第三節 ◆ 剣の間/星剣会議(下)

 アルテミスからアリオトで起きた事のあらましを聞いた皇帝ユピテルは、その金に光る双眸を思索に曇らせた。

「――ムーサの奇形種、そして黄金の階級天士・エピメテウス。天士によって変異したザウラク殿か……。こうも一度に災難が揃いも揃ってとは、またお前も運が悪かったようだ」

「本当に!」

”どの口が仰っているのだか!”

 そう吠え立てたかったものの、先ほどの件にて懲りたアルテミスは喉まで出かかった皮肉を、苦笑交じりで仕方なしと呑み込んだ。

 一見して天士の連続出現――単に、偶然が重なっただけのように見える三件。アルテミスは、これらにある共通点が見受けられたことをユピテル帝へと告げる。皇帝はわずかな間考えこむと、自身の見解を述べた。

「破軍の推測に、余も同意見だ。植物に近い形状の肉腫。比較的温厚な者たちへの高い攻撃性を生じさせる、いわゆる性質の反転化。そして、それを肉腫に寄生されていない第三者にまで誘発させる神経系統等に強力な毒性を持つ甘い香気――おそらくは有毒ガス類の分泌……。この三件、同一の天士が関与していると見てほぼ間違いはないだろう」

「ほぼ、ということは心当たりがあるってことでよろしいか?」

「ある。しかし、断定はまだできぬ」

 決然と口にしたユピテル帝に、アルテミスは納得がいかなかったのか眉を吊り上げる。

「――断定ができない、とは?今ここに、件の天士の骸鉱石があるというのに?勿体ぶるのはいかがかと」

「落ち着け、せっかち破軍よ。手がかりと証拠は別物だと皇帝陛下は仰りたいのだ」

 ポルックス皇子の注意で自身の焦りから我に返ったアルテミスは、咳払いをする。その様子を見て悪戯っ子の様にくすくすと小さく笑う皇帝は、頬に揺れる金の髪をそっと耳にかけた。

「さてさて。では、せっかちな破軍のためにも勿体ぶらずに話を進めるとしよう。……余は、この肉塊は天士ではない、と考える」

 皇帝による予想外の臆見に、剣の間は騒然となった。アルテミスは、皇帝ユピテルへ憤りの眼差しで凝視する。

 ――そう。ザウラク公へ直接手を下したのは、他ならぬアルテミスだ。その証拠に、議卓の上には回収して間もないザウラク公、そして彼の部下であったカノープスの背に寄生していた肉塊がある。……天士の特性通り、死して石となった肉塊。それがいったいどうして、天士ではないなどという愚見に辿り着くのか。当惑と黙考の中、アルテミスは肉塊とザウラク公の頭蓋骨を睨む。……握りしめた拳が、軋みを上げた。

「まあまあ。要は、視点を転換させるのだ。固定観念に惑わされてはならぬ。目に見えるもの全てが、事象の総数ではないのだからな。そうだな……。まずは、余の覚えた違和感を掲げていくとしよう」

 静粛を促した皇帝ユピテルは、胸に蟠る思いを噛み潰すアルテミスを一瞥すると、七星剣たちを見渡した。

「第一に、この肉腫が天士ではないとする仮説に宿主先が挙げられよう」

 人間を宿主とする天士は、今回のザウラク公のように至極珍しいことではない。遥か遠い過去、人間を脅威と見做した天士……その極微の、逞しく強かで、そして虚弱な生命たち。彼らは星間を流れる塵によって宇宙から飛来したが、母星と異なる環境は目的へ辿り着くまでに困難の道を極めたのだろう。惑星ガイア――その環境に適応するために、天士たちは現地の生命体へ寄生する道を選択した。

 その際、植物や昆虫といった中間宿主を介して捕食者たる知性生命へと移動する。もちろん、中には人間もまた含まれているのだが――。

「事実として天士・エピメテウス自身が、もともと人間の少年を宿主としていた。……そうか!」

「例の肉腫は天士・ムーサ、そしてエピメテウスなど『天士を宿主』としてその思考や行動を操っていた。――天士に寄生する天士とは、今までに全く前例がない」

 シリウス皇子へ柔和に微笑みを投げた皇帝ユピテルへ異を唱えたのは、破軍・アルテミスだった。

「前例が無かっただけで、今回のこの肉腫が確認第一号ってことじゃねえの――うぉっほん、ありませんか?」

 シリウス皇子が、じとりとアルテミスを睨む。崩れた言葉遣いを正したアルテミスに、次はポルックス皇子が異言を説いた。

「その可能性はどうだかな。武曲・カストルのステラ・実機連星アルテアとステラ・パンドラ――情報の分析と保管に秀でたこの二機が記録した資料を照合した結果、エピメテウスは上位階級・黄金の天士だった。それこそ、対峙したお前が誰よりも知っているはずだ、ドッコイショ破軍」

