7 過去への道行き

「ヒビキはそこに座ってるだけでいいですから」

「お、おう」

 世間様としては国会議事堂襲撃事件から2日後。基地周辺に報道カメラを見かける今日この頃。大抵の人間が寝静まる深夜に、基地内で膝を着いて待機するアルヴェーゼSINを起動させるイクズス。広いコクピット内部の席の一つにヒビキは座っている。

 アルヴェーゼに内蔵されている時空転移システムのみの限定起動。現在時空の固定。跳躍先時空の検索。そこに至る大まかな道筋の確保。諸々の細かな設定の調整。

 保持者ホルダーが本能でできることを、イクズスは細かに設定していてやらなくてはいけない。とはいえ、元々細かに設定できるほうが後付けなので仕方ないのだが。

『ロボットの形をしたタイムマシンなんて不思議だね』

「俺だってそうさ」

 アルヴェーゼへの接触通信でドラゴン・ソルジャーが話す。応急修理を終え、騙しだましで動いてる状態。その彼がこの時間旅行に参加すると言ったのも、つい先ほどである。

 当然、ヒビキはやんわりと断ったのだが、イクズスが承知した。イクズスが言うには、時空間移動した先でアルヴェーゼが使えるわけではないから足としてドラゴンがいたほうが心強い、そうだ。

 ヒビキの理解の範囲では、手伝うイクズスがいいなら良いと承服することにした。というのは、実のところ、この時間旅行は分からないことが多いからだ。10時間前に説明を受けたにも関わらず、だ。



 10時間前。藤川ベース基地の小会議室をお借りして、何人かが集まっている。

 自由に動ける程度に回復したイクズスはホワイトボードに黒マーカーで概略図を書いている。

 会議室の外では、この基地には珍しいほど人が行き交っている。

 国会議事堂襲撃事件とそれに伴う、統一機構総帥との戦闘の無断配信の件。報道と防衛軍本部の両方から会見と報告、釈明をせっつかれている。

 この小会議室に集まっている人は、それらと無関係、というか関係したくても今の所邪魔になってしまう人々である。

 歌神千世、セティ。無断配信の主犯である。配信強度を高めるため、基地の設備を使って電波増強を行った。言い訳しようがない違法行為である。表に出るわけにはいかない。

 エルレーン。自分ちの商品の不良在庫処分と称して、統一機構実働部隊相手に大立ち回りを行った。本来なら釈明する立場だが、報道陣の前で下手な事を言うに決まっているため、実務からはずされている。

 権藤マオ。ドラゴン・ソルジャーの応急修理が終了し、カラミティを回復させるため措置を終らせ、手空きになった。科学者として、畑違いのモノには興味がある。

「さて、じゃ、ヒビキから聞いたことを噛み砕きつつ、すべきことを説明しましょうか」

 マーカーで必要な事を書き込んだらしく、イクズスは言ってくる。ホワイトボードには文字、文字、文字。ヒビキは開いた口が塞がらない。よくここまで書けるものだと思った。ヒビキがイクズスに話したことは、シンプルなことだ。

 これから時空改変が起きる。それを防ぐ。である。

 そう言うしかなかった。理論、概念は、ヒビキにはよく分からんのである。

 イクズスはそれに対する解説を今からするのである。

「明日か明後日か、あるいは1週間後か。時空改変が起きます。それだけの大術式を持つ妖怪、月夜がつやによって。直近、周辺の平行世界を巻き込んでの、雑な改変。言うなれば、ビデオテープの巻き戻しですね。」

「せんせー、ビデオテープって何ですかー?」

 エルレーンがお決まりの質問をしてくるが、やかましいとばかりにセティがエルレーンの足の指を踏みつける。

「あぎゃああああ」

 エルレーンは悲鳴を上げ、右足をおさえてのたうち回る。

 イクズスはそれを無視して解説を続ける。

「これによって戻される始点は、ヒビキが誕生する直前。もしもその時に生きている人間がいれば、記憶を引き継いだまま、改変と時戻しの感覚を味わうことができる。実際に、ヒビキしかそれはありえなかったわけですが。」

