言葉ってなんだろう

青葉樹

世界を分ける(文節化)

僕は、私は、ワイは、ウチは、俺は、ワシは、朕は、おいどんは...などなど「自分を表す言葉」というのはたくさんの表現がありますよね(おいどんや朕を使ってる人見たことないけど...)


このような言葉を一人称と呼びますが、いざこれを英語で訳せと言われたらどうなるでしょう?

僕もI、私もI、...となんやかんや結局「I(アイ)」になってしまう。だから、英語圏では自分のことを言う時、男っぽいだの女っぽいだのおっさんぽいだの爺さんっぽいっていうのが全くないんです。だって全部「I」なのだから。


こんな感じにひとつの表現に対して分け方が言語によって違うことはよくある話で、水やお湯の例なんかはよく上がりますよね、

日本では水の温度の高低でお湯か水か表現がかわりますが、英語では結局はwaterです。


このように国によって言葉がどこでどこを分けるかの基準が違ってくるわけです。つまり言葉というのは「何かと何かを名前で線を引いている...?ようなもの」という感じがなんとなーくわかります。


もっと踏み込んだ人は「世界が先にあって言葉があるのではなく言葉が世界を作り出すのだ」という人もいます。

旧約聖書には「初めにロゴスありき」なんて書いてあったり、結構昔から言われてきました。

なにをふざけたことを!という人もいるかもしれません、けれどあながち否定できないことなんです。


例えば「猫」という言葉は「猫以外」と線を引いているのです。僕達が「猫」と言う言葉を目にした時、象もキリンも木も電車も思い浮かばないのは猫という言葉がそれ以外との境界線があるからです。


だとしたら「猫」という言葉がもしこの世に存在しなかったら、それは他と区別ができないという訳ですから僕らは猫に気づけない。


言ってしまえば最初の僕という言葉も、存在しなかったら僕は地球と同じ物だと考えてたでしょう。僕と地球の区別もできないわけです。


言葉をアニメで言うなら輪郭の線のようなものです、アニメや漫画のキャラクター達は線が描かれることで背景と同化せず「そこにいる」と見ている人もわかるわけですが、もしかしたらきっと現実世界でも輪郭を自分の目で補っているのかもしれません。

そんな風にして言葉があらゆるものに輪郭を与えて、○○と○○は別物だと認識できるわけなんです。認識できるものが僕達の世界ということであれば世界=言葉という説明になる訳です。だから「言葉が世界を作る」や「初めに言葉ありき」にある程度の説得力があることは頷けます。


つまり僕達はいつも言葉をペンにしてキャラクターの輪郭を描いているようなものなんです。


だからきっと小説や文学というのは僕達人間が言葉で世界を見ているからこそ言葉だけでも世界が想像出来るわけです。


そういう意味で言葉は素晴らしい道具です。


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