「あんたはその真面目さを、少しは俺の愛称への感性に回すようにしてくれ」

 む、と口を尖らせたポルックス皇子をよそに、皇帝ユピテルは自らの見解を続けた。

「ムーサ、及びエピメテウスの主星はそれぞれ異なる。自らの配下ではない天士を、意のままにするのは不可能ではないが容易に通用しないだろう。例えるなら、空を飛ぶ鳥に手で投げた裁縫針を真っ直ぐに心の臓へ命中させるようなもの。二体同時に、しかも上位階級――よりにもよって”衰滅をもたらす者”の直属天士たるエピメテウスをとなると、このような真似は同じ黄金に位置する天士でも直接できるようなことではない」


 一概に天士と言っても、彼らには個々の能力や特性、そして社会性役割から振り分けられたいくつかの階級を有している。それらは人類への脅威度を一定の基準として、皇帝ユピテルによって設置された。

 ――鋼鉄、青銅。

 この二種の天士たちは、その脆弱さゆえに存数が圧倒的に少ない階級だ。彼らの多くは、ありとあらゆる生命に寄生可能なバクテリア、またはウイルスに近い姿をしている。しかし、最終宿主へ辿り着くまでには養分不足で鉱石化、死滅することが日常茶飯事だ。……とは言え、無害と断じるのは謬見に過ぎない。

 ――白銀。

 前述の鋼鉄と青銅の天士たちは無事に宿主へ寄生を成功後、また別の宿主へと寄生を幾度となく繰り返して成長していく。すなわち、更新された下位の天士が会得した脅威度が、この白銀の階級だ。現在、惑星ガイアに蔓延る天士たちのほとんどは、この階級が最多を占めている。白銀の多くは知性生命へ寄生するほか、時には人間に寄生し、擬態して襲う者たちも少なくない。また本題には逸れるが、半天士たるエリュシオン民たちもこの白銀の脅威度に認定されている。

 ――そして鋼鉄・青銅・白銀の三種を抑えた、特に強力な個体の天士たちこそが……黄金に位置する天士である。

 天士の中でも人類にとって脅威度が非常に高いのは、この黄金階級に座する者たちに他ならない。黄金の主な役割としては、白銀以下を含めた天士たちの統率。黄金の隷属個体となった天士たちの駆逐は厄介極まりないことこの上ない。さらに、黄金たちはその知能の高さからエピメテウスのように人間を宿主とする者がおり、固有する能力、膂力も並の天士とは比較にならぬ程に桁違いのため、相手取るには打破が最も難しい存在だ。


「じゃあ、ここにある石くれはどう説明しろっていうんだ」

 皇帝と臣下の立ち場をすっかり忘れたアルテミスは、黒ずんだ二つの肉塊――骸鉱石へ指をさす。通明を求められたユピテル帝は、反抗的なその闇色の瞳を意に介さずに頷いてみせた。

「うん。……ところで破軍。この骸鉱石と頭蓋骨以外に、残されたザウラク殿の遺体の様子はどうなったのかな?」

「ああ?そりゃあ腐敗進度が激しくてすぐ白骨、酷いものは砕けて粉粒化しちまったから全て拾う暇が無かっ……」

「もしかして、まだ息があった状態から既に腐敗は進んでいたのではないだろうか?」

「……っ!!」

 記憶を辿ったアルテミスは、皇帝ユピテルの問いに直結した事実があったことを思い出し、言葉を失った。豹変したザウラク公――背中の肉腫、その膨張が進むにつれて、容姿は変異と共に腐臭を放ちながら溶解していたことを思い出す。それだけに非ず。直前の天士エピメテウスもまた、あの巻貝に似た外殻を破壊された時……露出した内部は、どうだったか。

