にそう問われて、アルテミスはその整った顔を盛大にくしゃくしゃにしてみせる。そんなアルテミスのふざけて誇張した指摘に、ポルックス皇子は一瞬だけ眉を顰めると静かに陳謝した。

「む……。すまぬ、何せ人の名前を覚えるのが不得意なゆえ」

「うーん、せめて野蛮人は否定していただきたかったなあ……」

 文曲・ポルックス皇子は、人名を覚えることが苦手だ。忘れるのではない、そもそも人名を覚えることその行為自体が困難なのだという。

記憶力がいい彼は、人の風貌や言動をよく忘れない優秀な男だ。しかし名というものに興味がないのか、認識能力に欠陥があるのかは皇帝も、本人でさえも定かではない。以前、それをユピテル帝から聞いたアルテミスは半信半疑だったのだが、こうして談合や個々人で会話を重ねるたびにポルックス皇子は頓珍漢な名称を伴って人の名を呼ぶことがわかった。回数が増えていくうち次第に慣れるようになっていったものの、この珍称は彼なりに親愛を込めた行動だというのにアルテミスは最近ようやく理解し始めたところだった。

 それだけではない。アルテミスは、皇帝の両脇に座る双子皇子を交互に見比べた。

父親の皇帝ユピテルと同じ相貌を持つ双子皇子。初見こそ見分けがつかないが、穏やかな笑顔が多いユピテル帝とは異なり、双子皇子たちは感情の機微が極端に少ないように見えて彼らには彼らなりの個性がある。親交はユピテル帝と大差ない程それなりにあったものの、こうしてちゃんと把握することができるようになったのは感慨深い。そう、アルテミスは心中で微笑む。七星剣として議席を同じくするものの、アルテミスが皇族相手に戯れが許されるのは、双方にとって腐れ縁に近い間柄があるのもまた事実であるからだった。

「腹立たしいが、破軍は野蛮人ではあるものの仕事の腕は確かだ」

「あ!ちょいと、聞き捨てなりませんぞ貪狼殿」

 振り向いたアルテミスの先、すぐ左に座るフォーマルハウトの隣席で腕を組む不機嫌な少年――貪狼・シリウス皇子。赤と金の衣装に総身を包んだ褐色肌の少年は、不機嫌さを隠すことなく鼻を鳴らしてアルテミスをじとりと睨みつけた。

「――しかし、甘さは残しても手を抜くことは無い奴であるのもまた確かだ。……そんな奴が、いくらウッカリしていたとはいえ物の弾みで要人の首を獲るほど度し難い愚か者ではあるまいよ。――そうでございましょう、皇帝陛下」

 シリウス皇子の泰然とした言明に対し、ユピテル帝は首肯と共にアルテミスへ向き直った。

「貪狼の言う通り。……破軍・アルテミスよ。何ゆえ、ザウラク殿のお命をその手で摘んだのか。皆に話してくれるな?」

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