「おじさんって、すごいのね」

 マオとしては、父のカラミティ製作における大恩人としか聞いていない。曰く、1000年モノの呪物でカラミティを起動させたとか。魔術師として相当な術者だとばかり思っていたのだが、実際には普通に1000年単位で生きている神か悪魔の類である。

「なーに、身内の幸せを願って長生きしてるだけさ」

 ヒビキはからから笑っている。本当にそれしか考えておらず、一つも諦めていない。

「つまり始点と終点は決まっているわけですな。その経緯で何が起きようと、終点で時空改変が起きてしまう。これにより、周辺平行世界も巻き込まれてしまう、と。」

「改変が起きる前に発動者を始末しても無駄、と?」

「残念ながら」

 セティの一言にイクズスは同意する。

「発動者は月夜と確定しているので、術式発動者は平行世界の彼女であっても構わない。仮に、終点周辺でどこかの月夜が改心しても、大勢に影響は出ないんですなあ。」

 イクズスがこう話すからヒビキには考えられる。果たして、ヒビキが視た改変の様子が一番最初だったのか。世界はもっと繰り返しているのではないか、と。

「改変は繰り返しできることなのか?」

 興味本位でヒビキは聞いてみた。月夜はヒビキを振り向かせるようにしていただろうが、彼女は育ての母であって、女には見れなかった。それをヒビキは言っているのだが、月夜は一切聞く耳を持たなかった。彼女はヒビキが自分から愛を囁くまで同じことを繰り返すつもりなのだろうか。

「分かりません。分かりませんが、遠からず破綻するでしょうね。」

 イクズスは首を傾げる。そのパターンの考察は完了しているが、実験できるわけがないし、推理や妄想の域を出ないというところだ。

「すでに今回、マジンがある世界とエクスドライブがある世界とが混ざっちゃったわけですよ。時空改変には周辺平行世界を巻き込む。時空再編する過程で、平行世界を混ぜてしまうのであれば、遠からず月夜も知覚しない凶手に始末されるでしょうし、改変と再編が上手くいかなくなりましょうな。」

 ヒビキ自身は違和感がありつつも、分かっていなかったのでさほど影響はなかったが、事が大きくなっていたらカラミティどころの話ではなかったかもしれない。

「事の始まりを変えなければ、結局何も変えられないということか」

 マオはため息をつく。科学のできる領分を越えている。超科学は未だに人類が踏み込んでいける領域ではない。この終局を乗り越えれば不思議でなくなるかもしれないが、生きている間に体系化できるか不明なところだ。

「タイムマシンについては用意があります。まぁ、私にアルヴェーゼがあることを知っているから。彼女もヒビキさんにメッセージを残すようなことをしたんでしょうがね。」

 イクズスとしては勝手に押し付けられた仕事のようなものだ。ラフィール彼女にとっては、強制的に仕事を与えればイクズスはやると思っているのであろう。その通りである。彼の手を空きにさせると余計な事をやる。つい先日もエルレーンと一緒に世界の真理を支配する善悪をぶっ飛ばす絶対神を作成してしまった。紆余曲折あり、試行錯誤を繰り返すことになってしまった。エクス・ソルジャー、いやエクスはその被害者である。黙ってるしかないが。

「アルヴェーゼSINに搭載されている時空エンジンにて、当該始点にタイムワープ。月夜がヒビキを作り出すに至った原因を切除するのが解決方法になります。ただし、この解決には一つだけ問題があります。」

 イクズスの出した結論で間違いはないだろう。ただ、問題点があることをヒビキは知らない。あまりにも当たり前で、解決のためには避けられないことなのだが、ヒビキの頭からは抜けていた。

「この問題を解決すると、ヒビキの存在はどうなるか分かりません」

「あっ」

 ヒビキはようやく気付く。当然の話である。ヒビキは月夜の欲と行き過ぎた愛によって生まれた存在である。極端に運がいいとか悪いとか、それを利用して呪物を作れるとかは副産物に過ぎない。話を聞いて、マオは眉間に皺を寄せて、渋い顔をしている。

「タイムワープ自体は、無限に分岐している過去世界という異世界に転移するだけだ。だが、当該事象を解決すれば、当然発生するべき分岐が全て消失する。おじさんという存在も消えて無くなる可能性のほうが高い。」