「この肉腫が天士であったならば、余程のことが無い限りは、手に入れた宿主を易々と使い物にならなくなるような失態は犯すまい」

「天士ムーサも、エピメテウスも窮地に立たされた際に実行した自爆や捨て身行為に躊躇いが全くなかった……!ということは――」

 もとより彼らは、使い捨てのために利用された可能性が極めて高い。

「そんなに回りくどいことをして……。もしかして、別に潜んでいる天士本体にとって、この事件は単なる陽動だったんじゃないかしら?」

「陽動――」

 フォーマルハウトの危惧に、アルテミスは思考を巡らせた。

 皇帝ユピテルとアルテミスの推測が正しければ、肉腫はあくまでも本体の手足。こちら側への小手先調べに過ぎない。つまり、本来の滅殺対象の人間そのものだけではなく、また別に狙った本命がいるということ――。特に顕著だったのが、天士エピメテウスとザウラク公だ。彼らは、共通として皇帝ユピテルに対し尋常ならざる憎悪と殺意を抱いていた。

 すなわち肉腫の本体、その首魁……天士の本命とは――。

「……フッ!!まさか皇帝陛下、御自らがお命を天士直々に狙われていらっしゃると知りながら、政を優先させるとは。国、そして民に忍び寄る災厄への危機を前にして花植えなんてね。――不誠実だとはお考えにならなったのでしょうかァ?」

 不敵に笑ったアルテミスに、皇帝ユピテルは清流を思わせる爽やかな微笑みを以って肯定の意を返した。

 ……心なしか震えていた、友の声。

 それに気づいたのはユピテル帝だけであったが、アルテミスの懐くユピテルに向けた底知れぬ恐ろしさへの胴震いは、詮無きことに――皇帝にとっては、これから対峙するだろう見えぬ大敵への武者震いとしか認識できなかった。

「いいや?余はただ現況の再確認と情報・意見の共有を諸君らと交わしたまで。――民の憂いは我が愁い。見せてやるとも。”私”なりの誠実さ、というものをね。その一つが、先日より始まった”園芸週間”だ」

 皇帝ユピテルに名を呼ばれたフォーマルハウトは、胸に手を当て畏敬を込めて一礼する。

「――はい。光栄ながらこの禄存・フォーマルハウト。此度の園芸週間を企画、立案させて頂きました」

「企画理由を述べよ」

「御意にございます。……ザウラク様のご謀反から早三日。この短期間の中で、我が帝国は突如として急激な環境変化を観測いたしました。皆様方、どうそあちらをご覧くださいませ」

 フォーマルハウトに大窓へ注意を誘導された七星剣たちは、その向こう――宮殿庭園に目を向けた。

 そこに広がるは、春色に染まる世にも美しい草花の数々。ヤエミノサクラ、テラノヤブイチゲ、カイヨウネモフィラ、テンチオノドクサ、ダイチノソラマメといった、春情朗らかな愛らしい花が咲き誇る。帝都・宮殿庭園の優美さは、庭園芸術に秀でた第二大公領地メラクに匹敵する。しかし、よく注視すれば、その庭園には些細な違和感が見受けられた。春の花のほかに朗らかな快晴の空、そして撫で吹く木の芽風を謳歌していたのは、ホウエツツジ、ボセイノポプラ、ハハカマド、ジアイノリラといった初夏の花――また、本来ならば真夏に咲くはずの花の蕾が、幾種類かばかり膨らんでいたのだ。

「植物の過剰な発育……また、ここ連日に各地で高温多湿が続いていることが報告されております。例年には見ないこの状況、国民たちの余計な不安の種までも育てる余裕は我々にはございません。そこで、各大公領地の象徴、または名物である花々に着眼し、地域の魅力を再確認しましょう!という大変教育的にもよろしい園芸週間を立ち上げましたの。はい、拍手!」

 フォーマルハウトの溌溂とした快活快弁、それにつられて拍手した出席者たちのパチパチとした音が、広い議場に反響する。

「もちろん、ザウラク殿の巨門就任記念のお祝いも兼ねてだったのだけどね。今となってはそれも潰えてしまったが……禄存よ、現時点においての国民からの評価はいかがだっただろうか」

「ええ。概ね好評ですわ。観賞用の草花だけではなく、食用の果樹類の花は特に幼い子供たちに人気な様子。自分たちの生活が、自然との共生によって培われてきたことを学べるいい機会でございましょう」

