君のそばにいる(母語)

「どうして私の母はあの人なんだろう」という疑問はほとんど滅多に抱かないでしょう。もちろん、皮肉や恨み言という意味でこんなことをいう人はいるかもしれない、けれど、真剣に考える人は科学者か哲学者、はたまた言語学者ぐらいです。

母親というのは、今振り返って考えてみれば、誰もが母親という別の人間の体内で成長し、母親から生まれ、親から栄養をもらい、育ちそして子供大人へと成長していく。

なんとも不思議なことです。生まれる前に他人によって生み出された僕達もかなり不思議です。親の影響力はそれだけではありません、自分の体も思考も、感情も、親から受け継がれているわけです。

MADE IN 他人。そう考えるととてつもなくなにか説明できない偉大な何かがあるような不思議な気持ちになります。


そして、僕らは「言葉」さえも母からの貰い物なわけです。さぁここからが本題だ。

僕達が普段使い慣れている「日本語」は生まれた時から側にいて、どこにでもいる存在です。こういう言葉は「母語(母国語)」と呼ばれる訳ですが、ここで1つみんなに聞きたい。

「あなたはその母語を詳しく説明出来ますか?」

一見簡単そうに見えて、母語の説明は結構難しいんです。たとえば、「は」と「が」の違い、どちらも格助詞と呼ばれるものですが、

A:山田さんは学生だ

B:山田さんが学生だ

これの違い、なんでしょう?外国人に「ナンデ!?」って聞かれて、ぱっと答えられるでしょうか・・・。

A:山田さんは学生だ

この文章は、山田さんという人物がどんな人なのか説明しているニュアンスが強いです。つまり、まず「山田」という人がいて「学生である」というタグみたいなものをつけてる感覚です。

B:山田さんが学生だ

「は」から「が」に変えると何が起きるのでしょう。何となく他にも誰かいて、「この中で1人学生がいるよね?田中だっけ?」みたいな質問に対して「山田さんが学生だよ」みたいなニュアンスで使えそうです。

つまり、他の何者かと線引きをして主語を強調しているのが「が」です。


こうやって、日常使う言葉のことをわざわざ説明しろって言われるとかなり考えあぐねてしまう、1番知っているはずなのに、外国人よりも1番身についてるはずの言語なのに、かえってむしろ説明できないのです。

なぜなら私達は生まれた頃から存在していて消えることすらないこの母語の中に育ったのですから、「俺なんで地球に生まれたんだろう」ぐらい疑問を投げかける機会が少ないからです。


けれど、その疑問が頭に浮かぶ機会は最近増えています。それは、外国人との交流です。

日本語習いたての外国の人はしばしば「不自然な日本語」を話す場面がありますよね?

僕のゲームの遊び相手の外国の友達は突然「戦い!」と叫んだことがあります。とてつもない不自然さが凝縮されたセリフでしたが、後になってそれは英語で「Fight!(日本語だと初め!みたいな感じかな?)」を言ったつもりだったとわかりました。

このように「不自然だ」とわかるけど「えっなんで?」って聞かれてしまうと口が開かなくなる、そんな不思議さがあるのです。


話がいろいろバラバラに広がってしまいましたね、つまり僕が言いたいのは「僕達は生まれながらにして自分の言語に不自然か自然かの感覚がある」ってことなんです。

そしてこれは本能で、僕達はわざわざ日本語の文法を勉強したことはありません。(読み書きはあるけどね)

生まれて、母国語に包まれてそだった僕達は知らず知らずのうちに外国人には難しかったり困惑してしまうような文法を当たり前のようにわかっているのです。


だ・け・ど、説明ができない。これが言葉の不思議。


逆に日本語じゃなくて英語でも同じことが言えます。たとえば「完了形」僕は中学時代苦戦しました。なぜ動詞の前にhaveを置いただけで完了形になるのか、そして「~した(過去形)」と「~してしまった(完了形)」の違いが全くわからないのです。


しかし、外国の人々は言います「完了形なんてお前らも話してるだろ!逆にお前らの方が分かりずらいわ!」と。


ええええええええ!?生まれてこの方完了形を使った記憶などございません!!と誰もが思うはずです。


それでは早速完了形についても説明してみましょう。

たとえば、僕達は母親に「あんたなんで今ゲームやってるのよ!?」とゲームをしている時に聞かれるとどう答えるでしょう。

答え方は色々ありますが「宿題やった」「もう勉強やった」とか色々言いますよね。


はい、それが完了形です。


「あれ、なんか落ち込んでるね?どうしたの?」って聞かれて「あの子に振られた~」とか色々言いますよね。


はい、それが完了形です。


むしろこの会話は外国人にとって意味不明なんです。

「なんでゲームやってんの?(現在のこと)」って聞かれてるのに「勉強した(過去のこと)」で答えてるんです。


実は世界的に言葉は現在のことを聞かれたら現在形で返すのですが、日本人は当たり前のように過去形で答えているわけです。

だから英語圏では「Why are you playing the game!?」とマザーから聞かれると「I studied」とは答えられないんです。


もっと深くまで行ってみましょう。

「お腹すいてる?」って聞かれて「飯食った」って言うでしょう?

英語圏の人からすればこれブチ切れですよ。

「お腹すいてるか空いてねーか聞いてんだよ!!!なんで昔飯食ったかなんて言い出すんだ!」って感じになるんです。

つまり我々がよく耳にする「過去形」というのは「現在とは全く関係のない過去の出来事」を示しているわけです。

そして「完了形」は「現在と関係のある過去の出来事」を示しているわけです。


つまり完了形の例文をもっと詳しく書くと、

「なんで(今現在)ゲームをしているの?」

「勉強終わった(状態だから、今ゲームをしているんだ)」なんですよ。


だから現在完了形というのは

「過去行ったことが現在の説明になっている」という意味で、

過去完了形というのは

「過去行ったことがその後の説明になっている(でも今は関係ない)」という意味なんです。


過去完了っていうのは日本語で言うと

「なんであの時ゲームしてたの?(過去)」と言われたら

「だって勉強終わってたから(過去完了)」みたいに答えてるのが過去完了です。



ここで1つわかったことがあるでしょう。

「外国語を学ぶことは母国語を学ぶ」ことであると。

英語にはあって日本語にはない、とか日本語にはあるけど英語にはない、みたいな表現は沢山あるし、この「違い」を認識することで「僕達が話しているこの言葉はなんなのか」

を知る手段になるのです。


だから自分が話す言葉を言葉で説明しようとする試みはとても難しいのです。

外国人の不自然な言葉に「不自然だ!これはこう言うんだ!」って言って「なんで?」って聞かれても「そういうものなの!」としか答えられない。


一体自分が話している言語はなんなんだ、どうしてそうなるんだと説明するためには、もしかしたら外国の言葉との触れ合いが必要なのかもしれません。

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言葉ってなんだろう 青葉樹 @hatter_japan

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