 マオは理論の裏付け推理を自分で行ってしまい、目を伏せる。

「はい。仮にヒビキを消滅させて元の歴史に戻った際は、歴史は無理のない修正を加える。カラミティを目覚めさせるのも、ヒビキが風吹さんと高嶺さんに出会ったことも何もかもが別の何かに置き換わる。」

 あくまで仮定の話。とはいえ、不安しかない話でもある。未来を守ろうとした結果が、自らの未来を消す可能性がある。

「それが確定なら仕方ないさ。逃れられんよ。」

 ヒビキは開き直って明るく言う。

「私は元々世界の異物なので、貴方が存在していたという事実は覚えておくことはできますよ」

「何だ。それなら何も問題はないな。」

 彼は屈託なく笑う。運が良いか悪いか、サイコロを投げる前には分からない。彼にとっては、やるべきことをしに行くのだ。少し不安でもあるが、あるべき未来を失くすよりはマシなのだ。変えさえすれば、愛した2人も、マオにも未来があるから。

「よぉし、腹は決まった。準備ができればいつでもいいぞ!」

「焦らずに。何か話す時間はありますよ。」

 明らかに空元気になったヒビキを見かね、イクズスは気持ちの整理を促す。ここから先は彼がヤケクソでは締まらないし、見ていられない。

 イクズス自身を気に掛けてくれた恩返しに、ヒビキに対して優しい言葉をかける。

 ヒビキはその気持ちを無視するほど子供ではない。頭を掻いて、表面上は冷静になる。

「悪ぃな」

 彼は席を立ち、会議室を出て端末を操作する。相手は風吹と、高嶺。一緒くたにではない。それぞれ個人にだ。

「いいんですか?」

 話を最後まで聞いていたセティがマオに声を掛ける。マオは俯いていた。だが、すこししてから顔を上げる。

「私は5年か6年したら、きっと大人になる。そうしたらカラミティは、もう必要ないかな。私一人で生きていけるなんて言わないけど、今はみんながいるし。」

 彼女は目に涙を貯めている。

「イクズスさん。私は、ヒビキさんが無事に戻ってきたら、おじさんのためのカラミティを作りたいな。あの人がずっとずっと生きていくなら、独りぼっちは寂しいじゃない?」

 イクズスはパイプ椅子に座り、マオの言葉を聞いている。

「そうだな。結局普通の人間とは同じ速度では歩めない。大切な人たちが老いて死んでいっても、彼は歩まなくてはいけないかもしれないな。」

「私のためにカラミティを与えてくれたなら、私はその恩返しをきっと生きてる間にするわ。ただ、私だけでは困難だと思う。パパがそうだったように。だから手伝ってくれる?」

「心得た」

 彼女もまたヒビキを好きなのだろう。ただヒビキは今の所、2人しか見ていない。彼女の恋は成就しないだろうが、恋や愛はカタチが様々だ。その想いに殉じ、手を貸すよう望まれるならば、イクズスはいくらでも応えてやるつもりだ。

「他人のこともそりゃそうですけど、私も待ってるんですからね」

 セティは不満げに言う。どたばたしていて、彼女は想いを遂げられていない。今回もそうなりそうだ。すべきことをちゃんとすること。これはイクズス自身から言われた言葉でもある。

「私は強い子に絡まれやすいな。いや、すまんね、本当に。」

 イクズスは珍しくセティの手を両手で握りしめ、許しを乞う。謝罪はいつものことだが、スキンシップとして行動させられると、セティの気持ちは変わる。

「ちゃんと、帰ってきてくださいよ、ホントに」

 その手を握り返し、彼女は言葉を掛けた。



 そして時間は元に戻る。

 イクズスはヒビキが愛する者達になんと声を掛けたかは聞かなかった。

 タイムワープの最終座標にはヒビキのイメージが必要なのもそうだ。ただ、もし別れの言葉でも聞いてしまったら、後悔の念も生まれてしまう。他人の幸せを一時的に壊してしまうなら、一生の後悔になるからだ。