 皇帝ユピテルとフォーマルハウトに続き、シリウス皇子が意見を述べる。

「民が喜んでいる、楽しんでいるというのならばそれは和なりし善、いいことだ。ただ、偶然による自然交配ならまだしも、人工交配の知識を得る恐れがあるのがオレは不安ではあるが――しかし、果実・野菜に穀物は人の食に無くてはならぬ不可欠なものだ。それに関しては、目を瞑るしかないだろう」

「そうだね。その食用の果実、野菜においても、今回の異常気象の影響が大きい。特に、配給時には、加工食品よりも生の果実類などの生鮮食品は傷む進度がこの気候で早くなってきている」

 こめかみを、純白の指で小突く皇帝ユピテル。短い嘆息を漏らし憂色を浮かべた父に代わって、ポルックス皇子が懸念を口にした。

「小さな果実類は各家庭で育てられる。栄養不足までには至らないではあろうが……。やはり一番の問題は、配給制度、その崩壊危機の恐れだ」

「それもありますわねェ。やっと、余計な口出しをしてきた老害様方にもご隠退――いえ、納得して頂いて貨幣経済から脱却できたと言いますのに……困ったわ」


 貨幣とは、つまり価値の可視化だ。元々は取引において両者の『信用』を物差しで計るものであった。しかし、信用はいつしか価値となり、やがて富と同一視されるようになった。

 だが、価値は時勢によって変動する。価値に翻弄された人々は、富を独占し、肥やし、争いの火種となる者たちを生じさせる。

 ――以上をもって、貨幣を皇帝ユピテルは『不和』と定義した。


「ほ~ん。つまりなんだ、配給制度の限界からも、民への意識を反らそうって意図がこのお花まつりにはあったってわけだ?よく考えたなぁ~!流石はユピテル皇帝陛下であらせられる!常に一手、またその二手先を視通す方の卓見は、遠いベネトナシュまでには及ばなかった!」

 よく通る声でそう物申したのは、破軍・アルテミスだった。どこかからか取り出した紫苑の花輪を冠に見立ててその黒髪の頭に被ると、皮肉めいた笑みを浮かべて皇帝ユピテルを見据えた。

「連絡が遅くなったのは詫びよう」

 不満げな友に謝罪したユピテルへ、アルテミスは倍にして追い立てる。

「別にお詫びなさるようなことじゃない。我がベネトナシュは帝都、そしてどの大公領地からも最も遠い極南地にあるが故――全智万能と謳われる皇帝陛下であっても、情報にも物理的距離による遅延が発生してしまうのは致し方ありません」

「自分の遅刻を棚に上げておいてよくもまあ、ほざいていられるとは。……随分と面の皮が厚い」

「違いますぅ~!今回は事情が事情だしノーカンです!あと到着がギリギリだっただけで、遅刻なんてしてないんだからねっ!」

 あからさまな挑発ともとれるアルテミスの態度に苦言を呈したシリウス皇子へ、慣れぬ高い声で誤魔化したアルテミス。だが、それはすぐさまいつもの凛々しさを取り戻した。

「しかし、その情報の送受格差……この園芸週間にしろ、異常気象による植物の過剰な活性化にしろ、国において非常に重要な施策があるって時に、共有の欠如を伴ったまま実行されたってのが気に入らないだけだ。皇帝陛下、それに他領の各々方にとって我がベネトナシュは辺境であるにしろ、こうして私は七星剣の破軍として国議における議席を預からせていただく身。国、そして人の恒久的な和を成就為さんと議卓を囲む前に、我々の内から生じるかもしれない不和の芽についても一度目を向けてはいかがだろうか」

 ――最適化。物事の道程において更なる発展とより良い効率化を求めるは、知性生命として本能的なものだ。だが、それを追求した後に蔓延るであろう堕落の一途が皇帝は否定できないでいた。一方で、不便も極まれば国民が内包する不満も溜まる。

 負の感情が膨張した先には、皇帝ユピテルが忌避する『不和』へと繋がるのは自明の理である。

 アルテミスの提言に、皇帝ユピテルは素直に受け入れる。そして面を上げると、その透き通る玉音にて議場にいる一同に呼びかけた。

「ここは、破軍の申し出が是であると見た。情報共有構築形態の精度、並びに均一化においても早急に対応することを約束したいが、皆の意見はどうだ」

 ――異論は、なかった。

「うむ。ではこれを合とし、情報速度の均一化を図るべく、通信環境の構築を整えよう」

「やった!あ、ついでにベネトナシュからの配給物資に、今後は生鮮食品も追加できるよう物流環境整備の検討もヨロシク!!」

「むむ……。仕方がない、こればかりは考えも柔軟にならねばというもの。あいわかった、それにおいてもまた約束をしましょう」

 珍しくたじろいだ姿を見せた皇帝ユピテル。その様子に、腹に据えかねたシリウス皇子はアルテミスに睨みを利かせて小言を垂れた。

「破軍、畏れ多くも何をいけしゃあしゃあと要求の追加を……」

「ふふん!こういうのは先に言ったもん勝ちなんですぜ、貪狼・シリウス殿下」

 にししと笑ったアルテミスは、内心感慨にふける。今、シリウス皇子がアルテミスへ小言を言うのは無理もない。なぜならば、かつての皇帝ユピテルであれば、こうして易々と自分の施策に一滴を投じるような意見を取り入れることは滅多になかったためである。思考……否、価値観の変化がユピテルの中で生じつつあるのだろう。アルテミスは、内に秘めた反逆の決意、その道先が開けたような奇妙な感覚を覚えた。

「おっほん、話を逸らしてしまい申し訳ありません。……それにしても異常気象ねえ。ベネトナシュ自体、温暖な気候だから慣れてるが国の北方に位置する帝都がこの季節にしてこの暖かさってのはやはり――おかし過ぎる」

「アルちゃんのその口ぶりからして、ベネトナシュは特に変わった様子は無かったってことかしら?フェクダもドゥーベも、メラクも少しばかり暑くって……。急な気温変化で体調不良に気を付けるように、遠まわしにはウチの子たちに口酸っぱく言ってあるのだけれど」

「こっちは例年通りのぽっかぽかのルンルン春日和だったよ、フォーちゃん。領地を空けるから念のため定期的に連絡を寄こすように指示しておいたが、少なくともベネトナシュに残してきた領民からはそう報告を受けていた。帝都の様に、こんなに目立つような変化は特に何も。ただ、琥珀街道を通ってきた限りでは、メグレズあたりからちょっと薄着になりたいなあとは体感、思ったな」

 人目も憚りなく、ぱたぱたと手で首元を扇いだアルテミスのぼやきに、カストル皇子が首肯を示す。

「……破軍の感覚は…ほぼ間違っては…いないだろう。我が領地、ミザールに設置した……ステラ・実機連星アルテアの端末機にも…そのような異変は測定されていなかった……」

「アリオトにも、特出するような異常についての廉貞殿からの報告は特になかった。強いて言えば、アリオトの緑化活動にやっと成果が見えてきたというくらいか」

 緊張感が抜けるようなカストル皇子とは対照的に、淡々と事務的に語るポルックス皇子。双方の報告を受けた皇帝ユピテルは、満足そうに眦を細くして頷いた。

「それは喜ばしい。我が犯した罪の償い、その光明が差し始めたのは善きことだ」


 ギガントマキアの決着――。

 粛清兵器ケラヴノスにて、エリュシオン民の風俗文化と生活の営みを土地ごと根こそぎ吹き飛ばした結果の惨状。アリオトの荒野を生み出した張本人たる皇帝ユピテルは、戦争遺産として土地を保護しつつ、失われた緑を再び甦らせる試みを起案した。それが、アリオトの緑化活動である。

 現在は、アリオトの大公領地領主・廉貞がその活動の指揮を一任している。


「――あ」

 アルテミスは、ふと思い当たって声を漏らす。

 この五十年、長らく結果が出なかったアリオトの緑化活動。今回の類い稀なる異常気象の影響と言えども、そうすぐに植物の発育が観測されるものなのだろうか。訝しんだアルテミスは、愁眉を吊り上げた。アリオトを生息拠点とする、天士ムーサ。そもそも、その理由としてアリオトの緑化活動には、皇帝ユピテルの働きかけにより、土壌形成の益性能力を有したミミズを宿主とする天士・ムーサが関わっていたはずだった。アルテミスは、今回起きた天士・ムーサの暴走と奇形種の謎に核心となる繋がりを見出した。