「なぁに、大丈夫だよ。お前とドラゴンが一緒なら。」

 ヒビキはひたすらに前向きな言葉をする。根拠なんて何もない。あるにはあるのだが、イクズスがそれを口に出すのはあまりにも傲慢に思えた。

 何にしろ実行したら、後戻りはない。終局を迎えてしまう前に、改変の始点を修正する。そうすれば変わる。文字通りに。

 イクズスは解説した時に言ってないことがあった。

 仮にヒビキの存在が消えなかった場合だ。

 その時は、イクズスにも分からない。アルヴェーゼによって歴史を根本的に変えて、生まれるはずのないヒビキが存在し、イクズスが正しく世に存在できる。それは新たな平行異世界の始まりになるかもしれない。それこそ何が起こっても不思議でないような。

「気休めは、いや、今はそれぐらい前向きがいいですか。設定は終わりました。スイッチ一つで跳べます。ドラゴン、少々アルヴェーゼで抱えますよ。」

『おう、潰してくれるなよ?』

 アルヴェーゼとドラゴンのサイズ差は二回り以上だ。ドラゴンが赤子みたいなもので、繊細に扱わなければならない。

 深夜だが、格納庫前で、事の成り行きを見守るセティやマオがいる。彼女らも不安そうにアルヴェーゼを見つめていた。

「よし、やってくれ」

「了解。跳躍。」

 ヒビキは呼吸を整え、イクズスに聞こえるように言った。もっと躊躇うかと思ったが、ヒビキは覚悟を決め込んでいる風だった。となればイクズスも倣わなければならない。

 時空エンジンに火を入れ、システムを走らせる。ここからは、イクズスもよく知らない未知の領域だった。

 エンジン自体を作った者は天才だろうが、実際何が駆動して、何が作用しているのか、イクズスの能力を使ってもよく分からない。極めてご都合主義的であるが、彼はとりあえず気にしないことにした。

 刹那か、一瞬か、瞬きの間か。時空間の転移は名状しがたいものだ。少なくともイクズスには果てなく続く虹色の螺旋の中を移動しているように見えた。凝視すれば吸い込まれそうな、魂の浮遊感を感じたのも束の間、星と月の空に放り出された。

 月の位置からして通常空間だ、と直感しながら、アルヴェーゼの通常駆動をコントロールする。

 ただそれも一瞬しか作用しない。機体直下の山林らしき場所を滑りながらアルヴェーゼは着地した。

「わーっ!」

 急な直下からの衝撃にヒビキは悲鳴を上げる。イクズスはそれに無反応で、アルヴェーゼが抱えていたドラゴン・ソルジャーを離す操作をする。

「タイムトラベルっていうのはこういう遊園地のフリーフォールものなんかね」

「初乗りに言われても」

 衝撃の揺れに頭を落ち着かせながらヒビキは言ってくる。イクズスは現在地を分析しながら言葉を零す。

 現在地分析と言っても、GPSを使えない時代であれば、地形からアタリを付けるぐらいのことしかできない。

「平安京のはずれくらいか。多分。」

 イクズスはかなり信用ならないことを言っている。

「大雑把な」

「プランがそもそも大雑把なことに比べれば、まだ正確なほうだよ」

 低きを比べても仕方ないが、ああ言えばこう言うだけの一歩も進まない会話である。

「ドラゴン、降ろすぞ」

『あ、ああ』

 アルヴェーゼで抱えていたドラゴンを降ろすと、彼は車形態に変形する。その見た目は特に問題なさそうだ。ただ彼とてタイムワープを体験するのは初めてだ。困惑するところはあろう。

 ドラゴンを降ろした後のアルヴェーゼは片膝を付き、周囲の森に身を隠すように屈ませる。隠すこともそうだが、乗降のためだ。

「アルヴェーゼはここに隠すしかない」

 とイクズスは呟く。ここに残していく心配はある。とはいえ周囲は伸ばしっ放しの雑草だらけで獣道もない山野。人畜が近づくとは思えない。

「下山してみよう」

 何時かは分からないが真っ暗闇の山の中を、ドラゴンの外部照明だけを頼りに、進む。山を下っているというだけで、人里に近づいている感覚はない。この時代の夜は、闇そのものだ。常に明かりが灯る現代から来れば、それは余計に、だろう。