 この観取を唱えるべく顔を上げたアルテミスは、皇帝ユピテルと目が合った。白金と射干玉の双眸が、沈黙の中で交差する。

 ――どうやら、彼もまたアルテミスと同じ考えに行き着いたようだった。

「それでは議題を改めよう。これより我々が議するべきは、”敵性天士による侵攻への防撃・及び対抗策について”だ」

 心得顔でそう告げるユピテルの瞳は、爛々と黄金色に煌めいた。

「ザウラク殿の謀反、天士の暴走、そしてこの国内における異常気象と植物の活性化。これらは、全て同一の天士の企てだと推測する。敵性天士の目的は人類の殲滅ももちろんだが、それとはまた別に独自の思惑――おそらく、ユピテルという個を標的にした悪意ある攻撃、その可能性が極めて高いと考えられる」

「しかしユピテル、相手は気象操作を有するかもしれない危険な相手だ。どう打って出るつもりだ?」

「まさか。この星において気象操作の権限を持つのは唯一、星の”君臨者”のみだ。星の外から来訪した天士にそれを簡単に許す彼女じゃあるまい。……君臨者の御子たる君こそ一番解っているはずだと思ったのだがな、アルテミス。異常気象は敵性天士が保有する独自の特性、能力による絡繰りに決まっている」

 鷲羽根の意匠、その外套を大きく翻して立ち上がった皇帝ユピテルは、七星剣へ微笑みかける。その相貌は、さながら獲物に狙いを定めた猛禽の如し獰猛さを奥底に秘めていた。

「しかし、まだ推測だ。推測の内から行動を起こすのは愚行と言えよう。まずは、敵性正体の捕捉と脅威度の測定。そして、その特異能力の把握が必要だ。……内兜を見透かすには、相手の強さを知る。基本ではあるけどね」

「では、この文曲・ポルックス、そして武曲・カストルの我ら二名はこの肉腫の骸鉱石、そしてザウラク殿の頭蓋骨の鑑定と分析を行いましょう」

「ならば貪狼・シリウス――オレは天士の強襲に備え、我が軍の兵士を各大公領地の要所へ待機させる。奴の刺客たる肉塊の寄生過程が判明していない以上、文曲と武曲の解析結果の完了までは油断ができぬからな。国民の守護と守備の強化は、お任せください」

「もちろん、兵の配置をなさるということは、純真無垢なよい子たちへ不安と混乱を招かぬようにも手配なさらなければ……ですわね。禄存・フォーマルハウト、民にはくれぐれも勘付かれない程度の隠密を徹底できますよう、貪狼様へのご助力を誠心誠意尽くす所存でございます」

 各々が自らの適役に名乗りを上げたのち、うんうんと満足そうに頷いた皇帝ユピテル。そしてアルテミスへ向き直ると、その端正な顔を崩し、無邪気な笑みを浮かべてパン!と大きく手を打ってみせた。

「と、いうことだ破軍・アルテミスよ。待たせたね!君専門の、君にしかお願いできない、君にしかこなせないお仕事の時間だよ」

「ゲェ――ッ!!ですよねぇ!」

 ギガントマキア終戦から、約五十年。およそ二つの大戦において、そのずば抜けた統率力と指揮をもって勝利を手に掴んだ実績は伊達ではない。加えて、かの大王クロノスとの一騎打ちの際には相討ちとなったものの、生還を果たして見せた近接戦闘の高さと生命力のしぶとさ。複数の国を、一つの巨大国家にまとめ上げたその手腕と智謀、人の世で生きるための闘争能力こそ、皇帝ユピテル最大の武器にして天士ユピテルの特異性といえよう。

 引き攣った親友の顔を、児戯にふける子供に似た楽しそうな様子で眺めたユピテルはにんまりと白い歯を見せる。

「拠点の方は問題ないよ。おおよその見当はついている」

「うっへえ……。再度訊くが、本当に、相手に心当たりはあるんだよな?」

「答えるのは二度目だが、ほかでもない君の問いだ。ここは親友として答えるべきが道理だろう。……心当たりは、ある。しかし、その心当たりが多くてな。そこで君には拠点場所に赴き、敵性天士の特定と調査を依頼したい」

 ユピテルが七星剣総勢を前にして自分を「親友」と呼ぶとき。それは、たいてい拒否権の喪失を意味するようなゴリ押しな無茶振りが多いことをアルテミスは知っている。苦虫を嚙み潰したようにようやく観念したアルテミスは、やれやれとかぶりを振って嘆息をついた。

「嫌な予感しかしないが、一応聞いとこうじゃねーの。……敵性天士の拠点、その場所ってやつをよ」

 ――卓上に放置された、肉腫の骸鉱石。ひび割れたそのうちの一つが、カチンと鬨声を上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る