「虫の音しか聞こえん」

「それこそ明るい時に山へ柴刈りに行くでしょうから、誰もいやしないでしょうね」

 などと、中身のない話をしながら下ること30分。話のネタも尽きてきた頃に、下りの終わりが見えた。そして洛外と言うのだろうか。人家らしき板同士を組み合わせただけであろう小屋が点々と並ぶ人々の住処が暗闇の中に見える。

 それら小屋からは人がいる気配のようなものはある。それを住処と呼ぶのは憚れるのか、ヒビキのほうは顔をしかめている。

「なんちゅーかこう、イヤだな。くせーし」

「人間が家畜とさほど変わらない生活をしてた照査ですよ。死んだら弔いできればいい無縁仏もいいとこでしょうし。」

 生活臭というには強烈な糞尿や汗の匂いのようなものが温い風と共に漂っている。貧しい暮らし、と言うには易し。

「ドラゴン、ここからは変形して進みましょう。人型形態は目立ちます。」

『ん、了解』

 ドラゴンは言う通りその場で変形し、車になる。一度消えた明かりは、ヘットライトとして再び先を照らす。

「目立たないか?」

「かもしれませんが、これは牛車と言い張ります」

「牛車」

『牛扱いされるのか』

 ヒビキの当然のツッコミにイクズスは無茶苦茶なことを言い出した。

 そういう馬鹿馬鹿しいことを言いながら、暗闇の洛中へと入る。かの有名な羅生門は崩れ落ちていた。車が入ってもなお3車線はあるようなやたらと広い道があり、その両側に壁に囲われた屋敷や、軒先やらが見える。

 洛外とは全く違う富裕層らしい街があるのだ。臭いそのものに変わりはないが、雰囲気はまるで違って感じる。

「住む世界が違うな」

「庶民に貴族の暮らしは想像できないように、貴族には庶民の暮らしの想像はできないものです」

「違いない」

 ヒビキにも覚えがある。各地を流浪している時、あるいは前のカラミティと旅をしていた時。金、武器、異性。人間はそういう目先のものや幸せで殺し合えるのだと分かっていたはずなのだ。

「しかしまあ、静かすぎて手がかりも何もないなあ」

 夜、暗闇、人通り無し。勢い半分に洛中へ入ってしまったが、情報になるようなものは今の所はない。

 ないと思っていた。ヘラヘラ笑っていたヒビキは微妙に変わった風向きに、ふと顔を反対へと横に見やる。何者かの回し蹴りの影が見え、反射的に体を引いた。

「なっ」

 何かと聞くまでもない。零距離の蹴りはヒビキの眼前をかすめる。小柄な影はすぐ目の前に着地し、ヒビキは尻餅は着かないが、それでもバランスを崩しながら後退るように利き足とは反対の足で踏みとどまる。

「しぇあっ!!」

「ちょっ、まっ」

 小柄な影は更に跳び、ヒビキの顔面を狙っているのか、真っ直ぐ蹴りを放ってくる。それは後退して避けられるものではない。土埃を巻き上げながら、右に転がって避ける。その後、相手を視認しようと、身体を捻りながら態勢を立て直そうとする。

 相手の身体のバネは相当なものか、あるいは体力無尽蔵か。相手はすでに地面を跳んでいた。

「なめんなっ」

 ずっと避け続けているヒビキではない。あえて身体を攻撃に向け、受け流すように、蹴りを自分の背中に流していく。気合いが背中を掠めていくのを見計らい、足を踏ん張り背中で蹴り跳ぶ相手を弾く。

「きゃあ!?」

 少女の悲鳴のような声がして、小柄な影は着地に失敗しつつ、すっ転ぶ。

 相手が地面にいれば距離はほぼ見誤らない。少々荒っぽく相手の襟首を引き倒しながら、力尽くで右腕を地面に押しつける。

「くっ、この野郎!」

 当然だが、足をバタ付かせて暴れる相手だが、身体半分が押さえ付けられている状態では通常身動きは取れない。

 間近で見た相手の顔は暗がりだが女の子の顔をしていた。ヒビキ自身は9割少女だと思った。

「イクズス、無事か!?」

「問題ありませんよー」

 姿は見えないが、イクズスの無事な声は聞こえてくる。

『おい、そこの。こちらには争う気はないぞ。出てこい』

 今まで黙っていたドラゴンが声を発する。ヘッドライトで照らす前方には人の足が4組ほど見える。包囲をされているわけではないが、一斉に掛かってこられればひとたまりもないだろう。

 それに相手が誰にしろ、ドラゴンのような得体の知れないものから声が発せられれば、無用な警戒を与えるかもしれない。

「どうやらあなた達は影一族ではないようですね」

「かげいちぞく?」

 男の声の発した聞き覚えのない単語に聞き返しつつ、ヒビキは声の方を見やる。

 ヘッドライトに照らされた相手は、狩衣だろうか、白い着物を着た少年とも青年とも見える男性だ。ヒビキにはその顔に見覚えがあった。

 彼は何やら口を動かして、何らかの力で明かりを作った。辺りが照らされ、お互いが視認できるようになる。

「えっ」

「あなたは一体?」

 何とかヒビキを振り解こうとしていた少女と、近づいてきた少年が、ヒビキを見て驚き戸惑う。

 それもそのはず。少年はヒビキの顔によく似ていたからであった。



「僕の名前はアキラと言います」

 誤解が解けた、かどうかは分からない。ともあれ、少年の屋敷に招かれ、ヒビキとイクズスは座敷に胡座を掻いて一息ついた。ドラゴンは、一度人型になってから屋敷の塀を跨いで中に入り、変形し直している。

 この期に及んでイクズスは牛車だと説明しているが、少年の付き人達に口を揃えて否定されている。

「俺はヒビキ、だ」

「イクズスと申します。彼は、ドラゴン。」

 自己紹介をすると共に、牛車設定を秒で捨てるイクズス。雑な感じだが、ボケていても仕方ない、ということにしておく。

「普通の洛外の方ではありませんね?」

「詳しくは説明しにくいですが、そんなところで。失せ者探しをしております。」

 目の前の少年と、ふすま越しの視線の二つを気にしているヒビキに代わり、イクズスが経緯の説明を行う。ヒビキたちが時を越えて来たことなど、今はどうでもよいことだ。話せる相手の情報を引き出し、目的にこぎつければいいのだ。

「狐の妖怪を、探しております」

「狐の、妖怪ですか」

 イクズスが目的を明かすと、少年は一瞬目を伏し目にしたように見えた。

「それは、影一族の仲間かもしれませんね」

 一瞬で居直った少年は、影一族という謎の組織を名指しした。

「ともあれ、今夜は遅い。この屋敷にお泊り下さい。影一族は夜を武器に戦うものたち。また光が昇った時に道も開けましょう。」

「ええ、ご厚意に感謝するとします」

 イクズスは頭を下げ、礼を取る。ヒビキは特に礼をすることなく、イライラとしていた。

 アキラはそれに気を悪くすることなく立ち上がり、ふすまを開いて立ち去る。座敷に二人残される。灯篭に光は灯ったままだが、通常の火ではない。

 しばしの沈黙。イクズスは問うべきか、問わざるべきか迷う。もちろん、ヒビキの苛立ちについてだ。ここまでの経緯もある。イクズス自身について、ヒビキはかなりのことを突っ込んできた。ここでお互い様にすることはできた。

(やめておきますか)

 なんとなく、やめておいた。座敷に横になり、しばしひと眠りすることにした。

 ヒビキの方はと言えば、苛立ちに確信があった。直感と言ってもいい。

 アキラと名乗る少年は、ヒビキの血脈に連なる人物だということだ。彼の話通り、影一族なる者たちや、それに連なる月夜がいたとして、彼らと戦い負けたから、ヒビキが生まれるのではないかと考えてしまっていた。

 しかしそれは逆に言えば。

(この時代で協力し元凶を叩けば、俺は、消えるのかもしれないな)

 ヒビキは確定することのない予測にため息をついて、横になった。

 すると点いていた灯は独りでに消え、再び闇が辺りを包むのであった。

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